04 回想:魔女の家系(ドリス視点)

 私の母はかつて人々から恐れられた魔女の子孫だった。といっても昔の記録を残している者は少ないし、魔女に関するおとぎ話のような伝承が僅かに存在しているだけだ。


 しかし、確かに常人より魔力は強い。だから、ある貴族に目をつけられた。その貴族は、地方自治においても、死界との戦いにおいても影響力を持っていた。だから、さらなる飛躍を狙ってのことだったという。


 長男は既に大きな才覚を発揮して、貴族の跡継ぎとしての役割を十分に果たしていたから、新たな領域への進出ということで、次男の結婚相手に母が迎え入れたのだ。その次男こそ、すなわち私の父だ。


 父は伯父への対抗意識があったんだと思う。母の力を利用して、伯父とは違う形で世の中に自分の名前を残したいと考える野心家だった。決して悪人ではなかった。


 しかし、父は愚かだった。いわゆる無能な働き者であり、騙されやすい性格をしていた。そしてプライドが無駄に高く、騙されたことを認めようとしない人だった。だから失敗を活かすということができず、誤ちを繰り返した。


 有望な魔法技術の研究とやらに出資して負債だけを背負わされたし、死界討滅軍とは違う私設武装組織に死界遠征費を出したものの、彼らの大半が死傷してしまい、契約の関係で家族から慰謝料の支払いを求められたし、その他にも私の知らないところでも間違いはあったのだと思う。


 やがて借金が増えすぎてしまい、愛想を尽かした貴族から父は追放された。そこからは借金取りに追われる日々になった。私が10歳の頃の話だ。


「父上も兄上も分かっていない! 彼らがやっているのは現状維持じゃないか! 僕は未来への投資をしたんだ! あの超魔法が成功していたら死界の真相に迫れたかもしれないし、それは誰かがやらねばならないことだったはずじゃないか!」

 貴族生活とは程遠い質素な家に帰ってきた父が、母に愚痴り始める。酒を飲んできたのか呂律が回っていない。


 いい気なものだ。母は家計のために魔導具を作っている最中だというのに父は一方的に愚痴るだけ。子供心に、本当にダメな父だと思った。


「聞いてるのかユーミ!? 僕を追放するなんて間違っていたと思わないか!」

「はいはい、そうですね」

 母が素っ気なく返答する。私はその様子を見ることもなく、黙々と机で魔法学校の課題をこなした。


「何だよ、その態度……」

 そう言うと、父は私の元までやって来て、後ろから抱きついてきた。


「ドリス。お前なら父さんの気持ち、分かるよな……?」

「お父さん、酒臭い……」

「ドリスまでそんなこと言うのか? 昔はあんなにパパ、パパって懐いてくれてたのに……」

 いつの時代の話をしているのか! そんな幼子の時と同じにされても困る……。


「あなた。ドリスの勉強の邪魔ですよ」

 母が父の肩に手を置いて言った。


「……」

 父は私から手をどけ、ため息をついて自室に戻っていった。


「ため息つきたいのはお母さんの方よね」

「まあ、そうね……」

 母と顔を見合わせ、私たちは苦笑した。


 何というか、父はダメだけれどクズではないのだ。貧困街といって良いこの近所では、クズ夫に妻や子供が殴られているようなケースもある。それに比べればマシという気持ちが母の中にあるのも何となく感じる。だから、父を捨てるまでには至らないのだろう。


 子供ながらに母が苦労しているのも知っている。私も仕事を手伝った方が良いのではと母に問いかけたこともあるが、母は断固拒否した。学校で学ぶのが私の仕事だと。


「ドリス、もう寝なさい」

「ううん、もう少しやる。切りが悪いから」

「そう。ほどほどにね」

 どうせ母はまだ起きて魔道具作りを続けるのだ。がんばり屋の母は私の誇りだ。見ていたいのだ。もっとも、いつも眠気に負けて私が先に寝落ちしてしまうのだが。



    ◇



 ある日の学校帰り、見知らぬ男に声を掛けられた。


「よう嬢ちゃん。ドリスってのは君だな?」

「……」

 道端で堂々と声をかけてきた軽薄そうな男を、私は返答せずに睨みつけた。


 雰囲気でなんとなく分かる。借金取りの新入りというところだろう。そろそろ回収のある時期だ。


「けっ! 借金をしたのは嬢ちゃんの父親だってのにどうしてそういう態度が取れるのかね。まあいいや、家に案内しろい」

「……」

「あんだ? ……ああ、俺が初対面の奴だから信用してないのか?」

 私はコクリと頷いた。いつもの借金取りを装った人さらいという可能性だってあるのだ。


「ちっ、めんどくせーな。わーったよ、兄貴もそのうちここに来るから待ってろよ」

 男はそのままベンチに座って天を仰ぎ始めた。


「仕事、初めてなの?」

「……うっせ」

 この様子だと、うち以外の借金回収もできていなさそうだ。こういう仕事の人でも最初は緊張ということなのだろうか。


「ドリス、今いくつだ?」

「……12歳」

「そっか。ルックスもいいし、出るとこ出てきてるから身体を売る仕事できるかもしれねーぞ。ガキ好みの貴族も世の中にはいるし、どうだ?」

「む……」

 子供ながら私に性の知識はある。貧困街に住んでいるし身を守るために必要だからだ。しかしそんなをする気はさらさら無かった私は苛立って反論しようとした。


 そんな時、別の男が話しかけてきた。


「おい!! その家にそういう話はダメっつったろうが!」

「あ、兄貴!?」

 男が立ち上がって謝り始めた。新たにやって来た人相の悪いこの男は顔なじみでもある。いつも借金の回収に来ている男、ポルネだ。


「よぉ、ドリス。このクソガキの話は聞かなくていいからな」

 ポルネが新入りの頭を引っぱたきながら言った。


「そもそもてめー、待ってろって言っただろ! お前如きの腕じゃ喧嘩になったら返り討ちに遭うだけだ! 今日はついてくるだけにしろって言ったよな?」

「ご、ごめんよ兄貴……」

 私の前で堂々と後輩を叱りつけるポルネに苦笑してしまう。借金取りの威厳もあったもんじゃない。良いのだろうか。


「さてドリス。ユーミは家か?」

「うん」

「お前の母ちゃんの作る魔導具はマジで高値で売れるからな。俺らも大事にしたいんだ。お前もユーミも風商売に走る必要なんてないからな。いつも言ってるが、そそのかす奴が現れたら俺の名前を出して断れ。いいな?」

「分かってるよ」

 私はポルネに返答した。


 私はポルネたちと共に帰宅した。母は準備していたらしく、机の上に魔導具が並んでいる。初めて見る新入りは目を丸くしてそれらを眺めていた。魔法の心得があればその性能の高さは理解できるのだろう。私はそれも誇らしかった。


 正直、母のこの稼ぎで得られる金額は父の仕事より遥かに多い。借金取りたちも満足しているのだと思う。母とポルネの間にはぎすぎすした雰囲気はなく、いつも談笑して終わっていた。


「じゃあな、ユーミ、ドリス。また次回も頼むぜ」

 ポルネたちは魔導具を持って出ていった。


 借金取りたちは、もはや父を当てにしていない。父も働いてはいるのだが、一回の返済分を一度に稼ぐ力は無いのだ。だから父から回収する時は、ある程度貯めさせてから一気に回収することが多い。もっとも、そんな返済方法が許されるのは、母が獅子奮迅の働きをしているからだ。父はもっと母に感謝しないといけないと思う。


「さて、じゃあ夕飯にしよっか」

「手伝うよ、お母さん」

「うん、ありがと。ごほっ、ごほっ」


 母と共に食材の買い出しに出かける。疲れている母を労って私が買い物に行くと言っても、母は聞かない。せっかく母子水入らずの時間だから楽しみたいと言うのだ。


 買い出し後、二人で夕飯を作った。どうせ父は早くには帰ってこないから二人で食べた。私が今日学校で起こった出来事を話すと、母は楽しげに聞いてくれた。母の雑談を聞くのも楽しかった。


 けれど、母がたまにする咳の意味を、この時の私はまだ分かっていなかった。



    ◇



「避難?」

 私は母に向かってとぼけた声を出した。ある朝のことだ。


 起きるとポルネが家に来ており、母と何やら深刻そうな顔をして話しているので近づいていったら唐突に避難話をされたのだ。


「死界が来るのよ」

「この町に……?」


 とうとうこの町にも死界、すなわちアンデッドの軍勢が到達する。死界討滅軍が避難誘導を受け持つという。母は魔女としての魔力を買われているので、ポルネ経由で手伝いの依頼が来ているらしい。


「そ、そんな……」

「今すぐのことじゃないわ。ドリス、あなたはさっさとご飯を食べて学校に行きなさい」

「う、うん……」


 話を続けている母とポルネの横で私は朝食を済ませた。聞き耳を立てていると、何も母が戦いに行くとか、そういう類の話ではないらしい。私は少し安心し、学校に向かった。


 学校でも避難の話が出た。ほぼ避難手順の案内や説明だけで、授業はなかった。貧困街の子供が通う学校だが、避難は全ての市民に対して平等に行われる。だからしっかりと説明がなされたのだ。


 特に難しいことはない。子供が蛮勇に走って、学校で習ったつたない魔法で戦いに加わったりしないように注意がされるだけだ。後は死界討滅軍の指示通りに動くこと、それを徹底された。


 終わると、子供たちは帰宅させられた。学校でも準備が始まるらしい。いつもは学校の後に仕事に出る子供も、この日はそのまま帰宅した。


 私もそのまま帰宅すると、そこには父がいた。


「あれ、お父さん?」

 いつもは仕事に出ているはずの時間だが、父にもイレギュラーの事態が起きているのだろうか。


「ドリスか……」

 さらに近づくと、父が何やら魔導具を準備しているのが見えた。


「お父さん……、何してるの?」

「ドリス、僕はこのまま死界に向かう」

「……は?」

 突然告げられたその意味の分からない言葉に、私は呆けた言葉を発した。


「特別任務だよ。避難が完了するまでの間、僕たちが死界の侵攻を抑えるんだ」

「ど、どうしてお父さんが……?」


 聞けば、職場の同僚から持ちかけられたらしい。高給が出る、それも生き残っても死んでも。借金を抱えている人が多い職場だから、そういう仕事が回ってきたのだという。残っている借金を全て返せると、父は息巻いた。


 これが父のダメなところなのだ。裏を取らずにすぐ信じてしまう。前に大金を失った時も似たような雰囲気だったと、幼少期ながらおぼろげに記憶している。


「心配するなドリス。お父さんはちゃんと帰ってくるから」

「そういう問題じゃないよ、お父さん! ちゃんと契約書とか、読んだの!?」

「……ああ、読んだ」

 父の返答に間があった。多分これは、読んではいても理解できていない。分からないなら分からないと言えばいいのに、それができない!


「ちゃんとお母さんに相談した!?」

「……!?」

 危険を感じ取り、私はまくし立てる。感情的にならず説得に注力しなければならないと直感が言っている。しかし、所詮子供の私には激情を抑えるのが難しい。


「ユーミには、これ以上迷惑を掛けられない! 僕が作ってしまった借金なのに、ユーミがほとんど返済しているんだぞ! 少しくらい、カッコつけさせてくれ!!」


 これは、父の母への劣等感なのだろうか。プライドという奴なのだろうか。私には理解できない。


「これで借金を返す日々も終わりだ! 後は僕に任せて!」

「そうじゃない! そうじゃないよ、お父さん! 行っちゃ駄目!!」

「大丈夫だ、心配いらない! 皆、手練だから!」


 話が噛み合わない! 父を心配しているというだけではない! 違うよ、お父さん! それ、また借金が増えるんじゃないの!?


 なおも怒鳴りあった直後、父に睡眠魔法を使われた。こういう魔法への防御は既に習得していたが、いきなりだったので抵抗できなかった。


「バカ……、バカ……。もう、お母さんを……苦しめないでよ……」

 急速に意識を失う中、私は嘆きの言葉を発した。その後のことは、もう分からなかった。



 次に意識を取り戻した時、私はベッドの上だった。父に運ばれたのだろうか。私は飛び起き、家に戻ってきていた母の元に走った。


「あらドリス。随分よく寝ていたわね」

「お母さん! 大変よ!!」


 私はすぐに母に事情を説明した。たちまち母の顔が歪み、頭を押さえる仕草をした。


「あの……、バカ!!」

 母はすぐに自警団に連絡した。自警団は父の捜索をしてくれたが、既に町を出た後のようだった。父の職場にいた者の多くが行ってしまっていた。


 事情を聞きつけて現れたポルネも、父の行動に怒っていた。


「あの野郎……、ほんっとにバカじゃねーか!? どんだけ妻子に迷惑かけりゃ気が済むんだ!!」

 ポルネは借金取りの側だが、原因を作ってきたのが父の愚かさだと理解しているし、私たちには同情的なのだ。


「ユーミ、ドリス。お前らは避難の準備をしろ。こんな状況だから、どの組織も取り立ては中断してる。俺もちょっと手が空くから、あのバカのこと調べとくよ」

「ごめんね……、ありがと……。ごほっ、ごほっ」

 母がポルネに礼を言い、ポルネはそのまま家を出ていった。



    ◇



 避難はすぐに始まった。もちろん、貧困街の住民は後回しだが、それは仕方ない。連日、荷物を載せた多くの馬車が次々と西へ旅立っていった。混乱の最中さなかだが、死界討滅軍が来ているため治安は維持されている。祖父や伯父も、この事態に対処するために走り回っているようだった。


「大変なことになっちゃったね」

「いつか来る時だったのよ。でも大丈夫、死界が世界全部を覆ってしまうわけじゃないんだから。西の地で新しい生活が始まるだけよ」

「うん……。でも、お父さんが……」

「そっちは……、まあ、どうにかなるよ」

 母が苦笑した。


 特別任務とやらで死界に向かった者たちの消息は不明だ。死界に入って無事で済むわけがない。だから、もう父の生存は厳しいのだろう。


 とはいえ、実感が無さすぎて悲しみの感情は一切湧いてこない。ポルネが調査の途中経過を知らせてくれたが、どうもやはり避難が始まることを見越した詐欺の可能性が高いらしい。また騙されたということだ。実感が無いだけでなく、父の愚かさのために心が動かないだけなのだろうか。


「本当にバカな人……」

 母が窓から空を見ながら言った。


 母は父をどう思っていたのだろうか。父との結婚の画策は祖父が進めたことだ。当時の母には他に意中の人がいたわけではなかったし、父の家は有力貴族だったから断る理由もなかったらしい。


 だからこそ、父がここまで愚かだったのは誤算だっただろう。けれど、やはり長く一緒にいた相手だから想いもあるのだろうか。


 そして、長く一緒にいさせてしまったのは私のせいではないだろうか。私さえ居なければ、母はもっと早くに、父と縁を切る決断をできたのではないか。たまにそんなことも考える。


 確かめる勇気も出ず、私はその問いを母にしたことはなかった。

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