第2話 お前の代わり

 せっかく入った後輩は、俺の理想からかけ離れていた。


 これでもはじめは、しめしめと思ったんだ。身長だけは生意気だったが、無口で伏せ目がちな瞳は、悪くない未来を想像させたから。


 でも、視線。

 

 このひと月で、変わったのはヤツの視線だ。はじめはずっと下を見ていたのに、今ではまっすぐ俺を見てくる。不意に浮かぶ笑みは真意がわからず、恐怖だ。


「秋山ぁ、コーヒー」

「あ、私は緑茶でいいわ」


 コピー機の葢を開けると、そこに主任の声。そして本日初の、おつぼね――牧山まきやま洋子のお言葉が来た。


(しゃあしゃあ言うなぁぁ)


 この場合、主任は自販機、お局は備えつけのお茶を指す。

(だからそんなの、下っ端の仕事だしっ)

 でも口には出せない、奥ゆかしい俺。


「おい刹那崎せつなざき。コーヒーとお茶だよ」

「はい、先輩」


 まぁ刹那崎には言うんだけど。俺をガン見していた刹那崎が、コクリとうなずく。


「お前が行け、秋山」

 しかし刹那崎がその場を離れるより早く、指示は出た。

「だってそいつ間違うんだもん」

 顔を向けると、唇を尖らせている三十五歳。死んでほしい。


「ちゃんと教えましたよ、主任のコーヒー日割り表」

「書き留めました」

 返事はよかった。


「さっき先輩が捨てちまわれたページがそれです」

「火曜は微糖だよ! さっさと行け!」


 足を蹴ると、部屋を出ていく刹那崎。力んだ途端、体に感じる圧。俺はコピー機を背に、ズルズルとその場にへたった。


「だりぃ……」

 思わず呟く。最近疲れているのか、ひんぱんに体が重くなるんだ。


「私のお茶はあなたがいれてよね」

「うす……」

 そこでお局の声。返事した俺を褒めてほしい。


 このお局はどうしたことか、刹那崎には絶対口をききやしない。俺の研修時は、見るテレビにまで口出しされたというのに。 


 そしてそれが黙認される事務所。つまり逆らう術はなく、俺はいやいや立ち上がった。


「ポットからだし……」


 給湯スペースは、俺の席の背後にある。けれど水をくみにいこうとしたところで、主任から舌打ちの音が聞こえた。


 たちまち走る嫌な予感に、主任を盗み見る。その手にあるのは、確かに昨日刹那崎に押しつけた書類だ。


「先輩、戻りました」

 そこで扉の音と、真面目な顔で俺に直行してくる刹那崎。


「先輩」

「いやそれ主任のコーヒーだから主任のとこ行け!!」

 息も絶え絶えに主任に突き出すと、今度は主任からため息が漏れる。


(微糖には二種類あんだよっ、バカバカ間抜け!!)


 しかし主任は、コーヒーには突っ込まなかった。缶を置くと再び書類を手に取り、

「秋山ァ! てめぇ今月何回目だ!?」

 結局罵声を浴びたのは俺だった。


 そうだよ。今月何回目だ?


 刹那崎、俺がてめぇの代わりに頭を下げたのは――。

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