葉月の庭

Day1.緋玉の日


夢を見た。

見知らぬ彼女と他愛ない話をする、そんな夢。

彼女の声は、今も耳に蕩けて残っている。

幾度拭おうと纏わり、絡みついてくる。

まるで甘い、甘い、蜜のよう─────

朝雲雀が鳴き始める頃、彼女はそっと立ち上がると、じゃあね、と告げて朝靄に消えてゆく。

そんな彼女の消えゆく背中を、ただ、

見つめていた─────。


──────つう、と涙が流れる感覚がして目を覚ます。


「泣いてたのか、俺。」


何がそんなに悲しかったのか。

理由はとっくになくなっている。

心に残るのは、

ただ一つ。


何者にも変え難い、喪失感だけだった。

乾いたノック音が響きわたる。

「どうぞ。入って。」

「おはようございます。弥景みかげ様。」

失礼します。と腰を低くして入室してくるメイド。

彼女は依桜。幼少期から共に過ごしてきた家族のような存在であり、付き人でもある。


「今朝のお目覚めは普段より早いようですが、何かお身体に異変はございましたか。」

「いや、何ともないよ。大丈夫」

そうですか、と口にしているが表情は依然として心配そうだった。


「では弥景様、朝食の支度が整っておりますので、衣替えがお済み次第、食堂へといらしてください。」

「うん。そうするよ。ありがとう、依桜」

寝起きでボサボサな髪を整え、制服へ着替えて食堂へ足を運ぶ。

「あら、今朝は早起きさんなんですね」

割烹着姿の女性がぱたぱたとこちらに寄ってくる。

「言われるほど早いかな、今日もいつも通りだと思うけど」

そう疑問を呈して現在の時刻を確認する。

時刻は午前六時過ぎ。

普段より、一刻ほど早く目覚めていた。


「弥景さん、どこかお身体に異常をきたしているワケではないのですね?」

先ほどと全く同じことを問われる。

「なんで依桜と同じこと聞くのさ。」

「あら、じゃあ依桜ちゃんもそう思われたんじゃありませんか?弥景さんが早起きするなんて珍しすぎますしね。」

なははーなんて笑う彼女。

「それで桜乃さん。今朝の朝食は何なのかな。」

「はい、今朝もよく冷えますので、体が温まるよう、ブイヨン仕立てのオニオンスープとパヴェをご用意致しました」

成程。先から鼻腔をくすぐる匂いはそれだったか。

ちなみに、パヴェとは四角い形をした、ほんのり甘いミルクパンの名称である。


「それでは、お持ち致しますので少々お待ちをー」

さささーっと厨房へと戻る桜乃さん。

それから、なんの滞りもなく朝の時間が過ぎていった。

「それじゃ、行ってくるよ。」

「行ってらっしゃいませ。弥景様。」

「行ってらっしゃいませ!お気をつけくださいね!」

二人に見送られながら学校へと向かった。

─────「おはよう!鳴苅ながり!なんか元気ねえなお前!」

「うるさいぞ明蘭あきら。朝ぐらい静かにしてくれ。」

「なんでそんなに冷たいんですかねえ?」

朝一から喧しいこいつは


海祇 明蘭

小学からの腐れ縁で、何かと気の良い奴ではある。

気の良い奴ではあるが、五月蝿いし、見た目が派手。そんでもって中性的な顔立ちをしているせいでちょいちょい性別を間違えられてたりする。

まあ、当の本人は全く気にしていない様子だが。

ちなみに、こいつはみんなと比べて背が小さい。

俺の頭一つ分くらい。

そんでもって、そのことを冗談半分でも口にすれば血祭りにあげられるので気を付けたほうがいい。

「ところでよ、鳴苅。」

「何だよ…また下らないことか?」

「違ぇよ。至って真面目な話。」

珍しい。コイツがそんな話をするとは。

「お前、最近起こった事件、知ってるか?」

「というと?」

「知らねえの?これだからメディアの一つも持たねえ

お家はよー」

まったく。と憤った様子を見せる明蘭。

「うるせえな。で、なんなんだよ。その事件って」

「ん?あぁ、先週の日曜日、ここ有倉街の一軒家で猟奇殺人が起きたらしいんだ。」

「はあ、猟奇殺人」

「んだその反応。普通もうちょっとなんかあるだろ」

「そんな事言われたってなぁ」

実際に見た訳でもないし。そこまで怯える要素あるか?

「まあいい。鳴苅にそんな反応求める方が馬鹿だった。」

「そういうこった。諦めろ。」

ぶー。とふくれる明蘭。

「んで、続きは?まだあるんだろ。」

「勿論─────」

─────程なくしてチャイムが鳴り、ほんじゃなーと席に戻る明蘭。

先の話は要するに、猟奇殺人の犯人は人外ではなかろうか。という話だった。

「はぁ、馬鹿馬鹿しい。」

ふざけた話だ。そもそもそんなもの、存在するワケがないだろう。霊だの怪異だのは結局想像に過ぎない。

もう一度ため息を吐き捨てて、ホームルームの開始を待つ。

─────おかしい。時間になっても一向に先生は教室に来ない。

そろそろクラスメイト達も我慢の限界が近い。

もう今にも皆喋りだしてしまいそうだ─────

といったところで、他クラスの先生が入ってきた。

「センセー、クラス間違えてませんかー?」

「先生は隣のクラスですよー。」

などという声が上がった。

先生は、「えーと、このクラスの担任である有坂ありさか先生は、今日は体調不良のため休みとなります。」

これを伝えに来ただけだと、先生は隣のクラスへ向かった。

「マジか!英語の課題やってなかったからラッキー!」

「俺もだわー」

「てかセンセー大丈夫なのかな。」

「さぁーどうだろ。」

と、生徒は各々喋りだしてしまった。その中で、

「なんか有坂先生、行方不明らしいよ、」「えーっ嘘だー」といった話が聞こえた。それが本当なら恐ろしいな。と、明紀に目を向けると、明紀もそうだな。と言わんばかりに苦笑いをかえしてきた。

─────四限目が終わり、教室の中は少しずつ賑わっていく。

「明蘭でも誘って食堂に行くか。」

辺りを見回すが、明蘭の姿は見当たらない。

廊下に出てみるがそれでもやはり、彼は何処にもいなかった。

「しょうがない。一人で行くか。」

そう呟いて食堂へ向かう途中、後ろから声がかけられる。

「せーんぱい。どこ行くんです?」

「お、アキ」

この子は海祇 秋姫。

苗字の通り、明蘭の妹だ。

何故か秋姫とは呼んで欲しくないらしく、アキ、と呼ぶようになった。

「食堂に行こうかと。」

「おひとりで?」

「うん。」

ほーん、とにやにやした後、なら私もついていきまーす!と言って、彼女と昼食をとることになった。

「何にしようかなー」

なんて、ご機嫌で券売機を眺める秋姫。

結局、二人揃ってうどんを頼んでいた。

秋姫と会話をしつつ昼食を食べ終える。

「あ、そうだ先輩!今日一緒に帰りません?」

「え、いいけど。なんで?」

「やだなーもう。先輩ったらどんかーん」

ていっ。と鼻先を弾いてくる秋姫。

「まぁ、いいです!放課後、教室に向かうから待っててくださいね!」

そう言って教室へ戻る秋姫。

なんというか、兄妹揃って元気なんだな…。

放課後のことを考えると、少し頭が痛い。

六限目が終わり、彼女が来るのを待つ。

この学校は三階建てとなっており、上から

第一学年

第二学年

第三学年

となっている。

彼女がああ言ったのは、彼女が第一学年だからだろう。

夕焼けが窓から入り込んできて、教室を琥珀色に染め上げる。夕焼けは好きだ。

温かみを感じる色ってのは、心に安寧をもたらしてくれる。

─────

──────

────────

気がつくと、日は落ちていた。教室は静かになっていて、自分以外誰も居ないのだと知らされる。廊下から誰か歩いてくる。扉の開く音がしたので顔を向け、ようやくか、と腰を上げた。

「すみません。遅くなっちゃって……」

「いいよ。何か、すべき事があったんだろ?」

「うん。日が落ちるまで長引くはずじゃなかったんだけどなぁ」

「気にしないで。遅くまでお疲れ様。さ、帰ろう。」

秋姫と帰路を共にする。

「そいえば先輩、朝お兄ちゃんから何か言われました?」

「ああ、事件がどうとか」

あちゃぁー。と額に手を当てる秋姫。

「先輩、あれはお兄ちゃんの戯言ですから、忘れてもらって結構です」

「え、そうなのか」

「うん。あのお兄ちゃんのことだから、また先輩のことからかって遊んでたんだと思います。」

「あぁ、またか」

あいつは度々、ああやって根も葉もない噂を伝えて、俺の反応を楽しんでいる。

たまに事実がある分、タチが悪い。

それじゃ、私はこっちなので。

そう別れを告げて、お互いの帰る場所へと向かった。

「ただいま、桜乃さん。」

そう言って屋敷に入ると、

「おかえりなさいませ!弥景さん!」と一際明るい声で桜乃さんが出迎えてくれた。

「弥景さん、今日一日、体調大丈夫でしたか?」

「ああ。一切問題はなかったよ。心配かけちゃったみたいで、申し訳ない。」

「いえいえ、健康であるなら結構ですよ。」

─────弥景様。夕餉の準備が整いましたので、食堂までお越しください。

部屋に戻ってから四十分がたった頃、依桜が部屋に来てそう告げた。

「分かった。すぐ行くよ、」とベッドへ寝転んでいた身体を起こし、その場所へと向かった。

夕食を食べながら、桜乃さんに問う。

「姉さんはまだ帰ってきてないの?」

「はい。先程お電話がありまして、暫く屋敷には帰られない。との事です。」

「おっけ、了解。」

相変わらず忙しそうだ。

部屋に戻り、木の籠にある寝巻きに着替える。

さて、これからどうしようか。

時計は八時半を回ったばかりだ。

部屋にいてもやることは無いし、居間にいってみるか。誰かがいるかもしれない。と部屋を出ようとした時、

「弥景様、どちらへ行かれるのですか?」

と、依桜がドアの前に立っていた。

「うわっ!」

驚いた。開けた瞬間に依桜が目の前にいたら、色々と。

「人の顔を見るなり随分な反応ですね。」

「扉を開いたとこに人がたってたら誰だって驚きはするだろ……」

「それで、何方へ?」

「あぁ、部屋にいるのもなんだから、やることも無いし、居間にでも行こうかと。」

「かしこまりました。ベッドメイクを済ませたあと、直ぐに居間に伺います。」

そう言い、俺の部屋へと入っていった。

―――居間に行ってみると、そこには桜乃さんの姿があった。

「おや、弥景さん。どうしました?」

「いや、特に理由はないんだけど、居間に行ったら誰かいるかなーって。」

なるほどーと頷く桜乃さん。

「なにかお飲みになられますか?」

「じゃあミルクティーいいかな」

「かしこまりました!」

程なくして、ミルクティーの入ったティーカップがテーブルに置かれた。

しばらく経って、依桜も居間へと入ってくる。

自然とお茶会になり、その日あった出来事など、他愛もない話をして過ごした。


「弥景様、そろそろ消灯の時間になります。」

自室に戻り本を読んでいると、依桜が部屋へと入ってきて、そう告げた。

「もうそんな時間か。」

時計の針は九時五十分に差し掛かっていた。鳴苅家は十時に完全消灯となっており、それ以降の外出は禁じられている。


「それでは弥景様。おやすみなさいませ。」

「うん。おやすみ、依桜。」

そう告げると、依桜は深くお辞儀をしてこの部屋を後にした。

ベッドに入ると、抗いようの無い眠気が襲ってくる。

その心地良さに身を任せて、今日は眠ってしまおう。

そのまま意識は深く、深くまで落ちていった。

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