第6話


 日増しに厳しくなる冬の寒さに呼応するように、冬至の辻斬りは一層手酷く、頻繁に起こるようになった。今やこの村には、鳥のさえずりのような気軽さで、絶命間際の老人の悲鳴が響くようになった。

 痛みにも、悲鳴にも、寒さと同様に慣れる事はない。

 おまけに私は、その人斬りと出会い、食事を共にしたのだ。

 彼がどうして老人を切り続けるのか。小梅は彼と面識がありながらどうして放置し、せっせと老人を癒し続けるのか。顔を知っているからこそ、その疑問は益々大きく膨れあがり、私をどうしようもなく逸らせた。しかし、あれ以来冬至は姿を現さない。小梅に質問をしても、帰ってくるのはやはり、要領を得ない『そういうものだ』という答えだけだった。

 寒さと悲鳴に晒され、眠れない日々が続いた。ただでさえ断続的に響く悲鳴が幻聴としても聞こえるようになった。

 それでも、理解不能なこの恐ろしい現象には、必ず何らかの理由があるはずだ。私は常に小梅に同行し、町を回った。辻斬りが起こる度に、裸に剥かれた老人の深い傷口と、それを取り囲み私を睨み付ける落ち窪んだ眼光に晒された。

 老人達は相変わらず私を煙たがり、露骨な嫌悪感を向けてきた。虚ろで枯れ腐った細木のような老爺は、一切の感情を冷やしきってしまったように不躾で、治癒を授かった際の礼でさえ空寒さを覚える。

 驚嘆に値するのは、小梅のひたむきさだ。昼夜問わずにせっせと現場に赴いては、ぶっきらぼうな老人達を抱き寄せ、治癒の力を惜しみなく与える。

 病的な献身と言ってよかった。現に、ここ最近の辻斬りは日に二十件を数える。一度朝から晩まで小梅に同行しただけで、私は心身ともにぐったりと疲れ切ってしまった。小梅は更に、空いた時間で小仏を彫り続けている。



「少し休んだ方がいいんじゃないかい? 殆ど眠れていないだろう」

「ありがとうございます……けれど、冬至さんは休みませんし、時間は待ってはくれませんから……くぁ」



 やんわりと拒否した小梅は、欠伸を一つ漏らす。可愛らしい所作だが、目の下には隠しきれない隈が浮いていて、見ている此方が痛ましくやりきれない思いにさせられる。

 私は次第に小梅の手伝いに時間を割くようになった。火の起こし方を覚えると、炊事の仕事を買って出た。

 彼女に遠く及ばない出来の稗粥でも、小梅は喜んで食べてくれた。ささやかな私の手伝いも、小梅が安らぐ時間を作る手伝いにはなった。食器を片付けている間に、小梅は囲炉裏の傍に座り、こっくりこっくりと船を漕いでいる。

 私は小梅の毛布をかけ、厚い布で炭をくるんだ懐炉を首筋に当ててあげた。微睡んでいる小梅の表情が、心地よさげに緩む。



「はぁ……ありがとうございます。優しい旦那様にお会いできて、小梅は幸せ者です」

「当然の事をしているまでだよ。君の苦労に比べれば……」

「そんなこと無いです。小梅は本当に、本当に、うれしいんですよ……こうして温めてもらえるのも、旦那様とお話できることも……」



 とろんとした表情の小梅の目が閉じて、身体がぽすりと私にもたれ掛かってくる。

 すうすうと穏やかな寝息を立てる様は、本当に普通の、可憐な少女に他ならない。

 もどかしい気持ちにならずにはいられない。どうしてこのような少女が、寝る暇も与えられないほどに頑張っているのか。一体どんな理由があって、身を粉にしてまで頑張っているのか。

 ここに来て以来私が感じるのは、徹底的な厳しさと、圧迫感だ。何もかもが抑圧され、一方的に弾圧されているように感じられる。諭すような小梅の「そういうもの」という言葉も、広義には諦めに他ならない。

 結局、小一時間もしないうちに、夜の空に悲鳴が響き、小梅はせっせと支度して、厳しい寒空の下を飛び出していってしまった。

 私に向けて、嫌な顔一つ見せず「ありがとう」と「いってきます」を言ってくれるのが、ますます私の悶々とした感情を膨れあがらせた。





 明らかにならない謎と、疲れを募らせる小梅。私が日増しにもどかしさを募らせていた、ある日の事だった。

 寒さはいよいよ肌を凍り付かせる程に強く、雪は数メートル先も視認できない程に厚く降りしきっていた。

 まともな神経をしていれば、外に出ようなどとは到底思わない。ほとんど執念で私も同行したが、小梅に手を引かれなければ、迷子になって野垂れ死ぬ事は確実だ。

 肌も、目も痛む。水分があっという間に凍り付くので、涙すら満足に出てこないのだ。この寒さに果てはないのだろうか。いずれ眼球まで凍り付いてしまいそうで、私をぞっとさせる。

 霞む目を擦り、小さな手に縋り付いて町を歩く。小梅は迷い無く現場まで駆け付けると、いつものように傷ついた老人に身を寄せ、治癒の力を使う。

 小梅から離れた場所で、私はその様子を見守る。異質な慣習は、そろそろ三月目に入ろうとしている。

 うんざりと白い息を吐き出す。その時、いきなり何者かに首襟を掴まれた。



「んぐっ、む……!?」



 後ろに引っ張られ、尻餅を着く。声を上げようとした口が、冷たい手によって塞がれた。

 何者かに引き摺られる。治療に専念する小梅の姿は、たちまち降りしきる雪の向こうへと姿を消した。

 古びた家々の隙間へと連れられると、仰向けの私の胸に、誰かがのし掛かる。

 町の老人の一人が、憎悪を煮詰めたような凄まじい形相で、私を睥睨していた。殆ど髪の無い禿頭は醜く撓んだ皺を寄せている。一様にやせ細った老人達の中でも、一際年老い、衰弱しているように見えた。



「い、いきなり何をす──」



 ダンッという重たい音が、私の声を断ち切る。

 顔のすぐ横に、錆び付いた鎌が突き立てられた。地面に深くめり込んだ褐色の刃に、ぞっと背筋が竦み上がる。



「おめぇのせいじゃ」

「な……!」

「おめぇが小梅サマのお勤めば邪魔しよぅ。お勤めが長引きゃあ冬も止まぬ。そうならぁワシ等は終いなんじゃ」



 枯れ枝のように細く皺だらけの手が、私の首にかかる。頸動脈を締める力の根幹は、怨嗟によるものだろう。

 この老爺は、私を憎んでいる。殺しても構わないと思う程に。



「小梅サマにゃ励んでもらわにゃ。おめぇは、邪魔じゃ」



 鎌が引き抜かれ、再び振り上げられる。今度こそ私の眉間を目がけ、錆びだらけの先端が掲げられる。



「──旦那様?」



 鎌が振り下ろされるすんでの所で、小梅の声が路地に響いた。治療を終えた小梅が、私を探しながら路地へと踏み行ってくる。



「チッ」

「うぐっ!」



 老爺は舌打ち一つ。鎌を下げ、のし掛かっていた腰を持ち上げる。腹いせに私の腹に蹴りを入れ、風のようにその場から逃げ去ってしまった。



「旦那様? ……わ、わ。大丈夫ですか!?」



 雪の中から姿を見せた小梅は、倒れる私を見て目を丸くした。慌てて駆け寄り、私の顔にそっと手を添える。



「お怪我はありませんか? どこか痛みませんか? ああ大変です、すぐに元気にして差し上げますからっ」

「いや、大丈夫。大丈夫で……むぐ」



 遠慮しようとした私の顔が、小梅の小さな胸に埋まる。

 小梅に抱き締められている。その事実に何かを思う前に、彼女の治癒の力が、私の身体から痛みや寒さを抜き取っていく。日だまりのような心地よさが胸を満たし、凍えていた身体がほうと安らぐのを感じる。



「どうして、こんな所にいらっしゃったのですか?」

「……見慣れない物が見えた気がしたんだ。結局、気のせいだったけれど」

「そうですか……どこでもご一緒しますから、あまり離れないでください。旦那様に何かあれば、小梅は申し訳が立ちません」

「……すまない」



 小さな小梅の手が、そっと私の髪を撫でた。二十も歳の離れた彼女に、情けなくも母親のような慈しみを感じてしまう。

 しばらくしてから、小梅は抱擁を解き、胸の中の私に、穏やかな笑みを向けた。



「帰りましょうか。ご飯を食べて、ぽかぽかになりましょう」

「ああ」



 小梅の手を取り、立ち上がる。

 老人の刺すような視線はもう感じなかったが、今度は本当に背中を刺されないとも限らない。私は小梅に手を引かれ、逃げるようにその場を後にした。

 謎は多いが、確かな事は二つほどある。あの老人達が自分に味方する事は決して有り得ない事と、ここでは私は、最もか弱く無力な存在だと言うことだ。

 守って貰わなければ、満足に道すら歩けない。そう考えると、つくづくこの少女には驚かされる。



「小梅ちゃんは、凄いね」



 食後の白湯を飲みながら、ついそんなことを口走る。小梅は困ったように笑って、小首を傾げて見せる。



「そ、そうでしょうか? 大した事はしていないのに、なんだか照れくさいです」

「いやいや、本当さ。私なんかより、余程しっかりしている」

「そんなことないですよ……」

「謙遜する事はない。弱音一つ吐かずに頑張れるなんて、とっても立派だ。君はすでに、じゅうぶん一人前の大人だよ」

「……むぅ」



 記憶は相変わらず戻らないが、小梅ほどの器量良しが希有であることはよく分かる。絶対に良いお嫁さんになるはずだ。それこそ、今すぐにだって。

 まるで父親のような事を考えていると、囲炉裏を挟んで座っていた小梅が、胸の前でぽむと手を打った。



「では、旦那様。小梅に、ささやかなお返しを頂いてもよろしいですか?」

「もちろん。私にできることなら、何でも」

「ありがとうございます。では……」



 小梅はおもむろに立ち上がると、そろそろと慎重な足取りで近づいてくる。

 一歩、二歩と距離を詰め──かと思いきや、勢いよくとととっと駆け寄ると、胡座を掻いた私の膝に、すぽんと身体を飛び込ませてきた。



「小梅ちゃん?」

「しばらく、こうしていてもいいですか? 頑張っている分、旦那様に構って欲しいです」



 胸にぺったりと頭を押しつけて、私を見上げてくる。くりくりとした目は、いつも以上に無邪気なあどけなさに輝いて見える。



「……なるほど。確かに、大人扱いは失礼だった」



 要望に応えて、小梅の頭を撫で、絹糸のような手触りの髪の毛を梳いてあげる。それがたまらないご褒美であるかのように、小梅は笑う。

 囲炉裏を前にした、二人だけの時間。厳しい冬だからこそ愛おしい、炭火と人肌の温もり。優しさに包まれ、時間がゆったりと引き延ばされているような心地良い空気。



「ねえ、旦那様。旦那様は、春はお好きですか?」



 小梅がぽつりと、そう訪ねてきた。

 どうしてか即答しきれず、私は囲炉裏の火で橙色になる天井を仰ぎ見て、少し考えてから答えた。



「……ああ、好きだよ。春は、冬の後に来るからね」

「と、いうと?」

「厳しい冬を乗り越えた僕等を、歓迎してくれるみたいじゃないかい? 寒さがほんのり和らぐと、待ち侘びた蕾が膨らんで、鮮やかな色を芽吹き出す。まるで地球全体が、奪われていた命をやっと取り戻したように」

「ふふっ。ずいぶん詩人な回答ですね」

「なんだろうね。春なんて、長いこと経験していない気がするんだが……それほど、心待ちにしているのかも。ここは寒いからね」



 同意するように小梅が笑う、私の胸に背中を押しつける。仕立てのいい和服の感触の向こうに、小さな少女の生命の温かさが、じんわりと沁みてくる。



「そうですか……旦那様は、春がお好きですか」



 しみじみと呟く。ほっと胸を撫で下ろす様子は、まるで長年の夢がようやく結実したような万感の思いを感じさせた。

 それはそれとして、小梅は私の膝を随分と気に入ったようだった。新しい玩具を手に入れたようにご機嫌に、膝の中にすっぽりと収まっている。



「ふふっ。温かくて、やさしくて、とても心地いいです」

「何なら、小梅ちゃん専用の椅子に就職しようかな」

「ではでは、離れの工房でも座っていいですか? 四時間くらいっ」

「ははは……本気かい? いやちょっと待って、さすがにそれは……」



 予想外の本気の目に思わずたじろぐと、私の腰が、ごつんと何かにぶつかった。

 覚えのない感触。ダウンジャケットのポケットに、何かがある。手を差し入れると、乾いてささくれ立った球体に手が触れる。



「……?」



 疑問に思い、ポケットから手を抜く。

 丸い形の、古びた小仏だった。

 小梅が作った物ではないのはすぐ分かる。年期を経て黒ずんだ顔は、小梅の物よりも沈んだ顔をしていた。ひび割れた表面の様子から、作られてから数年は経っていそうだ。

 小仏の背には、大きく『種』と刻まれていた。荒い刃物を何度も打ち付けて刻んだような、すさんだ文字だった。

 今日私に襲いかかってきた、あの老人が忍び込ませたのだろうか。

 鬱屈とした様相に、乱雑な『種』の文字。並々ならぬ特別な意味を感じさせ、不安な心持にさせられる。

 思わず息を潜める。その変化を、小梅が敏感に感じ取った。



「旦那様、どうかされましたか?」

「今思い出したんだが、町の老人から貰い物をしていたんだ。一体どういう意味なんだろうと思ってね」

「……貰い物?」



 小梅の声が凍り付く。

 張りつめた様子で振り返った小梅の表情は、私の手に握られた小仏を見た瞬間に戦慄へと豹変した。

 すぐさま私から小仏をひったくると、弾かれたように私から飛びずさる。ガラス球のような澄んだ瞳が揺れている。驚愕と、怒りによって。



「誰ですか!?」

「え……?」

「こんなものを送りつけたのは、一体誰かと聞いているんです!」

「わ、分からないよ。私は君以外の、誰の名前も知らない」



 小梅の叫び声に、私はただただ狼狽してしまう。小梅は今まで見たことのない形相で小仏を見つめ、わなわなと唇を震わせる。



「あってはいけません……こんなことは、決して!」



 叫び、小梅は小仏を囲炉裏の灰の中へと投げ込んだ。脇に立てかけてあった鉄製の灰箸を手に取ると、灰に沈んだ小仏に向け、思い切り振り降ろした。

 木が砕ける甲高い音と共に、ぼっと小仏に火が灯る。火箸を突き立てられた『種』の文字が、黒ずんだ炭になって消えていく。

 灰箸を突き立てた格好のまま、小梅はふるふると首を振る。髪が垂れ落ち表情は見えず、隙間から覗く口がぶつぶつと何事かを呟いている。



「駄目です……駄目なんです……」

「小梅ちゃん?」

「許されません……そんなことは、決して……」



 譫言のように呟く、小梅の体がフラリと揺れた。あっと思う間もなく、小梅の体は支えを失い、冷たい床の上へと崩れ落ちてしまった。



「小梅ちゃん!」



 慌てて駆け寄り、小梅の体を抱きかかえる。目をぎゅっと瞑り、苦しそうに肩を上下させている。力の籠らない体は重たく、信じられない程に熱くなっていた。



「何なんだ。急に、どうして……」

「……ごめんなさい、旦那様。小梅は……」

「っ喋っちゃだめだ。すぐに布団を敷こう。どこかに医者は……ああくそ、君以外にはいないのか」



 苛立ち混じりに吐き捨て、小梅を抱きかかえる。

 刺すような寒さの中で尚苦しげに呻き続ける小梅の熱は、船酔いのような気持ち悪さを伴って、私をたやすく恐慌に貶めた。


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