第4話



 それ以来、辻斬りは頻繁に村に現れるようになった。

 日に数回。村のどこかで老人が斬り付けられ、悲鳴が雪模様の空に木霊した。その度に小梅は素早く家を飛び出し、悲鳴の元へと馳せ参じるのだった。

 私はできる限り、小梅に同行した。この村が何か普通でない事は肌で感じている。そして、その正体を突き止めるという使命を、半ば確信していた。小梅と、村に響く悲鳴の原因を明らかにすることが、私の記憶を取り戻す事にも繋がるはずだ。

 しかし、私の使命感を維持することは、決して容易い事ではなかった。小梅と共に向かった先では、一様に惨たらし光景が広がっていた。

 老人達は衣服を剥かれ、老いて撓んだ皮膚に痛ましく大きな切り傷を付けられていた。

 腕、足、腹に背中、時には喉や、目まで。斬られる部位に規則性はなく、被害に遭う老人達の区別も──そもそも身分といった概念もないらしいのだが──されていなかった。二週間もすれば、小梅の治療を授かった事が無い人はいなくなった。

 斬られて雪に蹲る老人の周りには、必ず別の老人達による人だかりができ、諦めの染みついた昏い眼を被害者に向けていた。生気の失せたその目は、次は自分かと怯えているようにも、ありとあらゆる物事に諦念を抱いているようにも見えた。

 私はできる限りの情報を集めようと聞き込みを行うも、反応は全く芳しくなかった。多くは私の質問を煙たく感じ、徹底した無視を決めた。暴言と共に押し倒され、小梅に仲介に入って貰った事もある。



「あのおじいさん達に関わる事は、あまりお薦めできません」



 私の手を引き町を散策しながら、小梅はそう窘めた。雪は日増しに勢いを増しており、風も次第に強くなっていた。ぴゅうと顔に吹き付けられる度に、薄皮がひび割れるようだ。



「彼等は自分の事でいっぱいいっぱいなのです。旦那様の行いは、土を掘り返して、冬眠しているカエルをつんつんしているような物です」

「そう可愛げのあるものではないと思うが……納得ができないんだ。村のど真ん中で辻斬りが行われていて、私達が来る前には十数人が集まっている。一人も辻斬りの姿を見ていないなんて、有り得るだろうか?」



 小梅に連れられ村をぐるぐると歩き回り、何十人という治療を見てきた。それでも、肝心の犯人の正体だけは、この雪模様のように不明瞭だ。

 身体のあちこちを手酷く切り裂かれ、寒い路傍に打ち捨てられていながら、それでも老人達は、辻斬りについて一切の言葉を発さなかった。乾いた唇をむっつりと引き結び、敵意を持って私を睨み付けるのだ。



「周りの老人達も集まるばかりで、助けようという思いがまるでない。怒りや、恐怖も、何も感じていないのかい?」

「彼等は受け入れているのです。出来ることは、ただ堪え忍び、吹き曝されるだけなのですから」

「……そういうもの、かい?」

「ええ」



 小梅は薄く笑って、僕の質問に肯定を返す。小梅は私にとても優しくしてくれたが、決して多くを語ろうとはしなかった。

 姿の見えない辻斬りへの不安も大きかったが、村の住人と、小梅からも時折受ける疎外感が、中々に堪えた。何の情報も得られない徒労感が身を切るような寒さを更に鋭く尖らせ、私を参らせた。

 辻斬りは止まらない。昼夜も問わず、村には切り裂かれた老人の叫び声が響く。

 甲高くしゃがれた悲鳴は生々しく、醜悪だった。真夜中に轟いた悲鳴に、私は何度となく飛び起きた。私が布団の中で気を滅入らせている間に、小梅は提灯を手に、雪降る深夜の闇を小走りで駆けていくのだった。



 雪と悲鳴が日常になって、更に数週間。

 私が何者かも思い出せず、目の下の隈ばかりが濃くなっていく、ある日の昼過ぎ。かじかんだ手を囲炉裏にかざして温めていた時の事だった。

 雪空の中に、こん、と小さな音を聞いた。

 寝不足で船を漕いでいた私の意識がハッと覚醒し、人気の無い屋敷を見回す。



「……小梅ちゃん?」



 聞こえる距離にいれば必ずくれる、小梅の返答はない。こん、と、また遠くから音が響いた。妙に気になって、私は囲炉裏から重い腰を上げる。

 音は屋敷のある敷地の隅の、離れの小屋から響いているらしかった。しんしんと雪降る灰色の空間。少しだけ開いた戸の隙間から、灯された橙色の明かりが漏れている。

 こん、こん、こん──

 音はやはり、離れの中から聞こえていた。ハッキリと聞こえるようになれば、それは旋律と呼べるように規則的で、まるで心臓の鼓動のように温みのある音だった。



「……」



 息を潜めて、隙間から中の様子を伺う。

 狭苦しい小屋だった。薄暗い木製の壁には……大工用具だろうか。斧や鎌、それに沢山の彫刻刀がかけられ、燭台の明かりに使い古された鈍い鉄色を浮かべている。すうと息を飲むと、削り取った木屑の匂いがした。

 座り込む小梅の背中が、燭台の明かりに浮かび上がっていた。作業をし易いように、和服の裾を肘まで捲り、紐で結んでいる。小さな背中越しでも、並々ならぬ集中が肌に感じられた。

 小さな手に、蚤と杵を持ち、こん、こん、と木を打ち鳴らす。心臓の鼓動のような音という比喩はあながち間違いではなく、杵の一発一発に、小梅の心が籠められているようであった。

 燭台の明かりに浮かぶ幻想的な光景に、私は戸の隙間に顔を当て、息を潜めてしばし見惚れる。小梅がふうと息をつき杵を置くのを認めてから、私は静かに戸を開けた。



「何を作っているんだい?」

「ああ、旦那様……彫り物をしておりました。ご覧になられますか?」

「いいのかい?」

「もちろんです。えへへ、なんだかちょっと、照れくさいです」



 微笑む小梅から、掘ったばかりのそれを受け取る。

 小梅の拳ほどの大きさの、達磨型の小仏だった。まん丸な胴体の中心で両手を合わせ、そこからぴょこんと飛び出た小顔の中には、そっと瞳を伏せて、口元を綻ばせた、仏様の微笑がある。



「……かわいいね」

「あんまり、良い出来ではありませんけれど」

「そんなこと無いよ。とてもいい顔をしている。小梅ちゃんの人柄が滲み出ているようだ」



 小仏の笑みはとても慈悲深く、何より親しみを感じられた。人を導くより、後ろからそっと背中を押してくれるような、親密な優しさを感じさせる。指先でなぞる感触もつるりとしていて、几帳面な小梅の心配りを感じる。

 率直な感想を伝えると、小梅はぽっと頬を染めて、もじもじと身を縮こませる。



「も、もう。そんなに褒めても、何も出ませんよ? ……大盛り? 今日のお粥は大盛りにします? 奮発してお味噌を多めに溶きますかっ?」

「何も出さなくていいって……ところで、どうしてこんな物を?」

「しかるべき日に必要な物なのです。作れる内に、たくさん作っておかないといけないので」

「たくさん?」

「ええ、とっても」



 その言葉を裏付けるように、小梅はさっと立ち上がり、次の彫刻の用意に取りかかる。見れば部屋の一角に、正六面体に切り分けられた木材が山と積まれていた。軽く数えただけでも、五十以上はありそうだ。



「もしかして、その木材を全部、さっきの小仏に?」

「もっと必要かもしれません。時間はいくらあっても足りませんから、一杯頑張りませんと」



 小梅は袖を捲り直し、それからハッと何かに気付いたように息を飲み、私を見る。



「あ、違いますよ? 旦那様が負担になっているとか、そういう事は全くありませんから」

「本当かい?」

「当然ですっ。むしろ、毎日楽しくて、俄然張り切っちゃえるくらいですから」

「そう言って貰えると嬉しいよ……私も手伝おう。流石に彫り物の経験はないが、お茶くらいなら入れられる」



 小梅に微笑みを返しながら、手に収まる小仏を撫でる。丹精込めて作られたそれには申し訳ないが、子供の工作を見守る親のような、不思議な高揚感にむずむずしてしまう自分がいる。使い古された道具が並ぶ工房もこじんまりとしていて、まるで小梅の秘密基地のようだ。



「それでは、早速で申し訳ありませんが、掘り終えたものを納殿まで運んでいただけませんか? 入り口傍に、もう三体ほどありますので」

「分かったよ……納殿って?」

「この敷地の北端にある洞窟です。玄関と反対側にお進みください。赤い鳥居が立っているので、すぐ分かると思いますよ」



 小梅の言うとおり、入り口の傍に、お盆にちょこんと乗った小仏が並んでいた。優しい顔立ちをしたそれを抱えて、雪の深まる寒空の下へ飛び出す。

 気温の低下は留まる事を知らず、ダウンジャケットもお構いなしに冷気が肌を刺してくる。身震いしながら屋敷の後ろへ回ると、雪で覆われた白い景色の向こうに、赤い鳥居のシルエットが見えた。

 屋敷の背後には裸の岩山が立ちはだかっており、その岩肌の一角を削り取るように、ぽっかりと穴が開けられていた。洞窟の入口に向けて石畳が張られていて、古びて塗装が剥げかけた鳥居が三つ立ち並んでいる。



「敷地の中に、こんな場所があったなんてな……」



 気付かなかったのか、気付けないようにされていたのか。答えの出ない問いを思い浮かべながら、鳥居を潜る。内部で空気の対流が起こっているのか、目の前の洞窟からは獣の唸り声のような低い音が響いている。

 意を決して踏み込んだ瞬間、私はまたも言葉を失ってしまった。

 洞窟は想像以上に広く、横に長い楕円形をしていた。奥行きも長く、十歩分ほどはある。

 何かの祭事が行われるのかもしれない。床のあちこちに擦り切れた茣蓙が残っており、誰かが長時間座り込んだ跡が染みになって残っている。正面には舞いを披露できるような一段高くなった舞台が作られており、その奥の更に高くなった場所に、石を彫り出した一メートル程の観音像が私に視線を向けている。

 その観音像を囲むようにして、夥しい数の小仏が並び、一様に顔を私の方へと向けていた。

 洞窟の入口で私は後ずさる。目の前の光景に圧倒され、足を踏み出すのにも大変な苦労を要した。



「これ、全部小梅ちゃんが……?」



 近づいて見れば、小仏の一つ一つは、彼女が作った物と分かる優しい顔立ちをしている。

 それでも、この量は圧巻だ。思わずごくりと喉を鳴らしつつ、並び立つ小仏の先頭の方に、小梅から渡された三体を並べていく。

 百で利かないほど沢山の顔が、正面の舞台に視線を向けている。これをたった一人の少女が作り上げたなんて、到底信じられない。鬼気迫ると言っていい行いだ。

 一体どれほど前から、作っていたのだろうか。沢山必要とは言っていたが、この石舞台を埋め尽くすまで作るつもりか?



「……何のために?」



 そう呟くと、声は広い洞窟内を不規則に反響し、オンと唸るような余韻を残した。湿った空気は、凍えるような寒さにも関わらず、肌にねっとりと纏わり付くようだ。

 空間そのものに、ここに居る事を責められているような気がした。町で老人達から受ける視線を、もっと激しく超然とさせた排斥の意志を感じる。

 どうやらここは、余程特別な場所らしい。背筋を寒くし、逃げるように小仏の群れから背を向ける。洞窟を出た瞬間ゴウと吹き付けられる雪風に、懐かしささえ感じられた。

 ほっと胸を撫で下ろして、小梅の元へ戻ろうと鳥居を潜り……その途中で、足が止まる。

 鳥居の足の傍の雪面に、円柱形のものが刺さっていた。私が目覚めた場所で見つけたものと同じ、半透明の樹脂でできたケースだ。



「どうしてここに、こんな物が……」



 周りの雪の様子から、つい先ほど置かれたようにも見えた。拾い上げると、以前と同様に土が入れられていた。ケースの周囲にはラベルが張られており、沢山の項目に沿った記載が続いている。

 事務的な項目の下。余白の部分に、またメモが残されていた。

 


 ──決して諦めない。未来は、我々の手に掛かっている。



 要領を得ない、けれども書いた人間の必死な想いは脈々と感じられる、短い文章。

 また一つ、頭の靄が晴れたような気がした。



「未来は、我々の手に……」



 無意識に反芻する。意味が分からないのに、どうしてか他人事とは思えない。

 誰か、私を知る何者かが用意したのだろうか。私に何かを気付かせる為に。

 何か役目があるはずだ。ここに来るまでの経緯も覚えてはいないが、それでも私がここに居ることには、必ず意味や目的がある。

 望んでここまで来たはずだ。ではそれは、一体何故だろう。

 何かを探しに? それとも……小梅に会うために?

 頭を振って、煩雑な思考をかき消す。決めつけるには情報が余りにも少なすぎた。

 分からないことばかりだ。村は不気味だし、優しい小梅も肝心の事は教えてくれない。

 頭に靄を張る疑問については、自分の手で解き明かさなければいけないのだろう。ケースに書き込まれた『決して諦めない』の一言が、私の背中を押すようだった。

 気持ちを引き締める……その身体が、ぴゅうと吹いた風にみっともなく竦み上がる。



「とにかく、ここにいては凍えてしまう」



 寒さは厳しい。既に常人が耐えられる程度ではない。我ながら情けない話だが、たった数分離れただけで、もうあの少女の事を恋しく感じてしまう。

 ケースを仕舞い、今度こそ鳥居を潜る。小梅は今も離れの工房で小仏を掘っている所だろう。温かいお茶を作って、差し入れてあげれば、きっと喜ぶに違いない。そう思いながら玄関の戸を開けようとした、その時だった。

 純白の景色に、私の目が違和感を見出す。



「……?」



 門の所に、誰かが立っている。降りしきる雪の向こうに、灰色の着物が棚引くのが見える。

 目を細めてよく見ようとするも、着物の灰色が雪と混ざって判然としない。そうしている内にも、人影はゆらり、ゆらりと、謎めいた動きを続けている。

 それが姿勢を低くし、私に向けて全速力で駆け寄る物だと気付いた時には、もう遅い。

 目を剥く暇もなく、男の放った一閃が、私の腹を切り裂いていた。



「う、わっ!?」



 たたらを踏んで、雪の上に尻餅を着く。ダウンジャケットの裂け目から白い羽毛が溢れ出て、雪と一緒に空を舞う。

 痛みは無い。幸い、切られたのはジャケットだけで……いやいや待て。幸いも何も、どんな状況でも切られて堪るものか。

 目の前にいるのは、灰色の髪を振り乱した、青白い顔の男だった。病的な窶れた顔に、生気の失せて殺気だけが残った鋭い目。髪と同じく灰色の着物からは細い腕が伸び、その先には日本刀が一降り、灰色の空に鈍色の輝きを放っていた。



「あ、あ、ああ浅きか」



 掠れた吃音で呟くと、男は刀を構え直し、更に切る。とっさに身を引かなければ、膝から下は繋がっていなかっただろう。戦慄する間もなく、今度は首を狙って突きが飛んでくる。

 殺す気の一撃だ。切られた事のない私でも分かる。氷のように冷たい瞳に、こちらの声を聞いてくれる様子は微塵も無い。



「ちょ、待て……いきなり何なんだ!?」

「な、なな何故に訳を聞くか」



 逃げようとしても、最初の一撃で完全に腰が抜けてしまった。瞬く間に距離が詰められ、刀の切っ先が私の首筋を狙い──直後に、怒号が木霊する。



「こらーーーーー!」



 今や首をすっぱねんとしていた男の身体が、ビクンと跳ね上がった。男は打って変わった弱気な顔で、ずんずんと歩いてくる小梅を見る。



「何してるんですか、冬至さん! 早く旦那様から離れてください!」

「ふ、ふ、ふふ不埒物を、き、き切るだけだ」

「どっちがだよ!?」

「この方は違います! 屋敷の中の人は切ってはいけないと言いましたよね?」

「ししし、し、しかし」

「言い訳は聞きませんっ。早く旦那様から離れてください。さあさあっ」



 男は先ほどの剣幕が嘘のように萎縮し、小梅に言われるままにすごすごと引き下がる。尻餅を着いたまま目を丸くする私を、背中を支えて起き上がらせてくれる。



「け、け、けけ、怪我は」

「あ、ああ。大丈夫だ」

「す、す、す……すまなかった」



 視線を逸らし、挙動不審げに謝罪する男。殺気も幻のように消え失せ、虚ろな瞳はさながら幽霊のようだ。

 訳も分からず、私は傍の小梅に助け船を求める。彼女は胸の前でぽんと両手を合わせると、可憐に微笑んでみせた。



「詳しい話は、皆で団欒してからやりましょう。ここは冷えますからね」



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