四
①
(……疲れた)
池袋駅からの電車に乗りながら、三ツ橋はぼうっと車内を眺めた。席は埋まり、吊革を手にする人がぽつぽつと立っている程度の混みようだった。
ふいにすし詰め状態の幽霊列車を思い出した。
——間宮の夢が一向に頭から離れない。
間宮が家族を亡くしたのは、偶発的に起きた事故だと勝手に思っていた。だが――。
(殺人事件だった……?)
あの作業着の男が間宮の家族を殺害したとしか思えなくなっている。あの、華奢なステーキナイフで——。
三ツ橋は、かたく目を瞑ってうつむいた。
(——いや。あれはただの夢だ)
マネキンだとか黒い影だとか——そう、幽霊列車だとか。あれは荒唐無稽なただの夢であって、事実ではない。
なにより、あの作業着の男が家族を殺した犯人なら、間宮が男に憐憫の情を抱いていたのはおかしいじゃないか。
もう忘れよう。三ツ橋はそうかたく思い、茶封筒に入った臨時収入の使い道に思いを馳せることにした。ちょうど新しい
——
タクシーの座席に置かれた、山羊の女のバッグが脳裏に浮かぶ。自分が買ってやった、ブランド物のバッグ——。
(あー、くそっ)
無性に髪を掻き回したい衝動に駆られ、電車内であることに気付いて諦めた。かわりにスマートフォンを手にする。もしあの夢が本当に起こったことなら、当時けっこうなニュースになったのではないか。
画面の検索窓に触れ——そこでぴたりと指をとめた。
(個人を、しかも知り合いを調べるなんて……)
こうゆうこと、人としてやっていいものなのか。興味本位で間宮を興信所調査しているイスルギにドン引きしたばかりなのに。
——でも。
あれがただの夢という証拠が欲しかった。間宮はあんな思いをしなかったのだと。
間宮景、事件——文字を打ち込み、検索をタップする。
表示された記事の中に、めぼしいものは見当たらなかった。
拍子抜けする一方で、ほっとした。考えてみれば事件当時、間宮は未成年なのだ。名前で調べて情報が出るわけがない。
(知らないほうがいいんだ。友達の過去なんて。しかもあんな——)
その時、ふと夢に出てきた地下鉄の駅名が脳裏に浮かんだ。
どきりとした。はっきりと覚えている。
何で覚えてるんだよ——自分自身を恨みがましく思いながらも、三ツ橋は調べずにはいられなかった。
光が丘、事件――検索結果はすぐに出た。
――光が丘一家殺人事件。
一瞬、指が凍りついた。
ごくりと生唾を飲みこみ、検索の一番にあがった大手新聞の記事をタップした。記事の更新日時は今から十年前だった。
(……これだ。間違いない)
犯行は日曜日の夕方。被害者は家人の父親、母親、長女。当時十歳の弟だけ、友達と遊びに行っていて難を逃れたとある。
(弟――間宮のことか)
友達とはしょうちゃんのことだろう。現実では、ちゃんとあの子の家に逃げることができたのだ。
思わずはーっと安堵の溜息を吐いてしまい、隣に座った仕事帰り風の女性に変な目で見られた。
三ツ橋はへらっと愛想笑いを浮かべ、さっと前を向く。
――やはり事故などではなく、殺人事件だったのだ。だが、事件時にしょうちゃんの家にいたということは、間宮は現場を見ていないということになる。
ならあの夢は間宮の想像の産物に過ぎない。家族を無惨に失ったという事実の中で、それだけは救いであるように思っている自分がいた。
三ツ橋は小さく溜め息を吐いた。
(……もうやめよう。こんなことは)
友人の過去をコソコソ検索しまくるなんてまるでストーカーだ。しかもその過去に、赤の他人であるにも関わらずとらわれているなんて。このままでは完全に危ない人間である。
(そうだ。新作の鞄のチェックだよ)
気を取り直してブランドサイトのブックマークに移行しようとした、その時。
記事の一文に目がとまった。
――殺人の容疑で逮捕された容疑者は被害者男性の弟であり——
(……被害者男性の弟って)
間宮くんは叔父さんを在宅介護してるんだよ――イスルギの台詞が脳内をよぎる。しかも施設にいた叔父を間宮がわざわざ引き取ったと言っていた。
(間宮は家族を殺した男と二人で暮らしているというのか?)
呆然とし、震えが込み上げた。
(……そんな。どうして……)
もう十年前のことだ。終わったことなんだ——そう思っていたが。
(間宮のあの日は、まだ続いているというのか……?)
イスルギは、叔父との同居のことをいかにも興味深そうに話していた。その叔父が家族を殺した犯人であると知っていたのだ。
三ツ橋は検索結果を上から順に次々と記事を読んでいった。
間宮の家族については、どの記事にも、仲が良く幸せそうだったとあった。
だよな、と思う。間宮は人見知りで取っ付きにくいところがあるが、基本的に優しいやつだ。それは十歳まで育ててきた家族によって培われてきたものなのだ。
(俺の家族と正反対だな……)
そんな大事な家族が凶行によって失われるなんて。あまりにも間宮が可哀想だった。
もうやめよう、そう思ったばかりなのに、三ツ橋はまるで沼にはまるように記事を読むのをとめられなかった。イスルギが間宮に傾倒している理由がわかった気がした。あの人は、この過去も含めての間宮の経験に魅せられているのだろう。
記事のひとつを読んでいる時に、スクロールの指がとまった。
犯人の顔写真が掲載されていたのだ。
(……作業着の男だ)
無表情でマネキンの首を切断している男の姿が脳裏に浮かび、電車内にもかかわらず恐慌に陥りそうになった。
男よりも——首の切断面から溢れ出てきた影が恐ろしかった。特に、母親から出た影。
悪心が込み上げ、思わず口を押えた。夢の中での間宮の感情はこの身にはっきりと残っている。
尋常でない恐怖だった。電車に飛び込んだほうがましだと思わせるほどの。
(あの影は一体何なんだ……?)
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