②
(そう言えば、武藤の描いた肉人さんの落書き、あのじゃがいものキャラクターにそっくりじゃないか?)
手足の生えた、でこぼこのじゃがいも。武藤は、肉人さんは食べられるとかいう話もしていた。そんなところも共通している。
(もし肉人さんが現れたって、あの姿なら全然怖くないな)
僕の中で肉人さんの脳内再生像はすでにポテトチップスのキャラクターとなっていた。こういったくだらない妄想も記録されているのだろうか——そんなことを考えながら、僕は注連縄をくぐった。
――その途端。唐突に、正体不明の恐怖が怒涛のように込み上げた。
冷たい汗が全身から噴き出す。足元から震えが込み上げてくる。
くだらない妄想など一気に吹き飛んだ。駄目だと思った。
(……逃げろ。今すぐ引き返せ)
その時。僕の横を武藤がすっと追い越して行った。
僕ははっと息を飲んだ。その顔は、能面のように表情がなかった。
武藤は躊躇なく進んでゆき、社の角を曲って姿が見えなくなった。
「ま、待て武藤!」
僕は思わず後を追う。
社の正面にまわると、武藤が
思わず足が止まった。
社の表側の引き戸はベニヤ板が釘打ちされ、塞がれていたのだ。さらにその上にはお札がびっしりと貼られていた。社の前面を埋め尽くすほどに大量だった。
全身の毛が逆立つほどにぞっとした。ぜったいに開けてはいけないという強烈な圧を感じた。
(……中を覗くなんて、とても無理だ)
思わずじりじりと後退りしかけたその時、武藤が唐突にバケツを落とした。
地面に疑似樹液が散乱し、甘い匂いが広がった。その中を武藤はずかずかと進んでゆき、いきなりお札をひきむしり始めた。
「な――何やってんだ!!」
武藤は僕の叫び声などまったく耳に入っていない様子で、今度はベニヤ板を掴んだ。引き戸ごと壊す勢いで、めりめりと力づくで引き剥がしてゆく。
僕は呆然とそれを見つめてしまっていたが、武藤の血が肘を伝ってゆくさまが目に入り、我に返った。
「やめろ武藤!!」
武藤の肩を掴み、思い切り引っ張った。だがびくともしない 。僕のことなど見えてすらいないようだった。
どうしよう。このままでは戸が開けられてしまう。
取り返しのつかないことになる予感に、震えがとまらなかった。
成すすべもなく最後のベニヤ板が引き剥がされ、武藤は血だらけの手で引き戸をがらりと開けた。
漆黒の闇が覗く。その中に、武藤はためらいもなく入ってゆく。
「武藤! 行くな!」
闇の中から、がん、がしゃん、と何かを乱暴にひっくり返すような音が響き――やがて静かになった。
死んだような静寂だった。僕は戸口の前に立ったまま、凍りついたように動けずにいた。だくだくと自分の心音が耳に痛いほどに響いている。
やがて、湿ったものを叩く音が間欠的に聞こえ始めた。
――何の音だ。何をやってるのだ。
恐ろしさに呼吸が切迫した。逃げるべきだ。今すぐに。そんなの、火を見るより明らかだ。
ここに来たのだって武藤は自分で選択したのだ。自業自得だ。
(でも……)
武藤のお祖父さんの懐かしげな笑顔、お祖母さんの嬉し涙が脳裏によぎった。
込み上げる恐怖を堪え、ぐっと歯を食いしばると、闇に足を踏み入れた。
社の中は、疑似樹液の甘ったるいにおいに混じって、生臭いような、何とも言えない嫌な臭いがたちこめていた。
しだいに目が慣れてくる。奥に布がかかった祭壇のようなものがあるのがわかった。その横に、武藤の明るいグレーのTシャツが闇の中に浮きあがって見えた。なんだか、かくんかくんと妙な動きをしている。
(何やってるんだ……?)
僕はさらに一歩踏み出した。 生臭いにおいが濃くなる。
武藤が角材のようなものを手にしているのがわかった。それを振り下ろしているのだ。無表情のまま、一定の速度で、何度も。
武藤の足元には、子供ほどの大きさのぶよぶよとした生白い塊が
(……肉人さんだ……)
レシート裏に適当に描かれた落書きが、具現化したようだった。
ポテトチップスのキャラクターになど、似ても似つかないおぞましさだった。嫌悪感が込み上げる。どうしようもなく気持ちが悪い。
打ち据えられるたびにその塊はふるりと震え——僕は一気に総毛だった。
これ以上見てはいけない。本能的にそう感じた。なのに凍りついたように視線が外せなかった。
僕の気配に気がついたのか、肉人さんはうずくまっていた身をわずかに起こした。
ゆっくりと体を捻る。——振り向いたのだと思った。
笑っている。
滅多打ちにあってるのに、笑っているのだ。
「うわあぁぁぁ!!」
僕が叫ぶと同時に、武藤が角材をその顔に振り下ろした。
柔らかそうな肉が斜めにずるりと削りとられた。大きく損なわれた顔は、それでも笑っている。
武藤は続けざまに角材を振りあげ、打ち下ろした。淡々と化け物を潰してゆく武藤を、僕はとめることもできず、その場を逃げることもできなかった。
肉人さんはもう、元の形がわからないほどに崩れてしまっていた。なのに笑っているように見えた。もう――僕も頭がおかしくなっているのかもしれない。
やがて武藤は角材を手放した。無表情のまま屈み込と、ぐずぐずに崩れた白いものをひとつかみ手に取る。
何をする気だろうか――なかば
僕は仰天し、声にならない悲鳴をあげながら武藤の手からそれを叩き落とした。
武藤はまるで意思のない操り人形のように再度、肉人さんに手を伸ばす。僕はその腕にしがみついた。
「武藤!! 武藤やめろ!!」
武藤はそれでも手を伸ばそうとした。ゆっくりした動きなのに、信じられない力だった。
それだけは。それだけはだめだ――。僕は泣きながら武藤の腕を抱え込んだ。
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