うんざりするほど燦々と照り付ける陽光が、コンクリートの地面を照り返している。陽炎かげろうが立つほどに熱い山までの道は閑散としていた。

「……なんかさ、村の人たち、まるで僕らがくるのをわかってた感じじゃなかった?」

 にじむ汗をハンカチで押さえながら言った僕に、武藤は「え?」と振り向いた。

「バスの運転手がさ、出発前にどこかに無線で連絡してただろ。あれって、村の人たちに見慣れない奴らが村に行くって前もって連絡していたんじゃないかな」

「なんで?」

 武藤はきょとんと僕を見返す。

「だから余所者を警戒してだろ。実際、武藤がお祖父さんの孫ってわかったとたんにみんな解散したじゃないか。今だって、急に人がいなくなったし。さっきまであれだけうろついていたのに」

「えー。考え過ぎじゃないっすか?」

 武藤は苦笑した。

「日も高くなってきたし、暑くて引っ込んだんでしょ。それに、人がいないならかえって都合がいいじゃないすか」

 武藤は袖で汗を拭いながら軽く笑った。その呑気な顔を、僕はむっと見据える。

「人目が気になるなら日が暮れてからのほうがいいんじゃないか?」

「夜は怖すぎるから絶対に無理っす! 誰かに会ってなんか言われても、これ持ってれば納得するでしょ。じいちゃんにもちゃんと虫取りだって伝えてあるし」

 武藤は虫取り網を振り上げてみせた。

 僕は持たされた虫カゴを見やる。しかし根本的な問題として、いい歳をした大学生がこんなものを持ち歩いているのが一番怪しく思われる気がした。



 灼熱の登り坂を息を切らしながら十五分ほど歩くと、舗装が途切れ、土の道になった。

 そのまましばらく進むと、「立入禁止」とペンキで書かれた看板が見えてきた。僕たちはその前で足をとめる。

 立て看板の向こうは、黒々とした森が広がっていた。

「厳しく入るなって言うわりには看板一枚で、柵とかはないんだね」

「村は信頼で成り立ってますから。……つうか、やっぱり行くんすよね……」

 僕は思わず振り向いた。

「当たり前だろ。何のためにはるばる東京から来たと思ってるんだよ」

 武藤は無言でうつむいている。ここまで来て、急に怖気づいたようだった。

「せめて山くらい入っとかないと報酬はもらえないよ。その腕時計みたいの、GPS付きで行ったふりは通じないから」

 えーっと武藤は声を上げた。本当はGPSでなく脳反応を記録するものなのだが、何にせよちゃんと行かなければバレるだろう。

「武藤はお祖父さんとお祖母さんの顔を見れたし諦めたって悔いはないだろうけど、僕はここで引き返したらただの骨折り損になるんだからな」

 武藤は逡巡した顔で看板を見つめていたが、意を決したように足を踏み出した。

 僕は小さく息を吐いた。武藤の後について看板を通り過ぎた瞬間――ふいにあたりが暗くなった。

 気温もいきなり下がった気がした。むしろ肌寒ささえ感じる。

「……なんか、急に寒くないすか?」

 本気で凍えたような武藤の声に、僕はぎくりとした。慌てて「気のせいじゃないか?」と言った。——きっと、太陽が急に翳ったのだ。

 僕たちは背の高い雑草を踏み分けるようにしながら黙々と木々の間を進んで行った。手入れはまったくされていないようだったが、道は埋もれてはいなかった。誰かがかよっているのだろうか。

 それにしても嫌な雰囲気だ――無意識にそんなことを思ってしまい、僕は打ち消すようにかぶりを振った。きっと禁忌の場所に向かっているという気持ちが不安を呼び起こしているのだ。決して第六感とか、虫の知らせとか……そうゆうたぐいのものではないはずだ。

 その時、ふと気付いた。蝉の声が一切しないことに。

(耳が痛いほどうるさかったのに……)

 蝉の声が絶えていることに、武藤は気付いているのだろうか。僕は武藤の後頭部に目を向けた。

(……普段あれだけよく喋るくせに、なんでこんな時だけ無言なんだよ)

 黙っていると恐怖が増してくるようで、その背中に声を掛けようとしたところ——ふいに武藤がびくりと立ち止まった。僕はつられて足をとめる。

 背の高い杉に囲まれるようにして小屋のようなものがぽつんと見えた。

 それはまるで山中を闇で切り取ったように黒かった。周囲は木々が密集しているのに、なぜかその小屋の周囲だけ立ち枯れている。

 見るからに不穏な雰囲気を醸し出していた。聞かずともわかった。が目的のものだと。

 武藤を見ると、立ちすくんだまま瞬きもせずにそれを見つめていた。ひどく青ざめて血の気が引いたようなのに、汗がびっしりと額に浮かんでいる。

「武藤……」

 武藤は目を見開いたまま「……いや、もう無理……」と震え声で呟いた。

 僕は息を飲む。武藤の言うとおりだ。肌がちりちりと逆立つような——ものすごく感じがする。

(だがここまで来て、引き返すなんて……)

 僕はかたく目を瞑った。そうやって、いつも後悔するのだ。

(……ぱっと中を覗くだけして、戻ってこよう)

 ここまででも十分にはした。あとは、お義理程度にでも行ったていを見せれば言い訳が立つはずだ。

 僕はふーっと息を吐き、武藤を見上げた。

「ここで待ってな。僕が見てくるから」

「駄目っすよ、戻りましょう!」

「ちらっと中を覗いてくるだけだよ。そこまですればイスルギさんだって納得するだろ」

 泣き出しそうに顔を歪めた武藤を置いて、僕は黒い小屋に近づいていった。

 遠目からだと黒く塗りつぶしたようで仔細がわからなかったが、おやしろのようだった。新しめの注連縄しめなわが木と木の間をつなぐように渡してある。誰かが管理しているのだ。うち捨てられた社でなく人の手が入っていることに、なんだかものすごくほっとした。

 社自体はずいぶん古いもののようだった。木の板は黴なのか腐っているのか、ものすごく黒ずんでいる。屋根も苔だか土だかよくわからないもので真っ黒だった。

 入り口はどこだろう。とても注連縄をくぐる気にはなれず、僕は身体を傾けるように背伸びをして、奥に視線を馳せた。

 社の向こう側にも、木で渡した注連縄が見えた。お供えのようなものもあった。木のトレイに白い徳利とっくりと明るい黄色の袋が乗せられている。

(あの袋のパッケージは……)

 ポテトチップスの袋に違いなかった。おどけたようなじゃがいものキャラクターがしるされた、コンビニやスーパーでよく見かけるやつである。

(それにしても、お供えにポテトチップスって)

 その場違い感に、なんだか少し怖さが遠のいた気がした。

 あっちにお供えがあるということは、こちらは社の背面で、入り口はきっと向こう側だ。

(……行ってみるか)

 ここで引き返しなんかしたら、イスルギにも、自分の体験を経験する誰かにもブーイングを食らうだろう。それに、ポテトチップスの存在が、あの場が僕たち人間の領域であることを保証してくれているような気がした。

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