森に入って十分ほど経つと、周囲はどんどん山深くなっていった。

 あたりは灌木や繁みに囲まれ、背の高い杉が空を覆っている。

 青空が見えているのに、なんだか薄暗く感じた。空気も急に湿り気をおび、気温が下がったようだった。

(……あれだけ明るい雰囲気だったのに)

 そんな中、中野と瑠菜はイスルギをネタに話に花を咲かせていた。

「あのイスルギさん——だっけ。なんか不気味だよな。ぜんぜん笑わないし、目も怖いしさぁ。声が低すぎて何言ってるかよくわかんないし」

 うんうん不気味なのすごいわかるー、と瑠奈はくすくす笑いながら相槌をうっている。

 中野は嬉しそうだった。多少幼馴染への偏愛が強そうなことを除けば、瑠菜は明るく可愛らしいうえに、すこぶる感じの良い子なのだ。

 そして僕は、当たり前のように茜と並んで歩くことになった。

 茜は無言で足元に視線を落として歩を進めていた。——と思ったら急に視線を上げ、上目遣いで神経質そうに左右を見回したりする。

 ものすごく挙動不審である。普段からこうなのだろうか。

 まわりの目などまったく気にしないのだろう。その実用重視の服装からもそれがわかった。

 僕はなんだかいたたまれなくなり、視線を逸らせた。

 自分だって周りにどう思われているかわからないし、正直なところ、どう思われようがかまわないとも思う。なのに見ていてしんどくなってしまうのは、同族嫌悪というやつだろうか。

 ――いや、茜には瑠菜という親友がいる。

 まわりの顔色など気にせずに生きてゆけるのは、彼女の存在があるからだ。人と違うところもまるごと受け入れてくれるという、絶対的な信頼があるのだろう。

 その点、自分はひとりである。

 実際に茜に自分と同族などと言ったりなんかしたら、一緒にするなときつく怒られそうだ。

「瑠菜ちゃん? どうしたの急に……」

 中野のたじろいだ声が耳に入り、僕は我に返った。下を向いていた茜もはっと顔を上げた。

 瑠菜が立ち止まったまま、杉の木の間の繁みをじっと見つめていた。

「何か、いた気がして……」

 そう言った瑠菜の顔はひどく強張っていた。

「瑠菜、大丈夫?」

 茜が瑠菜に駆け寄る。

 中野は寄り添う二人を見つめていたが、ふいに踵を返し、繁みに近づいていった。

「ちょっと、中野くん……!」

 青ざめる瑠菜に、中野は「大丈夫大丈夫」と軽く手を振って見せると、繁みを覗き込んだ。

 瑠菜は茜にしがみついた。尋常じゃない怯えようである。

「……ただのお地蔵さんだよ」

 中野が振り向いて、瑠菜に笑ってみせた。茜もほっと胸を撫でおろし、瑠奈の肩を励ますようにさすった。

 中野は瑠菜を安心させようとしたのだろう。意外にいいやつかもしれないなどと思いながら、その翳りになんとなく目を馳せ、ぎょっとする。

じゃない——)

 それは確かに地蔵と呼ばれている石像に違いなかった。だが、よく見知っている穏やかな容貌ではない。あさっての方向を見ている極端に離れた目。いやらしい笑みを浮かべた口。あまりにも不気味だった。

 後ろから覗き込んだ茜も、眉をひそめた。

「……悪意をもってつくられた造詣ね。でもただの石よ」

 そして瑠菜は。それがただの石像であったことにほっとするでもなく、その造形にぞっとするでもなく——ひどく驚いた顔をしていた。

 その不可解な反応に、僕はひどく違和感を覚えた。

(……何を見たんだ?)



 地蔵の一件から、瑠菜はあきらかに様子がおかしかった。

 口数が減っただけなく、やたらに周囲を気にしていて、ちょっとした物音にもびくついている。

 中野が何か会話の糸口を探してはしきりに話しかけているのだが、瑠菜は上の空だった。相手をしている余裕がないようだ。やがて話題はネタ切れとなり、沈黙となる。むしろ今まで瑠菜が機転を利かせて実のない話をつなげていたのだろう。

 薄気味悪い森の中を、足音だけが響いていた。中野は気づかわしげに、隣を歩く瑠菜の横顔をちらちらと覗き込んでいる。

 別に無理やり和気わき藹々あいあいとしなくてもいいと僕は思う。遊びに来たんじゃないのだから。実際、気まずそうにしているのは中野だけである。

 その時、きゃあと引き攣れたような悲鳴が響いた。

 瑠菜だった。口元を両手で押さえ、小刻みに震えている。その視線の先を見やると、杉の太い幹に甲虫がびっしりと幹についていた。

「ただのカイガラムシよ」

 茜がほっと息を吐きながら言った。

 小虫がびっしりたかっているさまは確かにぞっとするものがある。それにしても、瑠菜の怯えはなんだか尋常でなかった。

「虫じゃなくて……その奥の幹が、顔に見えたの」

 青ざめながら瑠菜が呟いた。

 木々の奥にはうろの空いた幹があり、確かにそれは顔に見えないことはなかった。だがそんなのは樹木に限らずどこにでもあるものだ。シミュラクラ現象というやつである。

 そうとう過敏になっているのだろう。

(国生さんだけでも、車に戻ったほうがいいんじゃないかな……)

 その時、茜が瑠菜の顔を見据えながら言った。

「しっかりしなさいよ。本番はこれからでしょ。今からそんな状態でどうするの?」

 口調はきつかったが、その手は瑠菜の背を優しく撫でていた。

「おい、もうちょっと優しく言えよ」

 中野が茜を睨んだ。

 いや、茜は瑠菜を励ましていたのだ——僕がそう言おうとうとしたところで、瑠菜が「違うの」と声を上げた。

「茜ちゃんはあたしを心配してくれて……」

「もっとさ、言い方あるだろ」

 中野は瑠菜を見もせずに、茜に真向かった。真正面から見返してきた茜に、中野の額に青筋が浮く。

 僕は一瞬、中野が茜に手をあげるのではないかとヒヤッとした。だが、あの中野がそんなことをするはずもなく、怒った表情のまま、踵を返してずんずんと先に行ってしまった。

 茜ちゃん、と瑠菜は泣き出しそうな顔で茜に駆け寄った。

「他人にどう思われようが別に気にしないわ。慣れてるし」

 茜は淡々と言った。するとずいぶん先まで進んでいた中野がぐるりと振り返り、大股で戻ってきた。

「なんだよ! 俺の悪口かよ!?」

「——誰も言ってないだろ」

 思わず口を挟むと、中野は僕にすさんだ目を向けた。

「……間宮までそっちの味方すんのかよ」

 その殺気立った表情に、僕は絶句した。中野らしくない、というか、あきらかに様子がおかしい。

「ねえ、喧嘩やめよう……?」

 瑠菜が怯えたように呟いた。

 中野は舌打ちをし、一度茜を睨みつけると、やはり一人で先に進んで行ってしまった。

 僕はなかば唖然として、遠ざかる背中に見入った。

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