*


「都内からそう離れてない場所にこんな山深いところがあるなんてね」

 鬱蒼とした山道を進みながら、中野が隣を歩く瑠菜に笑いかけた。

 山というが、道筋のしっかりとついた平坦な道だった。森林公園のハイキングコースのほうが高低があるくらいである。そこを可愛らしい女子と散歩しているようなもので——中野はこの仕事を楽しいイベントぐらいにしか思っていないようだった。

 僕自身も、初夏のさわやかな森の空気感につい悠長な気分になっていた。季節は六月に入ったばかりだった。まだ梅雨の気配すらない。

「日本の国土は三分の二が森林だもの。どこに向かったって山に突き当たるものよ」

 唐突に茜が言った。一見、大人しげな見た目からは想像のつかない、突き放したような強い口調だった。

 僕も中野もびっくりして振り返る。

 茜ちゃん言い方キツイよぉ、と瑠菜は苦笑した。茜はそれに答えもせずにまっすぐに前を向いて歩を進めている。

 なんだか、茜の意外な一面を見てしまったように思った。

「あのさ、瑠菜ちゃんたちはどうしてこのバイトすることになったの?」

 凍りついた空気にもめげず、中野は瑠菜に話しかけた。

「三ツ橋くんに紹介されたのー。心霊スポット散策して五万って、やばくない?」

 瑠菜は大きな目をぱっと輝かせた。

 ——実際やばい仕事なのである。

 にしても、僕たちは例によって詳細を何も聞かされていないのに、三ツ橋は女子にはちゃんと仕事の説明しているようだった。そして報酬は三万円と聞かされていたのだが――どういうことなのだろうか。

 中野は三ツ橋に雑に扱われていることなど気にもしていない様子で、「□□女子大と人脈があるなんてさすが三ツ橋くんだなぁ」などと感心している。

「で、あたしが茜ちゃんを誘ったんだよね」

 茜は真顔で頷いた。

「お金、必要だから」

 低い声音こわねに、周りはしんと静まり返る。だが当の本人は気にもしていないようだった。空気が読めないうえに読もうともしないのだろう。

 そんな中、瑠菜が「ほんとに何か出たらどうしようー」と可愛らしく身をすくませた。

 中野はたちまち目尻を下げる。

 瑠菜が気まずくなってしまった空気を和ませたのだと気づいた。この瑠菜という子は、意外にも周囲にすごく気を遣うタイプなのではないだろうか。

「まあ、何かあっても俺がついてるからさ! 俺、怖いの平気だし」

「えー、中野くん頼りになるぅ」

 中野は形相を崩し、照れくさそうに後頭部をかき交ぜている。瑠奈のセリフが若干棒読みだったことには気づいていないようだった。

「茜ちゃんも、すごく頼りになるんだよね!」

 一変してはしゃいだテンションで、瑠菜は茜の腕に自分の腕を絡めた。

 ちょっと足元悪いんだから抱きつかないで――茜が神経質そうな声を上げた。

「だって茜ちゃん、わざわざ明治神宮からお札もらってきてるんだよね」

「お札?」

 目をまたたいた中野を、茜ははすに見やった。

「明治神宮だけじゃないわ。阿佐ヶ谷あさがや神明宮しんめいぐう日枝ひえ神社、小網こあみ神社、波除なみよけ稲荷神社、大國魂おおくにたま神社の計六社よ」

 へぇーと中野は頬を引き攣らせた。

「日下部さん、そうゆうの詳しいんだ……」

「詳しくないから調べたのよ。『る◯ぶ』でね」

 る◯ぶかよ――僕は呆れた。旅行雑誌である。

「『東京のお祓い最強効果絶大神社!』って特集記事を参考にしたの。ちなみにね、皇居は幽霊とか入れないらしいわよ。こっちはネットの情報だけど」

「茜ちゃんってやっぱり物知り……」

 横で瑠奈が目を潤ませて茜を見つめていた。

 中野は唖然としている。

 この瑠菜という子も、なんだかずいぶん変わった子のようだった。

「ところであなたたち、身一つできたの?」

 茜は小馬鹿にしたような眼差して僕らを見やると、何が入っているのか重たげなナップザックから「一つゆずるわよ」とお守りを二つ取り出した。

 断るのも気まずくなりそうで、僕は「どうも」と受け取った。

 一方、中野は「俺はいいわ」と頬を引きつらせて固辞した。

 いやそこは受け取ってやれよ――僕はなんだか中野に裏切られたような気持ちになる。

 あからさまな拒否にも茜は気にした様子なく、瑠菜に「これはあんたのぶんね」と赤い布地のお守りを手渡した。

 ありがとうと瑠菜は両手で受け取り、嬉しげに笑った。

「……日下部さんさ。オカルト系、よく知ってんだね」

 中野が強張った笑みを浮かべながら言った。

 茜は――全然よ、と一刀両断した。

「だからちゃんと勉強してきたのよ。なんであれ初めてのことはきっちり予習してから挑むことにしてるの。他のアルバイトの時だってそうよ」

 予習って、何をだ。怪奇現象についてだろうか。

「茜ちゃん、ちょっと変わってるけどそんなとこも好きー」

 瑠菜は茜に抱きついた。茜は「面白がってる場合じゃないのよ」ときつい口調で言う。

「誰のためだと思ってんの。あんたがボヤボヤしてて心配だからじゃない。今回だって胡散臭いバイト引き受けてきて……心配でついてきたんだからね!」

「茜ちゃん……!」

 瑠菜は感動したように茜を見つめた。

 僕はなかば呆れて女子二人を見やった。——何の茶番を見せられているのだ。

 それにしても、僕ら男二人は完全に置いてけぼりである。女子同士の友人関係ってこれが普通なのだろうか。同性の友人さえいない僕にはわからない世界だった。

「えっと、君たちって□□女子大なんだよね? 何の友達? サークル仲間とか?」

 中野も二人の関係性が気になっていたようだった。

「え? ああ、うちら幼馴染なのー」

 ね、と瑠菜は茜の腕を引き寄せた。

 茜は瑠菜を邪険に押しやりながら「そうよ」と低く答えた。

「あなたたちは? 友達?」

 瑠菜に無邪気に問い返され、中野は「えっと」と口ごもる。

「いや友達って言うか、俺達はその、同じ学部で……」

「友達じゃない。ただの知人だよ」

 僕がきっぱりと答えると、中野は「お前ってさあ、そうゆうとこあるよな」と呆れたように言った。


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