*


 タクシーは駅前のさびれたシャッター街を過ぎ、大通りを裏に回って古びた雑居ビルが立ち並ぶ細道に入って行った。

 いかにも何か出そうな雰囲気の廃ビルの前で、僕とイスルギはタクシーを降りた。

「これがそのビルだ。閉鎖後は買い手もつかず、そのまま廃墟のようになっている」

 僕はスマートフォンで時間を確認した。深夜の二時半を過ぎたあたりだった。

「古来より丑三つ時は不吉な時間帯と認識されているが、行方不明者の失踪時間もその時間帯に集中しているそうだよ。面白いだろう」

 実際に人が失踪しているというのに何が面白いのだろうか。

 不謹慎さに呆れかえる僕を後目しりめに、イスルギは「さあ行こうか」と歩き出した。黒スーツが闇に溶け込んでいくように見える。

「……勝手に入ったら、不法侵入になりませんか?」

「無断で入るわけがないだろう。ビルのオーナーに話はつけてある。鍵だって管理会社を通してちゃんと借りているよ。当社を無節操な動画共有サイトの軽犯罪配信者と一緒にしないでくれたまえ」

 軽蔑した目を向けられ、僕は黙した。——それもそうかと思う。

 それにしても、イスルギの僕に対する態度が短期間で無遠慮になっている気がしないでもないのだが気のせいだろうか。

「では測定装置をつけなさい」

 ビルのドアの前に着くなり、イスルギは言った。僕はどう見ても腕時計にしか見えないそれを手首につける。

 本体の裏蓋が皮膚に触れた瞬間、金属のひやりとした感覚に鳥肌が立った。ただ冷たいだけじゃない。妙に吸い付くような感覚がしたのだ。

 こんなもので本当に脳の活動を感知できるのだろうか。

 僕が測定装置をつけている横で、イスルギは薄い手袋を両手にはめていた。そしてスラックスのポケットから鍵を取り出し、ドア上下についた青錆が浮いているシリンダー錠に差し込む。なんだか犯罪者じみて見えるのは自分のイスルギに対する偏見ゆえだろうか。

 ぎぃ、とドアが開く音が夜のしじまに響き渡った。

 ドアの隙間から見える内部は漆黒の闇である。

「どうぞ」

 低い声音で促され、僕は恐る恐る足を踏み入れた。

 古い建物独特の埃と黴がまざったような臭気が立ち込めていた。できるだけ吸い込みたくなくて、自然と呼吸が浅くなる。

 ふいに光が差し込み、驚いて振り向くとイスルギが懐中電灯を向けていた。しかも自分だけちゃっかりマスクをつけている。

「ライトは君が持ちたまえ」

 僕は差し出された懐中電灯を受け取り、周囲を左右に照らした。

 狭苦しいエントランスには段ボール箱が幾つも重ねられていた。封の空いた幾つかには、暗くてよくわからないが何かごちゃごちゃと詰め込まれている。段ボール箱の他にも、事務机やキャスター付きの椅子、ポットや食器までもが埃をかぶって無造作に積んであった。がらくたの山である。

 奥の暗闇に光を向けると、がらんとしたフロアが広がっていた。物が積まれているのは入り口付近だけのようだった。

 エントランスの左手側を見ると、つきあたりにエレベーターのドアが見えた。イスルギに促され、そちらに向かう。

 ところどころ蜘蛛の巣がかかり、埃が塊になってそこら中にわだかまっている。光の当たった一瞬、壁に大きいひびらしきものも映った。——明るいもとで見ればひどい廃墟かもしれない。

 エレベーター横の角を曲がったところに階段があった。イスルギはそこで足をとめた。

「これがくだんの十三階段だ。今は見ての通り十二段ずつ区切られているが」

 ――と言われても、真っ暗で何も見えやしない。

 恐る恐る懐中電灯を差し向けると、ビルや学校などでよく見る、折り返しごとに踊り場のある階段だった。

 僕は息を飲む。何の意識もしなければ普通の階段に見えていたのだろうが、何か起こると聞いてしまってはやたら怖く思えてしまう。

「私はここで待っているから。安心して上りたまえ」

 低い声が背後から聞こえた。

「それと。大事なことだが――上りきるまで振り向いてはいけないよ」

 では行きなさい、とイスルギは呟くように言った。

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