第55話 帰還

 戸科下市 ホテル陽世


 ジェリー星人、コードネーム海月くらげは一様に動きを止めた。

「めいれい」

「ひじかたから」

「てったい」

「てったいめいれい」

「てったいめいれい」

「てったい」「てったい」「てったいめいれい」

「てったいめいれい」「てったいめいれい」「てったいめいれい」「てったいめいれい」「てったいめいれい」「てったいめいれい」「てったいめいれい」

 それまで戦っていたジェイとギミルに背を向け、海月たちは窓や非常口から外へ流れ出す。数千体も居た海月たちは、あっという間に立ち去ってしまった。

「なんだ……?」

「逃げた、のか……?」

 アッズが空を仰ぎ、声を上げた。

「レイド様だ!」

 血まみれ姿のレイドが、海月の死体が散乱する駐車場に降り立った。持ち前の再生力で傷は全て治っていたが、明らかに疲弊していた。血のコントロールも不安定になっており、肌の色がまばらになっている。

 ジェイとギミルが駆け寄り、ふらつくレイドを支えた。

「レイド様お怪我は!?」

「ないない、だいじょーぶ」

「敵は!?」

 レイドは苦笑し、ピースサインを作った。

「やっつけたよー……跡形も無く」

「すっげー!」

「流石レイド様!」

 アッズは固唾を呑んだ。

(先程の黒い十字架……やはりレイド様の最大魔法だったか。あのエイリアンが強いとはわかっていたが……レイド様にあれを使わせるとはな)

 イービル式魔法の禁呪は他の禁呪とは異なる。破壊規模が想定できないことから、魔王軍領土内での使用が禁じられている、真の意味での禁呪だ。もっとも、その決まりを作った魔王自身が領土内で使いまくっているのだが。

 ギミルに背負われてホテルに入ると、レイドはエントランスの一角に転がっている小さな箱に目を留めた。

「あれは?」

「封印したエイリアンです。レプティリアンとかいう」アッズが答えた。「ジェイが倒しましたが、まだ生きているようだったので。外からも内からも強固な封印を重ねましたので、二度と出て来ることはないでしょう」

「ならよかった。他の皆は?」

「生き残ったのはここに居る者だけです」

「……そっか」

「ゲートの修復は済んでいます。魔界へ還りましょう」

「……うん」

 ヴェスが壊れた地形に合わせて描き直された歪な魔法陣の前に立ち、呪文を唱えた。魔法陣から生じた稲妻が空間に穴を空け、ゲートを開く。

 これを通ったのはついさっきのことなのに、どうしてか、ずっと昔のことのように感じた。帰って来るまでに、とても長い年月がかかってしまったかのような。それほどまでに、蜂尾との戦いは壮絶で、忘れ難く、苦しかった。

(やっと、帰れる……)

 そうだ、帰るのだ。もう、私の故郷は人間界ここではない。家族も、向こうに居る。

 これでよかった。

 私の家は、魔界あっちだ。

「行こう、皆」

 ゲートをくぐったのは、レイド、ヴェス、ジェイ、ギミル、アッズ。たった五人だった。あんなに仲間が居たのに。四天王まで居たのに。

「大丈夫ですか? レイド様」

 ゲートの中を歩きながら、ヴェスとジェイが心配そうに見ている。レイドは力無く頷いた。

「うん……平気だよ」

 仲間が死んだことや、妹が死んだことや、この後やらなければいけないこと。エイリアンのこと。考えるべきことも、そうでないことも、沢山あった。でも、それら全て忘れたくなるくらい、今はただ、疲れていた。

 本当に、疲れた。休みたい。このまま眠ってしまいたかった。

(お父様に……なんて、説明しよう……)

 あと、そうだ。もういっこ、言わなきゃいけないことがある。

 魔王に嘘は通じない。正直に打ち明けないといけない。試されていたことに、レイドはやっと気づいた。

 あの子の姉であることを、人であることを捨てられなかった。天使の部分を棄てられても、人の心を捨てることはできなかった。

 私は、魔王にはなれない。

「……」

 ゲートを通りながら、レイドは後ろを振り向いた。世界を渡る道の先、稲妻のゲートの向こうにある景色が小さくなっていく。

「……もう、来たくないなぁ」

 誰にも聞こえないように、心の中で呟いた。



 魔界

 魔都 魔王城


 先遣隊が帰還し、人間界への侵攻作戦は中断になった。四天王の敗北には、ガルズの仇討ちに意気込んでいた戦士たちさえ怯んでいた。魔王が方針を決めるまで、侵攻部隊には武装状態を維持したまま待機を命じられた。

 レイドは最低限の身だしなみで王の間へ向かった。ルラウは憔悴した彼女に寄り添いたかったが、魔王が許した者以外が王の間に立ち入ることは許されなかった。

 ルラウはレイドの部屋で、人間界から持ち帰った荷物を整理していた。急いで着替えたため、床にレイドが着ていたドレスが投げ捨てられている。天使の加護で実体化させた衣装だったが、酷く血が染み込んでいて、面影は無い。

 本当なら天使のドレスなど触れたものではないが、悪魔の魔力が多少含まれているため耐えることができた。ルラウは純白の生地に触れないよう、血の染みた部分をつまんで持ち上げた。

「ん?」

 ドレスから何かが落ちた。それは床をコロコロと転がり、やがて止まった。ルラウは首を傾げた。

「何だろう……?」

 金属の半球だった。断面が焦げたように黒ずんでいる。

 半球を構成する無数のブロックが蠢き、中から赤い光が漏れていた。





「第二百五十武器庫、開錠」




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