第49話 叛逆者-エヴィル-

 九十五年前


 五歳の誕生日、魔王はレイドを城の地下牢へ連れて行った。

 地下牢に来たのは初めてだった。領土内に大きな監獄が建造されてからは、おいたをしたイービル家の子が罰として飢え死に寸前まで閉じ込められることが時々あるくらいで、使われることは滅多に無くなったらしい。無人の牢屋が並ぶ暗い通路を、歩幅の大きな魔王に置いて行かれないよう、レイドは必死に駆け足した。

 いつしか牢屋の無いただの道になった。そこからいくつかの門を抜けて、長い階段を降りて、冷たい廊下をずっと歩き続けた先に、目的の部屋はあった。到着するまで、魔王は一言も発さなかった。

 夥しい鎖と南京錠で閉ざされた門には、厳重な封印魔法がかけられていた。感知魔法を使わずとも漂う魔力の気配から、魔王が直々に施した封印だとわかった。短くない時間をかけて封印を解き、魔王は門を開けた。

「さあ、入れ」やっと魔王は言った。

 広い部屋だった。一つの独立した建物だと錯覚するほど広大だった。そして、異様だった。内装が教会の礼拝堂によく似ていたのだ。

「え……?」

 神に祈る場など、魔王城に一番あってはならないものだ。言葉を失う娘に、魔王は礼拝堂の奥を指し示した。祭壇にそびえ立つ大きな十字架に、何かが磔にされていた。

(あれって……)

 カーペットの敷かれた通路を歩いていると、整然と並んだチャペルチェアを骸骨が埋め尽くしていることに気づいた。参拝者のように沈黙して座す骸骨は、全てが小さな赤子の骸骨だった。

 祭壇の前に着き、そこに在るモノを見たレイドはゾッとした。

 美しい金髪に、白い装束。背から生えた翼。頭上に浮かぶ光輪。

「天使……?」

 天使は無残な有様だった。両腕を広げた姿勢で翼もろとも杭を打たれ、さらにその上から鎖で縛られている。手足は関節ごとに釘で固定されており、文字通り指一本動かせない。口と耳孔は縫合され、眼窩にはロザリオが刺さっている。胸には槍が一本、心臓を射抜くようにして十字架ごと貫かれていた。

「お父様……これは、いったい……?」

 信じ難いことに、天使は生きていた。杭などを打たれた全身の傷から絶えず出血しており、十字架を伝い落ちた血が真下にある器に溜まっていた。

「お前の母親だ」

 強烈な血の臭いを放つ天使を眺め、魔王は言った。レイドは絶句し、天使と魔王の間で何度も目を往復させた。

「こ、これが……私の……?」

「純血の天使。これを母体にしてお前を産ませた」

 レイドはもう一度、まじまじと天使を仰いだ。心臓を貫かれてなお生きているということは、ただの天使ではない。大天使と呼ばれる上位の天使に違いない。魔王ほどになれば大天使くらい捕まえるのは容易いだろうが、では彼女はいったいいつから、ここに磔にされているのだろう。魔王は何の目的で、忌むべき天使をこんな部屋を用意してまで生かし続けているのだろう。

 回答は、既に魔王が口にしていた。レイドの母。それが全てだった。

 周囲のチャペルチェアに座る骸骨を見回し、魔王は話した。淡々とした語り口調だった。

「ここに在る骨は全てこいつに孕ませた子供だ。お前の兄や姉ということになるな。ほとんどが産まれる前に死に、産まれたとしても一日も生きた者は居なかった。悪魔と天使は相反する存在。子供を作ることはできない。堕天使相手や特殊な条件下で子ができることはあるがな。純血の悪魔と純血の天使ではどうやっても子は成せん。あらゆる策を試したが、ここに在る骨の数だけ失敗を重ねた」

 魔王は血のように赤い瞳でレイドを見下ろした。祭壇の器に溜まる天使の血と、同じ色だった。

「相反する悪魔と天使の血の間に、もうワンクッション入れる必要があった。それがお前だ。人間の魂を入れることで、悪魔と天使の拒絶反応を中和したのだ。もっとも、確証の無い大きな賭けだったがな」

 前世から通算すると二十歳でもあったレイドは、魔王の言葉の意味するところを正確に理解できるだけの教養があった。この頃には魔王や魔族の所業に慣れてきて、たいていの残虐行為には何も感じなくなっていた。

 それを差し引いても、この天使への仕打ちは残酷だった。生き地獄とはこのことだろう。母親と言われても情は一切湧かなかったが、強いて言うなら同情は感じた。死ぬこともできず、一生道具として運用され続けるなんて。少なくともこの時のレイドには、気の毒に思えるだけの人間的感覚がまだ残っていた。

「レイドよ。お前はこの儂と天使の血を継ぎ、そして人間の魂を持つ稀有な存在だ。人のままでいることも、天使になることも、魔王になることもできる。お前はどれになりたい?」

 魔王は近いチャペルチェアから頭蓋を拾うと、盃代わりにして祭壇の器から天使の血を掬い取った。

「脆弱な人間か……」

 磔にされた天使を仰ぐ。

「無力な神の遣いか……」

 血を溜めた頭蓋を差し出す。レイドは受け取り、赤い水面に浮かぶ自分の顔を見つめた。

「奪う側に回れるのは、魔王だけだぞ。レイド・イービル」

 そうだ。きっとこの時だった。

 前世を捨てて、魔王の娘になると決めた。魔王は、自分と同じだと思ったのだ。

 魔王はとても臆病だったのだ。世界と神を、誰より恐れていた。だから徹底的に壊そうとしていた。

 母を見て、レイドも怖くなった。こうはなりたくないと思った。

 奪われる前に、奪うしかないのだ。



 現在

 人間界

 東京都 戸科下市


 収斂進化しゅうれんしんかという言葉がある。

 異なる起源を持つ存在が似た環境で進化し、近しい形態や機能を獲得することである。

 宇宙で暴虐の限りを尽くした、銀河の破壊者アサルト星人と、

 魔王を継ぐために造られ、鍛え上げられた悪魔と天使の混血エヴィルは、

 強くなければならないという一点環境において、同様の進化を遂げ――奇しくも、その姿に多くの類似点を有することとなった。

「……」

「……」

 蜂尾が同じ高度まで上がって来る。距離は数キロも離れていたが、互いに射程範囲内だった。

 レイドの三つの目に魔法陣が浮かび、蜂尾の三つの目が発光した。両者は、全く同時に同じ形の光線を放った。

「三連『M31CE対艦スピア弾』」

叛逆エヴィル式魔法『天使の眼差しデビル・アイズ』」

 光線が両者の中心で激突する。猛獣が額をぶつけ合うように、互いを押し合う。相殺し切れず漏れ出た光線の残滓が四方八方へ散る。特に被害を出したのは地上へ降り注いだ光線で、大地に深々と刻まれた溝に街が滑り落ちていった。

 光線を照射が終わると、レイドは背面にある一対の髑髏に真後ろを向かせた。髑髏の眼窩と顎から黒炎を噴射し、蜂尾を目指して急速発進する。蜂尾も球状の翼からM31CEを噴き、ソニックブームを穿った。

 一秒も経たず、二人は衝突した。互いの拳が顔面を捉え、爆発が起きたかのような破裂音が轟いた。

「……ッ」

「……っ」

 頬を砕かれながら仰け反った両者はすぐさま、再び相手に向かった。掴みかかろうとする蜂尾の顔面を、レイドは肘で殴りつけた。蜂尾の左目が火花を散らして弾け飛ぶ。続けてもう一方の拳で、胸を打つ。蜂尾の胸の装甲が、拳の形に凹んだ。

「ぅおぉらぁッ!」

 顎を蹴り上げようとしたレイドの足を、蜂尾はヘッドバッドで迎え打った。足の甲が砕かれ、皮だけで繋がった指がぷらぷらとぶら下がる。

 蜂尾が当然のように音速を超えるパンチを打つ。レイドは首を傾げてパンチを躱し、耳を抉られながら蜂尾の頭に手を回した。管を掴んで引き寄せ、鼻面に膝蹴りを叩き込む。三発入れると明確な手応えがあり、顔の装甲が一部剥がれた。四発目を見舞おうとした時、蜂尾の尾が横へ迂回し、液状ソードがレイドの首に切りかかった。

「ふんぬッ!」

 レイドもまた尾を操り、先端に装備した長剣で液状ソードを打ち返した。やはり液状ソードの方が切れ味は上らしく、ぶつかるたびに長剣が欠けた。

 蜂尾がレイドの手を振り払い、お返しと言わんばかりに腹を何度も殴った。みぞおちにめり込んだ拳が内臓を圧迫し、腹筋の皮がごっそり剥がれてドレスを赤く滲ませた。

「ぉえ……がぁあ!」

 尾の長剣を蜂尾に突く。蜂尾は十字受けで防ぎ数百メートル飛んだが、すぐに体勢を立て直した。

 光輪が強く輝き、レイドの手に金色に光る槍が現れた。レイドは唇をきゅっと結んで振りかぶり、全力で槍を投擲した。

叛逆エヴィル式魔法『串刺しの天使デビル・ランス』!」

 蜂尾は歌舞伎でいう”毛振り”のように頭の管を振り回して光の槍を絡め取ると、もう一周回してレイドの方へ投げ返した。

叛逆エヴィル式魔法『天使の断頭台デビル・サイス』!」

 光の大鎌を生成して槍を叩き落とす。レイドは高速で飛行し、すれ違いざまに蜂尾を薙ぎ払った。蜂尾の脇腹に深い傷を残せたが、レイドも半身をズタズタにされていた。蜂尾は頭の管を鞭のようにして、レイドを殴打していたのだ。

 大きく旋回して再び蜂尾へ突撃する。蜂尾は管を広げてハリネズミのように丸まり、翼の噴射で回転した。管で大鎌を打ち払うと同時に、遠心力の乗った尾の液状ソードがレイドに切りかかる。

「『天使の眼差しデビル・アイズ』ッ!」

 目の光線で液状ソードの勢いを殺すと、レイドは長剣で蜂尾の尾を切断した。液状ソードが崩れ、ただの液体になる。続けざまに蜂尾を切りつけようとすると、長剣を管に絡め取られた。蜂尾は長剣と尾を掴み、強引に引きちぎった。

 蜂尾が奪い取った長剣でレイドを袈裟切りし、鮮血が派手に噴いた。同じ創をなぞるように逆袈裟し、そこから首を刎ねようとフルスイングする。レイドは両腕を盾にして長剣を止め、蜂尾を蹴飛ばした。

 腕に食い込んだ長剣を抜く。深かったが、骨は辛うじて繋がっていた。胴の創の止血は済んでいたが、純白だったドレスは真っ赤に染まっていた。

 長剣を捨て、レイドは手招きした。

「来い……エイリアン!」

「……」

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