第45話 再び

 クリーズが敗れる一部始終を、アッズは千里眼で目撃していた。蜂尾がこちらを向いた途端、水浴びしたかと思うほどの脂汗が全身から噴き出した。

(こっちに来るッ!)

 球状の翼から火を噴き、蜂尾が閃光と化す。アッズは咄嗟に剣を地面に突き立て、叫ぶように呪文を唱えた。すぐ近くに居るドゥルも、蜂尾に比べれば全く脅威に感じなかった。

「魔王軍式魔法・禁呪『死者の盾ヴァルハラ・シールド』ッ!」

 骸骨ひしめく門がアッズの前に立ちはだかり、開門するや巨大な手が数本の矢が刺さった盾を突き出した。アッズは同じ魔法を繰り返し、門と盾を五重にも顕現させた。

 透視魔法で盾越しに正面を見る。遥か彼方で何かが煌めくのが見えた、次の瞬間、蜂尾が地表を削りながら突撃して来た。

 伸長した尾が蜂尾の頭上でくねり、液状ソードで盾を門ごと切り裂いた。縦横無尽に振り回された液状ソードが門と盾を一枚ずつ丁寧に切り裂き、アッズが「来る」と感じた時には、目の前に蜂尾が居た。

「~~~~ッ!」

 硬質化の魔法を何重にもかけた剣で液状ソードを防ぐが、アッズは衝撃で吹き飛ばされた。追撃を仕掛けようと蜂尾が尾を伸ばしたその時、アッズがテレポートで消えた。虚空を切った蜂尾の足元に、真っ二つに割れた剣が落ちた。

「……」

 骸骨の門と剣の破片が雲散霧消する。臨戦態勢で静止する蜂尾の元へ、ドゥルが歩いて来た。

「逃げたようだな、賢い判断だ。奴は手練れのテレポート使いジャンパーだ。俺の目もこのザマだ」

「……」

 尾を縮め、蜂尾は無言でドゥルに視線を向けた。ある方角を顎で指し、ドゥルは言った。

「逃げた先はわかっている。土方が突き止めた奴らのアジトだ。破壊目標ゲートはそこに在る」



 戸科下市 ホテル陽世


 エントランスにテレポートして来たアッズに、ゲートの魔法陣を見張っていたヴェスとジェイとモルコが駆け寄った。師の真っ青な顔を目の当たりにすると、ヴェスは胃が浮き上がるような寒気を覚えた。

「アッズ様、ご無事で……!」

 ヴェスたちは水晶玉を用いた千里眼魔法で戦況を把握していた。クリーズを屠り、アッズの禁呪をも完封した埒外のエイリアンのことも目にしていた。

「お怪我は――」

「ゲートを開けろ!」

 身を案じる彼らを遮り、アッズは鬼気迫る声で指示を下した。

「このままでは全員死ぬ! 一旦向こうに帰って態勢を立て直すぞ! 他の皆は!?」

上階うえに居ます」

「すぐに呼べ! 全員で離脱だ!」アッズは歯噛みした。「相手が悪過ぎる……私では勝てない!」

 現役四天王が堂々と吐く弱音は、安全圏から水晶玉越しに眺めていた惨状より遥かに血生臭かった。ヴェスは返事する時間も惜しんで魔法陣の方へ踵を返し、ジェイとモルコは共鳴コウモリ越しに上階に居る仲間を呼んだ。

 アッズはまるで全力疾走したかのように息が上がっていた。逃げ延びた今でも心拍は治まらない。あと少しテレポートが遅ければ死んでいたし、正直少し漏らしそうになった。

(なんだあいつ……なんだあのバケモノは……!?)

 アッズの『死者の盾ヴァルハラ・シールド』とクリーズの『冥府を穿つ獄焱ニーズヘッグ・ブレス・カオス』を正面から打ち破るあのエイリアンの攻撃力は、どんな魔法でも防げない。レイドの絶対防御が押し負けたという話からある程度は覚悟していたが、いくらなんでもあそこまでとは聞いていない。アッズ自慢の禁呪が、一秒ともたなかったのだ。

(あんなの……前の勇者より強いじゃないか! イービル家魔王様の子でも、いったい何人が渡り合えるか……!)

 ガルズはあのエイリアンと数分間も戦えたのか? 違う、きっと手加減されていたんだ。フォルゥも軽く手合わせしたようだが、その時もまだ本気を出していなかったんだ。おそらく、人間界を守るため。

 奴らはそれをめた。アッズたちが諦めさせてしまった。街を吹き飛ばした爆弾は、あのエイリアンを――怪物を呼び覚ます号砲だったのだ。

(報せなくては……戦士たちをこの世界に来させてはならない)

 再編成が終わり次第、レイドが侵攻部隊を率いて人間界入りする手筈になっている。魔界に帰還したらいの一番に、侵攻作戦の決行を阻止しなければならない。四天王ですら歯が立たないのだ、並みの戦士などいくら居たところで殺されると自覚する暇も無くお陀仏だ。レイド以外は間違いなく全滅する。同胞の仇がどうとか、そういう次元の話ではない。四天王が三人死んだと伝えれば、返って魔王も冷静になるだろう。

「大丈夫ですか? アッズ様」

 汗だくでふらつくアッズに、モルコが手を差し伸べる。アッズはまだ自力で立てていたが、体格の大きな自分を乗り物代わりにでもしろというのだろう。

「皆を呼びました。すぐに来ます」

「ああ……」

「こちらへ。ゲートが開くまでお体を休めて下さい」

「助かる……」

 モルコの大きな手に腰かけ些か落ち着きを取り戻すと、アッズは千里眼でエイリアンたちの様子を覗き見た。ドゥルが街中を凄まじい速さで走っている。肝心の蜂尾の姿は、どこを探しても見つからなかった。しまった、焦って千里眼を解いてしまったばっかりに見失った。

(レプティリアンはどこに向かって……)

 モルコの手が唐突に脱力し、アッズは転げ落ちた。ジェイの「モルコぉ!」という怒声が聞こえ、アッズが見ると、モルコの首から上が消滅していた。

「な……ッ!」

 崩れ落ちるモルコの背後にある柱に丸い穴が空いていた。アッズが背後を振り返ると、エントランスのドアとその外の空間――結界にも、同じ直径の穴が空いていた。

「あ……っ」吐き気を催す悪寒が襲った。

 透明な結界の向こうに蜂尾が立っていた。蜂尾は結界に空けた穴を探り当てると、両手を差し込んで力づくでこじ開け始めた。

「何故ここがバレた……!?」

 考えている暇は無い!

「急げヴェス! ゲートを開けろッ!」

 悲鳴のように叫び、アッズは弓を構えた。蜂尾は穴から亀裂を広げて結界を蹴破り、人一人通れる程度の空間を開けて侵入した。

「魔法石を使った結界だぞ!? ガラスみたいに割りやがって!」

 アッズは黒い稲妻の矢を射った。

「魔王軍式魔法・禁呪『黒い雷霆アビス・ケラウノス』ッ!」

 雷速で飛来した矢を、蜂尾は無造作に手で払い除けた。矢は駐車場を横断して結界を跳ね返り、上へ飛んで結界の天井を再び跳ね返り、ホテルに向かって落ちた。アッズが遠隔でホテルの屋上に出現させた魔法陣に吸い込まれた矢は、蜂尾の眼前に出現した魔法陣へ転送された。

「……」

 尾の液状ソードが一瞬の間に矢を切り刻み、飛散した黒い稲妻を目の光線で抹消した。雨のように降る火花を浴びながら、蜂尾は僅かも歩調を緩めず前進した。

(この四天王が……足止めすらできないのか!?)

 フォルゥは一度奴を捕らえた。氷属性ならば効くか? アッズは渾身の魔力を込めた氷の矢を射った。

「魔王軍式魔法・禁呪『氷龍の喰荒ホワイト・ドラゴン・ファング』ッ!」

 矢が巨大なドラゴンの頭部へ変貌を遂げる。真っ白な氷で形成されたドラゴンは顎を大きく開き、氷柱の牙で蜂尾に噛みつきかかった。

「……」

 蜂尾の頭と脊椎から生えた赤い管が、仄暗く発光した。

「『M31CEスパイラルスピア弾』発射」

 額の目が煌めき、回転する光線が氷のドラゴンを撃ち抜いた。クリーズの死の再演だった。光線はドラゴンを粉にした後も止まることなく、まっすぐアッズに向かって飛んで来た。

「くそ――ッ!」

 氷のドラゴンが敗れることを予期し、アッズは転送の魔法陣を盾にしていた。が、光線の異次元の回転力は転送魔法の処理速度を超えており、接触と同時に魔法陣を砕いた。

 二つ目の策として、アッズは『反射反撃カウンター・ブレイク』の魔法陣を用意していた。が、光線の推力を跳ね返せず魔法陣は砕けた。同じ魔法陣を十枚用意していたが、何の抵抗もできずに砕けた。

 三つ目の策はテレポートで躱すことだった。が、できなかった。

「ヴェス、皆と一緒に逃げろ」

 彼女の後ろには、懸命にゲートを開ける弟子と、その仲間が居た。

 どうしても、避けることだけはできなかった。

「目覚めろ『神の盾アイギス』ッッ!!」

 アッズが剥ぎ取ったローブが、甲冑を纏った女神の絵を描いた盾に姿を変えた。数千年前に、聖騎士団の前身組織“神の騎士団”から魔王軍が略奪した魔法の盾である。神の加護を魔王が自身の魔力で上書きしており、その防御力はレイドの念力魔法に匹敵する。

 足場に吸着魔法の魔法陣を張り、全身に肉体強化魔法をかける。

 防ぎ切れないことはわかっている。光線の弾道を少しでも逸らすために、アッズは盾を傾斜させて構えた。

「うおおおおッ!」

 光線が女神の顔にめり込み、盾を削った。一瞬にも満たないその時、アッズは盾を掘り進む振動の向きが微かに、ほんの微かに変わったのを感じた。弾道を逸らせる。いける。私ならやれるはずだ。私は四天王だぞ。

 風の魔法で盾を前へ押していたが、それでも柄を押さえる両腕の骨が軋んだ。足場の魔法陣に亀裂が入る。『神の盾アイギス』は触れるだけで多量の魔力を消費する代物だ。そのうえ複数の魔法を最大出力で行使しているアッズの脳は灼熱になり、魔力の源泉たる心臓は破裂寸前まで暴れていた。

 光線が盾を削る。中へ掘り進む。女神がバラバラに割れる。アッズの頭の血管が切れ、血涙と鼻血がどろっと溢れる。

 一生にも感じられる刹那は、とうとう過ぎ去り――『神の盾アイギス』は粉々になった。

(ヴェス、皆――)

 光線が曲がったのは、角度にして僅か五度。ヴェスたちと魔法陣を守るには、距離と角度が足りない。この螺旋を描く光線は、周囲にある全てを巻き込んで突き進む。柄を握っていた両腕が砂のように散り、光線がアッズの眉間へ迫った。

(――すまない)

 アッズと光線の間に、灰色の手が割り込んだ。

 その手は光線を握り締めた。光線は掌から腕の中へと進んだが、肘まで到達することはなかった。腕の中で弾けた光線の余波が皮膚を破り、五本の閃光となって漏れ出した。

 余波はエントランスの床や天井に穴を空けたが、そのまま被弾すれば建物ごと吹き飛ばしていたであろう運動エネルギーを思えば、威力はほぼ殺されたに等しかった。

「……え……?」

 後ろへ倒れかかったアッズの背中を、誰かが抱き留めた。呆然とするアッズが隣を見ると、霞む視界に、長い白髪と黄色く光る瞳が映った。

(あぁ……)

 アッズは安堵に満ちた顔で、ため息を吐いた。

「待たせてごめん」

 レイド・イービルは、脱力したアッズをしっかりと支えて立った。光線を受け止めた彼女の掌は焼け焦げ、前腕の中で掻き混ぜられた肉と骨が裂けた皮膚からはみ出ていた。腕から煙と肉の焼ける臭いが漂っていたが、彼女は眉一つ動かすことなくただじっと、前を向いていた。

 蜂尾の足が止まった。

「……」

 三つの目にレイドの顔が反射し、赤い管にM31CEが脈打った。外見は別物だったが、レイドはその目を見て蜂尾が蜂尾であると悟った。

 挑むように、レイドは言った。

「また会ったね、エイリアン」

 蜂尾は、レイドと同じ日本語で返した。

「ああ。捜したぞ、異世界人インベーダー

 それは彼女たちの、唯一の共通言語だった。

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