第43話 衛星

 戸科下市 戸科下市立病院


 倒壊した入院棟の氷片の下から、フォルゥが這い出した。彼女の顔は左の眉から顎まで深く裂かれており、左目は潰れていた。

てて……『餓狼の咬殺フェンリル・ファング』を破られるとは思わなかったのだ……エイリアン、どいつもこいつも化け物なのだ」

 突然ぞわっと総毛が立ち、フォルゥは空を見上げた。

「この感じ……何なのだ……?」

 目視できる距離には、何も無い。しかしがこちらへ向かっているという、強い確信があった。それも、とてつもなく恐ろしいものだ。

「ヤっっっバイのだ……!」

 フォルゥの野生の勘が告げていた。襲って来るのは殺意や悪意でも、ましてや生き物でもない。純粋な破壊の脅威。この類の危機感は、天災に対するそれに近かった。

 大急ぎで共鳴コウモリを吐き出して叩き起こし、フォルゥは叫んだ。

「アッちゃん、クッくん! なんか物凄い……物凄いやばそうなのが落ちて来るのだ! よくわかんないけど……とにかくヤバいのだ!」

 離れた位置にある氷片の山が崩れ、下敷きになっていた飛蛾が出て来た。人間の皮が剥がれ落ち、乳白色の外骨格に覆われた人型昆虫インセクト星人の肢体が露わになっている。

 共鳴コウモリに訴えかけていたフォルゥが飛蛾を振り向き、苦い顔をした。

「うわ……やっぱり生きてたのだ」

 飛蛾の耳に埋め込まれたイヤホンに、ドゥルの声が響いた。

『飛蛾、聞こえるか?』

 三つに分かれた顎を蠢かせて発する飛蛾の声を、喉に埋め込んだマイクが直接拾った。

「聞こえるっすよぉ」

『監視衛星をそこに墜とす』

「マ?」

『もはや我々に猶予は無い。戸科下市は放棄する』

「ははは、やぁ~なんか悪いっすね。役立たずで」

『君にはまだ仕事がある』

 フォルゥが共鳴コウモリを口に入れ、ごくりと呑み込む。顔は笑っているが、飛蛾を見据える目は鋭い。

『敵は蜂尾を移動させようとするだろう。阻止しろ』

 つまり、衛星の墜落まで飛蛾もここに残れと。

「……」

 飛蛾の逡巡は短かった。

「りょ~か~い」

 飛蛾とフォルゥは氷片を踏み砕きながら、互いへ歩き出した。顔の傷をぺろっと舐め、フォルゥは言った。

「さっさとお前ぶっ殺して、あのエイリアンを連れ出すのだ」

「何言ってるかわかんねぇけど、そ~うはさせねぇよ」

 飛蛾は両腕を失くしていたが、インセクト星人は全身が武器だ。頭部からカブト虫に似た角を生やし、下顎はクワガタ虫のように強固に変貌させる。膝にスズメバチの毒針、踵に蟷螂の鎌。背に蜻蛉の羽を開き、全身の外骨格を甲虫の鎧と化す。

 四枚の羽を高速で羽ばたかせ、飛蛾は脚を前後に大きく開いて構えた。顎の鎧の中で、彼女は自嘲気味にぼやいていた。

「皮肉だよなぁ……女王の仇アサルト星人のために死ぬとか」

 彼女インセクト星人は死を恐れない。死よりも恐ろしいことを知っているから。

 安堵したように、飛蛾は笑った。

「でも……やっと、死に場所を見つけた気がする」

 フォルゥは両腕に、氷と雪で形成した狼の爪を鉄鋼鉤のように装着した。

「人狼魔法・禁呪『餓狼の裂殺フェンリル・クロウ』」

 身の丈より大きな爪を構える。天から墜ちて来る脅威に冷や汗を覚えつつ、フォルゥは気丈に微笑んだ。

「ルッくんが頑張るところ見ちゃったから……フォルゥも逃げるわけにいかないのだ」

 飛蝗のように深く脚を折り畳んで地を蹴り、羽の推力で加速を維持。猛毒を搭載した膝蹴りで突撃する。フォルゥは笑みを消して獣の形相になると、その爪と牙に惜しみない殺意を込めて殴りかかった。



 狼狽したフォルゥの声は、共鳴コウモリ越しにアッズとクリーズまで届いていた。クリーズは黒炎の壁でドゥルを囲むと、一旦距離を置いてアッズの元まで飛んで来た。

「今の聞いたか!?」

「ああ」

「フォルゥの姐御があんなに焦るなんて……いったい何が落ちて来るってんだ?」

「わからない」

 アッズはフォルゥの居る方角の上空を、望遠魔法で仰ぎ見た。なかなか見つからないため、瞳に灯す魔法陣を増やして望遠魔法を重ね掛けした。すると、雲より高い成層圏から凄まじいスピードで落下して来る円錐形の物体を発見した。

(フォルゥが感じたのはあれか……?)

 一見するとただの杭だ。大きさと速度から、落下時の衝撃はかなりのものと予想できるが、クリーズの言う通りフォルゥが焦るほどの物とは思えない。

(ただの落下物ではない……ということか)

 黒炎の壁の奥からドゥルが出て来る。迷っている暇は無かった。

「クリーズ、フォルゥの真上から杭のようなものが落ちて来る。止めに行ってくれ」

「杭? そんなにヤバそうなのか?」

「わからない。だがフォルゥの勘は当たる。あれを地上に落としてはならない気がする」

「……」

 クリーズはフォルゥの勘とアッズの判断を信じた。

「よし、わかった。レプなんたらは任したぞ」

「ああ」

 クリーズが後ろに退き、アッズが前へ出た。ドゥルはテレパシーで彼らの会話を受信していた。

(衛星を墜としていることに気づかれたか。止められるとは思えないが、万が一ということもあるな)

 ドゥルは素早いステップでアッズを迂回し、翼を広げて飛び立たんとするクリーズに掴みかかった。

『行かせないぞ』

 アッズがテレポートで割り込み、鍔が髑髏型の趣味の悪い剣でドゥルの尻尾を遮った。アッズは弓と魔法の腕だけでなく、剣技もハイレベルだった。ドゥルが振り回す尻尾を正確に受け切り、クリーズに回り込もうとするとテレポートや魔法陣で壁を作って妨害した。

『邪魔だぞ』

「邪魔してるんだよ。クリーズ、早く行け!」

 クリーズの体がカッと光った。一帯が強烈な光に包まれ、視界が真っ白になる。目晦ましのつもりだろうか。ピット器官を持つドゥルは、光の中でもクリーズの居場所を容易に感知できた。

「……?」

 ピット器官が壊れたのだろうか。ドゥルが感じ取るクリーズの熱が、みるみる信じ難いスケールまで膨張していく。十メートル、二十メートル……五十メートル。もっとだ。

(こいつの正体は……やはり……!)

 光が止む。ドゥルが目を開けると、視界いっぱいに巨大な黒い鱗が広がっていた。爬虫類の体のどこか。視野を広げてその全体像を見ようとし、ドゥルは絶句した。

 クリーズは巨大なドラゴンに変身していた。いや、逆だ。これまで見ていたのが仮の姿で、たった今その変身を解いたのだ。

 胴体だけで三百メートルはある。そこから伸びる首は約百メートル。尻尾は胴よりも長く、両翼の幅はそれよりさらに大きい。四本足で自立し、全身が漆黒の鱗に覆われている。

 純血の黒龍ニーズヘッグ族。『獄焱のクリーズ』の真の姿だ。

 ドゥルは率直に驚いていた。

「これほどとはな……」

 長い首を捩り、二本の湾曲した角を持つクリーズの凶暴な顔がこちらを向いた。トカゲやヘビ、ドゥルとも類似する特徴が見受けられたが、最も造形が近いのはかつて地球に存在した肉食恐竜だった。長い口にずらりと生えた牙、水面のように瑞々しい眼球、奈落のように深い瞳。一目でそれとわかる、紛うことなきドラゴンの貌だった。

 大きな口を開閉し、地響きのような声でクリーズが言った。

「止めてみろよ。その小せぇ体でできるならな」

「……」

 人に化けるわけである。この姿では大き過ぎて、むしろドゥルとは戦い難い。クリーズの本来の相手は同スケールのモンスターか、千や万の大軍なのだ。

(こんな大量殺戮兵器の侵入を……知らずに許していたとはな)

 クリーズが翼を広げ、強風が地上を襲った。凄まじい筋力で何度も大気を叩いて体を浮かせると、漆黒のドラゴンは物理法則を無視した急加速で一気に空へ飛び立った。

 試しに尻尾を掴めないかとドゥルは試みたが、規格外の質量差に軽々と振り払われた。

「流石に厳しいか……」

 数百メートルに渡る大きな放物線を描いたドゥルの落下地点に、アッズがテレポートで先回りした。

 アッズの剣が煌々と光る。ドゥルの上空に突如として全長数十メートルの門が現れた。地上を向いたその門は、夥しい数の骸骨が絡み合い形成されていた。おぞましいことに、門になった骸骨たちはひしめき合い、生きているかのように呻いていた。

「魔王軍式魔法・禁呪『死者の剣ヴァルハラ・ソード』」

 門が開き、真の姿のクリーズと負けず劣らずの巨大な骸骨の手が現れた。その手には、血がこびりつき錆びついた傷だらけの剣が握られている。地上に居るアッズの動作に合わせて、骸骨の手が剣を振り下ろした。

「ドラゴンも魔法も……」

 既に遥か彼方へ飛んで行き、小さな点になってしまったクリーズを、ドゥルは仰いだ。彼は大きなため息を吐き、尻尾で体を巻いてガードした。

「めちゃくちゃな奴ばかりだ」

 巨大な骸骨の剣が、ドゥルを地上へ叩き落とした。



 戸科下市 上空


 クリーズが戸科下市立病院の上空に到着すると、一面の雲が穿たれ監視衛星が現れた。監視衛星の落下速度はマッハ九毎秒約三千メートルに達し、安定を保った軌道は蜂尾が封印されている地点まで一直線だった。

「あれか……!」

 思ったよりも速い。キャッチするのはおろか、殴って軌道を変えることも難しそうだ。

 地上でフォルゥが敵と戦っている気配がする。あんな小さな物がなんだと思っていたが、いざ直面すると彼女の勘にも頷けた。クリーズにも説明はできないが、あれには嫌な気配がある。

「焼き払ってやんよ!」

 クリーズは翼で大気を強く叩き、監視衛星を目指して上昇した。監視衛星には及ばないものの、彼の飛行速度は音速を優に超えた。

 距離が近づくにつれ、監視衛星の輪郭がはっきりしてくる。円錐の底面から猛烈な勢いで噴き出す火、あれが推力になっているようだ。理想は監視衛星を跡形もなく滅却することだが、もし不可能だった場合、あの噴射を上回る火力で監視衛星を押し返す必要がある。ドゥルの常軌を逸する頑丈さからして、そうなる可能性は充分あり得た。

「フン」クリーズは鼻腔から蒸気を噴いた。「俺を誰だと思ってやがる。ニーズヘッグの末裔を舐めるなよ」

 クリーズの体に黒い光が迸る。魔力を溜め込んだ腹がパンパンに膨らんでいたが、彼のスピードは落ちるどころか加速していた。

 クリーズと監視衛星は尾灯を引き、互いへ真っ向から挑んだ。二つの閃光が近づく様は、遠方のドゥルとアッズからも見えていた。

 に備え、クリーズは渾身の力で羽ばたいた。監視衛星によく目を凝らし、尻尾を揺らして位置と角度を微調節する。はち切れんばかりに膨らんだ腹は、準備を終えていた。

 あとはタイミング。クリーズと監視衛星はマッハの世界に居る。遅れは許されない。

(今だ!)

 監視衛星との距離が三キロメートルを切ったその時、クリーズは咆哮を轟かせるとともに黒炎を吐き出した。

「黒龍魔法・禁呪『冥府の獄焱ニーズヘッグ・ブレス』ッッ!!」

 魔力が黒炎へ昇華し、クリーズの腹は急激に萎んだ。光を吸い込むほど濃い漆黒の火柱が天へ昇り、監視衛星を呑み込む。

 監視衛星の落下速度は、黒炎の中で明確に抑制された。クリーズが黒炎を噴き始めてから既に一秒が経ったが、まだ落ちて来る気配が無い。さらに五秒間、クリーズは黒炎を放ち続けた。

 彼の黒炎は天高く昇り続け、とうとう大気圏を超えて何も知らない地球人の人工衛星を掠った。黒炎は瞬く間に燃え広がり、人工衛星は塵も残さず焼失した。これが黒炎を浴びた物体が辿るべき末路である。ドゥルのように生身で耐え抜いたり、監視衛星のように只中を直進し続けるなど、本来ありえないことなのだ。

 腹に溜めた魔力が底を尽き、クリーズは黒炎を吐き切った。黒炎が散ると、クリーズの僅か二百メートル上に緩やかに落ちる監視衛星が見えた。重力で落下してはいるが、噴射は止まっている。

 見かけ上、全くの無傷であったことはクリーズの自信に亀裂を与えたが、彼はそれを誤魔化すように、大きな口を歪めて笑みを浮かべた。

「ハッ! どうだ! ちょっと焦ったけどな!」

 あとは病院から軌道をずらすだけだ。尻尾でかっ飛ばして星にしてやる。クリーズは横目に監視衛星を観察し、タイミングを待った。



 戸科下市 ゲームセンター紅蝶


 筐体のディスプレイに、体ごと旋回して尻尾を鞭のように振ろうとしている黒いドラゴンが映っている。土方は六つの目のうちの一つを開け、ドラゴンが映っている筐体の前まで椅子ごと移動した。キャスターがキイキイと鳴り、脳に繋いだケーブルの数本が床から浮いて張った。

 徐々に近づくドラゴンの神々しくも禍々しい芸術的な姿を眺め、拳を振りかぶる。

再点火もういっかい

 土方は筐体のボタンを強く叩いた。



 戸科下市 上空


 唐突に、監視衛星の底面が火を噴いた。傾いていた姿勢が垂直に戻り、一気にマッハ三毎秒約千メートルの速度で落下を再開する。

「はぁッ!?」

 尻尾を紙一重で躱し、監視衛星はクリーズの脇をすり抜けた。再計算された軌道に沿って角度を修正し、戸科下市立病院を目指す。

「待ちやがれぇッ!」

 クリーズは即座に監視衛星を追った。重力が味方する分、加速がし易いため追いつける見込みがあった。それに、この速度ならまだ横から殴打して軌道を逸らせる。せめて、病院への直撃だけは回避できる。

「うぉぉおおお!」

 地上がどんどん近づいて来る。くそ、まずい。クリーズは尻尾と翼から黒炎を噴いて加速した。

(もう少しだ!)

 クリーズが伸ばした手が触れようとしたその時、監視衛星はぴたりと止まった。

「な!?」

 地上五百メートル。

 土方が設定した通りの高度だった。



 激しく殴り合っていた飛蛾とフォルゥは、強烈な悪寒を感じて空を仰いだ。まさに、監視衛星が停止する瞬間だった。

「はは」

 飛蛾はすっかり脱力し、渇いた笑い声を出した。

「ほら、早く起きろよアサルト星人。全部、ぶっ壊しちまえ」

 監視衛星のパネルがバラバラに散り、閃光が煌めいた。

 呆然とするフォルゥの瞳に映る空が、赤く染まった。

「あ」フォルゥがぽかんと口を開けた。


 数瞬後、爆風が何もかもを吹き飛ばした。



 

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