第40話 飛蛾VSフォルゥ
フォルゥの目から見ても、飛蛾が人間でないことは明白だった。目を留めたのは脚。
腿から先が人の形ではない。乳白色の表皮に、鋭い爪。関節を露出した細いフォルム。硬度を感じさせる質感は、昆虫の外骨格に似ていた。
「エイリアンのお仲間なのだ?」
飛蛾が指先で弄んでいる生首は、間違いなくルアトネク本人だった。臭いでわかる。フォルゥは得心した。生首と血で自身の臭いを消し、ルアトネクの胴体が病院に突撃するタイミングで接近したようだ。
(そうは言っても……なのだ)
臭いを誤魔化すだけでは、フォルゥの研ぎ澄まされた危機察知能力を掻いくぐることはできない。蜂尾が相手でも五キロメートル圏内に近づいた時点でフォルゥは察知していた。しかしこの女はどうだ。気配を一切悟らせずに接近し、間合いは百メートルにも満たない。
(ルッくんが無傷で負けるとは思えないのだ。たぶん不意打ちなのだ。傷の向き的に、後ろから一撃。……
ルアトネクも決して油断はしていなかったことだろう。が、おそらく冷静でなかったことも想像に難くない。鎧の内に激情を隠してはいたものの、師を奪われた彼の憤慨は計り知れない。蜂尾への殺意で曇ったその死角を突かれたのだ。
「ルッくん……喧嘩強いのに熱くなると周りが見えなくなるとこまで、ガル坊に似なくていいのだ」
フォルゥは柵から降り、飛蛾と正対した。こちらに歩いていた飛蛾が足を止める。フォルゥは飛蛾の異形の足とルアトネクの首の断面を見比べた。
不意を突いたからと言って、ルアトネクは容易に仕留められる戦士ではない。飛蛾はハイレベルな隠密力に加え、鎧ごとルアトネクの首を刎ねる必殺の威力を有しているのだ。
(ガル坊の仇とはまた違ったタイプの……どっちかと言うと、フォルゥに近い感じなのだ?)
筋力か、技か。その両方か。
フォルゥは爪で氷面を掴み、獲物を狙う獣のように体を前傾させた。丸く見開かれた双眸が、じっと飛蛾に集中した。
「……」
飛蛾もまた、フォルゥのことを観察していた。
(あっれ~先輩の言う通り臭いに気ぃ遣って近づいたのにぃ~バレちゃった。ケンタウロスは殺れたからこのロリもサクッといけると思ったのに)
危機察知力が異常に高いという蜂尾の話は本当だったらしい。
(欲かかないで先輩のとこチョッコーした方が良かったかな。いや、それでもどうせ見つかったかー)
ただ敏いだけではないことにも、飛蛾は勘付いていた。仮に不意打ちができたとしても、フォルゥを一撃で仕留めるのはルアトネクより至難だ。飛蛾に気づいてから戦闘態勢への移行が光の速さだった。それは構えや目つきではなく、毛の動きに現れる。飛蛾が屋上に登った直後に、フォルゥの髪は微かに起き上がったのだ。
(一撃当てても……いなされるなーこれは。五体満足の状態で
洗練された戦士というより、獣。フォルゥの機敏さと猛々しさは、まさに獣のそれだ。
(どーしよっかなぁ~)
足元にちらっと目をやる。土方曰く、蜂尾の反応は地下にある。ご丁寧に生き埋めにされてしまったようだ。少しざまあみろと思ったが、事態は芳しくない。二人相手にしている監督官の方はかなりの被害が出ている。この病院も既に大惨事だ。
事態の悪化速度が速い。バリアで囲んでいるとは言え、被害をいつまでも市内に留められる保証は無い。異世界人が被害を広げた分だけ、隠滅のために抹消される街や人が増える。
日本列島を沈める羽目になるくらいなら、早々に戸科下市を放棄した方が犠牲は少なく済む。そうなった時、監督官から実行を命じられるのは蜂尾だ。アサルト星人ならば、異世界人を街ごと消し飛ばすことができる。
いつでもその最悪のカードを切ることができるように、蜂尾には自由の身で居てもらわなくてはならないのだ。そうでなくとも、異世界人が何体居るかわからない現状、蜂尾不在による戦力の損失は大きい。
(とりあえず氷砕けば動けるようになるだろうケド……)
飛蛾はルアトネクの首を真上に放った。くるくると回転する首が、到達点から落ちて来る。飛蛾とフォルゥは歯を見せて微笑み合い、互いから目を離さなかった。
「ヒヒ」
「ふふ」
二人の間にルアトネクの首が割り込んだ瞬間、飛蛾はその首を蹴った。兜が甲高い音を立て、フォルゥ目掛けて一直線に飛ぶ。飛蛾は軸足で氷面から跳び、フォルゥの眼前に迫ったルアトネクの首に追いつくと、その陰から強烈な回し蹴りを見舞った。
「ヒャオッ!」
フォルゥは素手でルアトネクの首を受け止めた。飛蛾の蹴りとフォルゥの掌にサンドイッチされたルアトネクの首は、兜ごと四散した。
氷面に爪と踵の轍を刻みながら後退し、フォルゥは背中で柵を破り落下する寸前で停止した。ルアトネクの血と脳漿で濡れた手で、フォルゥは飛蛾の足を掴んでいた。
「ヒュウ♪ すっげー、素手で止めやがったよ」
「なんて言ってるわかんないけど、顔でなんとなーくわかるのだ。お前もすっごい蹴りなのだ。ただの蹴りで退いたのなんて久しぶりなのだ」
フォルゥに掴まれた足がミシリと軋んだ。「ッ!」
飛蛾はインセクト星人特有の歯車型の股関節を回転させ、密着状態からフォルゥの手を蹴った。
「うえっ!?」
血が潤滑油となり、足がフォルゥの手から離れる。飛蛾の硬い表皮を、鋭い爪が削った。
(すッげぇ握力……! 握り潰されるかと思った!)
(あそこから蹴れるのだ? なんか体の造りが全然違うのだ。ビックリ生物なのだ~)
軽やかに、しかし素早く踏み出したフォルゥが、後退にする飛蛾に距離を詰めた。フォルゥが繰り出したストレートパンチを、飛蛾は正面から蹴りで受けた。
「うお……ッ」
飛蛾は屋上の外まで一気に殴り飛ばされた。渡り廊下を跨ぎ、入院棟に着地する。フォルゥを見ると、既に飛蛾の方へ走り出していた。飛蛾は助走も無く、フォルゥの側へ跳んだ。
(なんとかして……氷を砕く隙を作らないと〜な!)
渡り廊下の上空で、飛蛾の蹴りとフォルゥの拳が衝突した。周囲に広がった衝撃波が、病棟の外壁の氷を砕いた。建物の破片とともに、氷像と化した人間の破片も庭へ落下していく。
「ホルゥャアイ!」
飛蛾は腰を百八十度まで捻って空中で旋回し、フォルゥを真下へ蹴り落とした。フォルゥは渡り廊下を破壊して地上に難無く着地すると、頬を膨らませて飛蛾を仰いだ。
「人狼魔法『
フォルゥの白い息吹から、全身が氷で形成された狼が生まれた。都合三匹の氷の狼はミサイルのように飛翔し、飛蛾に襲いかかった。
「んなのありかよッ!」
最初に飛びかかった狼の脳天を踵落としで粉砕し、それを踏み台にして二匹目の狼の横っ腹を蹴破る。三匹目が噛みつきかかったところを、口内に手を入れて下顎をもぎ取った。
「あっ!」
三匹目の狼の陰から、フォルゥがひょこっと現れた。咄嗟に十字受けした飛蛾に、フォルゥの強烈なヘッドバッドが炸裂した。飛蛾は氷城と化した入院棟の壁やベッド、そこに寝そべる人の氷像を砕き、対面の外壁まで突き抜けた。
「くぅ~! きっちぃなぁ~」
飛蛾はルアトネクの死体が眠る裏庭に着地した。フォルゥの頭突きを受けた両腕は綺麗に折れていた。
(先輩を捕まえるだけはあるじゃ~ん。見かけによらず
フォルゥが病棟を遠慮無く破壊している点は、蜂尾が地下に居るという情報の裏付けと見てよさそうだ。土方によればかなり深いらしいが、氷自体の破壊は容易そうである。魔法の効果なのか確かに地球の氷よりも硬い気がするが、飛蛾の蹴りの前では大差無い。何よりの問題は、蜂尾の解放を絶対に阻止するであろうフォルゥだ。
飛蛾はルアトネクの死体を横目に見た。
(さっき生首普通に潰してたし……仲間の死体を使っても隙は誘えなさそうだなぁ)
折れた腕を噛んで元の位置に戻し、再生を急ぐ。ものの数秒で接合が済むと、飛蛾は擬態のために被せていた人工皮膚を両腕から剥ぎ取った。
足と同じ乳白色の外骨格に覆われた腕が露わとなる。飛蛾は爪で頭に傷を作ると、そこから細長い触角を出した。
「ヒヒ、ちょっと滾ってきたナァ」
舌なめずりする飛蛾の下顎は二つに割れ、口内には四つの小さな顎がカタカタと蠢いていた。針のように尖った爪を目に刺し、コンタクトを除く。網目状に分かれた彼女の眼球は、いわゆる複眼である。
「あれ、つーかあいつ全然襲って来ないな。すぐ飛んで来ると思ったのに」
頭突きで飛ばされてから既に十秒経っている。フォルゥなら一秒もかけずに飛蛾を殴りに来るはずだ。あちらもあちらで、あくまで飛蛾の抹殺ではなく檻の防衛に徹するつもりなのだろうか。
「お、来た来た……あれ?」
入院棟の屋上から顔を出したのはフォルゥではなかった。しかも一つや二つではない。先ほど迎撃したものと同じ氷の狼が、屋上の縁にずらり。さらにほぼ全ての窓にも氷の狼が顔を覗かせ、一様に飛蛾を注目した。既に百匹は優に超えていたが、まだ居た。入院棟の両脇から裏庭に迂回して来た氷の狼の大群、ざっと三百匹か。
「わぁ~お。何してるかと思ったら、これ作ってたのか」
フォルゥ本人が姿を現さないあたり、作戦が徹底している。
「時間稼ぎ? それかスタミナ削りに来てるのか……やり方が賢いなぁ、あのロリ」
入院棟の向こうから、フォルゥと思しき甲高い遠吠えが響き渡る。それを合図に、屋上や窓から氷の狼が飛び降り、地上の狼は全力疾走で、飛蛾に一斉に襲いかかった。
「可愛い遠吠えしやがって!」
あっという間に囲まれ、全方位から狼が飛びかかって来た。飛蛾は第一陣を回し蹴りで散らし、着地前にもう一回し蹴りして第二陣も破った。
「悪くない、悪くない戦法だねぇ。でも~これじゃあ駄目かなー」
背後から突進して来た狼を躱し、脳天を肘打ちで砕きつつ、横に居る狼を掴んで前に居る狼に投げつけ、足に噛みつきかかった狼を踏み潰す。
「こ~んな雑魚じゃあ何匹居ても、うちのガス欠まで一か月はかかるよ~」
屋上や窓からは滝のように、病棟の陰からは激流のように、狼の群れが次から次へと雪崩れ込む。間断無く殺到する狼を、飛蛾は蹴りと拳で一匹ずつ確実に捌いた。
膝の外骨格は鈍器のように硬く、狼を易々と粉砕した。足の指と踵のスパイクは見事な切れ味でその首を刎ねた。掌に生えた微細な棘は滑らかな氷面を掴んで逃がさず、拳の装甲は牙もろとも狼の顎を砕いた。
飛蛾の精密機械の如き正確且つハイスピードの戦闘をコントロールしているのは、触覚と複眼、そして体毛のセンサーだった。移住に際して環境に適応する改造を受けた飛蛾の感覚器官は、故郷に居た頃と遜色無い機能を発揮した。
触角は主に熱と臭いを感じ取る。もっとも、氷の狼は温度が低いうえ臭いが周りの氷と同じであるため、触角はフォルゥの接近を報せる警報装置の役割を担った。複眼は目まぐるしく動く戦況を正確に見極める。うなじや露出した脚の微細な毛は空気の動きを機敏に感じ取り、後ろに目が付いているかのような察知力と反射速度を実現した。
体に備わる全ての機能が生存戦略であり、合理性を追求した進化の到達点。そして生存するための能力とは、即ち、戦いを勝ち抜くための武器に他ならない。
「因果なもんだなぁー」
無限に湧く狼の群れを蹴散らしながら、飛蛾は自嘲するように呟く。
「なんでうちが……アサルト星人なんか助けようとしてんだか」
戦うための進化を遂げたという点では、彼女は――彼女の星を滅ぼした
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