第39話 監督官VS四天王Ⅱ

 尻尾を地面に刺してブレーキをかけ、ドゥルはクラウチングスタートのポーズで着地した。手順に沿って腰を軽く上げ、まだ空中を漂っているクリーズを見据える。

『俺が異端であることは認めよう。あちこち改造しているからな、もはや純粋なレプティリアンではない』

 人間のスタートダッシュと異なったのは、ドゥルには三本目の優秀ながあったことだった。

『星一つ守るには、それくらいしないと務まらないのだよ』

 脚力と尻尾で地面を蹴りソニックブームを穿つや、ドゥルは瞬く間にクリーズに肉迫して顔面に貫き手を打った。

「!」

 ドゥルの貫き手はクリーズに噛みつかれ、口腔内で止まっていた。針のように尖った牙はドゥルの鱗に刺さりこそしなかったものの、その咬合力は前後左右いずれに動かすことも許さなかった。

 クリーズが両腕を広げ、爪に黒炎を纏った。ドゥルは尻尾を顔に巻き付けて防御姿勢を取った。

「黒龍魔法『骸狩りブラック・クロウ』!」

 手に噛みついたまま、クリーズはドゥルを猛烈に殴りつけた。ドゥルは赤外線感知ピット器官で黒炎の熱を感じ取り、片手と足でクリーズの爪を捌いた。

 黒煙を纏った爪のマシンガンのような刺突の嵐は、二人が地面に落下するまで続いた。

「フぅぅン!」

 着地したクリーズは背筋力で大きく仰け反り、ドゥルを背後の地面に叩きつけた。直立姿勢で着地したドゥルは、切り裂かれたネクタイに目を落とした。

『貴様、俺のネクタイを』

「ヌゥゥン!」

 腹筋で上体を起こして顎を放し、クリーズはドゥルを前方へ投げ飛ばした。尻尾でバランスを取りながら体勢を立て直し、着地に備えたドゥルの真後ろに――突如、弓を引いたアッズが現れた。

(! テレポート!?)

「魔王軍式魔法・禁呪『収束圧殺グラビティ・ボム』」

 音速で放たれた矢がドゥルの背に迫る。ドゥルは反射的に尻尾で矢を打ち払おうとしたが、接触した瞬間に矢尻が黒い球体に変化した。強い既視感が、ドゥルの肌を刺激した。

(ブラックホールか!?)

 アッズがテレポートで消える。クリーズは背中から翼を生やし、上空へ避難していた。

 黒い球体はブラックホールと酷似した性質を発揮した。強烈な重力を発生し、ドゥルを吸い込む。剥がれた地表や一帯の瓦礫が次々と引き寄せられ、ドゥルを巻き込んだ歪な塊が出来上がった。

「アッズ!」

 クリーズは声を張った。

「野郎はとんでもねぇタフだ! あれくらいじゃ死なないぜ!」

「わかっている」

 アッズの声がしたのはクリーズよりも高い高度からだった。ドゥルを閉じ込めた瓦礫の塊の直上、数百メートル。弓に番えた矢は真っ赤に発光し、ボコボコと泡立っていた。

「げっ!」

 クリーズが慌ててアッズと同じ高度まで飛ぶ。瓦礫の中からドゥルの片手が飛び出したその時、アッズが放った燃え盛る矢が一直線にそこへ落ちた。

「魔王軍式魔法・禁呪『大地の血液ボルケーノ・インパクト』」

 炸裂した矢から夥しいマグマが飛散し、瓦礫の塊を溶かす。かつての住宅街は、一瞬にしてマグマに呑み込まれた。

「……」

 飛行魔法で停空するアッズの隣に、クリーズが並んだ。

「禁呪を連発するたぁ、おっかねぇ女だ」

「君の黒龍魔法ブラック・シリーズも禁呪と同じようなもんだろう」

 アッズは瞳に魔法陣を灯し、マグマの海を見下ろしていた。透視魔法を使った彼女の目には、マグマの中で動くドゥルの姿がはっきりと映っていた。

「奴は俺の黒炎にも耐える。マグマじゃ溶かせねぇぞ」

「そのようだな」

「そこらのドラゴンよりよっぽど頑丈だぜ」

「弱点でもあればと思ったんだがな」

「……そういや、奴ぁさっき顔をガードしてたぜ。ガードするってこたぁ、弱ぇ部分があるってこった」

「顔か……」

 マグマが盛り上がり、ドゥルが立ち上がった。頭に被ったマグマをまるで水か何かのように払い落とす。着衣は全て焼き朽ちていたが、彼自身は健在だった。

 掌で顔を拭い、ドゥルは大きな目をぎょろりと開いた。

「よくも俺のスーツを」

 マグマが光の粒子に変わり、あっという間に雲散霧消する。どうやら魔力で実体化させたものらしく、魔法を解けば消滅するようだ。魔法の痕跡が無くなるという点ではありがたいが、その傷跡は深々と残る。ドゥルの周りは、地球人の営みの痕跡が一つも無い焦土と化していた。

「……見覚えのある景色だ」

 ドゥルは尻尾の先を頭上に構え、呟いた。

「アトランティスの二の舞は避けねばな」

 アッズが新たな矢を生成し、弓に番えた。弦を引いた瞬間、アッズがドゥルの眼前にテレポートした。文字通り、眼球の前に矢尻が突きつけられる。

(こいつのテレポート……“溜め”が無い! 蜂尾が見た二人のテレポートとは違う!)

 マッハの矢がゼロ距離で放たれる。ドゥルは尻尾で矢をキャッチしたが、矢尻が左目に突き刺さった。貫き手を放つとアッズはテレポートで消え、ドゥルの上にクリーズが降って来た。

 黒炎を纏った巨大な爪が殴りかかる。ドゥルはそれを両手で受け止め、足を地中に沈ませながら耐えた。

「!」

 ドゥルの真横にアッズがテレポートし、矢を射った。正確に右目を狙った矢だった。ドゥルは脚の筋肉を盛り上がらせると、地面を吹き飛ばしてその場から消えた。

「おっと!」

 クリーズのすぐ足下を通過した矢は、焦土の先にある街を数キロに渡って貫いた。破壊された家屋の瓦礫や、ソニックブームに巻き込まれた住人がバラバラになって宙を舞う。

「フハハ! とうとうな! レプなんたら!」

 笑い声を上げるクリーズがアッズの隣に停空する。数百メートル先まで逃げたドゥルを見据え、アッズは得心したように言った。

「やはり目は弱いか。粘膜が弱点なら、口と肛門も試してみようか」

「名案だぜ、アッズ。ケツからはらわたを引きずり出して、リザードマンと似てるかどうか比べてやろう」

 ドゥルは左目に刺さった矢を尻尾で掴み抜いた。矢は程なく粒子になって消えた。眼窩から血を垂れ流したまま、彼は得物を手入れするような真剣な眼差しで自分の肢体を眺めた。

(……そろそろだな)

 鼻腔を広げて深く息を吸い、ドゥルは低い唸り声を吐いた。

「フゥゥウウウウ……」

 屈んだドゥルが小刻みに痙攣し、鱗に血管がくっきりと浮かび上がる。右目が血走り、左の瞼の隙間から血が噴き出す。だらりと垂れた舌から唾液が滴った。

「ハァァァギギギィィィィイイイイ」

 ドゥルの奇妙な挙動に、クリーズは怪訝な顔をした。

「何してんだあいつ? 糞でも出すのか?」

「その汚い発想はドラゴン特有か? それとも君の癖か?」

「え?」

 アッズは鋭い目をした。様子がおかしいのは確かだ。あれは普通ではない。目に見えない彼の輪郭が、気配と言う名の輪郭がみるみる膨張していくのを感じる。硬い鱗の中に隠された、見かけの体格を遥かに上回るパワーがその片鱗を見せようとしているのだ。

「気をつけろ」

「ん?」

 アッズは弓を下ろし、腰の剣に手を添えた。

「奴はこちらの手の内を読んでいた。敢えて受けていたのは力量を見るためだろう」

「そうかぁ? まだまだ底なんか見せたつもりぁ無ぇけどな」

「感じるものだよ。君だって、戦わなくとも魔王様には勝てないとわかるだろう?」

「……そりゃあ、まあ」

「今までの短いやり取りの間に、私たちの戦法や些細な癖まで全て観察されていた。そして経験則に当て嵌め、推し量った」

「俺たちと戦り合いながらか? んなこと考えてる暇あったか?」

「奴は見た目より恐ろしく賢い。君もわかるだろ? 初見の魔法にも一切怯まず対応して来た。戦い慣れてるのさ。それも百年や二百年の練度じゃない。下手したら……私や君よりも戦歴は上だ」

「冗談きついぜ」クリーズの顔は笑っていなかった。「兄貴を討ち取った一味なだけはある、ってことか」

 アッズが抜いた剣は髑髏の形をした鍔が剣身を吐き出しているように見える、禍々しいデザインだった。

「奴も、私たちも。互いに気づいたのさ。……手加減できる相手ではないとな」

 体内で何かが暴れているかのように、ドゥルの体表が蠢いた。ドゥルは踊るように体を前後左右に振り回された。体じゅうから骨折に似た音や、ぐちゃぐちゃと何かが掻き混ぜられる不快な音が鳴った。

「骨格補強……関節移動」

 うなじから尻尾の先までさざ波が起こる。涙を流して目を泳がせ、ドゥルは震える口で言った。

「副心臓、心拍開始……血流加速。予備脳思考開始。細胞変異……安定」

 暴れ狂っていた体が唐突に鎮まった。深々と息を吐いて背筋を正し、ドゥルは涙や唾液でびっしょり濡れた顔を拭った。

「アッズ」

「ああ」

 散々騒いでおきながらドゥルの外見には全くと言っていいほど変化は無かった。しかしその実、彼の放つ殺気が何倍にも膨れ上がっていることを、アッズとクリーズは見抜いた。

「来るぞ」

 アッズはドゥルがすぐ目の前に居るかのように――数百メートルの間合いなど無に等しいかのように――剣を構えた。

 ドゥルが言った。

ウォーミングアップは終わりだ適応完了



 戸科下市 戸科下市立病院


 エイリアンの妨害などで応援がすぐに駆けつけられないなど、不測の事態はいくつも予想できた。応援が到着するまでの間、フォルゥは蜂尾を病棟の地下深くにある黒森のラボに封印していた。もし解凍してもすぐには地上に出て来られないよう、分厚い氷を何層にも重ねて念入りに蓋をする。

「よし! できたのだ~。あとは待つだけなのだ。誰が来るのかなぁ?」

 フォルゥは氷城と化した病棟の屋上で待った。ここなら応援をすぐに見つけられる。

「ま~だっかなぁ~。ま~だっかなぁ~」

 バランスを取りながら柵の上を歩く。退屈凌ぎに、フォルゥは人間界の風景を眺めていた。整備された道に、綺麗な家。異様に背の高い建物。狭い場所にぎゅっと密集した人間の気配。

「ここがレイちゃんの居た世界かぁ」

 柵に腰かけて足をぶら下げ、フォルゥはくすりと笑った。

「マオくんも意地悪なのだ。元居た世界を壊させるなんて。身内に厳しいのは昔から変わらないのだ。……もしかして、次期魔王候補だから試してるのだ?」

 耳がピクンと反応し、フォルゥは逆上がりして柵の上に立った。やたらと騒がしい足音が聞こえる。音のする方に目を凝らすと、瓦礫と粉塵がここへ向かって一直線に巻き上げられていた。

「あ! あれはルッくんなのだ!」

 ルアトネクが街を踏み荒らしながら疾走して来る。おそらくアッズとクリーズが、仇討ちを切望する彼に気を利かせたのだろう。腕も充分だ。彼がガルズから受け継いだいかづちの魔法なら、蜂尾を木端微塵にできるかもしれない。

「……んん?」

 徐々に近づくルアトネクの姿を見て、フォルゥは眉をひそめた。

「あれ? ルッくん、頭はどうしたのだ?」

 ふらふらと揺れながら走るルアトネクには、首から上が無かった。

 鮮血が溢れ出す首鎧の中に、切断された脊椎と咽喉が見える。彼はコントロールを失った自動車のように、減速することなく病棟に突っ込んだ。

「……ありゃりゃ」

 氷漬けにされた病棟の一階を粉砕して裏庭まで突き抜けると、ルアトネクは躓いて転んだ。氷面の上を暫く滑りやがて止まった彼は、ぴくりとも動かなかった。

「……」フォルゥは小さな声で言った。「へえ」

 柵に足をかけて後ろにひっくり返ると、逆さまになった視界に一人の若い女が見えた。対面の柵に寄りかかり、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべている。

 その女――飛蛾はフォルゥの方へ歩き出す。彼女はルアトネクの生首が入った兜を、指先でボールのように回転させた。

「はぁ~い♪」

 飛蛾は陽気に言った。

「起こしに来ましたよぉ、蜂先パ~イ♡」

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