第38話 監督官VS四天王Ⅰ
鎧を着たケンタウロスが猛ダッシュで黒緑山から離れて行く。その凄まじさたるや、まるで最高速度の新幹線が街に解き放たれたかのようだった。
ドゥルは電柱の上から、走り去るルアトネクを眺望した。彼の経路は、舞い上がる粉塵と瓦礫ではっきりと見て取れた。
「あの方向……病院か」
ルアトネクは進路にある建造物を全く意に介さず、戸科下市立病院への直線距離を取っていた。障害物は例外無くタックルで破壊していく。速さは新幹線でも、走るだけで街を蹂躙していくその様はブルドーザーだった。
「あちらも増援を送ったか……」
目的は蜂尾か。病院に居る敵が仲間を呼んだのか? 救助が必要な負傷をしたか、それとも凍らせるだけでは蜂尾を倒せないと気づいたのか。
(彼らも何らかの通信手段を有しているのか? ……まあいい。相手方から分散してくれるのは好都合だ)
同じく戸科下市立病院へ向かっている飛蛾に通信を繋ぐ。
「飛蛾」
『あい、何すか?』
「敵が一体、そちらへ向かった。ケンタウロス型だ。挟まれる前に、ケンタウロス型から始末しろ」
『蜂先輩は後回しでいーんすかぁ?』
「一対一で
『了解ーっす。監督官はぁ?』
「残りの二体を相手する。敵を街から出すなよ。被害が広がれば、永住権は無しだ」
『わぁーってますよ。了ー解、りょーかい』
黒緑山の方から振動がし、何かが空高く飛び上がった。体格の良いシルエットが太陽に重なり、ドゥル目掛けて落ちて来る。ドゥルは瞳孔を極限まで縮めて光を絞り、日光に紛れる敵の姿を捉えた。
「ただの跳躍でその高さか。驚異的だな」
角と尾のある体長三メートルの大男――クリーズだ。右腕が急激に肥大化し、黒い鱗に覆われた爬虫類のような腕になった。着地に合わせ、クリーズは巨大な腕でドゥルに殴りかかった。
「ウォォラァァァァアアアアアアッ!」
「ふむ」
電柱が弓なりに曲がった末に折れ、ドゥルとクリーズは路上に落下した。アスファルトが深く窪み、衝撃波で周囲の民家が吹き飛んだ。
クリーズが眉を上げた。
「なにぃ!?」
ドゥルは尻尾でクリーズの巨大な拳を受け止め、クレーターの中心に直立していた。その両手は、未だにポケットの中である。
(こいつの尾……鋼鉄? まるで
硬さもさることながら、ドゥルの尻尾の筋力は尋常ではなかった。張るでも丸めるでもなく、無造作にしならせた状態でクリーズのパンチの威力を完全に殺していた。その尻尾の筋力を支える足腰は、その数段上の強靭さだ。
「ハッ! 今さら驚かねぇけどな。もっとほっそいフォルゥの姐御の方が、力は強いぜ」
『フォルゥの姐御とは、あの弓を持った女のことか?』
「な!?」
クリーズの頭の中に低い声が響いた。ドゥルの声だと、彼は直感した。
(頭に声が? 気持ち悪ぃな!)
クリーズは片足を軸に旋回し、尻尾でドゥルを殴打した。ドゥルは自分の尻尾でクリーズの尾を防いだ。衝撃の余波が、ドゥルの背後にある民家の瓦礫をさらに細かな塵芥にした。
『その尻尾、俺と親近感があるな。お前はリザードマンか?』
「リザードマンはてめぇだろ!」
『そっちの世界には本当にリザードマンが居るのか。似たようなものだが、俺はレプティリアンだ』
「レプ……なんだって?」
ドゥルの尻尾が独立した生き物のように俊敏に動き、クリーズの目を突こうとした。クリーズは大剣のように鋭く巨大な爪で地面を掴み、自分を後方へ投げ飛ばした。ドゥルの刃物のように鋭利な尻尾の先端が、クリーズの眉間を浅く裂いた。
三十メートルほど距離を置き、クリーズはドゥルを観察した。喋っている間、ドゥルは口を動かしていなかった。やはり奴の声は、頭の中に直接響いている。
「妙な術だ。思念魔法に似ているな」
『こっちの世界ではテレパシーと言う』
「俺たちの言葉を、何故話せる?」
『話せるわけではない。俺の意思を君が最も馴染みのある言語として
「あんまり言ってる意味がわかんねぇな」
『お前はこの世界の言葉を話せないのか?』
「あ? 話せるわけねぇだろ」
予想通り、異世界人はこの世界の言語を知らない。蜂尾が対話したあの白髪の少女だけが異端なのだ。逆に何故、あの少女だけ日本語を話せたのかはわからないが、その謎は後でいい。
ドゥルは考えていた。異世界人と交渉ができるとしたら、それはテレパシーを使える自分しか居ない。惑星保護官は
ドゥルはテレパシーで話しかけた。
『これは要求と言うより、警告だ』
「あァ?」
『今すぐ全軍を撤退し、向こうの世界へ帰れ。そして二度とゲートを開けるな』
「要求じゃねぇか。そいつぁ、無理な相談だぜ」
『お互いのためでもある。異世界の行き来はいずれ破滅を生む。前例がある』
「破滅だぁ?」
『この世界も、君たちの世界も滅びるぞ。仲間と故郷が惜しいなら、ただちに去ることだ。それが最も損害を出さずに済む。俺たちにとってもな』
「だぁ~れがそんな胡散臭ぇ脅迫を聞くんだよ」
『もしや、移住が目的か? 向こうの世界は既に住めない環境なのか?』
「いや、別に?」
首をゴキリと鳴らし、クリーズは殺意の眼差しを向けた。
「俺たちはただ、
「……」
ドゥルの瞳孔が狭まる。
『移住でも、植民地化でも無く。滅亡が望みだと?』
「そう、それそれ。人間は一匹残らず皆殺しだ。こっちからも一つアドバイスしておくと、俺らの獲物は人間だけだから、てめぇみたいなよくわからん亜人は対象外だ。邪魔しねぇなら殺してやらねぇでもいいぞ」
『却下する』
「ま、条件はあるけどな……一つだけ」
『却下――』
クリーズが地面を尻尾でバシィンと叩き、百メートルに渡る地割れを起こした。
「
(蜂尾のことか……)
「それとも……てめぇも兄貴殺しの一員かァ? リザードマン」
『レプティリアンだ』
ドゥルは深いため息を吐いた。彼は地球人が叡智を結集した最新のスーパーコンピュータを凌ぐ明晰な頭脳に、数万年に渡る経験と知識を有していたが、
本気で仕掛けて来た
『……そうか。そうだよな』
星が星を滅ぼし、星に滅ぼされるのを見て来た。数え切れないほど。ドゥルが属する銀河は、とうの昔に結論を出していた。
全く異なる知的生命体同士は、わかり合うことはできない。例え同族であっても、個体が二つ以上居れば争いは起きる。
『わかった。よくわかった』
故に、惑星保護法ではこう決められている。侵略者と見なせば、警告無く排除していい。交渉の努力など無意味だと、明言されているのだ。
星が違うどころか、世界が違う相手との和平など。望むべくもない。そのうえ、相手が望んでいるのは人類の滅亡だ。
残念だ。人類を滅ぼす、その言葉を聞いて――我々は、一歩も退けなくなってしまった。
守るべき者を、殺してでも守るのが
『交渉は決裂だ。では、殺し合うとしよう』
ポケットから手を出すと、ドゥルはネクタイを緩めた。クリーズの瞳がボッと燃え上がり、体格が一回り大きく膨らむ。
クリーズの頭の角が倍以上の長さに成長し、人の原型を留めていた顔がドゥルのように、爬虫類のように変貌した。目は大きくなり、口は頬まで裂けて牙が伸びる。肌にはうっすらと鱗模様が浮かんでいた。
(こいつの正体……まさか)
アスファルトが陥没し、クリーズが消える。斜め後方から襲いかかったクリーズの巨大な拳を、ドゥルは一歩も動かず尻尾で受け止めた。再び起きた衝撃波が瓦礫を吹き飛ばし、辺り一面が更地になった。
「フッ! 避けもしねぇとはな!」
『攻撃は受ける主義だ。地球に被害が出るんでな』
クリーズの口が歪み、凶悪な笑みになった。
「ヘェ。じゃあ、これも受けてみるか?」
まだ人の形をしているクリーズの左手が発火した。炎が細長く伸び、穂が螺旋状のドリルのような槍になった。
(ほう)
火を武器にするくらい、今さら驚かない。ドゥルが注目したのは、火の色だった。
光を吸い込むような、漆黒。宇宙を思わせる黒さ。黒過ぎて視認できず、周囲の景色と比べて見えないことで存在がわかるほどの、摩訶不思議な炎だった。
(化学反応ではない……真の黒炎。これが魔法か!)
トン単位のパワーでドゥルを押さえ込みつつ、クリーズは黒炎の槍を投げつけた。
「黒龍魔法『
ほぼゼロ距離で投擲された黒炎の槍を、ドゥルは掌で真っ向から受け止めた。槍が穂先から潰れ、黒炎がドゥルの指の隙間から漏出していく。クリーズの投擲力とドゥルの掌の硬さで削られた黒炎は、一秒ともたずに消滅した。
「なにぃ……!?」
煙を上げるドゥルの掌は、全くの無傷だった。
『受ける主義だと言っただろ』
ドゥルが拳の前から尻尾を抜き、クリーズの体勢が右にガクンと落ちた。気づくと、ドゥルは蛇のようなしなやかさでクリーズの懐に踏み入っていた。
『お前の鱗はどうだ?』
鋭い爪を揃え、ドゥルはクリーズの腹に貫き手を叩き込んだ。金属同士が衝突したかのような甲高い衝撃音が鳴った。ドゥルは細い舌をちろっと出した。
『なかなかだな』
「てめぇもな」
左腕を巨大化し、クリーズは両手を握り合わせてドゥルの脳天に振り下ろした。小さめの隕石ほどの威力を予想したドゥルは、上段回し蹴りに酷似したフォームで尻尾を振り、クリーズの拳を打ち返した。
尻尾と拳が激突すると、大気の割れる音が鳴り響いた。大地を割るつもりで振り下ろした拳を相殺され、クリーズは軽く宙に浮いた。ドゥルは地面を転がって反動を逃がし、すぐさま立ち上がった。
「スゥゥゥゥウウウウウ」
「!」
クリーズの胸が風船のように膨らむ。ドゥルは咄嗟に、同じように息を吸って肺いっぱいに空気を溜めた。レプティリアンには胸骨が無く肋骨が開くため、獲物を丸呑みした蛇のように胴体を膨らませることができる。
「魔王軍式魔法『
クリーズが空気砲を放つと同時に、ドゥルは急激に肺を収縮させ、息を吐いた。
「AAAAAHッ!」
双方の空気砲が正面衝突した。分散した風圧により、ドゥルとクリーズは互いに吹き飛ばされた。
(蜂尾が交戦したケルベロスと同じ魔法か? 威力が段違いだぞ……!)
記録で見たケルベロスの空気砲はショットガン程度だったが、クリーズの放った空気砲は大砲並みの威力があった。
(使い手が違うと魔法の威力も変わるのか)
クリーズはドゥル以上に驚かされていた。肺に溜めた空気を風の魔法で発射したクリーズに、ドゥルは単なる肺活量で対抗したのだ。
「なんて体してやがる……『
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