第31話 狼煙

 頭上をヘリが飛び過ぎる。ヘリが居なくなると、二人は光学迷彩を切った。飛蛾は笑顔を保ち、今度は辛抱強く蜂尾の回答を待った。彼女の問いの意味するところを、蜂尾は察していた。

「……惑星保護官の配属先は選べない」

「お仕事だからやってるんですかー?」

「当然だ」

「へぇー。じゃあー、訊き方を変えようかなー」

「質問は一つじゃなかったか?」

 無視して飛蛾は続けた。

「やろうと思えば簡単に滅ぼせる脆弱な星と、そこに住む~い生物のために、わざわざ死にかけるのってどんな気分なんですか?」

「……」

 蜂尾は無表情で飛蛾を見つめ返した。

「昨日戦った個体、オークでしたっけ? データ観た限り、かなり危なかったですよねー? 下手したら死んでた。周りを顧みなければもーっと楽に殲滅できたのにー、しなかった。保護官は街を壊せないからっすよね? 馬鹿らしいと思いませーん? よく考えてみて下さいよー。自分より遥かに劣る種のために、我が身を犠牲にすることあります? いくら仕事と言っても、ねぇ? 自分の方が大事でしょ?」

「言いたいことはわかるが、それを聞いてお前に何の得がある?」

「得がどうとか、んな下らねぇ話じゃねーよ。アタマ悪いフリすんなよアサルト星人」

 蜂尾の脳裏を、ある景色がフラッシュバックした。揺れるカーテン、飛び込む雨水。窓から外灯の光が差し込む、薄暗い部屋。

「ただの好奇心っすよー? 他の惑星保護官にはなーんのキョーミもありませんけどー。蜂先輩だから訊いてるんです。だってアサルト星人だもん。だいたい、無慈悲な殺戮者ジェノサイダー侵略者インベーダーなアサルト星人が惑星保護官に転向してること自体、イミフじゃないすかぁー? ついこの間までドッカンバッカン星ぶっ壊して回ってたイカレ星人が、いったい何の心変わりで守る側に回ってるんです? はっきり言って気持ちわりぃっすよ?」

 寝息を立てる少女。軋むフローリング。

「なるほど。お前にはそう見えてるわけか」

「見えてるも何もー、事実じゃん? つーか、うちだけじゃなくって他のエイリアンもみーんな、同じこと疑問に思ってると思いますよー?」

 少女が目を覚まし、こちらを振り向く。蜂尾はそれをもう一度寝かしつける。

 もう二度と起きないように。

「みんなが思ってること、代弁していいすか、せんぱーい」

 クローゼット。ポール。

 ポールに通したベルト。

「この星に――地球に、そこまでする価値があるんすか? うちの母星や、蜂先輩が今まで壊して来た星より……このクソ弱っちい星の方が、値打ちがあるって言うんですか?」

「……価値、か」

「ねぇー? 何がそこまで違うのか、教えて下さいよぉ。うちは別に故郷にこだわりとか想い入れとか、全然無いっすけどー。あんな母星でもぉ、どぉ~しても……この星の方が守るに値するとは、思えないんすよねぇ~。惑星保護官の仕事だっつっても、そもそも保護対象惑星なんて、こんな星ばっかでしょ? それがわかってて保護官になったのはー、なーんでなんすかねぇー?」

「……」

 クローゼット。ポール。

――景?

 ポールに通したベルト。

「……」

「ねぇ? 蜂先輩?」

「……」

 ポールに通したベルト。

 そこに吊るした――

「異世界人から守るほどの価値が、この星にあるんすか?」

「……」

 蜂尾は答えた。

「無い」

「……」

 関節が壊れてしまったかのように、飛蛾はカクンと首を傾げた。

「……は?」

 蜂尾は真顔のまま、淡々と言った。

「守る価値は無い。お前の母星に、特に滅ぼす理由が無かったのと同じで」

 飛蛾は笑顔で固まった。

「滅びようが滅びまいが、どっちでもいい。私にとっては、地球もお前の母星も大差無い。この答えじゃ不満か? お前はただのに、どうしても意味を持たせたいようだな?」

 クローゼットの中の暗闇から。

 呼吸が消える。

「……へぇ」

 飛蛾は笑顔を崩さなかった。むしろ時が経つにつれて笑みは深くなり、ギラリと尖った歯を露出した。彼女の口内から、カタカタと何かが蠢く音が鳴った。大きく見開いた目に、双眸を赤く灯した蜂尾の顔が反射していた。

「気紛れで……星を壊す? ……神か魔王にでもなったつもりっすか、アサルト星人」

「そんなに優しく見えるか? インセクト星人」

 無風にもかかわらず、飛蛾の髪が独りでに揺らめいた。くしゃくしゃに破顔したかに見えたが、顔に走ったのはしわではなく無数の筋だった。解剖学上人間の顔に無いはずの筋が大半を占め、その一部が皮膚を破ろうとしていた。

「母星に想い入れは無いんじゃなかったか?」

「星には無ぇーっすよ」

 額が微かに裂け、溢れた血が鼻筋を伝い落ちた。

「ただ、頭ではわかってるんすけど……本能がどうしても、ね? コロニーはどうでもいいっすけど、クイーンだけは……別みたいなンすわ」

 自分の頭を指先でトントンと叩く。

「うちの中に流れるクイーンの血が……仇を殺せと騒いでる。ま、どーせ敵わないんでりませんけど」

「頭を亡くした兵はこうなるのか。不便だな」

「あッはは、蜂先輩だっておんなじでしょ? ただの一兵卒のくせにぃ」

「少し違うな」

「んん? 何がァ~?」

「私たちに上や下は無い。同胞でもない。ましてや親子でも、兄弟でも、組織でも」

「はァ? デケェふねん乗って我が物顔で銀河渡り歩いてただろ。あれを軍隊と言わず何て言うんすかぁ? そ~いえばぁ、他のアサルト星人は、今の蜂先輩のことど~思ってんすかねぇ?」

「それも違うな。など存在しない」

「……?」

「アサルト星人はすべて――」

 ドガン!

 轟音が鳴り響いた。大気を震わせたその衝撃は、心臓を直接叩かれたかのような錯覚を生んだ。

「ッ!?」

「うおっ!?」

 同時に地響きが起きたが、すぐに止んだ。地震ではなく、爆発か何かの衝撃で起きた揺れだと二人はすぐに悟った。

 轟音の発生源の方を振り向くと、どす黒い煙が上がっていた。とてつもなく大きな煙だった。相当な規模の火災が起きている。煙を仰いだ飛蛾は努めて冷静に尋ねた。

「蜂先輩。あれ、何すか?」

 直後に土方から通信が入った。昨日からペースを乱されっ放しの土方の早口の報告を聞くと、蜂尾は言った。

「開戦の合図だ」

 ただし、蜂尾たちの想定を遥かに超える派手な号砲だった。



 市街地の外れにそびえ立つ鉄塔の上から、ドゥルはもくもくと立ち昇る黒煙を眺めていた。彼はズボンのポケットに手を入れ、足裏を滑らかな鉄骨にヤモリように吸着させて直立していた。風がネクタイを慌ただしく揺らしている。

 燃えているのは黒緑山だった。全体の七割に及ぶ森林が燃え盛っている。煙が濃過ぎて目視できないが、炎の上がり方からして山の頂上が消し飛んでいる。

「……ほう。そう来たか」

 土方の報告はドゥルにも届いていた。黒緑山に仕掛けたセンサーが侵入者を検知した時にはもう、爆発が起きていた。

 ゲート発生地点である黒緑山は二十四時間の監視下にあった。異世界人もそのことは承知の上だろう。蜂尾が捕縛用の罠を仕掛けてもいた。そんな敵のテリトリーにわざわざこんな目立つ攻撃をしたということは、挑発の意味合いはもちろん、地球にとって、とりわけドゥルたち惑星保護官にとって致命的なことに、彼らはもう逃げも隠れもする気が無いようだった。

狼煙のろし……だな」

 ドゥルは長い生涯で幾度と無く繰り返した遺伝的改造により、望遠鏡並みの視力を獲得していた。瞳孔を狭めた彼は、炎上する黒緑山の麓に立つ三つの影を見つけた。

 外見的特徴から、異世界人と見ていい。

 尖った耳が特徴的な褐色の女。角と尾を持つ三メートルの大男。それよりも大きなプレートアーマーを纏った騎士、ただし下半身は馬。どれも蜂尾の記録に無い個体だった。

「あれはエルフ……いや、ダークエルフか。角と尻尾……あいつは何だ? 隣に居るのはケンタウロスだな」

 ドゥルもまた、その経歴は異世界人たちに引けを取らない。勘が、彼に告げていた。

「参ったな」

 あの三体それぞれが、記録で見たガルズオーク並みか。あるいはそれ以上だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る