第30話 上陸

 東京都 戸科下市

 ゲームセンター紅蝶


 地下の隠し部屋で大量の筐体きょうたいと脳を繋ぎ、土方ひじかたは忙しく電子の海を漂っていた。時刻は午前五時を回る。

 昨日の蜂尾と異世界人の戦闘が起きてから、彼は一睡もすることなく情報操作と監視システムの分析に追われていた。SNSや掲示板にアップされた蜂尾と異世界人の映像や写真から、ネットにアップされていない個人の端末に保存されたデータに至るまで、ハッキングを駆使して消去する。異世界人が起こした非自然現象的な雷も含め、あらゆる媒体から徹底的に証拠を隠滅する。

 警察や消防に寄せられた通報内容も改ざんし、目撃者はリストアップして他の保護官に記憶操作か処分を要請しなければならない。国外の保護官にも応援を頼んでいるとは言え、ネットが普及した現代におけるリアルタイムの隠蔽は並大抵ではない労力を要した。

(いくらテロの所為にするって言っても、限界があるぜ。蜂尾も街を壊さないようにかなり手加減してくれたが……武器庫の制限が仇になるとはな。それでも学校と市街で済んでるだけ、上手くやった方か)

 蜂尾は戦闘面に関しては優秀な保護官だが、こと隠蔽に関してはほとんど役に立たない。彼女が暴れた後の始末は、土方たち裏方の仕事だ。

 蜂尾の体の破片と異世界人の死体と肉片の回収のために、南田はアジア圏に居るクリーン星人を総動員した。芦山と貝津は記憶操作のために街じゅうを駆け回った。普段通りに過ごしているのは黒森くらいのものだが、病院に大量の怪我人が運び込まれたために副業の方で忙殺されている。

 土方の店はテロを受けての臨時閉店という体になっていた。少なくとも異世界人の件が片付くまで、営業は再開できないだろう。従業員もなんとか言いくるめなければならない。

(SNSはだいぶ治まってきたが……やっぱり今回のテロ報道に疑問を持ってる地球人は多いな……こればっかはどうにもならん。うわ、このオカルトライター……いつも素っ頓狂な記事ばっか書いてるくせに、今回だけ的を射たこと書いてやがる。こいつ消した方がいいかもな。あとはそうだな……架空テロ組織ラスティギアに過激なビデオでも投稿させて、話題の目を逸らすか……いたずらに諜報機関を刺激するのも気が進まねぇけどなぁ)

 ひたり、と何かの足音がした。土方は数時間ぶりに生身の目を開けて地下室の入り口を振り向いたが、誰の姿も無かった。

「蜂尾か?」

 筐体に挟まれた狭い通路に鱗状の模様が浮かび上がった。透明な鱗模様が溶けるように深緑に着色され、百九十センチほどのトカゲ男が現れた。着ているスーツが鱗の変色に連動するのは、生地の素材に彼の鱗が使われているためである。

「忙しそうだな、土方」

 ドゥル・ライズ監督官はトカゲのように平べったい素足でひたひたと歩き、土方の元まで来た。

「ええ、まあ……とても」

「初動で上手く抑え込んだようだな。上出来だ」

「かなり危ないところでしたがね、なんとか。あ、そこケーブル通ってるんで気をつけて下さい、尻尾とか」

 普段は指示役に徹する監督官が自ら日本に上陸したということは、それだけ事態が切迫しているということだ。

 今回、蜂尾には余力があったが、保護官としては決して余裕の勝利というわけではない。地球を守るという前提条件の範疇では、辛勝であったことは否定できない。地球を保護しつつ敵を殲滅する制限下では戦力が足りないとの判断が成された。故に傭兵を雇い、さらにドゥルまでもが赴く事態となった。

 地球の保護が始まって以来の大事件が起きている。この部屋にドゥルが立っていることが、土方にその事実をありありと突きつけていた。

「異世界人用のセンサーはどうなっている? 開発は進んでいるか?」

「全く未知のエネルギーなので、手こずっています。何せ前例がありませんから、設計も一からで。試作した装置も、現行の監視システムと大差無く」

「そうか。捜索は難航するな」

「ですが、光明は見えています。皮肉にも今回異世界人が派手に暴れたおかげで、エネルギーパターンのサンプルが大量に手に入りました。なんとか早急に完成させるよう、エンジニアに発破をかけています」

「粗末なセンサーを寄越したら減給すると伝えておけ」

「りょ、了解」

 ドゥルは天井を指さした。

「アメリカの監視衛星を一つ、こっちに移動させている。必要があればさらに追加しても構わん。異世界人が次のアクションを起こす前に見つけ出せ」

「了解しました」

「異世界人のサンプルは黒森の所か?」

「ええ。解剖したサンプルが保管してあるはずです」

 土方が脳で直接操作する筐体のディスプレイに、蜂尾が目で録画した異世界人の映像が流れていた。オークやケルベロス、ハーピー、伝説上とされる様々な生き物たち。この宇宙とは別の宇宙の生態系から生まれた害獣。彼らはこの地球の大地を踏むことも、この宇宙に存在することも許されない異端者だ。

 瞳孔を狭め、ドゥルは細い舌をちらりと出した。

「やれやれ。地球で殲滅戦ジェノサイドをすることになるとはな」

 尻尾を上げてケーブルを避けて歩き、ドゥルは地下室を後にした。



 戸科下市


 非常事態宣言が発令された東京都は歴史上類を見ない厳戒態勢だった。街中を自衛隊の装甲車が行き交い、武装した自衛隊員が公共施設を警備している。報道規制が敷かれ、飛行を許されているのは自衛隊と警察のヘリのみだ。

 小中高の学校は漏れなく臨時休校。外出禁止令が出された都心部に通行人はほとんどなく、特に官公庁舎周辺では交通規制のためにUターンを命じられる車が後を絶たない。

 不気味なほどに静まり返った東京都には、ヘリの轟音だけが飛び交っている。閉じ籠った都民の胸中には不安だけが増長し、新たな情報を求めて端末やテレビにかじりつく。外を走る自衛隊の車両の音に身を震わせる。外を出歩いている者が全て、テロリストの工作員ではないかと疑う。

 都内は非常に静かな、しかし深刻なパニックに陥りつつあった。そしてその爆心地とも呼べる戸科下市を、蜂尾はちお飛蛾ひがは歩いていた。

 雨は夜のうちに止み、空は快晴だった。日差しが強く、じめじめと温度が上がっている。

 今のところ、二人は運良く市内をパトロールする自衛隊や警察には見つかっていない。仮に見つかりそうになったとしても、彼女たちは光学迷彩で容易にやり過ごすことができた。

「すっげー、ビルでけー!」

 東京に来るのが初めてだという飛蛾はしきりに、自分の生活圏との景色の違いを指摘した。

「なんすかあれ! あのなんか、デカいの! ゴージャス!」

「あれはホテルだな」

「あのなんちゃらツリーってやつは? どこっすか!?」

「戸科下市には無いな」

「無いのかー! 見たかったなー!」

 飛蛾はフードと袖にファーの付いた冬用モッズコートに、下はショートパンツにサンダルといったコーディネートだった。蜂尾と異なり飛蛾の衣服は何ら特殊な物ではないため、チョイスは完全に当人の好みである。女子高生に擬態するためにファッションをある程度学んでいた蜂尾だったが、飛蛾のセンスはなかなか悪くない。特にショートパンツは脚の長い飛蛾によく似合っており、彼女なりにいつでも臨戦態勢に入れる機能性が備わっている点も評価できる。擬態テストで高得点を出しているだけはある。

 彼女と比べると、ただのパーカーにジーンズという味気無い私服を支給された蜂尾はつくづく不遇だった。

「あ、あそこヘリ飛んでますよ!」

「あっちは昨日戦闘があった市街地だ。警備が厳しいから近づくな」

 蜂尾は住宅街の方へ顎を向けた。駆け足で蜂尾に追いつくと、飛蛾は訝し気に尋ねた。

「あのー、今うちらって何してるんですか? お散歩?」

 彼女は蜂尾より十センチほど背が高く、話すたびにいちいち屈んで顔を覗いて来る。蜂尾は顔と髪色こそ変えたが、支給された服が限られているため体格は元のままだった。圧倒的に体格の大きなガルズに苦戦させられた記憶が過ぎり、今まで気にしていなかった身長が少しコンプレックスになりつつあった。本当は身長くらい好きにいじれることが、返ってそれを助長してもいた。

「待機だ」

「待機?」

「敵を見つけるまで私たちは待機だ。ただ待機してても暇だから、こうしてパトロールしている」

 ぶらぶらと市内を歩き始めてから二時間が経っていた。観光気分ではしゃいでいた飛蛾もとうとう飽きてきたらしい。

 本当に観光が目的ならもっと面白いスポットや施設はあるのだが、警備が厳重な都心部には不用意に近づけないうえ、戸科下市内でも自衛隊や警察のパトロールを避けて歩かねばならない。光学迷彩でも使わなければ動けるルートは限られ、そしてわざわざ光学迷彩を使うほどかと言われると、それくらいならどこかで動かず待機していた方がエネルギーの節約になる。同じ景色を色んな角度から見て回る退屈な散歩になってしまっているのは事実だった。

「敵~敵かぁ~。異世界人てどんな感じすか?」

「データは見せただろ」

「そうじゃなくてー、蜂先輩の印象っすよー。どんな奴らなんすか?」

「私の主観を聞いてどうする」

「それが知りたいんすよー」

 蜂尾は迷惑そうな視線を飛蛾に投げた。

「主観は事実と異なる場合がある。参考にはならない」

「そうとも限らないじゃないすかー。おっそろしー武勇伝の数々を持つアサルト星人の見解はー、ジューブン参考になりますってー」

 飛蛾は馴れ馴れしく肩を組んで来た。顔を近づけて来るので蜂尾は反射的にそっぽを向いた。

「それにー、敵のこともですけど、蜂先輩のことも知りたいんすよー。先輩の考えとかー、物の見方とか」

「なんで」

「だって気になるじゃないすかー」

 飛蛾は明るい口調で言った。

「うちの母星を滅ぼしたアサルト星人が、いったいどんな奴なのか。知りたいじゃないすか?」

「……」

 蜂尾が目を合わせると、飛蛾は擬態生活で身に付けた営業スマイルを披露した。セリフとは裏腹に、飛蛾の声色に敵意や恨みつらみといった感情は一切無かった。

「インセクト星人の足癖が悪いって知ってるってことはー、先輩も居たんですよねー? あの戦争に。うちはその時は出稼ぎで居なかったんですけどぉー。うちの星、相当な人口が居たのに……一年もしないで全滅したそうじゃないですかー。凄いですよねぇ、アサルト星人。名前の通りのまさに戦闘種って感じでー」

 足を止めると、飛蛾は蜂尾から離れて数歩先で立ち止まり、くるりと振り向いた。愛嬌のある笑みで彼女は話した。

「何個も星を滅ぼしたアサルト星人は戦闘のプロ。いや、虐殺のプロかな? そーんな蜂先輩の目線で見た敵の分析……無視しろっつー方が無理ありまっせ。それでも教えてくれないっつーならー、一つうちの質問に答えてくれませーん? 個人的なヤツ♡」

 蜂尾の返事を待たずに、飛蛾は尋ねた。

「どうして、アサルト星人ともあろう先輩が、こんなちっぽけな星を守ってるんですか?」

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