第29話 傭兵
六月七日
北海道
深夜のコンビニエンスストアは退屈だった。退屈と言っても仕事はあるし客も多少来るのだが、BGMと冷蔵庫等の稼働音以外はほとんど静寂の店内で過ごす数時間には、言い知れぬ味気無さがある。
忙しさは感じる。店内の掃除やホットショーケースの洗浄など、日中はできない仕事が山ほどある。しかし何か足りない。飛蛾は自分が欲するものがわかっていた。それは刺激だ。この夜勤バイトには刺激が無さ過ぎる。
例えばそこの出入り口に車が突っ込んで来てはくれないだろうか、と飛蛾は空想する。さらにその車から覆面を付けた武装集団が現れ、一斉に襲いかかって来てはくれないだろうか。先に手を出してくれさえすれば、飛蛾にも相手を殴る大義名分ができる。
飛蛾は暴力と言う名の刺激に飢えていた。彼女がこれまで過ごして来た環境に比べると、コンビニバイトの日常は心底から
真面目に仕事をこなすだけの毎日。出勤しては仕事をし、食って寝て、また出勤する。退屈。夜が明けて勤務時間が終わるまでの間に、誰かがちょっとした出来心で包丁でも手にして来店してはくれないか。強盗をしないまでも、ちょっとガラの悪い客でもいいから遊びに来てはくれないか。飛蛾はレジに立つたび、大小問わずトラブルが起こることを期待していた。
「あれ、飛蛾さんって大学生だっけ?」
「やーフリーターっすねー」
「へーそうなの。大変じゃない?」
「まー金は無いすけど気ー楽なんでー」
「ふーん」
深夜三時。今日も今日とて我がコンビニは平和である。若い女が深夜にワンオペしていることに対して巡回の警察官が何の杞憂も示さない辺り、この街の治安の良さは筋金入りらしかった。
「じゃーまたねー」
「ありゃーしたー」
警察官が立ち去ると、途端に店内の静かさが際立った。ああ、なんて退屈な平和だ。腹の底から湧く衝動を誤魔化すかのように、飛蛾は業務を再開した。
「あーつまんねー。つまんねーなー」
人が居ないのを良いことに、愚痴を溢しながら仕事をするのが習慣になっていた。
「どうせやるならもっと……繁華街の方とか……人が多い所で仕事したいな。この前も……東京のコンビニで強盗あったな……良いなぁ、東京は」
せめて話し相手になってくれる同僚が居ればいいのだが、先月はとうとう一件もバイトの応募が来なかったと店長が泣き言を言っていた。せめて飛蛾さんは辞めないで、と懇願されたものだ。泣きたいのはこっちだ、だったら気合の入った強盗の一人や二人連れて来い、とは口が裂けても言えなかった。
「ここなら強盗よりヒグマの方が頻度高ぇよなー。……ああ、それ良いな。ヒグマ……ヒグマ来ないかな。ヒグマならぶっ殺してもいいよな……ヒグマ、ヒグマご来店しないかなー」
チャイムが鳴った。この時間帯には珍しい。飛蛾は早足でレジに戻った。
「いらっしゃーぁせー」
客は高校生くらいの女の子だった。どう見ても未成年。こんな時間に出歩いていたら補導は免れないが、先ほど出て行った警察官とは鉢合わせなかったのだろうか。
(不良~って見た目でもねぇけどなー。いや……最近のガキは外見じゃわかんねぇってサツのおっちゃんが言ってたな……)
茶髪のボブカット。服はパーカー、ジーンズ。化粧気の無い大人しそうな顔をしている。案外、こういう子の方が非行に走りやすかったりするのだろうか。
(ゴム買いに来ただけならいいけど……どうしようかなー)
こういう時、大人として注意すべきか。それとも面倒事を避けてスルーするか。巡回の警察官と親しいだけに、見なかったことにするのも気が引ける。
会計をしに来るまでにどっちにするか決めないとな、なんてことを考えていると、その少女は店の中をぐるっと一周するや、何も商品を取らずにレジに来た。
(うお、マジか)
まさか煙草を要求しないだろうな、と思いつつ、飛蛾は内心ちょっとトラブルを期待した。例えばこの子が家出娘で、とんでもない毒親が追いかけてここまで来たら、この子を守ることを言い訳にその親をぶん殴ってしまっても構わないだろうか。
「どーしゃしたー?」
どうせ子供だと高を括り、軽い調子で話しかけてみた。少女は飛蛾を無視してスタッフルームの方に目をやった。店内に誰も居ないことを確かめているのだと、飛蛾は察した。
まさか本当に強盗なのか? と期待が膨らむ。
「……何かお探しでー?」
ようやく、少女が飛蛾と目を合わせた。飛蛾は口の端を吊り上げてにっこりと笑い、少女が口を開くのを待った。
「インセクト星人」
少女の瞳が赤く灯った。
「仮名、飛蛾羽衣。アンドロメダ銀河大連合直属第五連合登録の傭兵。現在は地球の在住権を得るための擬態テスト中」
淡々とした口調で少女は言った。
「で、合ってるか?」
「合ってますよー誰だてめぇ」
飛蛾は笑顔を崩さず、カウンターの下でこっそり靴を脱いだ。少女は名乗った。
「私は第八連合宇宙軍所属のアサルト星人。地球担当の惑星保護官だ。コードネームは
「……蜂尾景? アサルト星人って……あのアサルト星人?」
少女の顔をまじまじと見て、飛蛾は眉をひそめた。
「おかしいなー、顔が違うぞー?」
「事情があって顔を変えた」
「いつー?」
「ついさっきだ」
「嘘くせーなぁ。身分証見せてよ、保護官の」
「……それもそうだな」
少女がポケットをまさぐる。飛蛾はドア越しに通行人が居ないことを確かめると、レジを跳び越えて少女の顔面に蹴りを入れた。
「わ」飛蛾は目を丸くした。「マジかぁ」
少女は片手で飛蛾の足を受け止めていた。人体なら首を刎ねられる程度には力を入れていたはずだが、少女は微動だにしなかった。手の表面は柔らかいが、その奥には金属の感触があった。
蜂尾と名乗った少女は飛蛾にじろりと目をやる。
「身分証、見るか?」
「ん〜。もういーや」
疑いの余地は無い。飛蛾はレジの中に戻り、靴を履き直した。
「すげぇー、生のアサルト星人初めて見たな~」
「インセクト星人の足癖が悪いのは相変わらずだな」
傍からは店員と客が話しているようにしか見えないように、あくまで擬態を続けながら飛蛾は尋ねた。
「んで、保護官サマがうちに何の用すかー? あ、もしかしてこれ殺されるやつ? 処刑されるやつすか? なんかやっちゃったかなー。やっべー、アサルト星人にゃ勝てねぇなー」
「処罰ではない。今日は仕事を頼みに来た」
「仕事? どこのコンビニすか?」
「“本業”の方だ」
飛蛾の眉がピクッと反応した。
彼女は肩書きの通り荒事専門のフリーランスだ。宇宙傭兵は通常、戦時中の惑星を転々とし兵士や現地兵の教官として雇われるのだが、保護対象惑星在住の傭兵はまるで異なる。
惑星保護官には様々な分野のエキスパートが居るが、その全員が高い戦闘能力を持つわけではない。武力行使担当の蜂尾のように戦闘に特化した保護官はそれほど多くはなく、人手不足解消の一環として傭兵を雇うことが認められている。保護対象惑星在住の傭兵は惑星保護機関と直接契約を交わし、有事の際は保護官に代わって出動を命じられるのだ。
「マジすか~? 超~退屈してたンで嬉しいですけど、いーんすか? うちまだ擬態テスト中でー、厳密にはまだ契約してないんですケド……」
飛蛾は地球の在住権を得るための擬態テスト期間中だった。保護対象惑星に移住する際は、惑星保護官が提示する条件をクリアしなければならない。地球の場合は人間や動物などの原生生物に長期間擬態し、尚且つ擬態のストレスに余裕を持って耐えられることが条件だ。飛蛾は好成績のため本来のテスト期間が短縮され、あと三年ほどで地球の在住権が手に入る見込みだった。
これは余談だが、擬態テストは蜂尾が住む地域の近くで行われることが多い。今ならば日本である。エイリアンがテストを放棄して暴れ出したとしても、蜂尾が即座に制圧できるようにするためだ。蜂尾の存在は
「今回は特例だ。地球に在住している傭兵と傭兵候補の中で最も適性のある者を選んだ」
「へぇ~特例。あ、もしかして昨日のテロの件すか? やっぱりあれってフェイクだったんだー」
あくまで傭兵は傭兵。惑星保護官の機密は彼らに知らされていない。彼らは使い勝手の良い駒だ。しかし今はこの駒を
蜂尾は飛蛾をまっすぐ見据え、極めて業務的に告げた。
「内容は敵性生命体の排除。地球及び原生生物の保護を前提条件とする。期間は本日から本件が決着するまでだ」
「ふーん」飛蛾は尋ねた。「敵性生命体って、何星人すか?」
「引き受けた後で教える」
「それ聞いた後でやっぱ辞めるってのは?」
「命令違反と見なし即処刑する」
「ひぇー、コンビニも真っ青のブラックだー」
「受けるか?」
「うーん」
飛蛾は腕を組んで思案顔をした。首をあっちに傾けたりこっちに傾けたりして暫く悩み、ふと蜂尾に視線をやる。彼女は尋ねた。
「報酬は?」
「特例につき、まだ決まっていないが……」
蜂尾は言った。
「地球の永住権でどうだ?」
飛蛾はにやりと笑い、指を鳴らした。
「乗った♪」
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