第27話 覚悟
必要以上に目立たなくて、でも疎まれるほど日陰者でもなくて。
部活で忙しく、放課後や休日に無駄な付き合いをする機会が少なくて。不躾にプライベートに踏み込むことがなくて。余計なトラブルを起こさない性格で。近過ぎず、遠過ぎない距離を保つことができる人物で。
だから、
別れるのが三年弱、早まっただけだ。短い学校生活が終わると同時に解消される関係だった。
別に蜂尾が手を下さなくとも、どうせ百年ぽっちも経たずに地球人は死ぬ。過去に友人として振る舞って来た地球人も、すぐに死ぬ。だから一緒だ。蜂尾が殺さなくても一緒なら、殺しても一緒なのだ。たった七十年やそこら、寿命が縮むだけ。
八十億人も居る地球人のたった一人が、減るだけだ。
「……」
液状の手が窓の隙間から侵入し、鍵を開錠した。窓を開けるとカーテンが大きく揺れ、冷たい雨が飛び散った。蜂尾は屋内に入ると、すぐに窓を閉めた。外灯の光が部屋の中を薄っすらと照らしていた。カーテンを閉め切ると、その光はさらに仄かになった。
赤外線視界で室内を見回す。窓の対面にドアと、その左にクローゼット。窓のある壁の隅に寄せて置かれたベッドに、井原が寝ていた。
机の周りを見ても、スクールバッグが無い。避難で持ち帰るどころでは無かったのだろう。蜂尾の鞄も、あの教室に置きっ放しだ。制服が無いのは洗濯しているからだろうか。あの惨状の理科室を汚れず脱出することはできなかったようだ。
蜂尾はクローゼットを開けた。ポールを握って強度を確かめ、収納を漁ってベルトを見つけた。眠る井原の手の指紋をベルトに付け、準備が整った。
惨死した同級生を目の当たりにして心を病み、その日の夜に首を吊って自ら命を絶った。井原に用意されたのはそういうシナリオだ。
「……ん……」
窓を開けて室温が変わった所為だろうか。蜂尾が物音を立てた所為だろうか。井原が目を覚ました。寝返りを打つと、井原はベッドの横に誰かが立っていることに気がついた。
「え……」
慌てて起き上がり、ぼんやりとした黒い輪郭を見つめる。井原は目を丸くして、声を漏らした。
「
顔の前に手をかざす。スピーカーに変形した掌から奇妙な音楽が流れ、井原は糸が切れたように再び眠りに落ちた。倒れる彼女を支えると、蜂尾はそのままベッドから抱き上げた。
「……」
寝息を立てる井原を、蜂尾はクローゼットまで運んだ。
真っ黒な空から雨が降る。蜂尾は雨を浴びながら飛んだ。雨の冷たさを感じても、それを寒いと感じることはなかった。同じように、温かさを感じてもそれに安心することもなかった。
「たった二か月の付き合いだ」
雨粒が翼を伝い、ジェットエンジンに落ちて蒸発した。赤い尾を引いて上昇し、蜂尾は雲を抜けた。
「たった二か月の、たった八十億分の一だ」
夜空に輝く無数の恒星、その一つ一つに蜂尾の見知った惑星が公転している。地球はその中でも特別小さく、取るに足らない星だった。
「ただの……微生物だ」
指先一つで壊せるほど、弱く。
ちっぽけな。
「……」
ドゥル・ライズ監督官から通信が入った。テレパシーではなく端末を通しての通話だった。
『蜂尾、聞こえるか?』
「聞こえる」
『随分とやられたようだな』
「ああ、私のミスだ」
『多少強引に隠蔽したが、これ以上は無理がある。全てを隠し通せるわけではないからな』
「レプティリアンが言うと説得力が違うな」
『……。俺はもうじき日本に着く。異世界人の捜索は進んでいるか?』
「監視システムに引っかからない。光学迷彩に似た道具を使っているのを確認した。もしかしたら私たちのように人間に擬態しているかもしれないな」
『ありえる線だな』
「奴らのエネルギーを感知する専用のセンサーが完成すれば、すぐなんだけどな」
『俺もテレパシーで捜索してみよう』
「へえ、監督官自ら?」
『足で稼ぐ古典的な手法だ。期待はするな』
蜂尾はオゾン層の一歩手前で翼の出力を切り、一瞬だけふわりと停空した。転じて、真っ逆さまに自由落下していく。
段々と近づく雲の壁を、蜂尾は仰いだ。
「監督官。地球に滞在している傭兵のリストをくれ」
『傭兵?』
「異世界人相手に地球の保護官では力不足だ。傭兵の方がずっと使える」
『いいだろう。後で送る』
「今じゃ駄目なのか?」
『今は海を泳いでいるところだ』
「は? 泳いで日本に向かってるのか? ていうか泳ぎながらどうやって電話してんの?」
雲の中へ潜る。重力に任せて蜂尾は落ち続けた。
『蜂尾』
「なんだ」
『敵に顔が割れている可能性がある。顔を変えておけ。戸籍上の蜂尾景は死亡したことだしな』
「ああ……そうだな」
『コードネームはひとまず、この件が終わるまではそのままでいいだろう』
「……そうか」
『不満があるかね? 今の顔を気に入ってたか?』
雲を抜けると、瞬く間に雨に濡れた。落下しながら望遠機能で街を見渡す。破壊された建物の周囲を、合羽を着た救助隊が右往左往している。そこから少し離れた場所にある戸科下市立高校からは既に作業者が撤収し、グロテスクに口を開けた教室が野ざらしになっている。
「……」
『蜂尾?』
三階の理科室の窓を覗く。窓の奥を拡大して映す。黒いテーブルに置き去りにされたノートが、蜂尾が穿った天井の穴から降り注ぐ雨を浴びている。表紙に書かれた名前のインクが滲んでいる。滲んだ名前は、井原陽莉とある。
「……別に」
地面に激突する寸前で急旋回し、蜂尾は再び空へ飛び立った。
――お前に覚悟はあるか?
十一時間前
埼玉県
航空自衛隊妃琵基地
(え……)
目の前を通り過ぎるその隊員を見て、レイドは凍りついた。
「……
走っていた女性隊員がぴたりと止まり、こちらを振り向いた。
「え?」
透明マントを着ているレイドたちのことは、彼女には見えない。女性隊員はきょろきょろと周囲を見回した。
「今……誰か呼んだ?」
ルラウがレイドの腕を掴んだ。
(ちょっと、何喋ってんですか!?)
レイドの目は女性隊員に釘付けになっていた。ルラウが肩を揺すってもまるで反応が無い。
「赤崎! 早く来い!」
「はい!」
同僚に呼ばれた女性隊員は、不思議そうに眉をひそめて踵を返した。レイドはつい手を伸ばし、彼女を追おうとした。ルラウがレイドの手を握り、その場に引き留めた。
「……っ」
女性隊員が姿を消し、ようやくレイドは我に返った。ルラウはレイドの正面に回り込むと、両肩を強く掴んで額を合わせた。サングラス越しにレイドを睨むように見つめ、ルラウは小声で言った。
「どうしたんですか、いったい?」
「……」
レイドは目だけを動かしてルラウの眼差しから逃れると、今にも消えそうな声でぼそりと言った。
「……妹」
「え?」
爪が食い込むほど握っていた拳から、ふと力を抜けた。レイドの視線は下へ落ちていった。
「前の……人間だった頃の……家族」
「……さっきの人間が?」
あれから二十年。今は三十ちょっとか。そうか。もう、そんな歳になるのか。
(名前に反応したし……苗字も……一緒だ)
背丈も見た目もずっと変わっていたのに、どうして――どうして、一目でわかってしまえたんだろう。
(なんで……自衛隊に……そんな子だったっけ……)
レイドはぎゅっと、瞼を閉じた。
(ああ、そうか……私があんな死に方したから……かな)
力強く肩を揺らされ、レイドは驚いてルラウを見た。叱られるかと思ったが、ルラウの声は意外なほど穏やかだった。
「何を、しようとしたんですか? さっき……追おうとしましたよね?」
「……」
目が泳ぐ。視線を逸らそうとすると、ルラウがまた肩を揺らした。レイドは手が震えるのを悟られまいと服の裾を握り締めた。
「……殺そうと、した……」
サングラスの奥で、ルラウが目を見開いた。
「え……?」
……わたしにはなかった。
蜂尾は飛ぶ。赤い光を負い、雨空を貫く。
「何者をも殺す覚悟が、お前にはあるか? 誰であろうと。たとえそれが、惑星であろうと。世界であろうと」
「景?」
眠りに落ちた彼女を支えると、蜂尾はそのままベッドから抱き上げた。
「……」
クローゼットの前で足を止め、蜂尾は井原の顔にかかった髪をそっと避けた。
「
井原に、蜂尾は囁いた。
「……ごめんね」
――お前に、覚悟はあるか。
「でも、できなかった……ルラウに止められて……私はほっとした。止められなくても、たぶん……できなかった」
レイドは悔いるように歯を食いしばり、声にならない嗚咽を漏らした。
「どうせ、殺されるなら……私の手で、一思いに終わらせようと、思ってたのに……できなかった……目の前に居たのに……人なんて、何人も殺して来たのに……殺せなかった……ッ」
……わたしには、なかった。
「覚悟はあるか、異世界人ども」
指先一つで壊せるほど、弱く。
ちっぽけな。
取るに足らないからこそ、蜂尾にとっては同じだった。
「私にはあるぞ」
地球の価値も、井原陽莉の価値も。
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