第16話 奇襲

 東京都 戸科下市

 戸科下市立高等学校


 三限目の終了を告げるチャイムが鳴る。次は移動教室だった。蜂尾が教材を纏めていると、井原陽莉が近づいて来る。

「理科室行こー」

「うん」

「なーんかもうお腹空いたわー」

「いっつも空いてんじゃん」

「マジヤベェって、デブる」

「まだまだ大丈夫だって。カツ丼大盛りくらいいけるいける」

「おまっ……あれの所為で体重増えたんだが?」

「お詫びに驕るよ。大盛り二杯」

「育てんな」

 井原とともに教室を出る。理科室は三階だ。蜂尾と井原は教室から近い東階段を目指して廊下を歩いた。

「いま部活で夏休みの合宿の話しててさ」

「ほえー合宿。部活っぽい」

「正直めんどいんだよねー」

「いいじゃん、プチ旅行みたいで。楽しそう」

「さては合宿したことないな? 楽しいは楽しいけど、ずっと顧問が居るのがきついわ」

「あー確かにあの顔はキツい」

「フッツーに悪口じゃん。笑うわ」

 井原と談笑して歩きつつ、蜂尾の思考の大半は異世界人の件が占めていた。この時間までに異世界人を発見したという報告は無い。監視システムに引っかからないということは、かなり巧妙に身を隠しているらしい。それとも、既に国外へ出てしまったか。

 海外の惑星保護官にも監督官を通じて異世界人のデータを渡してあるため、仮に外国に出現しても現地の保護官が対応してくれる。が、仮に国外に異世界人による被害が出た場合、彼らを逃した蜂尾の責任になる。肩身が狭くなろうと一向に構わなかったが、これは単なる蜂尾のプライドの問題だった。

 魔法だか何だか知らんが、生活圏のすぐ近くで好き勝手されたことが気に入らない。出来るならば日本国内で、蜂尾の手で始末を付けたい。その想いは山々なのだが、居場所がわからないことには手の施しようが無かった。

「ごめん陽莉、ちょっとトイレ行って来る」

「ん。じゃそれ持ってくよ」

「マジ? ありがてー、カツ丼驕るわ」

「だから肥やすのやめろ」

 井原に教材を預け、蜂尾は廊下を引き返した。トイレは元居た教室を通り過ぎた先にある。

 地球の基準でいう有機生命体と異なる蜂尾に排泄の概念は無い。食事は燃料にこそならないが、体内のM31CEで焼却し塵も残らない。蜂尾がトイレに入るのは決まって擬態のための付き合いか、惑星保護官の仕事をする時だった。

 女子トイレは個室が一つ埋まっていた。蜂尾は一番手前の個室に入り、便座に蓋を閉めたまま座った。

(黒緑山で何か見つかってないか……南田に連絡してみるか)

 蜂尾は視界に南田のアドレスを表示し、思考をそのまま文字に起こして送信した。クリーン星人は普段は暇な部署だ。忙しい土方や黒森と違い、すぐに返事を寄越してくれるだろう。



 共鳴コウモリがルァカスの口調で言った。

『奴が便所に入った。中には人間が一人だけ。チャンスだ』

 すぐにガルズの口調に変わる。

『よし、作戦始め。行け』

「了解」

「オーケイ旦那」

 ケェアロットとポトゥは小声で応えると、校舎の外壁を駆け上がった。蜂尾が居た教室の窓が開けっ放しになっている。都合の良いことに、今は無人だ。四階に辿り着くと、器用に体を折り曲げて教室の中に滑り込む。

 透明マントは姿を消すだけで、気配を完全に消し去ることはできない。ここからは物音厳禁だ。共鳴コウモリを眠らせ、ケェアロットとポトゥは互いにジェスチャーで意思疎通した。

(あっちだ)

 ポトゥが西側のドアを指さす。ケェアロットが頷き、早足で向かった。そっと触れようとしたその時、いきなりドアが開いた。ケェアロットの目の前に、中年の男の顔が飛び込む。

(うげ!)

(おい馬鹿!)

 教員らしき男はじっとケェアロットを睨み、顔をしかめた。

「まーた窓開けっ放しにしてやがる……あいつら」

 男にはケェアロットとポトゥのことは見えていない。男は透明化したケェアロットを通して、窓を見ていた。が、ケェアロットは致命的に後れを取った。歩き出した男が、ケェアロットの分厚い胸板に衝突したのだ。

「痛って……えっ?」

 男が驚愕の顔で、ケェアロットの居る虚空を仰ぐ。

「なに? え、何?」

 男がケェアロットに手を伸ばす。ケェアロットは咄嗟に男の顔を掴んで口を塞ぐと、力任せに首をへし折った。悲鳴を上げる間も無く絶命した男を担ぎ、教卓の裏まで運ぶ。

(馬鹿野郎!)

 ポトゥがケェアロットの頭を叩いた。ケェアロットは「しょうがねぇだろ」と言わんばかりに男の死体を何度も指さした後、トイレの方向へ顎をしゃくれた。ポトゥはわざとらしく肩をすくめ、ケェアロットより前を歩いて教室を出た。

 廊下にはちらほらと生徒が歩いている。彼らが教室の死体を見つけないことを祈りながら、二人は足音を忍ばせて慎重に人と人との間を通り抜けた。インキュバス族のポトゥはすれ違いざまに香る生娘の臭いに情欲を掻き立てられたが、固い意志で堪えた。

 蜂尾が入ったトイレが見えた。中から誰かが歩いて来る気配がし、ポトゥは後続のケェアロットを手で制した。蜂尾かと身構えたが、出て来たのは別の女子生徒だった。

(しめた!)

 ポトゥは唇を舐めた。これでトイレの中は蜂尾一人になった。誰にも邪魔されることなく捕獲に集中できる。女子生徒が離れて行くのを見届け、二人はこっそりと女子トイレに侵入した。

(……あそこだな)

 一番手前の個室だけ、ドアが閉まっている。ポトゥは個室の右側にある洗面台の前に立ち、ケェアロットは左隣の個室に忍び込んだ。

 ポトゥは個室のドアと、自分と、ケェアロットを順に指さした。

(奴が出て来たら、俺が魔法で眠らせる。そしたらすぐに、お前が拘束しろ)

(わかったぜ。間違って俺を眠らせるなよ)

 ケェアロットとポトゥが失敗した際のフォローのため、真下の三階のトイレには既にザイズとノイードが、真上の屋上にはガルズとグァドルフが待機していた。ルァカスは二階の空き教室から鼻でもう一体のエイリアンを監視し、ミルィスは上空から周囲を警戒している。

 個室の中から水の流れる音がした。この世界のトイレには用を足した後で水を流すシステムがあるらしい。つまり、もうすぐ出て来るということだ。ケェアロットとポトゥは互いに顔を見合わせ、頷き合った。

(来るぞ、ケェアロット)

(おう……!)

 唾を呑み込みたい欲望を堪え、蜂尾が出て来るのを息を殺して待つ。

 インキュバスの魔法は標的をたちまち夢の中へいざなう。例え巨人族であろうと、暴れ狂う魔獣であろうと、破瓜の痛みに悶える女であろうと、例外無く一発で落ちる。三大欲求に数えられる生物の基本機能に訴えかける彼の魔法には、意志の強さや単純な実力差も関係無かった。夢魔の名は、伊達ではない。

 鍵が外れる。取っ手の目印が青に変わり、ドアが内側に開いた。個室から出て来た蜂尾の顔に、ポトゥは魔力を込めた掌をかざした。

「夢魔魔法『淫欲の枕スリープ・セント』!」

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