第13話 略奪者
ホテル陽世
もう少しで日付が変わる。
ホテル一階の食堂で、レイドはテーブルの上に膝を抱えて座っていた。窓から差し込む月光が彼女を照らしていた。
「この世界の月は、一つしか無いのですな」
背後から気配がし、振り向くとガルズが居た。施設内で行動するには素の彼は大き過ぎるため、質量圧縮魔法で半分以下のサイズになっていた。
「ガルズが小っちゃいなんて、なんだか新鮮だね」
「ヴェスの魔法のおかげです。お隣、よろしいですかな?」
「うん、いいよ」
ガルズはレイドの隣に立ち、月を見上げた。
「間も無く、エイリアンの捜索に出発します。ルァカスが奴の臭いを覚えておるので、すぐに見つけ出せるでしょう」
「うん。気をつけてね」
暫く、ガルズは黙って隣に居た。
「……この世界は」
「ん?」
やがて、ガルズが物憂げに呟いた。
「この世界は、平和ですな」
「……そうだね」
最低限の知識として、ガルズたちには人間界の社会情勢を大まかに教えておいた。彼に限らず他の魔物たちも、人間界には長い間戦争をしていない国が在ることに驚いていた。魔界では国同士の戦争や、種族間紛争が絶えないからだ。
「でも、仮初の平和だよ」
「……仮初、ですか」
ガルズはレイドの横顔を見た。彼女の黄色い瞳に、月の白い光が映り込んでいた。
「本当の平和なんてあるわけない。そうでしょ、ガルズ」
「……」
ガルズは月に視線を戻した。
「ええ……そうですな」
魔王の娘に転生する前なら、レイドもこの景色を平和と呼んで疑わなかっただろう。ただの人間だった頃なら。だが、彼女は魔界で凄惨な現実を目の当たりにした。もう、あの頃と同じように世界を見ることはできなくなった。
「あっちの世界でも、人間の王都はこんな感じでしたな。壁の中の都市は豊かで、平和だ。しかし、すぐ外には魔物が蔓延っている。この世界も同じなんでしょうな。毎日どこかで人が死に、奪い、奪われ、争いの火種は絶えない」
平和という評価は、一面的に過ぎない。人間界にも紛争を続けている国や地域は今なお存在し、そしてそれらは全ての人間の祖先が辿って来た道であり、そして誰もが辿るかもしれない未来でもあった。
「うん……そうだ」
レイドは頷いた。
「全部、嘘の平和なんだ。その現実から目を背けて、この世界の人間も即物的に生きてるんだ。壁を築いた王都の人間と、同じだよ。いつか、自分たちの番が来るって本当はわかってるはずなんだ。それを知らないふりをしている。自分たちが魔族にして来たことが、返って来てるんだって……認めようともしないで」
レイドたちは違う。大罪から目を背けた魔界の人間とも、刹那的な平和に甘んじるこの世界の人間とも、レイドたちは違う。同じ愚か者の道を決して辿らないと、魔王軍は誓ったのだ。
魔王軍は油断しない。人間のように、仮初の平和に惑わされなどしない。本当の勝利を手にするその時まで、血を流し続ける。死体を積み重ねる。
魔王が夢見た
「……奪われる前に、奪う」
魔王の口癖だった。魔王が魔王となる前からの。それはやがて魔王軍の指針そのものになった。
「こんな下らない平和にかまけた世界の住人なんて、私たちの敵じゃない。一人残らず殺し尽くす。そうすれば、もう勇者は生まれない。勇者なんて居なければ、魔界は私たちのものだ。全て手に入れる。魔族の悲願を叶える」
エイリアンの登場は完全な予想外だった。だがそれが何だというのだ。レイドたちの成すべきことは一つだ。敵は全部倒す。人間もエイリアンも、立ちはだかるのなら斬り伏せる。奪わせはしない。奪われる前に、奪う。
レイドは今日対峙したエイリアンのロボットのような顔を思い浮かべ、問いかけた。なあ、エイリアン。お前には覚悟があるか。奪われる覚悟が、殺される覚悟が。私たち魔族は、とうの昔にその覚悟を通り過ぎてここに居るんだよ。
「……捧げます」
ガルズの低い声が、月明かりの降り注ぐ暗い食堂に響いた。
「このガルズ、魔王軍の勝利のために全てを捧げます。我々の手で、必ずや勝利を掴んでみせましょう。勇者転生を阻止し、魔王軍の栄光を確かなものとするのです。このガルズの忠誠は本物でございます。魔王様に、隊長殿に……どこまでも付いて参ります」
「……うん」
レイドはにこっと微笑み、ガルズの手を握った。
「期待してるよ、副隊長」
「……」
「はは、いつもと違って握りやすいね。それでもまだデッカいけど」
「……ええ」
月の仄かな光の所為だろうか。いつもより目線が近くて、顔がよく見える所為だろうか。
ガルズの目には、何故かその時のレイドの笑顔が、寂しそうに見えた。
「……」
「ガルズ?」
レイドがガルズの顔を覗き込む。ガルズはハッとしてレイドの手を放した。
「そろそろ出発の時間です」
「そっか。頑張ってね。良い報告を待ってるよ」
「お任せ下さい。では」
一礼して踵を返すガルズに、レイドは背を向けたまま言った。
「ねえ、ガルズ」
ガルズは立ち止まり、肩越しに振り向いた。レイドは月を仰いでいた。ガルズは、彼が来る以前から、彼女はどうして月を見ていたのだろうと思った。が、それを尋ねる機会は既に逃していた。
「全部、終わったら……魔王軍が、魔界を支配したら……もう、私たち……戦わなくて済むのかな?」
「……」
ガルズの脳裏に、古い記憶が過ぎった――まだ幼く、弱かったガルズに手を伸ばす大きな黒いシルエット。赤い双眸を燃やし、それは告げた。
――『奪われるのは、今日で終わりだ。この儂に付いて来い』
あの日から、ガルズはその言葉を信じて――その言葉だけを信じて、ここまで来た。
「……ええ」
ガルズは強く頷いた。
「全てを奪い尽くせば。必ず」
誓うように、願うように。
一階のエントランスにガルズの部下が集まっていた。黒緑神社の襲撃を生き延びた七体の戦士だ。
ミノタウロス族のグァドルフ。ケルベロス族のルァカス。ハーピー族のミルィス。ヴァンパイア族のザイズ。オーガ族のケェアロット。インキュバス族のポトゥ。獅子の獣人族のノイード。
ガルズと彼らが、エイリアン捕獲部隊である。
出発にあたり、ヴェスが体格の大きな者をガルズと同じ魔法で縮めていた。彼女が魔法のチェックを済ませるのを見計らい、ガルズは言った。
「ヴェス、例の物を」
「ええ」
ヴェスが魔界から持ち込んだトランクを開け、人間界で言うペリースによく似たマントを一着ずつ配った。不思議なことに、本来収まり切らないほどの量のマントが次々と取り出される。
当然ながら、ただのトランクではない。
質量圧縮魔法をかけた収納は魔界ではごく一般的な魔道具である。一般流通タイプでも容量は数百キロあり、それらは全て職人の魔法使いや妖精が手掛けている。
ヴェスの特別製トランクは、その比ではない。質量圧縮魔法に加えて法外な空間拡張魔法を重ね掛けしたトランクの容量は、数トンにも及ぶ。先遣隊はこのトランクを使うことで、大量の魔道具や武器を人間界に持ち込んでいた。
「このマント、使えるんだろうな?」
グァドルフがマントを広げて訝し気に眺めた。ルァカスがマントを左肩に付けながら言った。
「王宮騎士団の倉庫から略奪した代物だ。そこらに出回ってる透明マントとは質が違う」
マントに魔力を込めると、ルァカスの姿が透明になった。彼に倣って全員が一度透明化してすぐ解除し、性能チェックを済ませる。グァドルフがはしゃいで称賛した。
「こりゃいいな、魔力のコストも段違いだ」
「ああ、これなら丸一日でもぶっ通しで使える」
ヴェスがトランクを閉じ、じろりと彼らを見た。
「貴重なんだから、壊さないでよ?」
グァドルフは肩をすくめた。
「わかってるって。大魔導士ヴェス様でも造れないようなお宝だもんな」
「造れないんじゃなくて、製作期間が馬鹿みたいにかかるのよ。そのレベルのマントは」
「わかったわかった」
王宮騎士仕様の透明マントの利点は魔力コストだけではない。他者の透明化魔法を看破する機能が付いており、これによって透明マントを着用した味方を視認できるため、集団の隠密行動に適しているのだ。
「お前ら、準備はいいな?」
ガルズの呼びかけに全員が応じた。エイリアンへの雪辱を誓った彼らの覚悟と結束は固い。その顔つきに満足すると、ガルズは出口へ向かった。
「行くぞ」
彼らは次々と透明化してホテルを出た。一見無人の駐車場に、ガルズの声が響く。
「ルァカス、奴の臭いを捜せ。ミルィスは空から偵察だ」
「了解」
「はーい!」
ルァカスは三つの頭を機敏に動かし、鼻をひくつかせた。三方向から立体的に臭気を捉えるケルベロス特有の探知技術の精度は、魔界において他種族の追随を許さない。
ミルィスは空へ上がり、ルァカスが先導する部隊を見守った。
「どうだルァカス。あの山の近くまで行くか?」
ガルズの問いに、ルァカスの頭の一つが首を振った。
「いいえ、その必要は無いようです」
「何? もう見つけたのか?」
「ほんの微かですが……感じます。奴の臭いだ」
頭の一つが空を仰ぎ、血に飢えた獣のように獰猛な光を放った。鋭い牙の間から荒い息を吐き、彼は言った。
「どうやら奴は……我々の想像よりも近くに潜んでいるようです」
ガルズたちの目に、同じ光が灯った。沸々と滾る、殺意の光だった。
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