第12話 監督官
戸科下市
「うん、もう大丈夫そうだから。明日は学校出れるよ。うん、平気平気」
明るい声音で話す反面、携帯端末を耳に当てる蜂尾は真顔だった。
「まぁ、またすぐ呼ばれちゃうかもしれないけど。暫くは早退が続くかも。うん。しょうがないよ、うちの親忙しいし。私が面倒見ないと」
彼女が机に広げているのは、帰り際に書店で購入したある図鑑だった。ファンタジーが主題の創作物に登場するメジャーな妖精や亜人、モンスターを取り扱った本で、元となった逸話とその出典から、現代創作における解釈まで詳細な解説が載っている。
「うん、学校行ったらノート見せてね。うんうん、ありがとね。うん、また明日ー。じゃあねー」
「……」
あの場に居た未確認生命体の中には、図鑑に載っているモンスターに酷似している者が多く居た。ケルベロス、ミノタウロス、ケンタウロス、ハーピー……他にも何体も。
蜂尾は図鑑の最後のページを開いた。ずらりと並んだ出典。これに載っているのは全て、地球人が空想したものだ。史実ではない、名前の通り単なるファンタジーに過ぎないはずなのだ。あの未確認生命体たちと特徴が一致しているのも、偶然でしかない。
そのはずだが……もし、本当のこの図鑑に載っているような者たちが原住する世界があるとしたら? こことは異なる世界、まさに異世界。彼らが使っていたのが本当に魔法で、彼らが本当に異世界から来た存在だとしたら? 突飛な考えか? お手上げだからと愚かな妄想に取りつかれてやしないか? こんな本まで買って来て……私の頭は正常か?
「……参ったな」
馬鹿げた考えだと一蹴できない自分が居る。この本をゴミ箱に叩き込むことなく、暗記するほどに全ページを読破したのは、その荒唐無稽な可能性を大いに認めているからだ。そう考えると辻褄が合う。いや、正確に言うならば……説明がつかないことに対しての手頃な言い訳を、運良く見つけてしまったのだ。
思考放棄じみた境地に達してしまっているのは、この時間までに黒森や土方から届いた報告が軒並み「正体不明」の一言で纏められてしまうからだった。
連合の膨大なデータベースとテクノロジーを以てしても解き明かせないとは。観測外の宇宙から来たエイリアンだと言われるより、異世界から来ましたと言われた方がむしろ現実的ですらあった。それほどに、連合の情報網は完璧なのだ。
「……!」
キィンと、甲高い金属音のような音色が聞こえた。やけに近場から感じたその音は、家の中で鳴っているものではない。ましてや家の外でもない。音は蜂尾の頭の中に、直接響いていた。
「来たか」
蜂尾は図鑑を閉じた。警戒モードに切り替えて一度目を閉じ、すぐに開けると景色が一変していた。
無限のような、虚無のような。真っ暗な、空っぽの空間だった。
その空間には白い机と、机を挟んで向かい合う一対の椅子が置いてあった。真っ暗闇の中、見えないほど遠い天井から降り注いだスポットライトが机と椅子がある場所だけを照らしている。片方の椅子には既に誰かが座しており、蜂尾を待っていた。蜂尾は暗闇を歩いてスポットライトの下に踏み入り、椅子に腰かけた。
対面に座る紺色のスーツを着た男が、アサルト星人が最も広く使っている公用語を操って言った。
「私は今アメリカに居てな。悪いがテレパシールームを使わせてもらう」
「いいよ、あまり慣れないけど。ここなら誰かに聞かれる心配も無いし」
正確には、男はアサルト星人の言葉を話しているわけではない。彼がテレパシーを使って頭にダイレクトに伝える意思が、蜂尾が最も得意とする言語に無意識に翻訳されているのだ。
男は限り無く人間に近いシルエットをしていたが、その顔や袖から覗く手は深緑色の鱗に覆われていた。頬まで裂けた口とぎょろりとした大きな目は、体表と相まってトカゲやヘビなどの爬虫類を彷彿とさせる。少し視線を落とすと、机の足のすぐ傍に彼から伸びた尻尾が垂れていた。
彼の名はドゥル・ライズ。惑星保護監督官。地球を担当する惑星保護官の実質的トップであり、蜂尾の直属の上司にあたる。
地球人からは
もともと彼らは地球の一部の領土権を保有していたが、惑星保護法が地球に適用されたことでそれを放棄した歴史を持っていた。エジプトのピラミッドを初めとする、太古の地球に彼らが君臨していた形跡は今なお遺っている。地球の惑星保護監督官にレプティリアンのドゥルが配属されたのは、その歴史の名残とも言えた。
「君の報告書には目を通した。黒森たちの分析から見ても、未知の存在であることは確かのようだな」
「ああ」
「我々の保護が始まって以来の由々しき事態だ。これまでに惑星保護法に違反した
「全くだ」
あの白髪の少女の目を想起させるドゥルの細い瞳孔が、蜂尾を正面から捉えた。二つに分かれた細い舌を口から覗かせ、彼は言った。
「報告書の最後にあった君の推測の一つだが……」
「……!」
あの未知の軍団が異世界から来たのではないか、という推測を蜂尾は報告書の末尾に書き足していた。ろくな成果が無くて書くことが思いつかなかったのもあるが、我ながら馬鹿なことを書いてしまったものだ、と蜂尾は恥じた。
「あれはただの思いつきだ。気にするな」
「いや」
ドゥルの反応は予期せぬものだった。
「君の推測は全くの的外れではないと、俺は考えている」
「……なに?」
蜂尾は眉間を寄せた。ドゥルに蜂尾をからかうような調子は無いし、彼はそんなことをするほど暇でも、ユーモラスでもない。ドゥルは本心から蜂尾の説を支持していた。だからこそ蜂尾は困惑した。
「あの連中が俗に言う異世界から来たと……本気でそう考えているのか? 監督官」
「いの一番に思いついたわけではない。が、いずれ同じ結論には辿り着いただろう。君の一説でそれが早まった。思い出した、と言うべきか」
ドゥルの言い回しに、蜂尾は目を丸くした。
「前例があるのか?」
「地球の古い記録にも、異世界の存在を仄めかすものはある。が、これは確証のある記録ではない」
「? なんだ、都市伝説の域を出ないのか?」
「いいや、前例は確かにある。ただし、地球の記録ではない。ここから遥か遠く……大昔に存在した銀河の記録だ」
ドゥルは机の上で手を組んだ。蜂尾を見つめる彼の瞳孔が狭まる。核心に触れる話をする時、彼の瞳は必ずそうなった。
「俺もあくまで記録を読んだに過ぎないが……地球が生まれて間もない頃の話だ。我々のアンドロメダ銀河よりもさらに遠くにある銀河の、とある惑星に異世界とこの世界を繋ぐゲートが開いた。今回我々が観測したゲートより遥かに巨大なものだ。その惑星の住人と異世界からの来訪者で、暫く世界を行き交う交流があったらしい。しかしいずれ、まぁ当然と言うべきだろう……争いが起きるようになった。こちらの世界と、あちらの世界で戦争をしたのだ」
「で、どうなった?」
「滅びた」
ドゥルの歯の隙間を細い舌が這う。彼の瞳に移る蜂尾の顔を、細い瞳孔が縦断していた。
「銀河もろとも消え去った。おそらくゲートの向こうの異世界も無事ではないだろうな」
「……銀河が滅ぶくらい珍しいことじゃないが、端折り過ぎだ。相討ちで滅びたのか? それとも異世界の勢力に負けたのか? 銀河ごと?」
「それほど大規模な戦争ではなかったさ。せいぜい近隣の惑星が数個絡む程度の戦いだった。記録によれば、おそらく戦いが起きまいが、どのみちその銀河も異世界も滅びていたとされている。戦いは、結果を早めるきっかけに過ぎなかった」
「回りくどいぞ。結論を言え」
「……異世界と我々は、関わってはならない」
ドゥルはその、地球に現存する如何なる記録媒体よりも膨大な記憶容量を誇る頭脳の中から、大昔に滅びた銀河に起きた人災とも天災とも言える惨劇の物語を呼び起こし、蜂尾に読み聞かせた。
「この宇宙に存在が許されるエネルギーの量は決まっている。それは増えても減ってもいけない。全てのエネルギーはビッグバンの延長に起きた余波に過ぎない。俺や君の存在もな。だが、異世界のゲートが開くとその均衡が崩れる。こちらの世界に在ってはならない、向こうの世界のエネルギーがこちらに流入して来る。逆も然り。実例が一件しか無く、性質上無闇に検証もできないため憶測に過ぎないが……例えるなら、拒絶反応のような現象が起きる。他所から来たエネルギーなど、この宇宙にとって異物だ。宇宙は自らの均衡を保つために、『調整』を行う。宇宙空間の綻びを補うのだ」
「そんなことが?」
「俄かには信じ難いがね、記録があるのだから事実だ。ゲートを中心に巨大な穴が形成され、銀河もろとも全てを呑み込んだ。天体ではなく本当の穴であるという点では、ある意味、真のブラックホールと言えるかもしれんな。便宜上、『ダークバルブ』と名付けられている。余分なエネルギーを向こうに送り返すと同時に、向こうに流れていったこちらの宇宙のエネルギーを奪い返した。そういう自然現象だ。銀河はそれに巻き込まれて消えた。いや、その現象のためのリソースになったと考えるべきか。異世界の方にも宇宙があるとしたら、向こうでも全く同時に同じ現象が起きたのだろうな。こちらと向こう、二つの銀河が一片に滅びたのだ」
蜂尾は怪訝な態度を隠さず言った。
「何故そんな重大な記録が、私にすら周知されていない?」
「起きる可能性が限りなく低いからさ。宇宙の長い歴史の中で、たった一度しか起きていない。記録を付け始めてからは、という注釈が付くがな。これほど確率が低いのなら、備えるメリットより周知されるリスクの方が遥かに大きい。異世界の存在をインベーダーに知られてみろ、兵器利用するのは目に見えている。君もアサルト星人なら想像に難くないだろう。異世界のゲートは、謂わば銀河を滅ぼす『ダークバルブ』を造り出す危険な装置だ」
「……なるほど、レプティリアンの相変わらずの秘密主義には納得した。そんな兵器なら独占したくもなる」
「そう言うな。結局は誰にも再現できず現在に至るのだからな」
蜂尾もこれ以上、ドゥルのスタンスを追及するつもりは無い。それよりも、想像以上に切迫しているかもしれない現状の方に、蜂尾の意識は集中していた。
「で、その記録と今の状況はどれくらい類似している?」
「状況証拠しか無いが、あの未確認生命体が異世界の住人である可能性は非常に高いだろう。我々のデータベースに無いエネルギーパターン、生命体と言語、そしてゲート。俺個人としてはほぼ確信している」
蜂尾も同意見だった。地球人が幻想した生物と異世界から来た彼らが酷似している点は説明のしようが無かったが、もはや理屈の通る存在ではないのだろう。何もかもがこちらの世界の常識や法則、固定概念の埒外に在る。彼らが操る、まさしく魔法のような不思議な力に蜂尾たちの理論で説明を付けることができないように――根底から、世界が違う。
だから、異世界と呼ぶのだろう。
ドゥルは椅子を横に傾けて脚を組んだ。瞳孔の幅が元に戻り、彼の声色は心なしか和らいだ。
「幸いなのはゲートがまだ小さく、固定されていないことだ。もし、巨大なゲートが開かれ閉じることなく持続されたとしても、猶予はある。記録では、ゲートが造られてから『ダークバルブ』が発生するまでは千年のスパンがあった。戦争で行き来が激しくならなければ、さらにその倍はあっただろう」
「宇宙規模では短い猶予だがな。それに閉じ方がわからなければ、猶予が何年だろうと開かれた時点で終わりだ」
「ゲートのメカニズムを暴く必要があるな。現状わかっているのは、膨大なエネルギーを使うということだけか」
「ああ。ゲートが開けばすぐに探知できるが、やはり開いてから駆けつけるのでは遅い。ゲートを開く方法を連中から訊き出さないとな。造り方がわかれば、壊し方もわかるかもしれない。少なくとも『ダークバルブ』とやらで破壊が可能なことは確定してるしな」
蜂尾は黒緑神社で遭遇した二体を思い浮かべた。白髪の少女と、杖を持った女だ。あの二体はテレポートが使える。ゲートと同じ技術とは断定できないが、尋問対象の候補として有力だ。
爬虫類らしく尖った爪でこめかみを掻き、ドゥルは蜂尾に尋ねた。
「蜂尾、惑星保護法の条文に異世界への対処法が明記されているのは憶えてるか?」
蜂尾は視線を泳がせ、二秒ほどで諦めると潔く首を傾げた。
「……あったっけ?」
「『不測の事態を想定した条文』の章だ」
「……あ~、あれか。上の奴らがなんか思いつくたびに書き足してるやつ。頻繁に更新してるよな。落書きだと思って読んでなかったよ」
ドゥルは嫌味たらしくため息を吐いた。
「全く、これだから現場屋は」
「あんな妄想条文、読んでる奴なんて居ないだろ」
とは言え、今の話から推察するにどうやらジョークの中に本物の条文も混ざっているらしい。連合を組んでいても所詮は異星人同士、どいつも食えない奴ばかりだと蜂尾は内心で毒づいた。
咳払いを挟んでドゥルは説明した。
「惑星保護法では、ゲートの即時破壊と侵入した異世界人の殲滅が義務付けられている。理由は先程話した通りだ」
「了解。まずは殲滅する前に、ゲートの方からだな」
「そうだ。最優先は異世界人の捜索と確保。この世界に来た目的と異世界勢力、そしてゲートの破壊方法を訊き出せ」
「手段は?」
「我が連合はインベーダーに権利を与えない。地球に悪影響が無ければ何をしても構わん」
「了解」
「異世界勢力の動向によっては戦争になりかねないが……ゲートさえ無ければ最悪の事態は防げる」
「逆に言えばゲートが開く可能性がある限り、安全は確保されないと」
「そうだ。この世界に侵入した異世界人は殲滅すれば済むが、もし異世界側にゲートを開く手段が普遍的に存在するとしたら――」
ドゥルの瞳孔が狭まった。
「我々は異世界を滅ぼさなくてはならない」
「……」
ゲートを開いた状態でそれをやると、太古の銀河のように『ダークバルブ』に呑まれる危険がある。やるとしたら、ゲートを完全に閉じた状態で実行しなくてはならない。異世界同士のエネルギーの流入が起こらなければ、宇宙の『調整』を防ぐことができる。
つまり、異世界そのものの殲滅を実行する時、惑星保護官の誰かが帰路の無い任務に就くこととなる。
自身もろとも、異世界を道連れにする任務に。
そして、その役目を負うのは――
「監督官」
蜂尾は迷い無く言った。
「了解した。ゲートを封じ、連中を殲滅する」
ドゥルはまっすぐ蜂尾の顔を見つめ、頷いた。彼もまた迷いの無い目で命じた。
「奴らは完全な未知だ、どんな魔法を使って来るかわからん。が、くれぐれも地球への被害は最小限に抑えろ。この星を守るのが、我々の仕事だ」
「ああ。上手くやるさ」
「俺も日本へ向かう。次は現実で会おう」
「ああ」
頭の中に、あの甲高い音が鳴った。瞬きすると、蜂尾は自室に戻っていた。
ドゥルと話している間に、黒森から追加の報告が届いていた。蜂尾は視界にメッセージを映して一読し、簡潔な返信を送った。立ち上がり、カーテンを少し開けて外を覗いた。夜空に浮かんだ月が地上を見下ろしている。蜂尾は望遠機能で月のクレーターを細部まで眺めた。
「……本当に小さな星だな、ここは」
机の上の図鑑に目をやる。外から来た知的生命体の目的の大半は侵略行為だ。同じような者たちを、蜂尾は何度も返り討ちにして来た。もっと前には、数え切れない惑星を侵略し、あるいは滅ぼして来た。宇宙では当たり前に繰り返される生存競争だ。
相手が異世界の住人だろうと、やることに変わりはない。魔法使いだろうが、悪魔だろうが、魔王だろうが関係無い。
抹消する。今までもそうして来たように。敵が滅ぶまで、ただひたすら殺し尽くすのみだ。
「滑稽だな」
蜂尾は望遠機能を解いて月を仰ぎ、語りかけるように言った。
「こんな石ころのために……何をしてるんだか」
カーテンを閉じ、電気を消した。ベッドに寝転んだが眠りはしなかった。元より、アサルト星人に眠りは無かった。彼女の祖先は、戦闘以外の時間を過ごすことを想定した進化など、しなかったのだ。
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