第9話 解剖
午後六時半を回った。黒森は職員用のエレベーターに乗ると、地下一階と地下二階のボタンを同時に押した。
眼鏡越しに各階のボタンを見ると、奇怪な文字が重なって映った。それらの文字は表示するたびにランダムな位置に現れる。黒森はパスワードを入力し、再び地下一階と地下二階のボタンを押した。照明が全て消灯し、真っ暗なまま箱が下降し始めた。
箱は病院の地下の、さらに地下。案内図にも、この病棟を建てた建設会社の青写真にも存在しない、地下深くへと降りて行った。数十秒経ってようやく停止すると、消灯したままドアが開いた。
ドアの向こうも暗闇だったが、黒森の眼鏡には長い廊下がはっきりと見えていた。廊下の両脇の壁には、奇怪な文字の書かれたドアがいくつも並んでいる。黒森は手前から五つ目のドアの前に立ったが、ドアノブが無い。黒森の眼鏡には、ドアの中央に奇怪な文字が映って見えていた。黒森がその文字を指で触れてパスワードを入力すると、ドアがスライドして開いた。
部屋に入ると同時に、天井から降り注ぐ消毒レーザーを浴びた。テニスコードほどの広さの部屋はがらんとしており、全ての面が銀色だった。歩くとコツコツと固い感触がしたが、コンクリートとも鉄とも違った。中央の天井に円形の窪みがあり、そこだけカラフルな万華鏡のようになっている。黒森はその万華鏡の下で立ち止まった。
「おーっす」
部屋の奥にある搬入口に飛行車の後部が差し込まれ、二人のクリーン星人が死体袋を下ろしていた。搬入口の傍でその様子を眺めていた蜂尾が、黒森に気づいてこちらを向いた。
「お久ーっす蜂尾さん」
「遅かったな」
「医者不足で忙しいんですよー。蜂尾さんはいいすよねーJKで」
「女子高生もなかなか大変だぞ」
クリーン星人が最後の死体袋を下ろし終えた。
「僕らはこれで」
「南田によろしく」
「はい、失礼しやす」
黒森は手を振った。
「おつしたー」
尻尾で一礼し、クリーン星人は飛行車に乗り込んだ。飛行車が去ると搬入口が閉じ、継ぎ目の無いまっさらな壁になった。
蜂尾が床に並んだ死体袋を顎で指した。
「数が多かったから、他の部屋にも十体ずつ置いてある。だいたい二十種類のタイプがいて、似てる奴は同じ部屋に揃えて置かせた」
「あざーす。登録に無いってマジすか?」
「外見上、特徴が似ている異星人は存在するが完全一致はしなかった。DNAを調べて欲しい」
「私の手に負えますかねー。連合のデータベースにすら無いって大事件じゃないすか」
「ああ。だから困ってる」
黒森は手近な死体袋の前にしゃがみ、ファスナーを開けて中を覗いた。彼女はにこにこ顔で蜂尾を見た。
「蜂の巣っすねー」
「だいたい全部、そんな感じだ。あとスムージーみたいになってるやつもある」
「うわホントだ。じゃー比較的原型あるやつからバラしますかねー。毒性あるやつあります?」
「血が強酸性の個体が一体、隣の部屋だ。袋に印が付けてある」
「あざす。なんかデカいのもありますね?」
「最大十メートルの個体も居る」
黒森は手を叩いて笑った。
「でっけ~。大仕事ですなー」
黒森はいくつか死体袋を開け、形の残っている死体を選んで部屋の中央まで引きずった。
「助手役を連れて来るか? くーちゃんとか」
「いやー一人でいいっすよ。自分のペースでやりたいんでー」
死体袋から出した死体は、首から上が鳥でそれ以外は人間だった。蜂尾の機銃掃射の餌食になったらしく、胸に無数の穴が空き片腕と下半身が無い。
天井の万華鏡が回転を始める。万華鏡の真下の重力が弱まり、死体が浮き上がった。これが黒森の“解剖台”である。
「じゃ、早速始めますねー」
雫となって浮遊する血や体液をぱくっと口に入れ、黒森はソムリエのように時間をかけて吟味した。
「どうだ?」
「微妙な味ですね」
「味の感想ではなく」
黒森は腕を組んで思案顔をした。
「初めて味わう血液型ですねー。見た目の通り鳥と地球人に似た遺伝子を感じますが……うーん」
黒森は死体の傷口から臓物の一部をむしり取り、やはり口に運んだ。咀嚼しながら頭の方へ回ると、手の爪で頭蓋を切り取った。彼女の爪はノコギリ状で、骨すら容易く切断した。露出させた脳を開いて中身を検めてから、一部を指で掬い取って食べる。
医療用メスより鋭利な黒森の歯が、口内で肉片を細かく切り刻んだ。ぐちゃぐちゃにした肉片を五万種の細胞から成る、手足より精密な舌が弄ぶ。咀嚼を続けながら黒森は話した。
「細胞も手を加えた痕跡が無いなー……むぐむぐ……キメラじゃないみたいですね、純粋な進化の結果か。むぐむぐ……へー凄いなぁ、DNAレベルで本当に私たちの知らない生き物ですよ、これ」
黒森は死体の周りをぐるぐると歩き回った。
「何よりも不思議なのは……むぐむぐ……全身に染み込んだ未知のエネルギーですね。もう活動は止まってますが、残滓が確認できます。でもエネルギータンクに該当する臓器が見当たらない……これは代謝の一種……?」
蜂尾は首を傾げ、黒森の赤く濡れた唇を注視した。
「つまり?」
「未知のエネルギーは肉体を常に循環しているようです。血液のように」
黒森は満足いくと口内の肉片を呑み込み、唇に付いた血を舌で器用に舐め取った。異様に長い舌がちらりと覗いた。
「それだけじゃない。細胞の核にもその未知のエネルギーが含まれています。遺伝子情報の一つとして」
「……細胞一つ一つがエネルギーを宿していると?」
「そうなりますねぇ、全身がエネルギーの塊というわけです。ただしエレクトリック星人のような電子生命体や高エネルギー生命体まで発展することなく、実体も維持している。奇跡のようなバランスの生物です」
蜂尾は他の死体袋を横目に見た。
「こいつら全員が、その奇跡の存在かもしれないわけか」
「まーそれは調べてみないことにはわかりませんね」
「こいつらはどこから来た? 外宇宙か?」
黒森はお手上げといった風に肩をすくめた。
「データベースに無いので、消去法的にそうなりますが……今言えるのは、正体が全くわからないということがわかった、ということだけですねー」
「……」
「かなり数が居るみたいですけど、発見した個体はこれで全部ですか?」
「いや、まだどこかに潜伏している」
「わぁお」
黒森は茶化すように言った。
「久しぶりの狩りじゃないですか。腕が鳴りますねぇ」
蜂尾は辟易した調子でかぶりを振った。
「楽しいもんじゃないよ。戦場なら好き放題撃てるが、保護対象惑星じゃ制約が多い。痕跡は残せないし、地球人を巻き込まないように慎重に事を運ばないといけない」
「そのための惑星保護官でしょう?」
「まぁね」
視界に時刻を表示すると、蜂尾は壁に触れて搬入口を開けた。
「解剖のデータがまとまったら連絡してくれ」
「忙しそうですね」
「この後も何カ所か回る。監督官にも報告しないとな」
「うひゃー大変すね。なるだけ解剖急ぎますんで」
「助かるよ」
搬入口から暗闇の中へ消えて行く蜂尾の背中に、黒森は手を振った。
「お気をつけてー……つっても、蜂尾さんにゃそんな心配要らないか」
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