桜花賞 偉大なる両親を超える為Ⅳ

 阪神ジュベナイルフィリーズに出走し、GIの雰囲気は両者共に掴めただろう。そう考えた調教師は紫音に調教の為に来て欲しいと頼んだ。そこでシルキーの特徴や武器、癖を見つけて欲しいという狙いだ。陣営だけが把握していても鞍上で指示を出すのは騎手なのでしっかりと彼女と話し合って、どんな風に動いて欲しいのかなど細かい事まで指示を出せるようにしなければならない。その為、紫音は厩舎に行き馬の状態を確認するところから始めた。


「シルキー、調子はどう?私は今日と明日は君と一緒に居られるから君の事を色々教えてほしいな」

『うん、大丈夫だよ!でも私も貴方の事が知りたいな』


 馬は話せない。そんな事は誰もが知っている事だ。だが、彼女には馬がそう言っているような気がしてならない。そしてこの言葉が嘘ではなく本心であるという事もわかる。何故かは分からないが彼女は時々人のような気配を感じる事があるからだ。それくらい賢いという事でもあるのだろう。その賢さは彼女がこれまで見てきた誰よりも群を抜いていた。

まず彼女の走りを見て感じたのはとにかく力強い事だった。他の馬に負けないくらいのスピードで走っているのに、まるで力んでいる様子が無いのだ。これは非常に大きな武器になるだろう。また、パワーだけでなく瞬発力も申し分ない。あの加速なら差し脚質もいけるのではないかと思える程だ。しかしコーナーは大の苦手のようで、そこだけが課題となるだろう。だが、今の彼女ならそれを改善していけば確実にGIを勝てるだけのポテンシャルがあると感じた。シルスキーの産駒傾向的に彼女も差しは出来るのだろう。ただ、馬群に飲まれるのが苦手なのと前を走りたがる性格なので先頭で引っ張る方が合っている。それに逃げ切りというのも一つの選択肢として良いのかもしれない。

 そんな予想を立てながら調教師の先生とその助手に己が感じた事を嘘偽りなく報告する。すると先生が紫音の予想を聞いて嬉しそうに頷いた。どうやら同じ意見だったらしい。この先生、普段は少し抜けたようなところがあるのだが、馬の事となると別人のように変わる。

きっと自分の目に狂いはなかったのだと確信した。


「流石だな藤崎さん、私よりも鋭いじゃないか。その通りだよ。この子には先行や逃げの方が合ってると思う」

「ええ、俺もそう思いますよ」


 やはりそうか、と先生、助手さんの後に彼女も頷く。末脚を使えるなら凄まじい追い上げをするのだろう。だが、それが出来る性格じゃないのも事実で、逃げ切る為にはどうするか、というのが今後の課題だろうと落ち着いた。先生の話によるとシルキーの弱点はその気性らしい。かなり気難しいようで気に入らない騎手だとすぐに降ろそうとするのだという。しかも一度機嫌を損ねるとなかなか治らない。特に初めての調教では顕著に出るそうだ。だから紫音が彼女を気に入ってくれて助かったと言われた。気に入られてなかったら間違いなく降ろしていたかもしれないと言われたので背筋が凍ったものだ。

 この日の調教はシルキーとコミュニケーションを取る事に費やされた。初めてにしてはかなりの好感触だったようだ。まだ1日目だというのにシルキーが紫音に心を許している様子が見て取れる。パドックや地下道で話しかけていたのが良かったのだろうか、はたまた紫音が普段からそういう喋り方だからだろうか。いずれにせよ、馬が心を許してくれたというのは非常に嬉しい事だ。このまま仲良くなっていければ良いなと思いながらその日は終わった。

 翌日は朝から雨が降っていた。雨の中でもやるのかと調教師が心配そうな表情を浮かべていたが、紫音はあまり気にしてなかった。

重馬場の経験の有無ではレース運びが変わってくる事もある。彼女は逃げが得意なのだから雨だからといってスピードを落としてしまうと直線で差されてしまう恐れがあるからだ。逆に得意戦法である逃げが出来なかったりすれば苦戦を強いられる事になるかもしれないのだから対策は必要だ。幸いにも今日は午後からの調教で時間はある。

最初は慣らすように軽く走る程度で済ませ、途中から少しずつペースを上げていった。そしてラスト1ハロンは流す程度にして終了だ。タイムを計りながらメモを取っていく。昨日までの走りと比べてみてもかなり良い出来になっていた。これならばトライアル戦も本番の桜花賞も勝てる可能性が見えてきた。とはいえ油断は禁物なのでしっかりと手綱を握りながら調整を続けていく。


「シルキー、雨の中走るのはどう?」


 自身もずぶ濡れだが触れ合うのが楽しく、彼女に問いかけるととても楽しいと答えたように思える。彼女にとって雨の日の運動は非常に気持ちが良いものらしく上機嫌になっているようだった。首を撫でると目を細め嬉しそうな表情を浮かべるものだからもっと喜ばせたくなってしまう。

そんなやり取りを何回か繰り返していると調教師の先生からそろそろ戻ってこいという声が掛かる。名残惜しいが仕方がない。彼女は厩舎に戻って行くので見送ってから自身も中へ入っていく。

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