第28話:祈り

「……」


 トシリアス先生は後ろ姿しか見えないけど、組んだ手を頭の上に掲げて祈っていることがわかる。

 いったい何を祈っているんだろう。

 注意深く様子を見ていると、奥の壁に不気味な絵が刻まれるように描かれていたのに気がついた。

 黒いもやのような、オーラのような、それでいて死神のようにも見える不思議な絵だ。

 すぐ行動に移れるように深草兎歩を解除して近づく。

 だけど、トシリアス先生の様子がおかしい。

 その体が黒っぽいオーラに包まれているのだ。

 授業のときはそんなことなかったのに……。


『聖属性の娘を殺しそこなった罪は重いぞ』

「申し訳ございません、ルシファー様。あの娘さえいなければ、万事うまくいったのですが……」

『言い訳は聞きたくない』


 え、ウ、ウソ……聖属性ってメイナのことだよね。

 殺しそこなうって、トシリアス先生が毒を入れたってこと?

 な、なんで?

 突然のことで理解が追いつかない。


「思い返せば、入学時から見たこともない魔法を使う生徒でした。あちらを先に処理すればよかったかもしれません」

『闇魔法の一番の敵は聖属性。俺様の完全な復活のためには、あの娘を亡き者にするのが必須なのだ』

「はっ」


 にわかには信じられないけど、どうやら本当にメイナを殺そうとしたらしい。

 学院の裏でこんなヤツが暗躍していたなんて。


『それに後をつけられたな』


 ルシファーと呼ばれた邪悪な存在が言う。

 私は心臓が跳ね上がりそうになったけど、必死に平静を保った。

 き、気づかれている?

 いや、まだ気配までは悟られていないはず。


「……とおっしゃいますと?」

『入り口を開けようともがいている雑魚どもがおる。絶対に気づかれるなと言ったはずだろう』

「な、なんと……! 申し訳ございません」


 トシリアス先生は懸命に謝っている。

 その様子から、両者の明白な上下関係が明らかだった。

 でも、どうしてトシリアス先生が。

 生徒想いの厳しくも優しい、良い人だと思っていたけど……。

 もしかして、操られたりしているんじゃないのかな。


『我が領域に侵入しようとするとは浅はかな者どもよ。そんなことは万に一つもありえないが』

「ルシファー様の魔法は世界最高でございます。」

『待て……誰かおるな』


 黒いもやが言った瞬間、大慌てで岩陰に深く隠れた。

 トシリアス先生がこちらへ近づいてくる気配を感じる。

 まずい、まずいよ、これは。

 完全に気配を断っていたつもりだけど、気づかれてしまったらしい。

 すぐに胆力を巡らせ印を結ぶ。

 <陰遁・隠れみの術>!

 すぅぅっと体が周囲と同化する。

 全身が透明になった瞬間、トシリアス先生がすぐ近くまで来た。


「誰もいないようですが……」

『いいや、俺様にはわかる。今、我々以外にもこの洞窟には誰かおるのだ。貴様の身体を貸せ』

「わかり……ぐああ!」


 トシリアス先生の叫び声と同時に、その体を黒いもやが覆っていく。

 な、何が起こっているの。

 やがて、トシリアス先生は黒い影みたいな存在になってしまった。

 輪郭は不鮮明で、それこそガスの塊のようだ。


『ふむ……まだ早すぎたかもしれないが、悪くはないか』


 影は腕を回したりして、体の具合を確認している。

 と、顔の中心部が縦に裂け、赤い目玉がギロリと現れた。


『隠れていないで出てきたまえ。闇魔法、<ダークネス・エクスプロネーション>』


 トシリアス先生だった漆黒の影を中心として、黒い波動が洞窟中に伝わる。

 きっと、誰かいないか調べているんだ。

 でも、私の<隠れみの術>は解けていない。

 だから、大丈夫なはず……。


『ふむ……』

「……!」


 突然、影が私目掛けて切りかかってきた。

 手の先はナイフのように鋭く尖っている。

 寸でのところで躱したけど、<隠れみの術>は解けてしまった。


『ほぅ、何が隠れているかと思えば、小娘一人か。我が闇魔法の目をかいくぐるとは、なかなかの手練れよ』


 影は目を細め、クックックッと笑っている。

 明らかにゲーム内の存在ではない。


「あ、あなたは何者なの!?」

『端的に言えば、この世界を統べる者……だな』

「ふざけたこと言ってないで、トシリアス先生を返しなさい!」


 強く言っても、噛み殺したように笑う影。

 その不気味な雰囲気が、この世界の存在でないことをことさら強くさせる。

 笑いながら、影は両手を私に向けた。

 な、なにをしてくる?


『それはできない相談だ。闇魔法、<ダークネス・インフィニッテ・ハンド>』

「うわっ!」


 赤ちゃんみたいな小さな手が無数に襲い掛かってきた。

 

『貴様も取り込んで復活の糧にしてやる』

「絶対に、イヤっ!」


 こつの手には触れちゃいけない気がする。

 かなり速いけど、じーちゃんの手裏剣よりずっと遅い。

 逃げながら周囲の地理的状況をよく観察する。


『クソッ、なかなかやるな』


 こいつがメイナを殺そうとした張本人。

 こんなところで負けちゃいけない。

 むしろ、捕まえてやるんだ。

 逃げながら集めた小石を力強く握る。

 

「<龍渡式・手裏剣術>!」

『ぐっ……!』


 手裏剣の投擲を応用して小石を投げる。

 ビシビシっと当たると、影は少しだけひるんだけど、大したダメージは与えられていないらしい。


「あなたはここで捕まえるわ!」

『ええい、煩わしい! いっそのこと殺してやるわ! 闇魔法、<ダークネス・プレス>!』

「なっ!」


 洞窟がゴゴゴ……と揺れ、壁が勢い良く迫ってきた。

 いや、地面も天井もそうだ。


『圧縮されて死ぬがいい!』


 この厚さの壁をすり抜けられるかはわからない。

 一度脱出した方が良さそうだ。

 全速力で出口へ向かって走る。

 走りながら胆力を貯めて、印を結ぶ。

 <陰遁・すり抜けの術>!

 入ってきたときと同じように壁をすり抜ける。

 出たところには学院長始め、ゲームの面々がいた。

 私を見ると、みな勢い良く駆け寄ってくる。


「ノエル様が帰ってきましたわ!」

「ノ、ノエル嬢! 心配したぞ!」

「学院長先生、大変です! 洞窟の中でトシリアス先生が……!」


 私たちの後ろで岩が突き破られ、黒い影が現れた。

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