第19話:邂逅
「うっ……ここは……?」
目が覚めたら、ぷかぷかと宙に浮いていた。今まで感じたことがないような感触に包まれている。体の全部が柔らかいクリームに閉じ込められているような感じだ。え!? なにこれ!?
ジタバタしても、ちっとも進まない。おそらく、ここは現実世界ではない。いや、乙女ゲームの中が現実世界というのも変だけど。も、もしかして私は……。
「……死んだ?」
〔こんにちは、龍渡のえるさん〕
「っ!?」
突然、後ろから女性の美しい声がした。なに、なに、なに、なに? こんなところに誰がいるってのよ。明らかに人間ではなさそうだ。キレイな声なので余計に怖い。ま、まさか……死神? 怖くて振り向けない。
〔怖がらせてごめんなさい。大丈夫、安心して〕
ん? そういえば、この凛とした声には聞き覚えがある。どこかで聞いたような……おまけに、なんだか馴染み深いぞ……。!?
「ノエル・ヴィラニール!?」
振り向くと、黒髪黒目の美しい令嬢が立っていた。この世界の私と同じ背格好の女性。まさか彼女だったとは思わなかった。安心したようなビックリしたような複雑な心境だ。
〔初めまして……というのもおかしいわね。私はずっとあなたに会いたかったよ〕
お、おお……ほ、本物のノエルだ。やっぱりキャラデザが素晴らしいね。ふつくしい……。この世界の私は彼女の姿をしているのだけど、私より数段美しかった。しばらく見とれていたけど、ノエルを見ていたらハッとした。
「どうして、あなたがいるの? というか、ここはどこ?」
〔一言でいうと、私の意識の中……とでも言えるかしらね〕
ノエルはスッと静かに浮いてこっちへ来る。優しく私の手を握った。
〔あなたが来てくれて……本当に良かった〕
「あ、あの、私もあなたに出会えてとても嬉しいです」
予期せぬセリフだったのと、ノエルがキレイ過ぎて挙動不審になってしまった。やはり、実物の美しさはレベルが違うのだ。
〔私は……ここがゲームという世界の中だとわかっているの〕
「え! そ、そうだったの!?」
驚きのあまり激しく動揺した。ノエルがこの世界のことを知っていたなんて。
〔私は悪役令嬢という断罪されるべき人であることもわかっている。私の役割は殺されること。どんなに頑張っても、私は必ず殺される運命。……その事実を知ったときは本当に辛かった……〕
ノエルは伏し目がちに呟いていた。彼女のこんなに悲しい顔はゲームでも見ることはなかった。裏では恐ろしく辛い気持ちでいたのだ……。ノエルの境遇を思うと悲しくなった。
〔そして、私は必ず死ぬ……いや、処刑される運命だということも知っているわ。何度も経験してきたからね〕
「な、何度も……経験してきた?」
〔1年生の終わりに処刑されて、目が覚めたらまた子ども時代に戻っているの。ふふ、おかしいでしょう?〕
「……」
〔あなただけよ。こんな私を気に入ってくれたのは……〕
彼女は悲しい笑みを浮かべたままだ。きっと、色んなユーザーが『アリストール魔法学院は恋の庭』をプレイするたび、ノエルは死んでしまっていたのだ。かける言葉が見つからない。私が呆然としている間も、彼女は説明を続ける。
〔魔法だって、いくら練習しても上達しなかった。身体にロックがかかっているみたいに、まるで力が出せないの〕
魔力しか出せなかったことを思い出す。たしかに、身体の力が封じられているような感じがした。
〔自分にどんな魔法がかかっているか調べるために、私は世界中の魔導書を集めて読んでいたの。私はその謎を突き止めるために、敢えてアリストール魔法学院に入学した。学校に行けば何かわかりそうな気がしたから。でも、何も変わらなかった〕
「……だから、あなたの部屋にはたくさんの書物があったのね」
〔ええ、でも何もわからなかった。無駄な努力だったわ〕
「ノエル……」
彼女の言葉には、怒りや憤りといった感情はない。ただただ、諦めと悲しみが滲んでいるだけだ。
〔私は、自分を処刑する人になるであろう王子たちとも交流を断ったわ。やっぱり何も変わらなかったけどね〕
「そう……だったの……」
ノエルの話を聞くたび、悲しい真実がわかっていくようだった。
〔いつしか私は誰も信用できなくなって、周囲に厳しくあたるようになってしまったわ。今思えば、それが邪悪な存在の目的だったのかも……〕
「じゃ、邪悪な存在ってなに?」
初耳だ。ゲームの中でさえ、そんなものは聞いたことがない。
〔この世界を支配しようとしている悪い魔力の塊よ。何度も処刑と転生を繰り返しているうちに、私はその存在に気付いた〕
「それなら、私がそいつを倒してやる! どこにいるのか教えて! あなたをこんなに苦しめるなんて許せないもの!」
〔ごめんなさい……悪い魔力の塊ということしかわからないの。ヤツは巧妙に姿を隠しているから〕
ノエルは悔しそうに歯を食いしばっている。彼女の気持ちを思うと、私の胸も締め付けられるようだった。
〔でも気を付けて。邪悪な存在がこの世界をおかしくしようと企んでいる。魔石採取のときに出てきたモンスターもそうよ〕
「あっ、ヘルウルフたち! どうりでシナリオになかったわけね」
〔私を殺せなくなったから、今度は違う人間を殺そうとしているの。あなたの友達を……〕
「メイナや攻略対象ズたちが……」
もしあのとき、私が忍術を使えなかったら……と思うとゾッとした。同時に、邪悪な存在への怒りが湧いてくる。
〔お願い、友達を守って。あなたの友達は私の友達でもあるの。あなたのおかげで、私は普通の学生生活が送れるようになった〕
ノエルは私の手を握る。彼女の体温と一緒に温かな優しさが伝わってくるようだ。その真摯な顔を見ていると思うことがあった。できることなら……ノエルに新しい人生を送ってほしい。処刑なんて関係ない、楽しい学院生活を過ごしてほしい。それに、この身体は元々彼女の物だ。
「だったら、あなたに体をお返しするわ。幸か不幸か、処刑フラグも回避できそうだし。メイナにもすごく好かれているのよ。ブレッドやアンガー、カルムだって私を……」
〔ごめんなさい、のえるさん。それはできないの。私にそんな力はないわ。……のえるさん、あなたに出会えて良かった。私の代わりに……最後まで生きて。幸せになってね〕
ノエルは微笑んでいた。彼女の身体は少しずつ消えていく。ダ、ダメ! 慌て抱きしめようとするけど、私の腕は空を切る。もうノエルの姿は薄っすらとした面影しか残っていない。彼女は最後まで笑顔だった。
「ノ、ノエル! 待って!」
〔私は……あなたの心の奥底で……ずっと見守っているわ〕
美しい声は空気に溶け込むように消えていく。私は白い空間にポツンと取り残された。悲しき悪役令嬢はいなくなってしまった。彼女は最後の力を振り絞って私に会いに来てくれた。ノエルのためにも……私は絶対幸せになるんだ。
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