第8話:来ないで手下
「じゃあ、学校に行ってくるわ。留守はよろしくね、ロイア」
まだ始業まではだいぶ早い。だけど、私は学校に行く準備をすでに終えていた。トシリアス先生に怒られるのはいやだからね。五分前どころか十五分前行動をすることに決めたのだ。これならさすがの野郎も文句はないだろう。
「行ってらっしゃいませ、ノエル様……」
見送りのロイアは何か言いたげだ。何やら残念そうな顔をしている。
「どうしたの、ロイア。何か悲しいことでもあった?」
「あ、いえ……」
聞いても伏し目がちに呟くだけだ。ちょっと、余計気になるじゃないの。大切なメイドの問題は解決しておかないと。処刑フラグが間近に迫ったときは、ぜひとも彼女に助太刀をしていただきたい。幸い、始業までの時間はまだたっぷりある。
「もし話したくないのなら、もちろん話さなくていいわ。でも、私が力になれそうだったら遠慮なく言ってね。私に解決できることかもしれないわ」
「ノエル様……し、しかし、メイドの身分でノエル様にお願いごとを申し上げるのは……」
「ロイア」
彼女の手をそっと握る。
「遠慮なんていらないわ。あなたは私の大切なメイドなのよ」
「ノエル様……うっうっ……あんなに厳しかったノエル様が……本当にお優しくなられて……」
ロイアはハンカチで目を拭きながら、さめざめと泣いている。感極まって泣いてしまったようだ。もしかして、結構深刻な悩みなの? そう思うと緊張してきた。
「そ、それで、何があったの?」
「うっうっ……教室への移動のことでございますが……」
「移動?」
予想だにしないことだった。遅刻しないように寄り道するな、ということだろうか。そうか、初日は遅刻寸前だった挙句、いきなり補習させられたもんね。きっと、公爵家のメイドとして恥ずかしかったのかもしれない。彼女にも悪いことをしてしまったようだ。
「大丈夫よ、ロイア。今日からは遅れないように早めに出るから。十五分前行動なら、さすがにトシリアス先生も怒らないでしょうよ」
「……今日は屋根の上を走って行かないのですか?」
ズルッとずっこけそうになった。
「や、屋根の上を走るって……ロイア……」
「ノエル様、私はあの刺激を忘れられないのでございます」
おおっ……ふっ。彼女の瞳はキラキラしている。どうやら、すっかりバイオレンスの魅力にやられてしまったらしい。全年齢向けのメイドキャラには刺激が強すぎたようだ。ロイアはぽぉ~っとした表情で話を続ける。
「毎朝時間の流れと戦い、凶暴な悪漢と戦う……そんな刺激にあふれた日々はもう送れないのでしょうか。私はあのような刺激的な毎日を送りたいのでございます」
「ちょ、ちょっと話を……」
ロイアは私の手をひしっと握る。そんな麗しい瞳で見たってダメなものはダメ! また遅刻したらトシリアス先生に絞られて悪目立ちするでしょうが。私は静かに学園生活を送らないとい
けないんだから。アンガーだって毎日屋根の上にいるわけないでしょう。いや……あいつはいつもいるような気がしてきた。
「ノエル様、ぜひともあの刺激的な日々を送らせてくださいまし」
「ダ、ダメよ! 絶対にダメに決まっているわ!」
「そこをなんとか……」
「もう時間だから行ってきます!」
「あっ、ノエル様~」
ロイアを振り切って寮を出る。あぶねー。これ以上、攻略対象ズとは接触したくないって。ふと、屋根の上を見ると、赤い髪の男がいたような気がしたけど、気づかなかったフリをしておいた。意外と普通に振舞うのが一番良い対策なのか?
トシリアス先生に睨まれながら午前の講義(よくわからない魔法の論理だった)を終えると、さっそく学園生活特有の悩みにぶち当たった。昼飯だ。ゲームの世界でも腹は減る。一応、お金は持っている。これでも公爵家のご令嬢だし。人の流れに沿って歩いていくと、大変豪華な食堂があった。さすがは一流貴族たちが通う学院。金がかかっていそうだ。ここまで来てなんだけど、食堂はイベント多発の魔境なので、寮で食べようと思っていた。その方が安全だからね。今朝もロイアが作ってくれたし。食堂の前を素通りして寮へ向かう……ことはできなかった。足が固まって動けない。なぜか? ……なんともまぁ、良い匂いがしてくるのだ。ゲームでもなぜか食事の描写は結構凝っていて、これまた美味しそうだった。思わず自分で作ろうとするほどに(焦げカスしかできなかった)。
「ね、ねえ、ノエル様もお誘いした方がいいんでしょうか……お一人でいらっしゃいますわ……」
「い、いや、おやめした方がいいと思いますわ。私たちのような下級の者たちに誘われてもご迷惑でしょうし……」
「怒りを買ってあの不思議な魔法で襲われたら粉々になってしまうでしょう……」
クラスメイトのモブ令嬢たちが、私を見てヒソヒソ相談している。やはり、初日の立ち回りはまずかったらしい。ただでさえヴィラニール家は三大公爵家なのだ。距離を置かれてもおかしくはない。さて、さっさと帰るか。寮で過ごすとはいえ、昼休憩はイベント多発ポイントだ。思い出すだけで「メイナが作ったお弁当をブレッドが食べに来てノエルが台無しにする」、「メイナが一人でご飯を食べていたらアンガーがやってくるが、ノエルが台無しにする」、「メイナがカルムを食事に誘ったらノエルもくっついてきて台無しにする」……挙げだしたらキリがない。
でも、いずれもノエルが自分からイベントを破壊している。単純に考えると、メイナ及び攻略対象ズの近くにいなければ何とかなりそうだ。逆に言えば、寮で食べれば安全ということね。
「「ノエル様。お昼ご飯をご一緒してもよろしいでしょうか?」」
「え?」
気がついたら、悪役令嬢顔の女性三人に囲まれていた。威圧感が半端ないんですけど。
「な、なんでしょうか?」
「せっかく同じクラスになりましたので、ぜひお昼ご飯を一緒に食べたく存じますの」
なんか見たことあるメンツだな……。その瞬間、私の頭に衝撃が走った。こ、こいつらはノエルの手下三人衆だ。ノエルと一緒にプレイヤーをいじめてくる性悪な貴族令嬢たち。私は勝手に手下ズと呼んでいた。どこかで見たと思ったらゲームの知り合いだったか。
「わ、私は寮で食べますので、どうぞお気になさらず……」
「「何を仰いますか。ノエル様は食堂で召し上がるべきでございますわ」」
「あ、いや、ちょっと!」
あれよあれよと食堂に連行される。知らないうちにパスタを買わされ、「さあ! さあ! さあ!」と無理やりテラス席に連れてこられてしまった。なんか、座りたそうにしていた人たちが怖そうに逃げて行ったのは……気のせいよね? そして、一番見られたくない人に会ってしまった。ゲッ、メイナ!
「邪魔よ、どきなさい! この平民が!」
「も、申し訳ございませんっ!」
メイナは私たちを見たかと思うと、すぐに向こうへ逃げて行ってしまった。まずいよ、まずいよ、まずいよ? 悪役たちの親玉として認識されたのは間違いない。これでは処刑フラグに近づいてしまうじゃないの。席に着くや否や、手下ズはメイナの悪口で盛り上がる。
「ノエル様。あのメイナとかいう平民出のこと、どう思われますか?」
「ちょっと珍しい聖魔法が使えるから調子に乗っていますよね」
「みんなのブレッド様に色目を使うなんて、本当にはしたない女性ですわ!」
賛同できるわけないので適当に無視する。貴族令嬢も田舎の女子高生も変わらない。
「このお料理、とても美味しいでございますわね」
パスタだけはめちゃくちゃ美味しかった。
□□□
その後、午後の講義もトシリアス先生に睨まれながら無事に終え(よくわからない語学の勉強だった)、寮へ向かって歩いていた。昼間、目撃事件はあったわけだけどメイナとは相変わらずだ。怖がられているようだが、ただそれだけだと思う。まだ嫌われてはないはずだ。それがいいのかはわからないけど。とりあえず、このまま少し様子を見るか。下手に刺激するのもまずいしね。部屋に戻ったら、今後の立ち回りを検討し直そう。まずは手下ズをどうにかしないと……。
寮まであと少しというところで、女性の声が聞こえてきた。何やら抵抗するような声だ。
「や、やめてくださいっ!」
「いい加減にしなさい! 目立とうとするんじゃありません!」
「あんたは鬱陶しいのよ! 平民出身のくせに良い気にならないで!」
「ちょっと点数がいいからって自慢げにするなんてはしたないですよ!」
……マジか。手下ズがメイナをイジメていた。
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