03_別れ
心電計がピーと音を立てて、セナの心臓が止まったことを淡々と告げる。
ボールを拾おうとした誰かの子供が、車に轢かれそうになった。セナは咄嗟にその子供を救い出し、代わりに車に轢かれてしまったのだ。車に轢かれた時の当たりどころが悪く、病院に運ばれたものの帰らぬ人となった。
父親の死を病院から伝えられ、家に帰ると父親を元気づけるために、飾り付けた装飾とケーキが残ったままになっていた。本来なら、ここでみんなでパーティをして楽しむはずだった。そのことが、3人の親子の心を酷く抉った。
「お父さんが……お父さんが……」
「どうしてだよ……お父さんがなにをしたっていうんだよ」
コナタとカナタは、涙を流して顔をクシャクシャにさせる。溢れ出る涙が頬を伝い、ポタポタと床に零れ落ちる。そんな子どもたちの小さな背中をカナは優しく抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫だからね。お父さんは天国に行ったの。きっと、向こうで元気にしてる。今は、悲しいけれど、一緒に頑張って生きていきましょう」
「お母さん……お母さんはどこかに行ったりしないよね」
コナタは、涙を流して真っ赤になった顔で、母親に問いかける。
「当たり前じゃない。私たちはずっと一緒よ」
カナは、カナタとコナタを両腕でぎゅっと包み込む。ほんとは溢れ出そうな涙を流してしまいたかったが、彼女は子供の前では、自分が涙を流す姿を見せなかった。
二人が疲れ切って眠りについた後、彼女は一人リビングで体を震わせながら堰を切ったように泣き崩れた。
途中で目を覚ましていたカナタは、偶然、扉の隙間から母親の泣き崩れる様子を目撃していた。母親の悲しむ姿がカナタの心に深く刻まれ、顔に影を落とす。
お母さんは、俺たちと違って強いんだと思ってた。ほんとは泣き崩れる程、辛かったんだ。俺たちの前だから、心配して泣き崩れる姿を見せなかっただけだったのか。
大丈夫だよ。お母さん、僕もコナタも、お母さんが心配しなくてもいいくらいに成長してみせるから。
カナタは、新たな決意を固め、ゆっくりと扉の隙間を閉じた。
父親が亡くなって一年が過ぎたある日、カナタとコナタは、家で母親の手伝いをしていた。母親は、アルバイトをしながら女手一つで生計を立てていた。少しでも母親の負担を減らそうと、できるだけ家事の手伝いをするようにしていた。
そんな時、ドアのチャイムがピンポーンと鳴る。どうやら、誰かがカナタたちの家に訪問しに来たみたいだ。
カナは、ちょうど料理をしていて、ドアのチャイムの音に気づいていないようだった。一番近くにいたカナタは、母親の代わりに、ドアを開けて応対することにした。
「はい、どちら様ですか」
カナタがドアを開け顔を出した途端、しわくちゃの細長い手がいきなり彼の首をぐっと掴んだ。
「くっ、苦しい……」
カナタは、片手で身体を持ち上げられ、足が地面から離れる。なんとか、彼は両手を使って逃れようと試みるが、彼の力では引きはがすことができない。細長いしわくちゃの腕をしているのに、とてつもない力だ。人並み外れている。
カナタは、息が苦しい中、まっすぐ視線を向けると、視線の先には黒い装束を着た老婆の顔があった。
「解呪の魔法使いは、どこにいる?」
老婆は、目を鋭くギラつかせた顔を近づけてよく分からないことをカナタに聞いてきた。
「解呪の魔法使い?何のことだ……」
苦しい。息ができない。
老婆の力は緩まることはない。彼の意識は遠のいていき、次第に身体の力がすっと抜けていく。
「お兄ちゃんから離れろ!」
コナタの声がしたかと思うと、どこからか勢いよく老婆の顔に向かって、大量の水が飛んできた。コナタが、花瓶の水を咄嗟に老婆に向かってザバっとぶっかけていた。
大量の水が顔に直撃した老婆は、苦しそうに仰け反り、カナタを掴んでいた手を離す。
手が離れた。
老婆から解放されたカナタは、うまく着地し呼吸を整え、酸欠状態の身体に酸素を送り込む。
危ないところだった。
カナタは、呼吸をしてだいぶ気分が落ち着いてきた。あと少し、首を締められていたら、大変なことになっていただろう。
老婆は、顔面に水をかけられ、何故か湯気のような煙が出ている。老婆の顔は、崩れ去り中から獣のような顔が見えた。パッと見た感じ、狐のような顔つきをしている。
「こいつ、やっぱり人間じゃないのか……」
カナタは眼の前にいる異様な化物に、思わず戸惑い後ずさる。
狐顔の化け物は、懐から鋭く尖った黒い短剣をすっと取り出す。歯をギシギシと噛み締めて、敵意を剥き出しの細目をコナタにギラつかせる。
ば、化物がこっちを見た!?
コナタは、狐顔の化け物が放つ禍々しい敵意から、自分に襲いかかってくることを直感した。とはいえ、丸腰だ。化物に対抗できるものを持っている訳ではなかった。
「よくも私に水をかけてくれたな。許さん、小僧」
狐顔の化け物は、地面を思いっきり踏み付けると、凄まじい速度で、コナタの方まで距離を詰める。
「コナタ!!!」
カナタは、コナタの方に化け物が走っていくのを見て叫んだ。カナタが叫んだ時には、すでに狐顔の化け物は、コナタの目と鼻の先まで近づいていた。
持っていた鋭利な黒い短剣の刃先を、コナタの心臓めがけて振り上げる。
その直後、静寂に包まれた玄関にグサッと身体を貫くような鈍い音がした。
「お母さん……」
コナタが目の前の光景を見て、思わず声を漏らした。
あっという間の出来事だった。今にもコナタに短剣の刃先が刺さろうかという瞬間、カナが前に出てコナタの命を守ったのだ。
狐顔の化け物は、鼻をクンクンと動かしてニヤッと笑みを浮かべると、カナの身体に刺さった黒い短剣を引き抜いた。すると、カナは力をなくしたように膝から倒れ込む。
「この匂い、お前が解呪の魔法使いか。自ら、短剣に刺さりに来てくれるとは好都合だ。こいつらは、お前の子供か。美味しそうだな。食べてしまおうか」
狐顔の化け物が、口の中で湧き上がるよだれをズゥーと啜った。
「やめなさい……そんなこと、絶対にさせない!私の命より大事なこの子たちを傷つけさせやしない!」
カナは、辛うじてまだ意識があった。最後の力を振り絞って首飾りについた緑色の結晶に魔力を込める。すると、緑色の結晶は目が眩むほどの強烈な光を放つ。
「まずい、これは解呪の力……」
狐顔の化け物は、放たれた結晶の光を片腕で顔を覆い、回避したものの、身の危険を感じたのか茫然と佇むカナタの横を通って、どこかに一目散に逃げ出した。
「カナタ、コナタ二人に大切な話があるの。私の近くに来て」
カナは、今までにない真剣な表情を浮かべ二人に言った。二人は、悲しみに襲われ動揺しながらも、彼女がなにか大切なことを今から伝えようとしていると感じ、ゆっくり彼女の近くまで寄った。
「二人とも、危険な目に会わせてしまってごめんね。私のせいなの。多分、混乱させてしまうと思うけれど、さっき襲ってきたのは、異世界の魔物ネツキ。解呪の魔法使いをこの世から消し去ろうとしている魔物なの」
カナタは、異世界という言葉を聞いて、にわかにカナの話を信じることができない。
「異世界だって……それは絵本の中の作り話じゃ」
「信じられない話だと思う。でも、異世界は現実に存在する。私は、結婚する前までは異世界で生活していたから……」
カナの声は次第に弱々しくなっていく。今にも消えいりそうな声だ。
「お母さん、大丈夫?お母さんまで死んじゃ嫌だよ」
コナタは、目を潤ませながらカナに訴えるように言った。
「私は、もう長くない。あの黒い短剣は、強い呪いの力が込められていたみたい。刺したものを、永遠の眠りにつかせる恐ろしい呪い……」
「そんな……そんなことって。ずっと一緒だって、約束したじゃないか、お母さん!」
コナタは、涙を流しカナに向かって叫んだ。その直後、カナは、カナタとコナタを両腕で優しく抱きしめた。
「ごめんね、約束守れなくて。私も、カナタとコナタともっとそばにいてあげたかった」
子供の前では涙を流して来なかったカナも、この時ばかりは、涙が頬を伝う。もう、子供たちと会えなくなってしまうことを分かっているようだった。
「ううう……僕もそばにいてほしいよ」
「俺もだよ。何もお母さんにしてあげられなかった」
「そんなことない。カナタもコナタも、生まれてきてくれただけで、私は幸せだった。あなたたちが、生まれてきてから大変なこともあったけど、にぎやかで楽しい日々の連続で、これ以上ないってくらいの幸せをくれた。カナタ……コナタ……生まれてきてくれてありがとう……」
そう言って、カナは目をつむり、もう一度子供たちを抱きしめた。二人とも、何も言葉が出なかった。ただ、この瞬間だけは、もう二度と感じられないであろう母親のぬくもりを感じていたかった。
カナは、最後に力を振り絞り子供たちに言い残す。
「カナタ、コナタ、最後に聞いて……。ここは危ない。また魔物が襲ってくるかもしれない。二人ともこの首飾りをつけて」
彼女は、懐から緑色の結晶がついて首飾りを取り出し、カナタとコナタの首にそっとかけた。
「その首飾りがピンチになった時、きっとあなた達を導いてくれる。これからあなたたちには異世界にある再会の花園に行ってほしいの。そこで初めて会った人が必ずあなたたちを守ってくれる。異世界へは庭の地下室にある扉から行けるはずよ」
「分かった。再会の花園に行けばいいんだね」
「二人で行くよ。その場所に」
「……」
「お母さん……」
二人が声をかけても、カナの言葉は返っては来なかった。瞳を閉じて、深い眠りについている。呪いが進行し、永遠の眠りについてしまったのだ。
「お母さんが死んじゃったよぉおお、お兄ちゃんんんん」
眠りについた母親を見て、コナタは、溢れ出る涙をざあーと流しながらカナタに叫んだ。
カナタは、一旦落ち着いて、恐る恐る母親の状態を確認してみる。手首の脈を確認してみると、まだ動いている。その事実に、彼はほんの僅かの希望を見出した。
「コナタ、まだお母さん生きてるかもしれない……」
カナタは、すかさずコナタに向かって母親の状態について伝える。
「どういうこと?お母さんは死んだんじゃ」
「脈があるんだ。永遠の眠り。それがお母さんにかけられた呪いだとしたら、その呪いを解けば、もしかすれば……目を覚ますかもしれないってことだよ」
「ほんとに!?」
「分からない。だけど、試す価値はあると思う。お母さんが言ってた異世界に行けば呪いを解く方法が分かるかもしれない。とにかく行ってみよう。お母さんが最後に言い残してくれた再会の花園へ」
カナタとコナタは、僅かな希望にかけることにした。母親の呪いを解くことなど無理なのかもしれない。また、どうしようもない残酷な現実を見せつけられるだけなのかもしれない。それでも、ほんの僅かな希望であっても手を伸ばさざるを得なかった。今はただ希望が現実になることを信じて突き進むしかなかった。
二人は母親の言い残した言葉に頼りに、庭から地下室に下りると異世界へと向かった。
異世界への好奇心からではない。大切な人を救うために。
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