第21話 月曜日、不穏なはじまり


 ――チープな時計の音で、目を覚ます。

 誰もがうらやむ豪邸のスイートルーム……ではなく、いつもの見慣れた自室天井だ。


 いちおう、ベッド周りを確認する。

 当然のように誰もいない。俺ひとりだ。当然である。


「……あのときは焦ったな」


 あのとき。西園寺さんの別荘島に宿泊した日の朝のことだ。


 前日の夜は、ぶぅぶぅ言う西園寺さんを無理矢理追い出した。にもかかわらず、翌日の朝にちゃっかり西園寺さんは俺の布団の中に潜り込んでいたのだ。

 ご丁寧に寝間着を別物に着替えていた。


 部屋には鍵をかけたはずだろと訴えると、「家主にそれを言いますか?」と完全論破された。


 誓って言うが、なにもない。

 西園寺さんも言っていた。「お父様から注意されていますし、今は朝の添い寝だけで我慢します」と。やたら残念そうにしゅんとしていたので、逆に信憑性が増すという恐ろしい事態であった。


 そんなことがありながらも、トータルで見れば平穏で楽しい二日間だった。


 西園寺さんの別荘島を出発し、夕食をご馳走になり、自宅に帰ってきたのが昨日の夜。

 長い夢を見ていたような、不思議な感覚だ。


「まあ気疲れも凄かったけど」


 ひとり苦笑する。


 昨日の夕食は西園寺家本宅に招かれた。予想通りの豪邸で、予想以上のもてなしだった。今でも家の人たちの視線で身体に軽く穴が空いているんじゃないかと疑いたくなる。


 ――そして今日は月曜日。

 楽しい週末は終わり、今日からまた新しい一週間が始まる。


 俺は朝の身支度をしながら、一昨日、そして昨日のことを思い出していた。


 普段の令嬢姿とはまた違う、子どもっぽい西園寺さんの様子。

 彼女と、彼女の家が抱えている悩み。

 彼女を取り巻く人々の温かさ。


『あなたは、私に手を差し伸べてくださいますか? 十年前と同じように』

『ああ』


「……あのときの言葉が、嘘にならないようにしないとな」


 すべての支度を調える。

 改めて気合いを入れ直し、俺は自宅アパートを出た。


 今日の天気は、やや雲が多め。合間から覗く青空は、南の島で見たときよりも少し柔らかい色をしていた。

 何の気なしに、辺りを見る。

 いつものアパート前。

 駐車場に目を向けても、この時間、いつもの台数だけが停まっている。


 お出迎えなし、か。

 昨日の今日で、もしかしたら勢いに任せて乗り込んでくるかもと思っていたが。

 ま、それならそれで。彼女だって入学して間がない。いろいろとやるべきこと、気にかけることが他にあってしかるべき、だ。


「さて、行きますか」


 俺は自転車を走らせ、いつもの日課のために神社へ向かう。


 齋藤さんに挨拶をし――そういえば、入学式の日に齋藤さんにかかっていた電話は、西園寺家からだったらしい。早く言ってよ――、それからルリの元へ。

 丸一日留守にしたお詫びに、別荘島で採った木の実をお供えする。

 無事に帰ったこと、西園寺さんの様子、新しい発見。その辺りを報告しながら祈りを捧げる。


 ざああぁっ……と山の梢が鳴った。


 俺は目を開け、鳥居を見た。顔を上げ、山頂方向にも目を向ける。


「なんだ……?」


 吹き抜ける風が、どこかおかしい。

 数羽の鳥がけたたましく鳴いた。

 山道の上や、道脇の木枝にとまってウロウロしたのち、すぐに飛び立つ。


 俺はルリの鳥居に視線を戻した。


「ルリ、なにか気になることがあるのかい?」


 もちろん、返事はない。鳥居は静かに佇むまま。

 ただ、俺は「わかった」とうなずいた。


 毎回、週明けはしんどい。

 今週はさらに気合いを入れなければと頬を張り、俺はルリの元を離れた。


 自転車で学校へ向かう。

 そろそろ桜にも緑が目立ち始めた通学路。週明けということもあって、生徒たちにもどこかけだるい空気がある。


 校門に近づくと、張りのある挨拶が聞こえてきた。


「おはよう、お前たち!」


 岸島先生だ。他にも校門の両脇を生徒会役員たちが固めている。

 そういえば、今日は朝の挨拶運動の日だったな。服装チェックとともに週明けで体調変化が著しい生徒がいないかどうか見ているそうだ。

 特に新入生は、一週間の授業プラス週末を経験して、体調不良を起こしやすい時期なのだとか。


 岸島、あれで面倒見がいいからな。そういう眼力は信頼できる。だからこそ生徒からも慕われているのだ。

 ……ま、本気で怒らせると学校イチ怖いという評判はすでに新入生にも広まっているようだが。


「よう、おはよう。中里先生」

「おはようございます、岸島先生」

「なんか失礼なこと考えていたかい、先生?」

「朝一番から失礼な疑いをかけられたよ先生」


 豪快に笑う。

 俺も笑顔で応じたが、一方で少し構えた。

 妙に機嫌が良すぎる。


「あー、中里先生。中里先生」


 親指で用務員室の方を示された。

 俺は皆まで応えず、いつもどおりさっさと職場へ向かう。


 用務員室で荷物をロッカーに入れていると、間もなく岸島がやってきた。


「茶ぁくれ、茶ァッ!」

「お前……」


 開口一番に押しかけヤクザのような要求をされ、俺は呆れた。

 どうりで挨拶運動の声が爽やかすぎると思った。朝から機嫌が最悪なのを隠していたのだ。

 理不尽な来訪者の要求に大人しく従う。


「その様子だと岸島、朝から生徒会の子たちをビビり散らかしたんじゃないか?」

「失礼な。あいつらはあたしのことよくわかってるよ。真面目なあいつらに八つ当たりするわけねえだろが」

「それならよかった。で? なにがあったんだ? もしかして西園寺さんのことか?」


 俺が言うと、岸島は目をしばたたかせた。

 なんだ、違うのか。


「西園寺はいつもどおりだったぜ。なんかこう、天皇陛下ご来場みたいな雰囲気になってた。お嬢っぷりに磨きがかかっていたな。なんだアレ」

「俺に聞くな」


 突っ込みつつ、安堵する。

 茶を飲んで少し落ち着いたのか、岸島は言った。


「四故槍だよ四故槍。正確には、あいつの実家方があたしらにちょっかい出してきたんだ。舐めやがって、クソむかつく」

「あたしら? まさかお前の旦那さんにも?」

「いや。実家の方」


 ……うわぁ。

 俺は真面目な表情を作った。


「岸島。今のお前は曲がりなりにも教師なんだからな。学校で生徒にオトシマエ付けるなんて真似は止せよ?」

「しねーよ。だからこうして茶ぁヤってんじゃねえか」


 なんだろうな。岸島が言うとすごく怖い儀式をしているように聞こえる。


「おい中里。てめぇ、やっぱり失礼なこと考えてないか?」

「めっそうもない」


 岸島はため息をつくと、「サンキュ」と言って湯飲みを置いた。


「愚痴に付き合わせて悪かったな。戻るわ」

「ああ。挨拶運動、頑張れ」


 小走りに用務員室を出て行く岸島。

 ……と思ったら、顔だけ出して、俺に言った。


「大丈夫だとは思うが、てめぇもちょっかいかけられたら、あたしに言えよ。どうやら四故槍の奴に目ぇ付けられてるみたいだしよ」

「わかった。頼りにさせてもらう」



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