第20話 ベランダ、西園寺家の慣習
――それから数十分後。
なんとか無事に食事を終えた俺は、来客用の個室に通された。
例のごとく、広告とかパンフレットでしか見たことのないようなスイートルームである。
なぜにバスルームやキッチンまで備え付けられているのか。これもう単体で生活できますぜ。
ネクタイを緩め、俺は巨大なベッドの端に仰向けになった。
「なんだったんだろうな、さっきのは」
西園寺親娘の真摯な眼差し。
俺が必要だと、西園寺さんのお父さんは言った。
だが結局、彼はそれ以上のことを口にしなかった。
これからも良き友人でいてくれ、という意味?
それとも、一気に本丸を攻めてくる的な?
「はは、まさかな」
「失礼します。礼哉さん、今よろしいですか?」
軽やかにノックと声かけをされ、俺はベッドから飛び起きた。
反射的に「どうぞ」と声をかけてしまう。
扉が開き、しずしずと西園寺さんが入ってくる。
トリさんパジャマ姿だった。
「……西園寺さん?」
「わ、私、小さいときからこのタイプの寝間着でしか落ち着かなくて」
わたわたとトリさん……もとい西園寺さんが弁解する。
一瞬肩の力を抜いた俺だったが、西園寺さんから良い匂いが漂ってきて、再び緊張感をみなぎらせた。
よく見ると、西園寺さんの髪は少し湿っている。頬も少し上気していて――。
「あの、やっぱり一緒にお風呂、お誘いした方がよかったですよね?」
「やっぱりって何。しかもなぜ念押し?」
「夕食会の後、お父様が『卒業するまでは我慢しなさい』と……」
お父様、本当にありがとう。あなたが常識人で良かったです。
言葉をかえれば卒業後が非常に恐ろしいと言えるけれど、今は考えないでおこう。
くちばし付きフードを頭から脱いで、西園寺さんは言った。
「少し、ベランダに出ませんか? この時間はとても気持ちいいんですよ」
手を引かれ、広いベランダに出る。
手すりに手を置いた瞬間、ふわりと風が吹き抜けた。目を細め、それから夜の
驚きで、口が開いた。
太平洋の孤島から見る星空は、まさに圧巻であった。見つめていると吸い込まれそうな感覚になる。
俺は素直に称賛した。
「すごいな、ここからの景色は。まるでたくさんの魂が踊っているみたいだ」
「ふふ。礼哉さんらしい表現ですね」
「実際に霊が見えているわけじゃないからね」
「わかっています。でも、私は信じていますよ。礼哉さんが特別な力を持っているって」
しばらく、風に当たりつつ絶景をふたりで楽しむ。
「俺も風呂に入っておくべきだったかなあ。風が気持ちいい」
「では今から入りましょう。一緒に。そうすればもっと気持ちよく」
「間違ってもその台詞はお父様やクラスメイトの前で言わないようにね」
心なしか頬を膨らませる西園寺さん。子どもか。
しばらくして、彼女は表情を改めた。
「礼哉さん。父が突然、申し訳ありませんでした。『あなたが必要だ』などと。ですが、信じてください。決してあなたを
「君たちを疑うつもりはないよ。ただ、少しびっくりしただけさ」
外堀を埋めて大軍で蹂躙ののちに更地にするつもりなのかと恐怖したことを、俺は少し反省した。
西園寺さんが手すりの上で自分の指をもてあそんだ。
「西園寺家は今、少々揉めているんです」
「ここの人たちを見ると、少なくとも皆、西園寺さんの味方に見えた」
「はい。本当にありがたいことです。皆の信頼に応えなければと思っています」
「もしかしなくても、揉めている相手って……義理のお母様、だよね」
西園寺さんはうなずいた。
「義母は、元々父の部下だった方でした。上昇志向の強いお人で、努力を怠らない。お父様がそこを魅力に感じたのは確かでしょう。ただ、あの方を後妻に迎えられたのはそれだけではなく、西園寺グループ全体の将来を考えてのことでした」
「後継者ってこと?」
「慣習、です」
俺は首を傾げた。
――西園寺さんの話だと、長く権勢を誇ってきた西園寺家には、家訓として同族競争の風潮があるらしい。身内で競い、常に新しい気風を生み出す。それが西園寺家の硬直化を防ぎ、ひいては将来の発展と西園寺の存続に繋がる。
暗躍するくらいなら堂々と競え。そういうことらしい。
過去、幾度も没落や断絶の危機を経験してきた名家だからこその慣習なのだろう。
「しかし、現代でもそれを徹底するなんてなあ」
「私も同感です。ここの皆さんのように、各々の職務に誇りを持ち、それを互いにリスペクトする。そんな関係が、私は素晴らしいと思います。きっと、内心ではお父様も同じだと。ですが……西園寺グループは、やはり『巨大』なのです」
「なるほど。一族の中心が融和を望んでも、そう考えない人たちも身内に多い……ってことか」
「お
西園寺さんの横顔が、初めて見るほど強ばる。
「十年前、ルリを手にかけたのも……お義母様です」
俺は口をつぐんだ。
話を聞いているだけでも、西園寺さんの義母が苛烈な性格であることはうかがえる。
そして、四故槍少年に接近しようとした理由も。
義母は、夫や義理の娘すら敵として見なしているのだ。しかもそれを、西園寺家らしい在り方とさえ考えているのかもしれない。
「近年のお義母様は、さらに強気になられています。おそらく、グループ内での影響力低下を肌で感じているのでしょう」
「影響力、低下?」
「あの方が抱える企業全体で、業績が落ちているそうです。そのてこ入れを図ろうと、あの手この手を仕掛けているのを耳にします。私のところにも……」
俺は空を仰いだ。
堂々と競争するつもりが、思いっきり暗躍に傾いている。
義母がもう引き返せないところまで来ているとしたら、西園寺さんは――。
俺の腕に、彼女の腕が絡みついた。湯上がりで上がった体温が伝わってくる。
「だからこそ、私には必要なんです。私が私でいられる、私を私でいさせてくれる。そんな人が、側に居ることが」
「西園寺さん」
「礼哉さん」
名家の令嬢が、俺を真っ直ぐに見上げた。
「あなたは、私に手を差し伸べてくださいますか? 十年前と同じように」
「ああ」
反射的に、だけど力強く答えた。
「もちろん。約束だ」
「……ふふっ。礼哉さんなら、きっとそう言ってくださると思っていました」
ことん、と俺の二の腕に寄りかかる西園寺さん。
「では、私はもっともっと、恩返しをパワーアップさせなければいけませんね」
「ん?」
「今でもまだまだ足りていないと思いますから。想定の十分の一以下です」
ワクワクと語るご令嬢。
今の十倍以上の恩返し……想像するだけで卒倒しそうになった。
もしかして、この戦闘民族的な発想も西園寺家ならではなのか……?
しばらく俺は、「お父様の言葉を思い出すように。せめて卒業までは我慢」と言い聞かせる。
トリさんパジャマがぷうと頬を膨らませるのは、不覚にもとても愛らしかったです。まったくこの子は。
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