第8話 自宅、意外な一面
黒塗りの高級車、無事にアパート前に到着。
当たり前のように住所が特定されていて、もはや笑うしかない。
築二十年ちょっと。俺より少しだけ年下な建物は、絶妙な具合に古すぎず、新しすぎない見た目をしている。
こんな場所に、いきなり高級車が乗り付けたら、近所の人たちはさぞ驚くだろう。
それ以前に駐車場がない。
こんなでかい車、路駐ダメゼッタイ。
「ことりお嬢様。中里様。到着しました」
「ありがとうございます」
慣れた様子で淑やかに礼を言う西園寺さん。俺は恐る恐る言った。
「すみません。俺、駐車場を借りていないので、路上駐車はやめていただければと……」
「承知しております。中里様にご迷惑をかける真似はいたしません」
毅然と言う運転手さん。
ホッとすると同時に、「それは迎えが来るまで西園寺さんと二人きりか……?」と戦慄する。
――すると。
実に滑らかな動きですぐ近くの月極駐車場に入ると、でかい車を手足のように操って駐車スペースへ収める。車から出てくる仕草がガサ入れを控えた刑事みたいでちょっと格好いい。
「先日、契約させていただきました」
「あ、そう……」
……いつから話が動いていたのだろう?
俺、少し後ろを静々と西園寺さん。彼女の両脇を運転手さんと護衛さんが固める。
ふと、同じアパートの住人が窓からこちらを見ていた。
目が合うと、なぜかサムズアップ。「全部わかっている。頑張れ」と言わんばかりの顔をされた。そういえば今朝挨拶したときも妙な雰囲気だったことを、今更ながら思い出す。
……いつから、どこまで話が通っているのだろう? マジで、本当に。
根回しが過剰すぎやしませんかね。
西園寺家、恐ろしや。
アパートの入り口を固めようとするお付きふたりに、俺はため息交じりに声をかけた。
「おふたりもどうぞ中へ。外はまだ寒いでしょう」
「しかし」
「西園寺さんも、身内が一緒の方がリラックスできると思います」
するとお付きのふたりだけでなく、西園寺さんも目を丸くした。
やっぱり図星だったかな。
アパートに到着してから、西園寺さんの口数が減っていた。所作は本当に完璧お嬢様に相応しい美しさだったけれど、それは逆に緊張の表れのように見えたのだ。
そりゃそうだ。いくら面識があるといっても、男が一人暮らししている部屋に女の子がひとりで入るのは勇気が要るに決まっている。
家の人も一緒だったら、ある程度言い訳も立つという打算もあります。
――西園寺さんは無言のまま、俺との距離を詰めてきた。
俺の左肩に、そっと寄りかかる。彼女の長い髪先が、俺の手の甲をさらりと撫でた。
まずいと思いつつ、西園寺さんから伝わってくるほのかな熱や匂いを意識してしまう。
……死ぬかもしれない。社会的に。
スッと運転手さんが前に立った。懐から鍵を取り出し、俺の部屋の扉を開ける。ホテルマンよろしく、「どうぞ」と室内へ導いてくれる。
いや、合鍵。
もしかしなくても、すでに死んでる? 俺のプライバシー。
西園寺さんとともに、部屋の中へ。この時点でもう俺の家じゃないみたいだった。
――子どもの頃からずっと住んでいるアパートは、1LDK。一人暮らしには十分すぎる広さだと思っている。
リビングのソファーに西園寺さんたちを座らせて、コーヒーを入れる。
「西園寺さん、ミルクと砂糖はどうする?」
「……。ブラックでお願いします」
緊張気味に答えた西園寺さん。すると護衛さんが「お嬢様」と声をかける。
振り返ると、西園寺さんは少しうつむいて赤くなっていた。
ちらっと俺を見る。
「あの。やっぱりいただいてよろしいですか?」
「もちろん。いくつ?」
「…………一個」
「……ほんとに?」
「………………二個、で」
即座に「お嬢様」と声。西園寺さんは自棄になったように言った。
「五個で! お願いいたします!」
「了解」
笑いをこらえながら、準備する。
意外と可愛いところもあるんだな。なかなかにエグい甘党だけど。
ちょっとカップを大きめのに変えよう。溢れる。
四人分のコーヒーを淹れ、テーブルに置く。
西園寺さんは「いただきます」と丁寧に言ってから、カップに口を付けた。その仕草だけでも絵になる。たぶん、今日のお昼時間も、集まった生徒たちは見蕩れたんじゃないかな。
「はぁ~……」
心底幸せ、といったため息。
キリッと気品のある表情が
しばらくコーヒーの甘さを堪能していた西園寺さんは、俺が微笑んで見つめていることに気づいて、慌てて咳払いした。
「い、いつもはもう少しきちんとしているんですよ!?」
「ははは」
「ううっ、恥ずかしい……礼哉さんの前なのに」
ぶつぶつとつぶやいている。
俺は逆に安心した。完全無欠の完璧お嬢様の顔だけじゃない。ちゃんと年相応の子どもっぽさもある。
こんなこと言ったら怒られそうだけどな。
それはそれで微笑ましい。
「ぜんぜん構わないよ。むしろ可愛いじゃないか。学校でもそんな風に自然体でいれば、もっと皆も親しみやすくなるはずさ」
「いえ」
西園寺さんが表情を引き締めた。
「私のこんな姿をご覧になるのは、家族と礼哉さんだけでじゅうぶんです」
「強情だなあ」
「じゅうぶんなんですっ!」
彼女の台詞に、俺はまた笑いが漏れてしまった。
俺たちの砕けたやり取りを見て、お付きのふたりはうんうんとしきりにうなずいていた。目尻から大粒の涙が流れていて、傍目から見てもコーヒーがしょっぱそうだった。
西園寺家。思ったよりも愉快なお宅なのかもしれない。
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