第7話 車中、彼女らの想い


 西園寺さん、なんて言った?


『帰りましょう』

『私たちの家に』


「う、うーん……?」

「礼哉さん? どうしたんですか?」


 後部座席の隣で、西園寺さんが小首を傾げている。

 黒塗り高級車の座席だ。さすがに座り心地が違う。


 ……おかしいな。

 あれ? どうしてこうなった?


「あのな、西園寺さん。どうして俺はこの車に乗っているんだろう?」


 うん、ひでぇ質問だ。

 岸島あたりなら「いやおせぇよ」と即座にツッコミが入る。


 あいにく、車内には西園寺さんと、彼女に忠実な運転手さん、そして護衛さんしかいない。ツッコミ不在だった。


 車は実にスムーズに走っている。

 見覚えのある光景しかない。着実に俺のアパート周辺へと近づいていた。


 西園寺さんが謝った。


「すみません。わがままを言って」


 でも嬉しそうなのは隠しきれていない。


「どうしても、礼哉さんのお世話がしたくて。両親に無理を言って、同居の許可をいただいたんです」

「いちおうツッコむけど、俺には許可取ってないよね? あれ? 取ってなかった……よね? ん? あれ?」

「……正直言うと、今日の今日では礼哉さんに断られるとばかり思っていました」


 西園寺さんがうつむく。西日が当たって、はにかんでいるのかどうか俺にはわからない。


 少し頭が回ってきた。

 思い出す。


 ルリの鳥居前で、西園寺さんから『帰りましょう』『私たちの家に』と言われたとき。

 そうだ。あのとき、俺は言ったんだ。


『お茶ぐらいなら出すよ』


 ――ううーん、微妙!!

 なんでこう中途半端に思わせぶりな台詞を言ったかなあ、十五分前の俺よ!

 曲がりなりにも高校に勤めてる職員だろ。断れよ、ちゃんと!

 屈強な家の人たちに送ってもらいなさい、明日も元気で来るんだよと言えよ自分!


 ――と、今になって激しく後悔する。


 シートに身体を預ける。


 あのとき。

 西園寺さんの大胆な台詞にまだ混乱していた俺は、不意に、山全体が大きく風で揺れる場面に出くわした。

 続けて、夕暮れ時にもかかわらず小鳥たちが近くを飛び、そのうち数匹がルリの鳥居にとまって、俺たちを見上げる場面にも、出くわした。


 普通なら偶然と片付ける。


 だけど、同じ場所に十年間、毎日参っていた俺からすれば、その出来事は『ただの偶然』にしては雰囲気がありすぎた。

 山全体が、もっと言えば西園寺さんの親友のルリが『あんた、このままこの子を放っておくつもりじゃないよね?』と凄んでいるように感じたのだ。少なくとも、あのときの俺は。


 ……俺らしい流れといえば、そうかもしれない。


「ねえ西園寺さん」

「はい」

「久しぶりに会ったから話がしたいのは俺も同じだけどさ。さすがに同居はないよ。聞かなかったことにするから、良い時間になったら帰るんだよ」

「嫌です」


 清々しいほどの笑顔で断られた。

 君、こんなに押しが強い子だったっけ?


「最初にはっきり断られなかったのは、私にも望みがあるということですよね? それがわかったのに、みすみす引き下がるわけにはいきません」


 強くなったね。

 おかげで俺はノックダウン寸前だよ。


 説得の矛先を変える。

 俺は運転手席と助手席の男性ふたりに声をかけた。


「皆さんからも言ってあげてくれませんか。さすがに学校勤めの人間とそこの生徒がひとつ屋根の下で暮らすなんてまずいですよ」

「……」

「おふたりから、西園寺さんのご両親にお伝えいただけませんか。なんなら、俺が直接お話をして……」

「……」


 男性ふたりは無言だった。

 さすがに、自分たちが仕えている相手に反対はできない、か。

 でも、懸念くらいは抱いていると思ったんだけどな。


 自分で言うのもアレだが、こんなに人相の悪い、しかも薄給の底辺のところへ、大切なお嬢様が行くのを快く思わないだろう、普通は。俺だったら止める。ついでにその男に敵意を抱く。


 ふと、嗚咽が聞こえてきた。

 運転手さんと護衛さんの肩が震えている。


「くっ……ことりお嬢様、ご立派になられて」

「ああ……苦節十年、ついに本懐を果たそうとされているんだ。こんな嬉しいことあるかよ……なあ……!」


 男泣きだった。


「ことりお嬢様! 中里様! おめでとうございます!」

「俺ら、この場に居合わせることができて幸せです!」


 いや、あんたたちも賛成側なんかい。しかもまあまあ熱望してた感じですよね、それは。


 西園寺さんを見ると、彼女の目尻にもうっすらと涙が浮かんでいた。

 俺は深くうなだれると、まず西園寺さんにハンカチを渡し、それから運転手さんたちにはティッシュを手渡した。皆、仲良く涙を拭く。


 いや、なにこれ。

 俺は思わずつぶやいた。


「皆、どうして俺にそこまで」

「今まさに、示してくださったではありませんか」


 西園寺さんの言葉に、首を傾げる。

 彼女は、少し前にも見せた艶のある笑顔を浮かべた。


「ごく自然に、私たちに手を差し伸べてくださった。それがどれほど尊いことか、私はよく理解しているつもりです」

「ハンカチやティッシュひとつで、大げさだよ」

「確かに、そのときどきで小さな気遣いはどなたでもできるかもしれません」


 ですが、と西園寺さんは続けた。


「それを十年間、毎日続けられる人はいません。あなたは、『そうであってほしい』と十年間願い続けた私の理想そのままだった。この事実に、私や両親、私をよく知る家の者たちがどれほど感動したことか」


 まっすぐな――称賛。俺は背中がこそばゆくなる。


「礼哉さん。私ね、もしかしたら命を絶っていたかもしれないんです。あなたに出会わなければ。あなたを信じることができなければ」

「え!?」

「それほど追い詰められていた時期があった……。十年、約束を守り続けてくれる人がいる。そのひとに恥じないよう、頑張ろう。そう思えたから、私は再び立ち上がることができた」


 そこで、ふい……と窓の外を見る西園寺さん。


「実は、礼哉さんに今日お会いするのがとても怖かったんです。きっと約束を守り続けてくれると、それを頼りに頑張ってきたのに、もし……もしそれが偽りだと知ってしまったら、私はまた苦しくなってしまうのではないか、と」


 彼女は振り返る。


「宮司様にうかがったとおりで、こうして直にお話をしても十年前のままで……私、本当に嬉しかったんですよ?」


 西園寺さんの台詞にこらえきれなくなったのか、再び運転手さんたちが嗚咽を漏らす。


 十年前の約束。

 どうやらそれは、俺が思っている以上に、彼女の心の支えになっていたようだ。

 その気持ちを否定するのは、確かに野暮なのかもしれない……。


「――ということですので、これからよろしくお願いしますね礼哉さん」

「すげぇイイ笑顔で言うね」

「ルリにも『頑張れ』って言われた気がしますし! 親友の激励には全力で応えなければ!」

「やっぱ強くなったよ君」



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