第6話 山道、帰りましょうからのひとこと


 終業時間になった。

 今日は入学式だったので、在校生の授業はない。その代わり、部活は解放されていたので、午後の早い時間からグラウンドも体育館も賑やかだった。


 例年なら、目当ての部活を見学する新入生の姿が見られる。

 だが今年は、その人数はまばらだった。


「もしかしてこれ、西園寺さん効果じゃあるまいな……」


 ――数十分前。

 用務員室で仕事をしていた俺は、校門がやたら騒がしいことに気づいた。

 遠目に見たところ、どうやら西園寺さんが下校するシーンだったらしい。


 シーン――いやもうアレは、まんま映画の撮影とそれを見に来た野次馬といった様子だったな。

 西園寺ことりは、さしずめ地元の高校にやってきた大女優。

 うーん……違和感がない。


 校門前に停まっていた黒塗りの高級車に乗り込み、優雅に下校したところまで見た。

 直後の生徒たちの、どこか熱に浮かされた顔やら魂の抜けたような顔やらを見るに、とても部活見学をする状態ではなかったのだろう。

 西園寺さん効果、恐るべし。


 ――空を見る。

 日が暮れる前に、今日は早めに学校を出ようと決めた。

 まだ残っている職員や先生たちに挨拶をしてから、自転車に乗り込んだ。

 いつもの神社へと向かう。


「お昼に西園寺さんが言ってたやつ、結局なんだったんだろうな。また、後で……か」


 まあ、あれだけ生徒たちに囲まれていたり、厳重に送り迎えされてたりしていれば、そうそう会う機会はないだろうが。

 そんなことを考えながら、自転車を走らせる。


 神社へ続く一本道の斜面に差し掛かったとき、俺は思わず自転車を漕ぐ足を止めた。

 道の端に、大きな黒塗りの高級車が並んでいる。細い道で、芸術的な幅寄せだ。プロかよ運転手――とか思いつつ、自転車を押して歩く。


 車の手前に差し掛かると、不意に扉が開き、スーツ姿の男たちが出てきた。

 ガタイの良い彼らは車の脇に並ぶと、直立不動になる。


「お疲れ様です。中里様」

「……お、おお。お疲れ様です……?」

「ことりお嬢様は社務所でお待ちです。ここは我らが警備しておりますので、ご安心を」


 ああ、なるほど……『また、後で』ってこういうこと。


 やたら丁寧なスーツ姿の彼ら――きっとボディガードかなにかだろうな――の前を通り、神社の境内へ入る。

 自転車を停め、社務所に足を向けた。


 そのとき、ちょっと強めの風が境内を駆け抜ける。

 墓所の方向、山の梢がいつもより高く鳴っている――気がした。


 俺は社務所より先に、いつもの山道へ向かう。

 墓所を抜け、見慣れた細い砂利道に差し掛かると、ルリの鳥居に向かって手を合わせる西園寺さんを見つけた。


 一瞬、十年前の姿が重なる。今の方がずっと色鮮やかで輝いていた。


 俺が声をかける前に、西園寺さんが目を開けてこちらを見た。


「お仕事、お疲れ様です。


 下の名前呼びだ。

 なんて応えようか少し悩み、俺は頭をかいた。


「ルリとはどんな話をしていたんだい?」

「ただいま、と。とても綺麗になっていたので、羨ましく思いました」


 にっこりと笑って西園寺さんは言った。

 本当に良い笑顔ができるようになったと思う。


 すると彼女は、笑顔のを変えた。さっきまでの明るさとは違う、どこか艶のある笑みだった。


「礼哉さんはすごいですね。私がここにいるってこと、すぐにわかってくれた」

「うーん、まあ。たまたまだよ」

「運転手の皆さんには『社務所に行く』と伝えていましたのに」


 心から嬉しそうに、彼女は目を細めた。


「十年経っても、礼哉さんは私を見つけてくれた。とても幸せです、私」

「大げさだよ」


 手を振って応え、西園寺さんの隣にしゃがむ。

 いつものルーティンで、ルリの鳥居に手を合わせた。

 西園寺さんも俺にならって、再び祈りを捧げ始めたようだ。

 しばらく、風と梢と鳥の音だけが響く。


 西園寺さんが言った。


「私にも、なんとなくわかりました。ルリ、とても穏やかに眠っている。ああ、礼哉さんが約束を守ってくださったんだなあって、心から感じました」


 鳥居も綺麗でセンスばっちりです、と茶目っ気のある台詞を言う彼女。


「礼哉さん」

「ん?」

「私、礼哉さんとお会いできたから、辛い時期を乗り越えることができました。あのときは周りの全部から見放されたような、とても辛い、寂しい気持ちでいっぱいでしたから……」

「今は違う?」

「はい」

「そうか。良かった。それじゃあ西園寺さんも、俺との約束を守ってくれたんだな」


 ルリの分まで元気で頑張ること――それが十年前の約束だ。

 ただ毎日お参りしていた俺と違い、きっと彼女はすごい努力を重ねてきたのだろう。そうでなければ、才能だけであの完璧美少女ぶりは発揮できないはず。


「頑張ったな」


 自然と、そんなつぶやきが漏れた。

 じーっ、と俺の横顔に西園寺さんの視線が刺さる。


 ……なにごと? そんなにヤバい台詞だったか? 子ども扱いしすぎとか? いや、確かにそうかもしれない。なにせ十年だ。こんな完璧美少女に成長した彼女に失礼だろう。


 スッと西園寺さんが立ち上がる。


「そろそろ日が暮れますね。宮司様へのご挨拶はまた明日にしましょう」


 うーん、ちょっと怒らせたかなあ。

 岸島ならうまく対処できるんだろうな。このへんが非モテの限界かもしれん。心なしか、ルリも鳥居の奥で笑ってる気がするよ。


「礼哉さん、帰りましょう」

「ああ」

「私たちの家に」

「ああ。――……ああ?」



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