第3話 再会、ざわめきを押しのけて


 俺、中里礼哉。二六歳。地元にある高校で、しがない用務員をしている。


 ――西園寺ことりという少女と約束してから、十年の月日が経っていた。


「おはよう、ルリ」


 この十年間ですっかり習慣となったお参り。めったに人が通らない細い山道脇で、俺は小さな鳥居に向かって手を合わせて挨拶していた。

 西園寺さんの友達が寂しくならないように。西園寺さんが安心して、元気で過ごせるように。

 毎日、小鳥のルリの墓を訪ねる。

 この十年間、ずっと守り続けてきた約束だ。


 その間、鳥居は何度か修繕したり新しくしている。つい最近もちゃんとした材料を使って、しっかりしたこしらえのものに作り替えていた。

 もう四月。新しい年度を気持ちよく迎えるのにはちょうどよい。

 ちょっとしたミニチュアほどには精巧になった鳥居は、どこかキラキラしていた。


 ……ま、こんなことを飽きもせず十年も続けるなんて、この街じゃ俺くらいなもんだよな。

 身に染みついた習慣とは恐ろしい。


 山の梢が、風を受けていっせいにざぁっと鳴った。急かされているような気がして、ふと、時計を見る。


「やば、急がないと」


 始業時間には間があるが、用務員には朝の清掃作業がある。

 それに今日は、一年でも特別な日――入学式だ。

 式そのものの事前準備は終わっているとはいえ、暇なわけでは当然、ない。朝は生徒たちや保護者の誘導作業が待っている。


 地面に置いていたリュックを背負い直し、山道を走った。墓所を横切って、社務所へ。


「齋藤さん、おはようございます。俺、行ってきますね」


 玄関から声をかける。この挨拶もいつものルーティンだ。

 ただ、今日の宮司さん齋藤さんはスマホで通話中だった。邪魔をしないようにそっと玄関から離れる。


 ……ん? 今なんか、俺の名前が聞こえたような?


 振り返るものの、人の通話内容に聞き耳立てるのはよくないと思い直した。

 なにより時間がない。

 俺は愛用の自転車で職場に向かった。車はない。二十六年間、ずっと地元で暮らしていると、行動範囲も生活に必要な足も、だいたい決まってくるというものだ。





 翠峰すいほう高等学校。

 俺の母校であり、現在の赴任先だ。


 十年前と比べてだいぶ綺麗に、立派になっている。卒業生として鼻が高い。

 今年新しく入る生徒たちにも、この高校を好きになってもらいたい。そのために、たかが、いち用務員に過ぎない俺だが、やれることは精一杯やろう。


 ……なんて気合いを入れていると、正規の先生たちから「教師以上に真面目ですよね」と言われた。言うほど真面目かな、俺? どっちかっていうと『変わりモン』と言われたほうが納得なんだが。


 ぴっちりとしたスーツに身を包み、次々とやってくる車の列をさばいていく。

 イベントのときはいつも思う。この駐車場整理、気が抜けない。


 ようやく少し落ち着いてきたところで、他の先生と交代。今度は会場に向かう生徒たちの誘導補佐と巡回を行う。

 基本的に会場への先導は担任の先生たちが担当するので、俺は迷っている子がいないか、校内に勝手に入る保護者がいないかを見回る係だ。


 今年は、例年よりも騒がしい。


 ――というか、黒山の人だかりができている。


 なにごと?


 担任の先生が、生徒たちに声をかけて会場へと向かわせる。俺はそれを少し遠巻きに見ていた。

 ゆっくりとばらけていく人だかり。

 だがそれでも、生徒たちの視線はしきりに、ある決まった方向に向けていた。

 俺も自然と、彼らと同じ方向を見る。


 瞬間――納得した。


 他の新入生と同じ制服を着ているのに、明らかに別格のオーラを醸し出す、ひとりの女生徒。

 ふわりと背中まで流れる髪、優しそうな顔つき、ぴしりと背筋を伸ばした姿勢から溢れ出す気品。そういえば体型も大人っぽい。あんなに顔の小さな子がいるんだなと感心するほど。


 なるほど、あんな綺麗な子が新入生にいるなら、皆の視線を集めるのも仕方が――。


「……」

「……」


 目が、合った。

 女生徒は一度大きく目を見開いた後、ふわりと花が咲くように微笑んだ。

 その微笑みに見覚えがあった。面影を感じた。


 あれはもしかして、西園じ――。


「西園寺ことりさん!!」


 ふいに、女生徒の隣に男子生徒が割り込んできた。背の高い、いかにもスポーツマンといった男の子だ。他の子と違って、表情に自信が溢れている。

 彼は女生徒――西園寺さんの手を取った。


「君と同じ学校に通えるなんて光栄だよ。今日の放課後、ぜひ俺のうちに招待したい」

「……?」

「将来はこの街を、この国を動かす者同士。ぜひ親睦を深めようじゃないか。もちろん、断ったりはしないよね?」

「いえ、ごめんなさい」


 断られた。

 あまりにも自然に、にこやかに言われたためか、男子生徒は自信溢れる表情のまま固まっていた。

 二秒ほどで我に返る。


「週末でもいいんだよ!?」

「お断りします」

「この俺が誘っているのに!?」

「どちら様でしょうか?」


 斬り捨てられた。

 あまりにも見事な切り口に、周囲の生徒たちから小さく失笑が漏れる。途端、もの凄い形相で男子生徒がにらみつける。


 ……こりゃトラブルになるな。

 仲裁に入ろうと歩き出す。


 ――と。


 男子生徒の手をするりと解いた西園寺さんが、何事もなかったように歩き出した。

 いや、ちょっと小走りだ。

 そのまま真っ直ぐ――俺の前までやってくる。



 周囲の生徒たちの視線をものともせず、彼女は言った。


「お久しぶりです。西園寺ことりです。覚えていますか?」

「ああ、もちろん」


 反射的にうなずいた。

 すると西園寺さんは心底嬉しそうに笑った。


 ――担任の先生が西園寺さんたちを呼んでいる。

 彼女はしとやかに一礼すると、きびすを返した。


 数歩、進んで振り返る。


、私、ちゃんと報いますから。また、後ほど会いましょうね。礼哉さん!」


 

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