第4話 昼食、彼女の破壊力


 ――昼休憩時間になった。

 午前中に使った清掃道具を整理してから、俺は用務員室で一息つく。


 この部屋は、学内でもちょっと特殊な空間だと思う。倉庫か物置かってくらいにモノが保管されていて、ごちゃっとしているのだ。綺麗な見た目の校舎と比べると、その違いは一目瞭然。

 だけど、個人的には気に入っている。


 なんていうのかな。学校の設備を長らく支えてきた歴戦の品々が、人知れず安らぐ場所って感じか? 室内に漂う空気が、なんだか大人びているのだ。


 ……なんてことを以前、年の近い先生たちに話したらわりとドン引きされた。

「もしかしてオバケとか見える人ですか……?」と本気で怯えた先生もいたな……。いや、別に怖い話をしているつもりはこれっぽっちもなかったんですが。


 でもどうだろ。物心ついてから神社やお墓に足繁く通っていたせいか、『そういう気配』には敏感なような気がする。目には見えない、なにか大きなモノって言えばいいのかな。


 おにぎりをもごもごとほおばる。

 昼は早めに食って、グラウンドの様子を見に行くか。入学式の臨時駐車場として使ったから、一部荒れているはずだ。放課後は皆、部活動のアピールに熱を入れるはずだから、それまでには――。


「……ん?」


 外が騒がしい。

 今日、在校生の授業はお休みのはずだが。いつも以上の賑やかさだ。

 まるで団体客が次の目的地へ移動するような。……近づいてくる?

 はて。この辺りに新入生の見学ルートなんてあったか?


 用務員室の入り口で、誰かが立ち止まる気配。それからコンコン、と上品なノックの音がした。

 窓越しに、大量の生徒が詰めかけているのがわかる。

 首筋に冷や汗を感じながら、つい「どうぞ」と言ってしまう。


「失礼します」


 今朝、耳にしたばかりの声とともに、扉が開かれる。

 凜とした姿勢で、西園寺ことりさんが立っていた。


 瞬間、俺の脳裏に十年前の彼女が浮かぶ。

 ――大きくなったなあ。

 あの頃から美人の面影はあると思っていたが、想像以上に綺麗になっている。学校指定の制服が、フォーマルなパーティドレスのように見えた。きっとこのままパーティに出ても違和感はないだろう。

 少々埃っぽい用務員室には似つかわしくない雰囲気だ。


 しかも。

 彼女の後ろには大勢の新入生たち――男子生徒が多いが女子生徒もたくさんいる――がぎゅうぎゅうに詰めかけていた。

 引き連れてきた、いや、引き寄せられてきたのか。この子ら全員。


 そんな背後の圧をまったく気にすることなく、西園寺さんは言った。


、お昼休憩、ご一緒してもよろしいですか?」


 用務員は厳密には教師でないが、校内にいる大人ということで、よく先生呼びされる。

 朝は下の名前で呼ばれたが、さすがにやり過ぎと思ってくれたのだろう。

 西園寺さんは手にした包みを掲げた。お弁当である……が、思ったよりデカイ。


 どうしたもんかと考えた俺は、ふと、彼女の後ろにいる女生徒数人が、俺の顔を見てちょっと怯えているのに気づいた。

 まあしゃーない。十年前に「いかついツラ」と言われた顔は、十年経って順調に強面に成長した。こんなんが近くにいたらそりゃビビる。


 俺は言った。


「西園寺さん。そんなに大人数、この部屋に入らないよ。せっかく外は良い天気なんだ。皆で一緒に食べるのがいいんじゃないかい?」

「……先生は?」

「俺はもう少ししたら仕事に戻るさ。気にせず、行っといで」


 頬を膨らまされた。

 なんかおかしなこと言ったか? 俺。


 しばらくして、西園寺さんは「わかりました」と言った。


「ではせめて、一口だけでも召し上がってください。そのためにお持ちしたんですから」


 首を傾げていると、彼女はお弁当の包みを解いた。

 デカイと思っていたが、お弁当は重箱だった。しかも蒔絵入りの工芸品。お弁当箱だけでも結構なお値段がしそうだ。


 蓋を開ける。

 工芸品の箱にいっさい見劣りしない、見事な品々がずらりと敷き詰められていた。心なしか、自ら光り輝いているようにも見える。


 西園寺さんは、これまた漆工芸のおはしを持ち、おかずの一品をつまむ。

 お店のメニュー写真に使えそうな、綺麗なだし巻き卵である。西園寺さんの所作も美しいので、それだけで絵になる。


「自信作です。はい、どうぞ」

「自信作……これ、西園寺さんが作ったの? 全部?」

「まだまだ未熟ですので、家の者にも手伝ってもらいました。本当は、どれが私の手作りか当ててもらいたかったのですが……」


 ふわりと微笑む。


「このだし巻き卵は正真正銘、私の手作りです。はい、どうぞ」


 へえ、すごいなと思いながら――ある重大な事実に気づく。


 箸は、西園寺さんが持つ一ぜんしかない。

 箸は、だし巻き卵をつまんでいる。

 で。

 どうやら彼女は、俺に箸を渡す気は毛頭無いらしい。


「あーんしてください」


 決定的な一言に、後ろの生徒たちがざわめく。

 そりゃざわめくよ。俺だってそちらの立場なら戦慄する。今も戦慄しているが。

 さすがに、これはマズくないか? 西園寺さんよ……。


 俺の困り顔に気づいたのか、彼女はちょっと眉を下げた。


「私、お友達同士でこうするのに憧れていたのです。でもなかなかその機会がなくて……先生、どうか少しだけ、私の練習に付き合ってくださいな」

「練習?」

「はい。これから皆さんと親睦を深めるための練習です」


 再びざわめく生徒たち。特に女の子たちに走った緊張感は凄まじい。

 早く食え――と無言の圧力を受ける。我々の天国時間を、一秒でも長く確保するために、早く……! そんな台詞まで見えた気がした。


 俺は肩をすくめ、手を合わせた。


「いただきます」


 だし巻き卵を口にほおばる。

 思わず目を見開いた。


「――ぅんま」

「ふふ! よかった」


 幸せそうに微笑む西園寺さん。

 いや、しかし本当に美味い。ふんわりと柔らかな口当たり、にじみ出る旨味。ほどよい甘さ。口の中から飲み込むのがもったいないくらいだ。舌の上が幸せ。

 後ろの生徒たちが固唾を呑んで見守っているので、俺は親指を立てて応えた。味と感動は保証する、と目で訴えると、彼らは湧いた。


 女生徒数人が西園寺さんの周りに集まる。


「西園寺さん! 中庭に良い感じの場所があるの。そこで一緒に食べよう!」

「私も!」

「あ、あ、あたしも!」

「そうですね。では、参りましょうか」


 口調はゆっくり、手は素早く。お弁当をしまうと、西園寺さんは級友その他大勢とともに用務員室を出た。


 扉を閉める瞬間、彼女は俺を振り返る。

 声には出さず、口の動きだけで伝えてきた。


『また あとで』




 

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