第2話 10年前、約束


 とりあえず濡れた身体を拭かなきゃいけない。

 山道からほど近い神社に向かう。さいおんじさん――西園寺と書くらしい。なんかすげえ格式高そうな名字だ――も一緒だ。


 初対面の小さな女の子って、なんて呼べばいいんだ。ことりちゃん? ううむ……。


 雨がしのげる軒下の階段に西園寺さんを座らせて、俺は社務所へ。


「齋藤さん! 俺です、礼哉です」


 入り口で声をかけると、しばらくして白衣、袴姿の男性が出てきた。この神社の宮司である齋藤さんだ。

 毎日お参りする中で、齋藤さんとはすっかり顔馴染みになっている。

 齋藤さんは五十代って聞いたけど、いつもながら歩き方がピシッとしていて様になっていた。


「おや礼哉君。どうしたんだい」

「すんません。ちょっとタオルを貸してもらえますか? おっきめの奴。それから、お湯をわけてもらえると助かります」

「ああ、構わないよ。今日は雨脚が強いからね。ポットは自由に使ってくれて構わないよ」


 齋藤さんが社務所の奥に消える。

 その間、俺は事務所のポットで温かいお茶を淹れた。バスタオルを渡してくれた齋藤さんに礼を言い、お茶と一緒に社務所の外へ。


 西園寺さんは一歩も動かず座ったままだった。綺麗な髪からポタポタと雨粒が落ちている。


「お待たせ。これで身体を拭いて。それから、温かいお茶を持ってきた。飲んで温まろう」

「ありがとう、ございます」


 小さな声だが、しっかりとお礼を言われた。

 お礼、か。

 結構、育ちが良い子なのだろうか。それにしては、この姿は……。


 バスタオルを頭に乗っけて、お茶をちびりちびりと飲む西園寺さん。動きが緩慢だった。


「本当は社務所の中で着替えた方がいいんだけど……」


 ふるふる、と首を横に振られた。

 俺は肩をすくめる。無理強いはできん。

 ロリコンとか犯罪者とか言われるのも勘弁願いたい。

 だけどなあ……放ってはおけないだろ。


 雨音を聞きながら、ふたり並んで時間を過ごす。

 そのとき、「礼哉君」と名前を呼ばれた。社務所の入り口で、齋藤さんが手招きをしている。

 西園寺さんを気にしつつ、社務所へ。

 事務所まで来た俺に、齋藤さんは声を少し潜めて言った。


「君が保護したあの子、西園寺さんとこのお嬢さんだよね?」

「え? ええ、確かにあの子は西園寺と……知ってるんですか?」

「以前、ご主人からご挨拶を受けたことがあってね。名刺も頂いていたんだ」


 そう言って、齋藤さんは四角い紙を見せた。高校生のガキでもわかる。この名刺、すごく手が込んでる。


「お仕事の関係でしばらくこちらに住んでいるそうだ。ご主人はとても友好的だったんだが……その、少々、ご家庭に問題がありそうに感じたんだ」


 君の性格はよく知ってるから言うんだけど、と齋藤さんは前置きする。


「ご実家で色々あったのかもしれない。私はご主人に連絡を取ってみるから、礼哉君はしばらくあの子の話し相手になってあげてくれないか」

「はい、それはもちろん」

「あの子の様子はどうだい? 体調とかは?」

「着替えるよう勧めたんですけど、やんわり拒否られました。家に戻りたくないみたいで……ちょっと気の毒なくらいやつれてます」

「むう……わかった。ご実家の方には上手く話をしておこう。礼哉君、あの子にはそれとなく、家に帰るよう促してみてくれないか。無理にとは言わない。できればでいい」

「わかりました」


 遠い目になったのが、自分でもわかった。


「家族がいるって、なんだかんだありがたいもんですからね」

「礼哉君……」

「どのみち、励ましたいとは思ってたとこです。じゃ、行ってきます」


 踵を返す。もう一杯、お茶を淹れてから西園寺さんのところへ戻った。


 彼女は相変わらず同じ場所に座ったまま。ただ、無造作に頭に乗っけているだけだったバスタオルは、肩にかけられている。もう髪先から水は滴っていない。

 俺は横に座ると、お茶のおかわりを差し出した。代わりに茶碗を受け取る。さっきまで西園寺さんの手にあったそれの中身は、空になっていた。


「君の友達、なんていう名前だったんだ?」

「ルリっていいます」


 温かいお茶を飲んで少し気分が落ち着いたのだろう。今度ははっきりとした答えが返ってきた。


「オオルリのルリちゃんか。良い名前だね」

「るりいろがとてもきれいだったから」


 瑠璃色の方かよ。教養がすごいんですけど。俺がこの年齢のとき、なにしてただろうな。


 それからしばらく、俺たちはルリちゃんの話題で盛り上がった。

 野鳥が人に懐くなんて普通はないこと。それだけ、西園寺さんとの間に特別な縁があったのだろう。

 俺がそう言うと、西園寺さんはちょっと驚いていた。


「なかざとさんは、わらわないのですか?」

「ルリちゃんと西園寺さんが仲良くなったこと? なんで? 素敵なことじゃないか」

「そんなこと、ありえないって……」

「だめだよ西園寺さん」


 俺は言った。


「周りがなんと言おうと、西園寺さんとルリちゃんの絆は本物。少なくとも、俺はそう信じる」


 すると西園寺さんは大きく目を見開いた。

 その目尻から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 顔を覆って嗚咽し始めた西園寺さん。


「ことりは……もうすぐこのまちをはなれなきゃいけない……ルリが、ひとりぼっちになっちゃう……」


 俺は天を仰いだ。

 神社の方を振り返る。

 姿は見えないけど、何か大きなものがうなずいたような――そんな気がした。


「西園寺さん、約束しよう」

「え……?」

「これから毎日、俺がルリちゃんに会いに行く。お参りするよ。それなら寂しくないだろ?」

「なかざとさん」

「だから西園寺さんは安心して、ルリちゃんの分まで元気に頑張ること。約束、できる?」

「……はい」

「よし、良い子だ」


 俺は笑みを浮かべて、西園寺さんの頭を撫でた。

 西園寺さんが俺を見たまま固まる。


 ……あ、やば。まずかったか。


 気まずさを誤魔化すように、俺は小指を差し出した。お互いに指切りをする。

 そこでようやく、西園寺さんの笑顔が見られた。

 今はやつれているけど、きっと大きくなったら美人になるだろうな――そんな風に思わせる笑顔だった。


 ――それから間もなく、西園寺さんに迎えが来た。

 黒塗りの高級車に乗ったスーツ姿の人たちである。その中には西園寺さんのお父さんらしき人もいた。


 西園寺さんのお父さんは、何度も俺や齋藤さんにお礼を言ってくれた。

 俺としては、西園寺さんがお父さんと一緒に帰ると決めてくれただけでじゅうぶんだ。


「なかざとさん。ほんとうに、ありがとうございました」

「元気でね、西園寺さん」

「あの、わたし――」


 西園寺さんはまだ何か言いたそうだったけど、お付きの人たちが「お風邪を召されます」と車へと連れていった。

 高級車の後ろ姿を見ながら、俺は小さく息を吐いた。


 マジモンのお嬢様。もう会うことはないかもしれない。

 けど、あの子と小鳥との縁には、礼を尽くしたい。


 事務所で茶碗を洗いながら、俺は齋藤さんに言った。


「明日もまた来ます。約束しましたから。あの子と」






 ――それから十年。

 俺は約束を守り続けている。

 


 


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