令和5年夏会津・東山温泉行き
令和5年の夏に会津・東山温泉へ飛ぶための支度期間は令和4年の夏に始まっていた。ただ、宿自体は三箇日が明けてから早期割90で『御宿東鳳』を予約している。
宿に関しては両親であるH夫妻にYouTubeで予習させ、東京江東区の『ホテルヴィラフォンテーヌ有明』のニジガクコラボルームに関しては『泊まるに値しない』、Aqoursの聖地『淡島ホテル』に関しても『木の質感がなくて悪趣味』、『温泉むすめ』の磐梯熱海萩嬢が居る磐梯熱海の『ホテル華の湯』では前に泊まったのに『こうじゃなかったよ』とまで言われ、同じ磐梯熱海の『深山荘』に至っては『萩嬢のせいで格が落ちる』とまで突き刺された。熱海初夏嬢の居る熱海の『熱海シーサイド スパ&リゾート』も『安っぽい』と突き刺されたように思う。『温泉むすめ』の和倉雅奈嬢に来てもらいたい和倉温泉の『加賀屋』は旅行新聞社のホテル・旅館ランキングで37年も総合1番を保ってきただけあった。
6月16日。『デレマス』の久川姉妹と『タッチ』の上杉兄弟の誕生日。5時39分に目が覚める。この日の朝食は母上H女史の焼いたネギ入り卵焼きとウィンナーである。『ガルフレ仮』、『Pグリ』、『デレスポ』、『シャニマス』、『デレステ』、『ミリシタ』を手掛け、『ミリシタ』では仮担当の佐竹美奈子嬢に迎えられる。
7時15分に再放送の『あまちゃん』、そのすぐ後に『らんまん』が放送される。『火野正平のにっぽんこころ旅』は越前大野だったが、加齢のせいか『ドメカノ』の藤井夏生君に爪の垢を煎じて飲ませたい『光の竿師』火野正平氏も焼きが回っていた。紙の記録はここで止まり、ここからはスマホのメモ機能で取った記録である。
『満田屋』に連絡したのは9時10分で、予約できないので当日に枠を開けてもらう。『着いたら「越後浪人以下4人」と告げるようにとのことだった。
出発したのは9時21分で、42分に着く吉田行きを待つ。
なぜかといえばその吉田行きは新発田始発であり、伯母M女史が東新潟駅から乗って来るので寺尾の駅で拾うのである。当初は9時40分に新潟駅の一般車用ロータリーで拾うつもりだったが、前日に連絡して『ジュンク堂のところで待つ』と聞かされて天を仰いだ。今回は旅館バスを借りるわけではないのである。
雨の中、駅舎で待ってM女史を拾う。そこから坂井輪公民館付近に出て亀貝インターからバイパスに乗り、右車線に出てから左へ反れると磐越道に乗れる。同じ三叉路を右に反れると長岡まで飛ばされてしまう。
雨が強いので休憩する見込みだった阿賀野川サービスエリアを通過し、会津国境に近い上川パーキングエリアで休憩を取る。
『ざつ旅』と 『薄桜鬼』の地 訪ねむと 高速を駆け 季利花を探す
この歌は帰着した翌日18日に詠んだ。石坂ケンタ先生の『ざつ旅』はアニメ化が決まったが、最初の旅では会津・東山温泉を舞台としており、最初に途中下車したのは萩嬢の迎える磐梯熱海駅だった。乙女ゲーム『薄桜鬼』では斎藤一編の舞台に会津を据えている。東山季利花嬢はこの日のお宿がある東山温泉の温泉むすめである。7分の休憩で出発し、新鶴のスマートインターで2千130円を払って一般道に降りる。会津若松のインターまで行かないのは混雑対策と高速代節減である。
ここで失敗したのはクッキーを忘れたことだった。H氏が取り出してくれるものとばかり思ったので抜かった。それに気づいたのは阿賀野川改め阿賀川を渡るあたりで、H氏に訊いて発覚した。
七日町の踏切を通過し駅舎を掠めてファミリーマートを目指す。そこで右折すれば『満田屋』なのである。
入店した後、M女史とH女史の姉妹およびH氏はみそ田楽コース1千850円を頼み、私は胃の都合でシイタケとウィンナー各330円を頼む。
千鶴追ひ 会津に喰らふ 満田屋の 腸詰め辛く 椎茸甘し
この歌は旅館で詠んだ。ウィンナーは辛みそで味付けしており、シイタケは醤油ダレで味付けされていた。それをいろりの炭火で熱したのである。他の3人が食べた田楽焼きも物やみそこそ異なるがやることは同様だった。
食べ終わった後、雨で飯盛山が厳しくなったので七日町通りを歩く。会津漆器の老舗、『白木屋』は擬洋風の建築だったが、同じ通りにホウキの店舗があり、M女史はそこでホウキを買っていた。
ファミリーマートの先に『会津中将』の酒蔵があり、その先にある七日町の駅まで歩く。ここは無人駅だが、駅舎にはアンテナショップを兼ねた喫茶店があり、中に入ったのは初めてだった。ここで水出しコーヒー5百円を頼む。ホットコーヒーなら495円である。H氏は翌17日と差し換えるつもりだったようで、この日の飯盛山は完全になくなった。
珍しい構造の駅なのでホームを撮ろうとしたら会津若松駅からの列車が来た。車両は会津鉄道側の気動車で、先頭は『AIZUマウントエクスプレス』用に作られた気動車である。この列車は会津田島まで走り、終着駅で浅草行きの東武特急『リバティ会津』に乗り換えられるという。
飯盛山が無くなったので御薬園へ出向く。鶴ヶ城との共通入場券は730円だが、私の分は障碍者手帳で210円に減額。『手帳を忘れぬように』と釘を刺された。
御薬園で共通1日券を買うと『御薬園草茶』を持たせてくれるという。クコの実や柿の葉、大麦などを使った薬草茶で肌や胃、腸に良いという。
H氏に連れられて来たのは『重陽閣』なる建物である。『重陽』は『陽の気が重なる』ことを意味し、勢津子妃が9月9日のお生まれであることからそう名付けられた。『アイマス』のピヨちゃんこと音無小鳥女史も9月9日生まれなので陽の気が重なるのである。建物は東山温泉の『新瀧』から移築したという。
仮担が 如き菖蒲と 薔薇の花 慌てて入りて 薬湯渡さる
この歌は旅館で詠んだ。『アイマス』シリーズにおける担当アイドルは不在だが『Pグリ』の都合上、担当不在というわけにもいかず『仮の担当』を設けており、ただでさえ『ミリマス』の仮担当が作ったドカ盛りの料理を食べられる胃ではないのに、過負荷で胃を悪くしてからはもっと食が細くなり、外食率が大幅に落ちた。
765ASの仮担当は全アイマスで初めて受け持ったアイドルで、『デレマス』の仮担当は『モバマス』初期シナリオで頻繁に顔合わせすることから、『シャニマス』の仮担当はその母性が気に入り、『Mマス』の仮担当は961プロを脱走した心意気が気に入ったので、仮担当に指名した。
受け持ちのアイドルや事務所の職員に薩長の出身者が居り、過労が心配になる事務員女史が旧薩摩藩の種子島、身長に劣等感を覚えている成人アイドルと母性自慢の仮担当が長州藩の旧領から東京に来ている。
歌ではバラと書いたが、勢津子妃が植えたであろう花はシャクヤクである可能性が高い。何でも苛立ちにはシャクヤクの根が良いそうである。座りがちなら牡丹の根の皮、ふらつきにはユリの根だという。『デレマス』の柳清良女史と鷺澤文香女史、『ミリマス』の豊川風花女史と七尾百合子嬢なら知っているであろうか。
鶴ヶ城は16時で締め切りとのことなので、御薬園を軽く一巡して鶴ヶ城へ急ぐ。無料駐車場など見込めないので公営駐車場を探し、北出丸から城内に入る。車を停めたのは西出丸で、幸いにも矢や石、銃弾、砲弾の出迎えは無かった。
折角の共通一日券なので、天守閣に登ってみる。
旧来の石段は崩れやすいので後付けの階段で登り、塩蔵のあった石垣の層を通過する。なぜ塩蔵があるのか。それは会津磐梯山から採れる濃い塩水を精製して『山塩』を造っていたのである。山塩のお陰で会津藩は山国でありながら自力で塩を供給できた。
第1層は刀剣の展示である。『銀魂』における真選組の上官である松平片栗虎長官のモデルであり、『薄桜鬼』のモデルとなった新撰組を抱えていた会津藩9代目藩主の松平容保公が孝明帝から下賜された脇差の展示もある。
第2層は会津の歴代支配者であり、『戦国BASARA』でキャラクター化された伊達政宗公も本家は会津を領土にしたことがあり、豊臣秀吉公により版図を取り上げられている。『Y十M』で敵役となる加藤氏は上杉氏の後で赴任した。その後に会津住民の尊敬を集めている保科正之公が赴任し、3代目の松平正容公から正之公の親元である松平姓を名乗っている。保科公は『幕府に逆らってはならぬ』と訓示したというが、それが幕末の当主である容保公を縛ることとなってしまった。
第3層は戊辰戦争の展示である。新政府軍を『西軍』と呼んでいるのは『お仲間』で『偽の御旗』を掲げた薩長軍を官軍とは認めず、『逆賊になった覚えはない』というスタンスだからである。ここでは薩長と戦った者同士として長岡藩にも触れられているというので長岡市の『河井継之助記念館』を訪ねてくださると幸いである。また、容保公はフランス風の軍制をしいたが、薩長の方が先に西洋の武器を導入し、西洋風の軍制を布いていたわけなのである。敗れた会津藩は下北半島へ左遷され、斗南藩としてひもじい生活を強いられた。要は『オトナ社会におけるイジメ』である。
4層は会津から出た先人方の展示である。主に幕末維新期を生きた方の展示だが、現地に行って見てもらいたい。
第5層は展望台だった。登るのに40分程かけただろうか。東山温泉を見遣れば、『御宿東鳳』が見える。飯盛山は見えにくく、TSUTAYAすら見えにくかった。
薄桜鬼 夢破れたる 隊士達 抱へし守護も 斗南にて左遷
この歌は旅館で詠んだ。厳密に言えば容保公は隠居させられているので彼自身が下北で藩主となったわけではない。しかし、あれほど幕府に尽くしたのに朝敵扱いされるのは『死んだ方がマシ』という屈辱だったと見ている。
天守閣を下りた後、『荒城の月』の歌碑を見てから茶室『麟閣』に立ち寄る。ここも共通1日券ならパスである。ただ、お茶を飲むには6百円を追加で必要とし、飲む所はといえば、時代劇に出てくる茶屋のような席だった。一巡して引き揚げ、2百円を払って鶴ヶ城を後にする。
奴郎ヶ前の交差点を直進すれば東山温泉である。しかし、『ざつ旅』の鈴ヶ森ちか女史を追うのは院内の三叉路を通過した先までで、ここでナビゲートを間違え、転回して『御宿東鳳』の急坂を登ることとなる。
フロントでチェックインする際、2人ずつ2部屋を取っているので、H女史を呼んで女性部屋の手続きを取らせる。夕食は早めの17時半枠で頼み、朝食は7時半の枠が埋まっているので逆に遅めの7時45分枠を頼んだ。
指定された部屋はタワー棟の10階だという。公式ページで予約したときは4階から6階の低層で頼んでいたのでこれには驚かされた。また、貴賓室があるのもこのタワー棟である。
H女史姉妹は1003号室、我々父子は1004号室、エレベーターの脇だが、M女史の体力が気になっていたので肉体に負荷を掛けない部屋にしてもらった。
入った部屋はお風呂とトイレは別で、居間は畳敷き、備え付けの水は伊藤園のボトル缶、電気ケトルもセットでお茶を沸かせる。菓子類は『みるく大福』とスナック菓子である。新潟市から持ってきた『プリコネR』ボトル入りの麦茶も冷蔵庫に入れた。ここの冷蔵庫は電源を押さないと冷却しない。
この旅館もYouTubeで予習させており、動画の部屋は角部屋なので細かいところが異なる。
そしてH女史姉妹に今回の行程表と来年令和6年の舞台をリサーチするためのアンケートを渡す。
ここ、東山温泉は『温泉むすめ』の東山季利花嬢を生んだ温泉である。泉質は硫酸塩で湯量は毎分1.5kl、冷え性や慢性の皮膚病、高血圧、傷持ちなどに効くという。
ここからの件はヒイキの女性声優か2次元キャラクター、コスプレイヤー女史でも思い浮かべながら読んでもらいたい。
借り物の湯手とバスタオルを持ってエレベーターで3階まで下りて連絡通路の始まり付近に水のオブジェがある。その奥に浴場があり、奥が『棚雲の湯』、手前が『宙の湯』である。今は『宙の湯』が女湯だが、深夜1時で締め切り、早朝5時から『棚雲の湯』が女湯となる。
現在男湯である『棚雲の湯』は内風呂からして見晴らしが良く、3段くらいに露天風呂が組まれていて一番奥が寝湯である。
露天風呂からの山林ビューは良いものだが、生垣の中に入ると転落のリスクが高い。また、サウナからも外を望める。入浴者が増えてきたので一旦上がる。温泉旅館では夕方と夜、翌朝に入浴するのが流儀だという。入浴の前は洗体である。
上がった後、湯上り処やゲームコーナーを訪ねる。『御宿東鳳』では東山季利花嬢と新選組を題材にしたクイズラリーを行っており、その背景である設定を疎ましく思う一方で強くは言えぬことも感じていた。
部屋に戻り、Wi-Fiを繋いでやり残し分の『ミリシタ』をプレイする。この頃はプラチナスタービンゴ『夢みがちBride』を行っており、イベント曲は同名の『夢みがちBride』、デイリー曲が百瀬莉緒女史のソロ曲『Border LINE→→→♡』だった。
H氏から『今日の分の計算をしておけ』と、言われたのでスマホの電卓機能で計算して3千2百円という数字が出たが、これは4人分の平均値で、私は幾らか損する計算である。翌日、H女史姉妹にH氏に払う交通費という名の人件費千円を追加で請求しなければならなくなった。
早めにフロント階2階のビュッフェ会場『あがらんしょ』に下りる。
この旅館は人気の高い分、常連客が目立ち、『席は混むから壁際を取るように』、『ここのビュッフェはそこまで厳しく時間を管理せず、19時半頃に入れ換えタイムを取る』など、常連ならではの裏技と聞けば響きは良いが、体よくマウントを食らう。
確かに混むときは人気のない壁際が無難であろう。そして持ち時間の90分はできる範囲守りたい。ここでは腐敗の兆しを感じた。
東山 季利花を訪ね 湯に浸かる 今宵によそふ 一椀の小汁
この歌は夜に詠んだ。夕食で食べたのは菜の花のエゴマ和えと馬のスジ煮、こづゆで、胃の都合上、少なめによそった。H氏から『会津中将』を勧められて渋々飲んだが、それが胃に祟ったかもしれない。
この席でH氏には彼の親元の家の写真をモチーフにしたカードと、皮肉を込めたものとして『鉄子の旅』で横見浩彦先生の破天荒さを描写した場面のカードを贈った。彼は今年で満76歳、数え77歳なので喜寿を迎えることと、父の日と彼の誕生日が近いこともある。
H女史には親元の家の写真をモチーフにしたカードと巫女衣装で神楽を舞う『ミリマス』における宮尾美也嬢のカードを贈った。彼女は美也嬢ばかりか『デレマス』の島村卯月嬢、『シャニマス』の櫻木真乃嬢と誕生日が近い牡牛座で、遅れの母の日と誕生日、3年遅れの結婚40年記念を皮肉すら込めて祝った。
辛うじて食べ切り、苦しみながら自室に戻ると布団を敷く作業の真っ只中だった。
敷き終わった後で支度をして『棚雲の湯』へ向かう。さすがに19時を過ぎると外は暗い。月は出ていたであろうか。上がった後、H女史姉妹を訪ね、自室で歌を詠んでから寝る。この日1万1千169歩を歩いた。
6月17日。『D.C.Ⅱ』の朝倉音姫嬢が誕生日を迎える。起きた時間は5時にもならない。5時になるのを待って『ガルフレ仮』と『Pグリ』、『デレスポ』を手掛け、デレマスとミリマスの仮担当を撮ってから朝風呂へ赴く。今は『宙の湯』が男湯なのである。ここからの件はヒイキの女性声優やコスプレイヤー、2次元キャラを思い浮かべながら読んでもらいたい。
『宙の湯』も内風呂からの見晴らしは良く、露天風呂は5段くらいに組まれており、一番奥が円形の浴槽でガラスの壁がある。寝湯は2段目で円形の中まで段が続く。こちらの露天風呂はタウンビューに重きを置いている。サウナはミストサウナで窓がなく、湯気で蒸すようになっている。
上がってから『シャニマス』、『デレステ』、『ミリシタ』を手掛け、『ミリシタ』のデイリー曲は『メリー』だった。この日もゲーム内イベントは続いている。
H女史姉妹を訪ねると来年の舞台は『庄内一択』だという。H氏は宇奈月と中越を推していたが、これで不利になってしまった。
フロント階2階のビュッフェ会場『あがらんしょ』に出て朝食を摂る。今回は麦ごはん、納豆、味付け海苔、スクランブルエッグ、玉子焼き、ベーコン、ソーセージ、きんぴらごぼう、ほうれん草のお浸し、豆腐のみそ汁、グリーンスムージー、ヨーグルトブルーベリーソースを食べた。『御宿東鳳』自慢の『会津駒ケ岳』は焼かない、固めないチーズケーキなのだが、立ち上がりを遅めにしたのでお預けである。
朝食後、会計して1人に付き宿代が1万2千9百円、今回の旅費は1人に付き2万250円ということになったが、後で下方修正して2万1千250円という計算となった。『田季野』の昼食代は3千3百円、飯盛山の駐車場代は平均150円と、これから使う額は目安値で請求した。
部屋を出て季利花嬢の視界内である売店へ赴き、『みるく大福』1千3百円を3箱買う。4人で記念写真を撮ったら季利花嬢ともお別れである。
行きに登った急坂を下り、車を左折させて『ざつ旅』のちか女史が歩いた道をたどる。
『ざつ旅』の ちかを追ひたる 東山 千代滝を過ぎ トンネルを出づ
昨秋に泊まった東山パークホテルの先にちか女史の泊まった『くつろぎの宿 千代滝』があり、羽黒山神社の参道も近い。東山トンネルを抜ければ背景になった『ホテル東山閣キャニオン』と『アネックスシンフォニー』である。このあたりは惨い事件の舞台だったので妄りに入る、あるいは近づくべきではない。
その先の交差点で右折して『向瀧』へ向かう。飯盛山とは逆の方向を走っていたのでH氏は運転席でイライラしていた。
東山の温泉街を頭だけ望むと『向瀧』である。『ざつ旅』の舞台となったが、一ノ瀬けい先生の『花唄メモワール』の舞台でもあり、ヒロインである佐々木梅嬢の親元の旅館『花瀧屋』のモデルである。
ちかが寄り 梅の働く 向瀧 今日車にて 降り立ち歩く
この歌は18日になってから詠んだ歌である。この旅館に泊まる案もあったが、金策の絡みで取り止めとなった。安い時期の安い部屋でも2万円ほど、1人者には5千5百円ほど割増をする。その金額では下見代も宿泊費も高くつくのである。
『向瀧』もYouTubeで予習させた旅館である。動画で見ると近代化の範囲は本当に『最低限』で空調などは取り付けられていないようだった。トイレも各部屋共用のものがあるだけである。
我々が来た時に中居さんから見送られた車があった。建物の外まで出て見送るのは昔ながらの旅館ならでは。だから初期の梅嬢も疎ましく思ったのであろう。彼女は露天風呂に落ちて大正12年の『花瀧屋』へ飛ばされる。奇しくも今年、令和5年はその年から百年である。『鬼滅の刃』の鬼殺隊が鬼舞辻無惨を討伐した直後期に襲って来たスペイン風邪の悪夢が楽になった時期でもあった。
『向瀧』で写真撮影をした後、バス通りを走り、『庄助の宿 瀧の湯』付近を通過する。ここもYouTubeで予習させた物件で、湯上りにソフトクリームを食べさせてくれるが、H氏曰く『「地のサービス」は良くない』という。奴郎ヶ前の交差点を右折して、飯盛山下に至り、駐車場代千円を払って登りにかかる。
ここも『ざつ旅』の舞台であるが、目を付けたのはSLに乗って郡山まで出向いたときである。H女史が数えて118段と出た階段を登りきると、左手に白虎隊士が眠っている。逆に右側に出れば白虎隊の果てた地があり、そこから鶴ヶ城方向を望んだが、植物の濃さで推察できる程度だった。
ちか女史の 登りし山と 千鶴嬢 白虎隊追ひ 城を望みたり
この歌は18日に詠んだ。墓地に出てぬかるみを歩き、白虎隊の眠る墓地まで歩くとH氏がさざえ堂を指して歩いていた。聞くと『階段の物売りに捕まりたくない』とのことである。
さざえ堂はらせん状のお堂で入るに4百円掛かる。そこから下ると西軍こと新政府軍と戦って敗走した白虎隊が隠れていた洞窟があり、そのあたりは水場だった。そこから下りても駐車場まで徒歩で行ける。
磐越西線で来た時に苦い思いをした過去があるので異議を挟めなかったし、観光地の品は割高なので、会津若松駅に行くこととした。
駅前でナビゲートを間違えて慌てて右折する。ここで車を停めたのは時間調整もあるが、『バス弁』の試みを見てもらいたかったのである。我が新潟市中央区の万代シティバスセンターにある『寿屋』だとおにぎりにたくあんを付けてくれるので事実上のバス弁だが、正式なバス弁は無いのである。
会津バスターミナルでアイスティー280円を頼んで休憩時間を取る。ありがたい方の義兄S氏は会津若松市の出身なので大学のときにこのバスターミナルから新潟市へ向かっている。
はるるんと 甘奈を呼ばむ 若松の カフェにて待ちて アイスティー飲む
この歌も18日に詠んだ歌である。アイマス世界で受け持っているアイドルを呼びたいものだが、事務所1箇所分でも収容力を超えてしまう。大崎姉妹の妹の方、甘奈嬢は同級生に欲しかったキャラである。ただ、彼女と知り合いになると『あの姉』が抱き合わせだが。天海春香嬢に関してはムビマスの件が絡んでいる。『だれ一人として見捨てない』心意気は賞賛に値する。
会津若松の駅に出ると喜多方行きの『フルーティアふくしま』が発車案内に出ており、乗りたかった列車だが、今回は時間と予算の都合でお預けである。個人としては1度乗ったが、退役まで乗れない見込みであり、H女史姉妹に乗ってもらいたかったものの叶わぬこととなった。
ここでH氏は『会津中将』を買っていた。JREポイントカードは本人名義でないと使わせてくれないという。
昼食の時間が近づいてきたので車を『田季野』まで進める。しかし、細い路地にあるので今回も道に迷い、苦戦の末に見つけて第2駐車場へ走る。第1駐車場だと、車が過密で食事中であっても移動を強いられるのである。
『田季野』は近藤勇局長を亡くした新選組の隊士が敗走したであろう下野街道にある陣屋を移築し、改装した和食店である。
オンラインで予約していたので2階、それもだいぶ奥の畳席に通される。
私は鮭親子輪箱飯2千860円を頼み、H氏とM女史姉妹の3人は会津物語2千640円を頼んだ。
なぜ会津そばを食べるにネギを使うのか、H氏が訊いていたが、『箸は「別れる」につながり、離婚につながることから縁起が悪く』、『一本気につながるネギ』にしたという。もっとも、H氏夫妻はなぜに離婚しないのか甚だ謎ではあるが。
受け持ちの アイドル呼ばむ 田季野かな 輪箱を開き 半ば悔ひたり
この歌は18日に詠んだ歌である。ここでデレスポとミリシタを立ち上げようとしたが、失敗した。わっぱを開けて後悔したのは昨年の9月とは品を変えておくべきだったという意味である。間違いのないように言っておくと、鮭もイクラも添えられたおかずも『トランスイート四季島』の乗客に振る舞う店舗なだけあった。
脇にある壁紙は保元物語であろうか。来年以降、この親族イベントでN氏夫妻を誘いたいのだが、M女史から『N家の親子は構われたくないのだ』と、突き刺される。残念だがN氏に責任を尽く押し付けたいのである。
食べ終わってから『田季野』を出て第2駐車場へ戻って帰りの車に乗る。H氏の車はETCを装備しているので新鶴のスマートインターへ行くわけだが、そこまでのナビゲートが問題になった。磐越道に乗り、西会津のサービスエリアで仙台からの高速バスを抜く。塗装を見ればJR側の車両で東北新幹線をモチーフにしている。
瑠璃・珊瑚 誕生日過ぎ 高速を 走りて哀し 久川姉妹
この歌は18日になって詠んだ歌である。『ToHeart2』の姫百合珊瑚・瑠璃の双子姉妹も『デレマス』の久川凪・颯姉妹と同じ6月16日に誕生日を迎えていた。今回は17日になって気付いたので『後悔先に立たず』だったのである。
新潟県側に出て上川パーキングエリアを通過。阿賀野川サービスエリアで休むわけだが、15分程度取るつもりが19分掛かってしまった。
ここではM女史が『明るいうちに東区へ戻りたい』とのことだったので、列車を検索すると寺尾15時57分発の新発田行きに乗れるが、急ぐなら15時16分発の村上行きに乗れる。そのため慌ただしめの出発になったのである。
サービスエリア内のファミリーマートで休んだM女史曰く『ハーゲンダッツは美味しくない』とのことだったが、帰着後に検索したらドイツではなくアメリカのメーカーだったので、生クリームで油っこいせいだろうか。胃を悪くした今では美味しいとは思うまでも、そこまでありがたくなくなってしまった。
新潟中央ジャンクションで北陸道に乗り、新潟西のインターでパイパスに降りてから一般道に降りる。新鶴からの高速代は1千490円である。越後線の農園踏切を通過しないと帰れないが、知っていて事とはいえそこで渋滞に捕まり、14時40分に帰って来た。
ここでは急ぎ、クッキーを取り出しH女史に渡す。16日の午前中に着いていた総合生協の品も搬入し、帰着の後作業をする。クッキーはH女史が渡し忘れてつくば市行きとなり、S女史からアーモンドプードルとチョコチップが多いことを𠮟られたのであった。
この日、7千649歩を歩き、出発から帰着まで足し引き2万5千円の旅だった。
今回の教訓として、『H氏を当てにし過ぎない』、『具合の悪いときは全力で酒類を断る』、『他人の言うことは鵜呑みにするな』、『ナビゲートは方位で言わず、前後左右で言う』、『ナビゲートの「上がる」は直進で標高を上げることである』、『金勘定をした後に行ったり食べたりする物件は若干高めに見積もる。事前に調べて目安値で徴収するように』、『観光地は食べ物も駐車場も高い』、『日毎に使ったお金を計算し、平均しておくこと』、『納品する写真は選抜して家単位で』、『新潟駅工事中は寺尾駅に全員を集めておくこと』、『オーダーを聞いておくこと』、『保科公の訓示を調べておくこと』、『旅の記録はスマホで取っておくこと』の13点が挙がった。
『ラブライブ!サンシャイン!!』の外伝『幻日のヨハネ』が放送を開始したのは最速で翌週末、3月の半ばにアトレ秋葉原で認知して食指を動かした『リコリス・リコイル』の再放送が始まったのはその更に翌々週末で、私は両方ともBS11で録画して時間差で視聴、あるいは音声を聞いている。
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