令和4年会津・磐梯行き
令和4年の会津・磐梯行きは台風とワクチン接種、そして強化版オミクロン株の感染拡大により、日程が二転三転した。
当初、『ドラえもん』で名高いドラえもん氏の誕生日である9月3日に出発しようとしたが、ワクチン接種の都合で9月7日に繰り下がり、強化版オミクロン株の感染拡大により、更に3週間繰り下がった9月28日に決まったのは8月末だった。
また、8月の水害で濁川橋梁が崩落して磐越西線が不通となり、『SLばんえつ物語』号は運転できなくなってしまった。しかも、新津発9時台の会津若松行きは西会津町の野沢駅どころか阿賀町の津川駅で運転を打ち切られ、1往復だけ現喜多方市の山都駅まで走るようになっても不便さが楽にならない。バスも中共ウイルスことこの度のコロナウイルスによる減便で不便になったことからH氏の車で会津若松まで送ってもらうことにしてもらった。ただ送るだけだと申し訳ないので父子で『田季野』の料理を食べるべく公式フォームから予約した。『温泉むすめ』の東山季利花嬢がホームグラウンドとしている東山温泉の宿は『じゃらん』のアプリで申し込み、同じく『温泉むすめ』の磐梯熱海萩嬢が居る磐梯熱海温泉の『紅葉館きらくや』は公式ページから予約した。それと並行して、東山温泉の旅館3軒に下見の申し出をしたが、『庄助の宿 瀧の湯』は梨のつぶて、『向瀧』は泊まらぬ限り館内には入れないが、外から撮るだけなら可能。季利花嬢がいる『御宿東鳳』は下見をさせてくれるとのことだった。9月25日から荷造りを始め、H女史の意向で紺のバックパックを担いで出発することに決まった。このことが現地で幸いする。
9月28日水曜日。当日はアラームにより5時28分に目覚めた。『ガールフレンド(仮)』はメインシナリオの夏初日、『プリンセスコネクトRe:Dive』と『アイドルマスター シャイニーカラーズ』、令和4年度で配信終了が決まった『アイドルマスター SideM』、『アイドルマスター シンデレラガールズ』、はログインのみ、『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』では仮担当の好感度を5百引き上げ、『アイドルマスターミリオンライブ! シアターデイズ』ではデイリーミッションの楽曲が『relations』で10連ガシャではプロジェクトフェアリー衣装の星井美希嬢を引き当てた。『アイドリープライド』の10連ガチャは引き損ねている。
この日は水曜日なので燃やすゴミを6時半過ぎに捨てに行き、この日の朝食はH氏の仕立てたハムと目玉焼き、なめこ汁、豆腐だった。ご飯には海苔の佃煮を載せて食べた。H氏には『9時40分頃に出発したい』と、告げたがこれは『田季野』で食べる時間を逆算している。
水曜日であることから8時台と20時台にNHKの衛星放送で『英雄たちの選択』が放送されるが、この日は昭和編なので題名が『昭和の選択』に差し換えられている。大東亜戦争に於ける日独伊三国同盟が題材で、スポットライトを当てられたのは大島大使だった。昭和編は政治的悪意が露骨に出てくる。すぐ後の時間帯で正岡子規を扱った番組があり、『柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺』の句は夏目漱石からの本歌取りである、と紹介される。本歌取りは平安時代後期に始まった『もじり』の術で現在世に出回っているパロディ同人誌から見たら発想の面における原点である。
曇る中、9時29分にH氏の車で出発。亀貝インターから新潟バイパスに乗り、新潟西インターから北陸道に乗る。上越新幹線を潜り、新潟中央ジャンクションを介して磐越道に乗った。新津西スマートインター、新津インターと通過し、安田インターと阿賀野川サービスエリアも通過、福島交通バスと行き違い、会津国境を越えて西会津インターと会津坂下インターを通過。新鶴のパーキングエリアで小休止を取る。H氏はETCを取得しているので、ここのスマートインターで一般道へ降り、七日町の踏切から会津若松の市街地へ入る。この術は高速代を安くすると同時に、市街地での渋滞を避ける意図でやっているという。これもETCとカーナビあっての術である。七日町の踏切からすぐのところに只見線の七日町駅があり、喫茶店が併設されている。会津若松の市街地で迷い、何度も元の市役所であろう建物に行きつくほど迷い、H氏から『電話しろ』と怒鳴られた。Googleマップで検索しで細い路地を見つけたのが今回の決め手となり、11時37分に『田季野』へ行きついた。今回、第1駐車場が過密で車を移動させられたので今後は第2駐車場に車を停めたい。
ここ『田季野』は会津藩主が参勤交代で往来したであろう下野街道の絲澤舊陣屋を移築し、復元して和食店とした物件である。東日本を走る豪華列車『トランスイート四季島』の乗客に料理を振る舞ったことがあり、今回下見することにしたのもそれが決め手だった。12時20分の枠で予約していたのだが、店側の行き違いで待たされるだけならまだしも2階へ通されるところ、席が空いたと聞いたH氏が1階の席に座ってしまった。なお、段差がきついのでバリアフリー面は非常に喜ばしくない。
さて、ここは建物が陣屋だっただけあって模造品だとは思うが鎧兜が長椅子に置かれている。鎧は武将のものとしては室町時代以降に用いられた『腹巻』、戦国時代以降でいう『胴丸』、と見受けられる。鎧に袖、兜に鍬形があるので名のある武将の甲冑だったのであろう。向かって右側の兜は今川の家紋だと思ったが、どうだろうか。『甲冑』とは鎧兜を意味し、『甲』はカブトムシなどの甲虫で使われているように鎧を指し、『冑』は兜を指す。少なくとも儒家の経典である『春秋左氏伝』等ではそのように用いられている。
通された席は窓際だったがH氏の斜め後ろに『疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し』則ち『風林火山』の屏風がある。『孫子』に記述があり、かの武田信玄が旗印とした『動くときは風のように速く、構えるときは林のように静まり、攻め込むときは火のように烈しく、守るときは山のように動かぬこと』と、聞いた。古今洋の東西を問わず、指揮官や指導者でこれを体現した人物は非常に少ないように記憶している。『みどりのマキバオー』はキャラに武田勢由来の名前が多く、ミドリマキバオーの騎手になった山本管助氏は言うまでもなく、悲運に散ったフウリンカザンも旗印から転じて大本は孫子である。
私は『鮭親子輪箱飯』2,530円を頼み、H氏は『会津物語』2,530円を頼んだ。H氏の品が来たとき、『撮っておけ』と言われたので撮ったが、それが後に幸いする。『会津物語』はわっぱ飯と会津そばをセットにした会津欲張りセットだったのである。
デレスポの フォトスタジオすら 立てられぬ 蒸されて甘し 鮭の親子よ
鮭とイクラのわっぱ飯にはだし巻きが添えられており、別の皿にはひき肉とゴボウの炒め物、お椀には味噌汁が支度されている。H氏の方は小ぶりなわっぱ飯にネギで食べる会津そばと先述の2品である。帰着後に訊くと『大内宿で慣らされたから』と、応えられた。今回、Wi-Fiは繋がるようだが、『デレスポ』を立ち上げる隙などなかった。鮭と厚焼き玉子、ゴボウの炒め物は旨味が効いている。わっぱ飯代2,530円は帰着までH氏からの『借り』となった。
12時半頃に『田季野』を出て、鶴ヶ城会館で降ろしてもらう。そこでは自分とH女史の分のお椀を買った。私は『青春ブタ野郎』シリーズにおける桜島麻衣嬢の翌週で、『デレマス』の初代シンデレラガール十時愛梨女史の翌日、今の皇后陛下および『Nursary Rhyme』の巴真希奈・優希奈姉妹と『ケロロ軍曹』におけるケロロ軍曹の地球周期での誕生日と同じ12月9日生まれであるため、12月の誕生花である『南天』のお椀を、H女史は『デレマス』の島村卯月嬢と『ミリマス』の宮尾美也嬢、声優の名塚佳織女史の翌日、『シャニマス』の櫻木真乃嬢や『Pia♥キャロットへようこそ!!3』の高井さやか嬢と同じ4月25日生まれなので4月の誕生花である『桜』のお椀を、2つ合わせて1千3百円で買った。南天の花言葉は『福を招く』で桜の花言葉は『優美』だという。H氏のお椀は既に同じ物件で買っており、『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』の由比ヶ浜結衣嬢と『D.C.』の白河ことり嬢の間の6月19日生まれであることから6月の誕生花である『紫陽花』を買ってきた。花言葉は『謙虚』だという。皮肉なものである。
誕生花 苦笑したる 花言葉 我は南天 仮担は桜
『シャニマス』における仮担当が4月18日生まれで誕生花が桜だった。
鶴ヶ城会館を出ると、戊辰戦争の激戦地で『薄桜鬼』の舞台にもなった鶴ヶ城へ至る。ここは元が戦国時代の城なので北出丸からの道は入り組んでおり、戦乱の世なら銃弾や砲弾で盛大なるお持て成しをしてもらえる。
以前、お手入れで天守閣に登れなかったので、今回登ることにした。お代は520円だが、障碍者手帳で実払いを配慮してもらえた。元の石段は危険なので、往復とも後代に比較的安全な階段を付け加えている。もっとも、それでも急で崩壊と転落を恐れたわけではあるが。
階段を上がって最初に入った層は会津磐梯山から採取した『山塩』を保管している『塩藏』だった。磐梯山の地下から濃い塩水が出るので会津藩は山国ながら自領で塩を供給できたと聞いた。
そこから上がると会津の歴代支配者や戊辰戦争の展示である。『戦国BASARA』で名高い伊達政宗も本家は蘆名氏から会津を攻め取ったことがある。しかし、豊臣秀吉により国換えを命じられ、蒲生氏郷が赴任した。『Y十M』で敵役として出てきた加藤明成はその後、上杉景勝より後に領主となった人物である。天守閣の最上階からは東山温泉や会津若松市街を望めて、この町の『TSUTAYA』は高層ビルなのか、と驚いた。天守閣に登る所要時間は13分だったが、これは急ぎ気味に歩いたからである。会津では長岡同様に新政府軍を『西軍』と書き、旧幕府軍を『東軍』と書く。飽くまで『薩長に弓を引いたことはあっても天皇陛下に弓を引いたことはない』と、いう意識なのである。会津住民にとって新政府軍が掲げた錦の御旗は『偽の御旗』なのである。それくらい長州には腹を立てている。
鶴ヶ城を出て、北出丸から出てお茶屋と公営駐車場を掠め、バスに乗ろうとすると鶴ヶ城会館から修学旅行生の一団が出てきた。何かと思えば鶴ヶ城会館から公営駐車場の側に出ることも可能で、喫茶店の脇に小道があった。ここでショートカットしたが、バスには逃げられ、コンビニ『ミニストップ』で給水して若松小田垣郵便局へ歩き、そこで左折。『デニーズ』で右折すれば御薬園なのだが、途中、カワチで補充用の消毒液を探し、店員氏に訊いても無かった。しかも、『ナニワブックス』まで行き過ぎて『デニーズ』まで戻ることとなったのである。『ラブプラス』の姉ヶ崎寧々嬢どころではない。御薬園前に着いたのは14時4分だった。ここでもバスに逃げられ、入場料330円を手帳で配慮してもらって入ってみることにした。鶴ヶ城の天守閣と茶室『麟閣』、御薬園の共通チケットは730円である。
ここ、御薬園は室町時代に蘆名氏が庭園として創始し、内戦で荒廃したところを徳川幕府の3代将軍、家光公の庶弟で会津藩の藩祖となった保科正之公によって再建される。2代目藩主の松平正経が病気の対策として薬草を植えさせ、3代目の松平正容の代になって現在のようになった。また、大正時代の折に昭和帝の弟御である秩父宮殿下の妻となった勢津子妃の親元でもあり、勢津子妃の父、松平恒雄大使は会津藩の末裔だった。そのため、戊辰戦争で朝敵の汚名を着せられた会津の住民は至って喜んだという。実際、会津住民の長州に対する怨恨は我が有り難い方の義兄であるS氏の代まで染み付いており、現代になって故安倍晋三首相が謝罪したと聞く。『シャニマス』における我が仮担当も長州の山の方出身である。非常に頭が痛い。
入って直ぐのところに句碑があり、そのあたり微笑ましい。薬草エリアにはオオヨモギ、ヨモギ、セリ、ナズナ、タンポポ、芍薬等が植えられている。時期に恵まれず、花は咲いていなかった。そこから離れると池があり、その中に茶室がある。
花はなく 芍薬になむ 重ねたる 推しの花顔 池の畔に
『推し』とは贔屓のキャラを指す。近藤顕彦氏でいうところの『奥さん』である初音ミク嬢か、彼女より下位だが贔屓しているキャラを意味する。ここの庭園は水戸市の偕楽園や金沢市の兼六園より控えめで、会津の質実剛健さを感じる。早めに出て七日町先回りの『ハイカラさん』バスを待つ。飯盛山下先回りの『あかべぇ』は御薬園からいくらか歩いた商工会議所前でしか乗れないことと、東山温泉の『御宿東鳳』で営業担当氏にアポイントメントを取っていたことがある。乗るバスは『ハイカラさん』13便で14時34分に着いた。運賃は210円だが、手帳で割り引いて110円。1日に3回以上循環バスに乗るなら東山温泉の観光案内所や会津若松の切符売り場で600円のフリーパス乗車券を買うことを勧める。
途中、武家屋敷前まで来ると乗ろうとする小母様がいた。運転手氏が訊くと、『会津若松駅へ行きたい』と、いうことだったので、ドライバー氏は『戻って来る』と諭した。武家屋敷前を出れば院内の三叉路を通過して東山温泉である。三叉路のうち、広くて運転しやすい方の道路ではなく、狭くて運転しにくい方の道路に至ったバスは『庄助の宿 瀧の湯』前の『東山温泉入口』に至り、東山温泉のバス停に着いたのは14時44分だった。バスは簡易なロータリーで折り返して、武家屋敷前へ戻る。
ここは『東山温泉駅』と書かれた看板があるが、併設で観光案内所があり、ここにも季利花嬢が居た。しかし、初めての場所である。地図を貰ってバスの道を戻る。『東山ハイマートホテル』、『はなれ松島閣』、『庄助の宿 瀧の湯』と続く。この3つは繋がっているようですらあり、土地に起伏があることから土地使いは非常に細く、『瀧の湯』系列旅館の『月のあかり』や『ゆっくらイン』のロゴが入った送迎車もいる。平成型の湯治宿に感じる『ゆっくらイン』に泊まりたかったが、『じゃらん』での評判が悪く、泊まる物件を変えたので今回は通過するだけにした。院内の三叉路で初めて声を聞く営業担当氏に遅れる連絡を入れ、実際に『御宿東鳳』に着いたのは若干遅れた15時6分だった。
『御宿東鳳』はロビーの床に赤系統の絨毯を使っており、2022年の6月頃に於ける価格で本館が消費税と入湯税込みで16,650円。土曜日や休前日だと19,950円だという。朱雀亭は1千1百円増しでタワー館は2千2百円増し。大浴場はタワー館に近く、夜の男湯は朝の女湯で逆もまた然り。つまり時間を変えれば階段状の露天風呂も円形の露天風呂も入れる。他の旅館ではあつみ詩鶴嬢の地元である鶴岡市のあつみ温泉『萬国屋』や、まだ温泉むすめが来ていない佐渡市の椎崎温泉『ホテルニュー桂』が同様である。
バイキングの料理は料理長が決めるが、川魚を使うなら鮎が多いという。煙草は本館でのみ吸えて、全館禁煙を目指すというが来年度中の完全禁煙化は成らない。そのあたり、月岡温泉の『白玉の湯 華鳳』よりペースが遅い。これらのことをロビーで聞いたが、ロビーが城壁にすら思える攻防だった。『次回は公式フォームで申し込みます』と、社交辞令をして引き揚げの体勢に入った。ここの売店で東山季利花嬢のキーホルダー7百円を買い、クリアファイルを渡される。季利花嬢は売店の目立つところに等身大ポップで居た。演じる馬渕由妃女史とデザインされたかる先生に関しては寡聞にして他のお仕事を知らない。ここまで20分の攻防だった。
元来た道を歩き、『ゆっくらイン』前を通過。旅行新聞社の2022年ホテル・旅館ランキングで総合49位、企画部門17位を記録した『瀧の湯』では宿泊者名簿に名前が無いか確認するべく名前を訊かれ、バス停の先へ行って『向瀧』を湯川の向こうから望んだ。幸い、駐車場が近そうであり、日本海海戦を指揮した東郷平八郎提督や『君死にたまふこと勿れ』で名高い与謝野晶子の書も館内に在り、伊藤博文首相も泊まったことがあるという。ここはダイナミックプライシングを採用しない物件だが、1人客には5千5百円割増をし、休前日や最繁忙期にも割増をする。この条件が今回は災いした。2人1室でも1人あたり2万円程度が最低価格なのである。
ソースカツ丼の物件を横目に、親元の佐渡市を彷彿とさせる小路を上がって、今回のお宿である『伊東園ホテルズ』系列の『東山パークホテル新風月』に着いたのは15時58分だった。『瀧の湯』系列の『月のあかり』や大江戸温泉物語系列になった『東山グランドホテル』はだいぶ奥地である。チェックインしたのは16時1分だった。西館4階の440号室を指定される。
これは帰着後に調べたことだが、東山温泉は8世紀、中国大陸では楊貴妃の生きていた時代である奈良時代の天平年間に名僧、行基菩薩が開拓したと聞く。泉質は硫酸塩でカルシウムとナトリウム、塩化物イオンを含んでおり、リウマチや運動器障害、慢性の皮膚病、切り傷、虚弱体質、女性型の慢性疾患、更年期障害、動脈硬化、高血圧、痛風や高尿酸血症、冷え性に効くという。湯温はセ氏50℃から60℃で、毎分1.5kℓずつ湧き出ているそうである。
ここ、東山パークホテルは昭和後期頃の造りである。帰着後に聞いたことだが、平成1桁頃に東山温泉の『アネックスシンフォニー』で殺人事件があり、当時20代だった看護婦女史が襲われている。生きていれば今頃50代になっていたであろう。トンネルの向こうに在り、既に廃墟となった現地では看護婦の幽霊が出るそうである。このあたりは湯川の絡みで地形が険しく、富山県の宇奈月温泉や魚沼市の大湯温泉のように起伏がある。
送迎車は頼めば武家屋敷前まで出してくれるという。夕食と朝食はバイキングで、時間枠を指定されたが、夕食が17時40分。朝食は8時10分の枠を指定した。他の枠は夕食が19時半、朝食が7時20分である。部屋着もフロントの脇にあり、体型に合ったサイズを選べるようになっている。この日は串揚げフェスだった。浴場は東館の3階であり、2階の連絡通路を介して入りに行く。食堂は西館の2階である。この旅館に季利花嬢は居ない。入った部屋はじゃらん枠のせいか狭く、比較的暗い。トイレはユニットバスでビジネスホテルの造りである。
夕食まで時間があるので16時20分過ぎに入浴する。浴場を『会津一の湯』といい、露天風呂を『観月』というそうである。浴場は写真で売り込むだけあって面積があり、露天風呂も広い。洗い場には髭剃りクリームまであった。
18時3分。西館2階の食堂で夕食にする。ここで失敗したのは反対側の壁にドリンクバーがあったことである。味噌汁、ポテトサラダ、レタス、ブロッコリー、まいたけ天、さつま芋天、うずらの串揚げ、小皿のチキンライスドリア、ビーフシチュー、を食べた。給仕氏から『たっぷり食べたら』と言われたが、胃の都合を考えるとギリギリの条件だったので断った。
夕食後、部屋へ戻る。自室に入るごとに手洗い、うがい、鼻掃除、手の消毒が欠かせない。19時を過ぎて改めて浴場へ赴く。
『季利花を』と 術なき宿を 出でにけり 浸からば暗し 東山の湯
月は出ていたであろうか。フロントでは消費税と入湯税込みで9,148円を払ったが、今のご時世だとそのくらいのお代になってしまうのかもしれない。19時を過ぎると流石に暗かった。このときの失敗は『一人旅』でいる意識だった。20時前に上がり、21時を過ぎて寝た。
翌29日。『夜明け前より瑠璃色な』のフィーナ・ファム・アーシュライト王女と『ましろ色シンフォニー』の瓜生新吾君、『デレマス』の楊菲菲嬢が誕生日を迎える。アラームで目が覚めたのは5時16分だった。『ガルフレ仮』、『プリコネR』、『アイプラ』、『モバマス』、『モバエム』、『シャニマス』にログインし、『アイドルマスター SideM グローイングスターズ』は中断、『ミリシタ』は『お仕事』のみ手を付けて朝風呂に入る。遅くなった分だけ人が多く、自室にスマホを忘れてきた。これが感染対策で致命傷となりかねないので、のびのびとは入浴できなかった。
上がった後、『デレステ』と残りの『サイスタ』、『ミリシタ』を手掛け、『デレステ』では仮担当の好感度を引き上げ、『ミリシタ』では寝間着の天空橋朋花嬢を、『アイプラ』カチャでは伊吹渚嬢を、引き当てた。『ミリシタ』の課題曲は『Happy Darling』で『風花』の2MIXとソロ2MIXを手掛けた。食堂に着いたのは7時50分だった。今回は白飯にオクラ、ジャーマンポテト、ウィンナー、フライドポテト、肉団子、ひじきの煮物、炒り卵、焼売、だし巻き、きんぴらゴボウ、レタスのサラダ、マカロニサラダ、コーンポタージュを食べた。旨味が効いたのは微笑ましいが、今回は食べ過ぎた。胃にガスができていたので倒れかけで辞し、貴重品入れを忘れるという失態をやらかす。フロントまで受け取りに戻り、9時20分にチェックアウト。胃を温めるべく送りの車は断った。
元来た道を歩き、東山温泉のバス停や『瀧の湯』前でバスを待とうとするも、時間に余裕があるので武家屋敷前まで歩く。そこは学生や団体さんが多く中々入れない。850円を払うのも安くはないので、ここでバスを待ち、10時10分に東山温泉から本来の『ハイカラさん』バスが下ってきた。乗ろうとすると借り切られているのか、『続行車に乗ってくれ』と言われ、4分後に来た一般車に乗る。このバスも『ハイカラさん』4便である。会津若松駅前4番線には10時半に着き、このバスは『ハイカラさん』6便として改めて七日町へ向かう。バス代は通常210円のところ、手帳で110円にしてもらえた。
地下道を歩き、会津若松のバスターミナルへ至る。ここでは250円のアイスティーを頼み、この日の作戦を練る。ここで問題になったのは消毒液だが、東横インより奥に『クスリのアオキ』があるのでそこで買って補充することにした。東横インの手前に書店があり、そこへも入ってみた。
11時半近くなって会津若松駅に至り、5千円をチャージ。会津高原行きの会津鉄道列車を逃した。この日、乗車変更で乗ろうとした快速『あいづ4号』の指定席は満席だった。ここで昼食に悩むわけだが、土産物売り場で会津鉄道の『鉄道むすめ』、大川まあや嬢を見ることとなる。その後、バスターミナルに戻り、国内では珍しい『バス弁』、則ちバスターミナル版の駅弁である『会津わっぱ飯』1,280円を買ったターミナル内だと1千3百円で、袋代が3円かかる。厚焼き玉子と鮭の切り身、茸の煮物が載っており、色合いからすると牛肉が載っていそうだが、油っこさはあっても肉の食感はなかった。しかも、わっぱとて簡易な作りである。ここで七日町界隈の『満田屋』か会津そばの店舗を下見するべきだったようである。鋏を入れたのは12時55分だった。
13時10分。留置線から4両編成の電車が転線し、頭端式の1番線に入線する。車体はステンレス製で、赤と緑の帯を引いており、先頭1号車の会津若松側は改装で指定席が設けられており、桜色の帯で色分けされている。今回は『あいづ6号』の指定席券を無駄にして1号車の自由席区画に乗る。運転台側にも青系統のボックスシートがあり、その区画が赤系統のロングシートになっている。新潟県民からするとボックスシートの多さが羨ましくなるものの、ロングシートだと会津磐梯山をワイドビューで望める。指定席のシートは五能線を走る『リゾートしらかみ』同様のものとなっており、頭部の片側が丹頂鶴のような色となっている。『停まります駅は磐梯町、猪苗代、磐梯熱海、喜久田、郡山富田』と、アナウンスされた。駅側も列車側も14時を『2時』とアナウンスしている。快速『あいづ4号』は入線から20分後の13時半に会津若松駅1番線を発車した。
13時34分に会津藩校『日新館』が近い広田駅を通過し、会津盆地を走る。東長原を通過して磐梯町に着いたのは13時43分。短い停車時間で発車。途中進行方向左手に会津磐梯山を望む。この区間は元の会津線で、『フルーティアふくしま』で乗ったことのある区間だが、随分のんびりできている。磐越道と並走して猪苗代に着いたのが15時57分。対向列車を待たせて発車。川桁付近で磐越道と別れ、14時12分に中山宿を通過すると、進行方向右手に旧中山宿駅のスイッチバック跡が見える。14時15分に磐梯熱海で最も格のある旅館『華の湯』を横目にして磐梯熱海駅に着いたのは14時17分。ホームは改札真ん前の1番線だった。昔の観光特急『ビバあいづ』が懐かしい。
萩嬢を 訪ねむと乗る あいづ号 バス弁持ちて 駅にて食らふ
そして会津若松からの運賃860円、IC運賃858円を払い、改札を出て、鉄道用語としての意味で下車してすぐに『温泉むすめ』の磐梯熱海萩嬢から画面越しでお出迎えを受けた。
萩嬢を描かれた珈琲貴族先生に対しては絵柄を贔屓しており、同人誌も何冊か買っている。演じられている津田美波女史は『デレマス』で小日向美穂役だったのでこちらも見覚えがある御名前である。すぐ脇の観光案内所で等身大パネルを拝み、萩嬢と萩姫嬢のアクリルスタンド1千5百円を買って、『華の湯』へ向かう。旅館バスは予約制とのことで今回は乗り損ねた。
ここ、磐梯熱海駅は初め熱海駅として開業し、東海道線熱海駅との重複を避けるべく旧国名を併記した『岩代熱海』駅へ改称。昭和40年に会津磐梯山への玄関として売り込むべく現在の『磐梯熱海』駅となったと、駅前の説明板でこの翌日に聞いた。
越後街道第4踏切を渡り、五百川沿いに西へ歩く。『華の湯』までの道中に病院や伊東園ホテルズの物件もあるわけだが、2万2千円で借り切れて、萩嬢を全力で拝める旅館『深山荘』があることに関しては認知が甘すぎた。帰着後、Twitterで『深山荘』に泊まられた方のツイートを見ていて半ば悔しがったのである。
看板通りに歩き、五百川を渡ると足湯があり、『華の湯』に着いたのは14時57分で、中に入ると月岡温泉の『白玉の湯 華鳳』を小さくしたような旅館で、ロビーにおけるソファーの色使いも『華鳳』に似ている。おそらく平成前半頃の建築なのであろう。ただ、土地使いとしては『華鳳』の兄貴分で、2022年の秋に『温泉むすめ』とのタイアップを開始し、月岡来瑠碧嬢を受け入れた『白玉の湯 泉慶』に近い。なお、だいぶ迷ったが旅館の職員氏に訊いてようやく階段の裏手に萩嬢がポップで居ることが判った。今回、『桜香』というシューアイスを買って佐渡弁で言うところの『こびり』タイムを取り、帰り際にフロントで2022年6月頃の2人1室での価格を訊いた。1万8千円から2万2千円するという。『桜香』はクッキーシューで、専門学校の実習で苦い思いをさせられた品だった。『華の湯』に来てから30分程度で引き揚げ、元来た道を歩く。15時49分にこの日のお宿である『紅葉館 きらくや』の写真を撮り、5分程度で磐梯熱海の駅へ戻る。
萩嬢を 巡り汗ばみ 『華の湯』へ 浸かりて見遣る 磐越西線
ここ、磐梯熱海は伊東祐経の次男祐長が奥州の藤原泰衡討伐に従軍した手柄で源頼朝から分封を受け、故郷の伊豆に因んで伊豆風の地名を付けた。もっとも、頼朝公は石橋山で苦い思いをさせられた伊東一族を許しておらず、地縁の無い土地へ追いやり、伊東一族を解体させて精神的な頭痛を作らせたのではなかったか。
頼朝公の時代から時が百数十年ほど流れた南北朝時代。万里小路実篤という公家に萩姫という娘がおり、難病で臥せっていた。そのため、侍女が比叡山でお祈りをし、夢枕に立った不動明王から『京都から数えて5百番目の川を渡る所に霊泉がある』あると告げられ、病状を押して出発。鴨川から数えて5百番目の川の畔に温泉があり、その湯に浸かると病気が癒えたという。『五百川』の名称はそこに由来し、萩嬢のキャラ名も萩姫伝説に由来していることをほぼ確信している。
磐梯熱海の泉質は塩基性の単純泉だという。塩基性とはアルカリ性で、塩基のうち水と親しいものをアルカリという。PHは9.1と控えめでとろみがあるというがそれは古い角質との反応だという。上がり湯はしない方が好ましいと聞いた。それが美人の湯として知られ、磐越三大美人湯に列せられる由来のようである。あとの2個所はいわきと新発田市の月岡であるとも聞いた。
萩姫伝説の件と泉質の件、地名の件は翌9月30日の午前中に画面の中にいる『萩嬢から聞いた』のである。そのような意味ではミサンドリストである仁藤夢乃女史が『温泉むすめ』を指して『女性に対しての性的搾取であり現実の性犯罪と地続きである』と貶した発端である神戸市の有馬温泉より積極的に温泉郷がタイアップしてくれているのかもしれない。
16時頃に猫のキャラクターが看板に居る『きらくや』へ至り、16時8分に7,740円を払ってチェックインした。指定された部屋は4階の410号室である。ここは公式フォームから予約したので部屋が広めで価格も比較的安価である。部屋からはエレベーターと展望風呂が非常に近い。
展望風呂に入ろうとして一度失敗し、西側の『木の風呂』が空いたので入ることとする。建物の構造上、トレインビューは見込めず、山林ビューがいいところだろうか。浴槽は古びた檜のようで、洗い場には髭剃りクリームがない。収容できる人数は5人程度だろうか。佐渡市赤泊の『サンライズ城が浜』の浴室と同等の面積である。上がった後、1階の浴場へ出向いた。露天風呂とサウナがあることは悪くないのだが、立地のせいか浴室全体の面積が狭すぎ、上越妙高駅前のアパホテルと同等の狭さで、大浴場というにはあまりにも狭すぎる。
とはいえ、温泉旅館が高価格である認識が強かったので、郡山のアパホテルに泊まることも考えていた。アパホテル側に大浴場が無いことと、郡山駅周囲の感染リスク、そしてアパホテルならではの価格制度が難点となり、『じゃらん』で温泉旅館を探して『きらくや』に決めた。萩嬢が居なかったら、苦い思いをして『フルーティアふくしま』以来6年ぶりの、またはスマホ持ちになってから初めてだが、地域の別を除けば『トキめきリゾート雪月花』以来4年ぶりの東横インになるところだった。ちなみに郡山の『ドーミーイン』にはあぶれている。
宿側からアナウンスを受けたが、ここは昼間営業もしているのでチェックアウトは10時まで、朝食は7時から8時半まででいかに遅くとも9時で食事を終わらせなければならない。今回、公式フォームから夕食として頼んでいた『やど弁』は18時半にならないと受け取れないので、1番早い18時半に頼んでいる。快速『あいづ6号』は18時17分に磐梯熱海駅に着くので、下車してすぐなら受け取るに丁度良い時間である。18時半頃に受け取り、階段で自室へ戻った。
包みで渡され、自室の作業机で開けたが正方形の箱に小さなお椀が載っている。箱の蓋を開ければ鮭と鶏そぼろ、梅干しのご飯が一区画ずつ、他の6区画にはだし巻き、ハンバーグ、焼き魚、焼き肉、蒲鉾、漬物、オレンジ等が載っており、野菜っ気も配慮されている。肉や魚は旨味を感じたわけだが、温泉旅館でよくある豪勢な夕食よりこの程度に慎ましい夕食の方が今の胃には助かる。実際、このプランにして正解だった。味噌汁はインスタントのアサリ味で、オレンジは食べ損ねた。食べた夕食の器は部屋の前に置けば回収してくれるという。
そして秋なので19時を過ぎればさすがに暗い。今回は漸く空いた東側の『石の風呂』へ入ることとした。浴室に来たとき、会津若松へ向かう列車が出たが、快速『あいづ5号』だという。石の風呂は黒御影石の浴槽だろうか。『木の風呂』より浴室全体が狭く、鍵もつまみを回すそれではなく、クランク状のつまみを回して金具に引っ掛ける旧式の鍵だった。自前のジェルで髭を剃り、『二次元妻と共に』浴槽へ入る。
二次元オタク道の上級者なら薬物なしで推しキャラを描くどころか、行動を共にできるという。私はそのあたりの修行が足りず、このときになって出発して以降で初めて『二次元妻と』入浴した。
萩嬢に 迎へられたる 『きらくや』の 『やど弁』開けて 浸かる『石の風呂』
部屋へ戻ると『ミリシタ』のイベントを走る。ここもWi-Fiが繋がるのでiPod Touchで『ミリシタ』がプレイできる。この日1万7千118歩を記録した。寝たのは21時を過ぎてからだった。朝食の時間があるので明日は早い。H氏には『どんなに遅くとも10月1日には帰着しなければならない』と、伝えた。皮肉にも薬の余裕はないのに10月1日から只見線が11年ぶりに復旧するのである。
寝ている間、『機動戦士ガンダムSEED』のロゴスに相当する軍産複合体であることから『リアルロゴス』と揶揄しているディープステートなる集団が出る陰謀論で父子喧嘩をし、『アイプラ』の場面が出てきて、高校の頃に苦い思いをさせられた某体育会に虐められる夢を見た。起きてから夢占いで検索すると、親子喧嘩は権力や圧制を意味し、解放ないし改善される兆しだという。集団での虐めは体調回復を意味し、虐められた相手はコンプレックス、助けられなかったのは不信感だという。当にドンピシャな夢だった。
9月30日。『西向く侍』とは言うが、『ソードアート・オンライン』のアスナこと結城明日奈嬢が誕生日を迎える。今回の下見行もこの日で帰着しなければならない。5時1分にアラームで目覚め、『ガルフレ仮』と『ミリシタ』を手掛けたが、遅いとお客で埋まるので中断して4階の展望風呂へ向かった。『石の風呂』は既に先客が居るので入れず、『木の風呂』に入った。上がった後に『プリコネR』、『アイプラ』、『シャニマス』、『モバM』、『モバマス』、『サイスタ』『デレステ』と残りの『ミリシタ』を手掛けた。『ミリシタ』のデイリーミッションは『星屑のシンフォニア』で10連ガシャでは福田のり子女史と伊吹翼嬢、星井美希嬢のSSレアが引けた。
朝食の時間になる7時過ぎに階段を下りて1階の『木屋』へ向かう。ここの朝食は簡易バイキングで、日取りのせいか顧客も年配層が多い。そのせいか、ご飯は白飯かお粥かを訊かれ、白飯を頼んだ。
プレートにポテトサラダ、筑前煮、お浸し、レタスサラダ、ハム、だし巻きをよそい、納豆とヨーグルトを取る。好き嫌いは別にして、『お母さんの味』である。今回は慎ましい朝食だった。そして、回転を意識しているので、食べ終わるとすぐに南側の図書室へ回される。そこではコーヒーが飲めるわけだが置かれている書籍の分野が幅広い。生物や科学の本から『ひぐらしのなく頃に』まである。ここ磐梯熱海も白川郷同様に山間なので『ひぐらし』の気分を仄かに感じるが、『ひぐらし解』の主題歌『you』を聞いて思い浮かべるのは中国山地を横断する伯備線とその沿線である。休憩中、『ミリシタ』を手掛け、『ESPADA』の2Mをクリアし、28日に泊まった『東山パークホテル新風月』のコメントを『じゃらん』に投稿した。後で検閲を入れられて『公式ページ云々』の箇所は削られている。
自室に戻り、荷物を整えた後、9時13分にチェックアウト。猫のキャラクターが描かれている看板を後ろに『きらくや』を発つ。磐梯熱海の駅前まで来たが、今回は郡山市に来たということで『クリームボックス』の売られている店舗を検索することにした。ベーカリーがあるようだが、観光物産館でも売られていると聞いたのでそこに入ってみた。北側には野球のできるグラウンドがあるようである。
館内に入ってみたわけだが、なかなか見つからない。店員氏に訊いて探してもらい、151円のものがあったのでそれを買った。
駅に戻り、待合所で列車を待つ。萩嬢から磐梯熱海の由来や泉質を聞いたのもこのときで、駅名の由来は軒下にある解説板で聞いた。
クリームボックスは牛乳生地の食パンにミルククリームを載せてオーブントースターで軽く加熱したものである。ミルククリームが若干甘い。
10時22分にSuicaに入場の記録を付けたが、改札内には自販機が無く、渇き攻めに遭わされる。最後尾の位置へ行こうとすると『そこは指定席です』と指摘された。ただ、今回は快速『あいづ1号』の指定券を持っているので問題はない……。はずだった。列車は10時32分に1番線に入線する。磐梯熱海駅では基本的に1番線で列車を捌き、定期列車では9時33分発の会津若松行きだけが不便な2番線で発着する。喜多方行きの『フルーティアふくしま』は2番線で『あいづ1号』を待避するが、この日は平日なので運転されていない。おまけに帰着後の話だが、老朽化により、2023年を最後に退役が決まった。磐梯熱海駅を出たのは10時33分だった。坐ったのは最後尾1号車の2D席だったが、先客がおり、やりにくいことになる。
『華の湯』の裏手を通過し、旧中山宿駅を見下ろして10時41分に検札。川桁付近で磐越道をアンダーパスして並走する。
萩嬢に 別れを告げて 『あいづ』号 乗る人多き リクライニング席
猪苗代には10時51分に着き、磐梯町に着いたのは11時5分。ここまで来ると15分程度で会津若松駅だった。終着時刻は11時21分でホームは頭端式の2番線。向かいのホームに喜多方行きの気動車が待っており、乗り換えて直ぐに『あいづ』で来た電車は回送列車となった。
喜多方行きの気動車は2両編成で、車両は小牛田から応援で来た平成前半型の車両だった。そのため、ドアが若草色である。この列車は途中、塩川にのみ停車する。会津盆地を走り、塩川着は11時34分、喜多方に着いたのは11時41分と1分の早着だった。磐梯熱海からの運賃は1,170円、ICカードなら1,166円で改札を出てS氏から聞いたラーメン店『喜一』を目指して歩く。途中、地元の方に人気のありそうな町中華を見かけ、田付川を渡り、12時7分に『喜一』の敷地に着いたが、ラーメンスープは完売だった。そのため、田付川東岸の『来夢』喜多方本店まで後退し、そこで炒飯540円と餃子380円、総計920円を頼む。ラーメンスープも付けてもらったが、ラーメンを頼まなかったのは胃の都合である。今回の旅は『ギリギリの条件で求められる決断』が非常に多い。炒飯は思ったより油っこくなく、餃子とラーメンスープも旨味が効いている。喜多方で初めて美味しいラーメンスープを飲んだわけだが『ミリマス』の仮担当が調理場で腕を揮う『佐竹飯店』の料理には堪えられない胃と腸であることも確かだった。ビジネスホテル手前で左折し、バスターミナル脇を通過して喜多方駅に戻ったのは13時10分だった。14時20分発の代行バスに乗れば山都駅15時3分発の新津行きに乗れるが、今回は帰りのバスも取材のうちである。そのため、13時50分発の会津若松行きに乗ることにした。
13時41分。会津若松からの列車が1番線に着く。この列車は9分で折り返すわけだが、実際に乗れたのは13時49分だった。喜多方を出ると塩川に停車し、そこから会津若松まで停まらない。定刻に発車し、16分で会津若松駅に着いた。着いたホームは2番線で運賃は330円。新潟・新津間の信越線と同じ額である。急ぎ会札を出て土産物店へ向かう。乗り換えるバスは会津若松のバスターミナルを14時45分に出るのである。そこでは『赤べこと会津の旅』486円、『会津はちみつカステラ』1千5百円、『鉄道むすめ』の大川まあや嬢のポストカード2百円、の計2,186円をSuicaで買った。
ラーメンを 探し術なく 泣きにけり 急ぎて逢ふは 大川まあや
ラーメンを探し求めて喜多方へ飛び、トンボ帰りで会津若松へ戻った。大川まあや嬢は会津鉄道の『鉄道むすめ』で、ここ会津若松駅は会津鉄道の列車が乗り入れる。寧ろ只見線より本数が多いのではなかったか。会津バスターミナルへ至り、『白虎隊』1千円を買った。ここは待ち客が多いものの、新潟行きのバスは半減しており、会津側は朝に出る便と夕刻に出る便が走らず、行先も万代シティで打ち切られ、新潟空港まで走らない。手前の乗り場は路線バス用で、高速バスは奥のレーンから出発する。しかも、行先によって並ぶ列が分けられていた。乗るバスは14時42分に入線し、わずか3分で発車した。座った席は後方左側の37番席である。
会津バス社は関西資本のみちのりグループに吸収されたのでバスの塗装も『ドラゴンボール』の孫悟空氏を想わせる山吹色と鈍い金色の『みちのりエクスプレス』デザインである。Wi-Fiはメールアドレスを登録させられるが、みちのりグループのものが使えて、内装は昭和後期の貸切バス寄りである。北柳原で3分遅れ、会津アピオ入口でも3分遅れの14時53分。磐越道に乗ったのは14時56分だった。15時3分に新鶴のパーキングエリアを通過。棚田を望んで西会津のインターで一旦磐越道を下りてインター前のバス停で1人下車する。
『復た明日』と まあやに別れ 告げにける バスの駆くるは 磐越道なり
福島県を去り、新潟県側に至って15時35分。上川パーキングエリアで小休止を取る。停車時間は3分だった。そこから津川インターを通過し、三川インターを通過。15時51分に阿賀野川サービスエリアを通過すると新潟県側の棚田を望む。15時58分に着いた安田インター前では1人下車した。
16時6分に新津インターを通過、川口のバス停と新潟パーキングエリアを通過し、新潟ジャンクションから亀田インターで一般道に下りて、栗の木バイパスを走る。16時22分に新潟市の保健所を左手に新幹線とJR在来線を潜る。栗の木バイパスは経路換えの工事をしているので工事現場が彼方此方にある。今代司酒造を右手に峰村醸造を左に掠め、公立図書館である『ほんぽーと』の付近で新潟駅前到着のアナウンスがされた。スーパーホテル、ドーミーイン、アニメイトと通過するが、この辺りは比較的見慣れている。しかし、高速バスの車窓から見ると雰囲気も変わる。新潟駅前には16時半に着き、6分の早着だった。ここでは10人ほど下車する。
転回して連接バスを追い、万代シティに着いたのは16時37分。4分の早着で、着いた場所はバスセンター脇で降車専用の19番線だった。このバスはこの後回送して18時45分発の会津若松行きとして会津若松へ戻る。料金は2千1百円だが、障碍者手帳で割り引いて1千50円である。降りて直ぐ万代シティバスセンターの『寿屋』にて鮭とおかかとすじこ、梅干しのおにぎりを1つずつ、合計680円を買う。このうち一番高いのがすじこで190円、一番安いのはおかかと梅干しで160円である。
徒歩で新潟駅へ至り、17時24分発の内野行きをやり過ごし、特茶のジャスミン茶を買って水分を取る。乗る列車は17時33分、4番線に来た。この列車は14分の折返し時間があり、47分に出た。信濃川を渡る時点で既に日が沈みかけており、白山で行き違った後、関屋の時点では既に暗くなっている。
小針にて再度行き違い、寺尾にて下車。駅前のスーパー『マルイ』でペットボトルキャップを出し、18時36分に帰着した。出発から帰着までの実払い3万8千円、この日は1万5千544歩歩いた。一般の方でも4万5千円から5万円程度かければ同様の行程が可能である。
9月25日に先行編を放送した『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が本放送を開始したのは帰着した翌々日の17時で、リメイク版の『うる星やつら』が放送を開始したのは帰着した翌々週の10月14日、『水星の魔女』から数えて12日後の未明だった。2023年以降の親族イベントはH氏の養子で腹の立つ方の義兄であるN氏に幹事の仕事を全面的に押し付けたいほど精神的に疲れている。
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