マーフィー・シスル
「ご主人様」
「おう、どうした」
ローレルがハーメルンと上手く話が出来ているのを確認して、ブレイドは声をかけてきたリベリアに振り向いた。
両手にグラスを持っている。片方はブレイドのために注いで来てくれたものだ。中身はシャンパンだろう。
もう片方は当然リベリアのものだ。酒は飲む気はないらしく、ジュースを入れている。
「あちらの方とお話をしたいのですが」
リベリアの視線を追う。
そこには女がいた。
黒いドレスに白い肌。珍しいのは赤毛なところか。セシールカットにしていて、少年のような髪型だが、女性らしさは損なわれていない。
引き締まった表情をしており、少しも楽しげな雰囲気のしない女だった。幼さを一切感じさせないが、若い。歳はブレイドと近いだろう。
「……誰だ」
「わかりません。ただ、声をかけていただいたので」
「話はしても俺の耳に届く場所でしろ」
「はい」
ブレイドはグラスを受け取ってから、リベリアに背を向けた。気配でリベリアが離れていくのがわかる。
耳をすませる。
「お待たせしました。この中であれば、お話しても大丈夫だそうです」
「そう、悪いわね」
落ち着いた、静かなイメージのする声だった。
見た目とのギャップがある。
「奴隷だったわよね、あなた」
「えぇ。私はブレイド様の奴隷です」
リベリアが名前を呼んだのは「ご主人様」では誰だかわからないからだろう。
「ブレイド? あぁ、腰抜けで有名な」
嘲るように女が言う。
「あら、ご主人様が腰抜けなんて言われているのが不満?」
「いえ、あくまで噂ですから」
「事実は違うって? じゃあ、闘うときを楽しみにしておこうかしら」
妙に高圧的な女だ。口ぶりからして、残りひとつの大会、アジーンホールで優勝したのは女らしい。
「わたし、あなたとは仲良くなれそうな気がしたのだけど、ちょっと違ったみたいね」
「違った、ですか」
「わたしも奴隷なの。ご主人様のために一生ハンズで稼ぐのよ」
ブレイドはその言葉を聞いて鼻で笑った。
奴隷の用途は様々だ。仕事をさせる、世話をさせる、闘わせる……女の場合は闘わせることだったらしい。
女でハンズを勝ち抜くのは稀だ。なら、今リベリアと話しているのは相当な実力者なのだろう。
「イヤ、ですか。奴隷として生きていくのは」
「当たり前じゃない」
女がきっぱり答える。
「家族全員、奴隷商人に捕まって、売られて、ご主人様に買われたわ。誰か逆らえば家族が殺される。逃げ場も無い」
「……申し訳ありません、余計なことを聞いてしまって」
「いえ、少し愚痴を零したいだけなの、許して……あなた、名前は?」
「リベリアです」
「リベリア、ね。響きの良い名前だわ。わたしはマーフィー・シスル」
「マーフィー様ですね、よろしくお願いします」
「堅苦しくてむずかゆくなっちゃうわね、その呼び方。どうにかできない?」
「こういう呼び方以外慣れないもので」
「ご主人様に調教されたの」
「いえ、商品のころに」
「そう。じゃあ、せめて名前にしてもらえるかしら」
「わかりました。ではシスル様、と」
「えぇ」
……どうやら聞くだけ無駄のようだ。
ブレイドは会話を聞くのをやめた。リベリアからもらったシャンパンを一口飲む。
会話を聞いたのは、リベリアが何かされないかという心配があったからだ。だが、いらぬ心配だった。
シスルという女はリベリアと親しくする気はあるらしい。奴隷という立場が親近感を覚えるのだろう。
リベリアが誰と新しく知り合おうが、親しくなろうが、ブレイドは気にしない。ブレイドからは干渉もしない。
「さて、滅多に食えない高級料理が並んでいることだし、食べてみるか」
近くに置かれているトレーを取り、グラスとトレーの近くにあった皿やらフォークやらをのせる。食事はバイキング形式で、自由に好きなものを選べる。
見た目が豪華で、名前のよくわからない料理たちを適当に選んで皿に盛り付ける。普通、ナイフで切ってから食べるような肉を、ブレイドはフォークで突いてかじりついた。
美味い。
美味いが、個人的にリベリアの料理のほうが好きだった。
味が濃すぎる。だからこそ酒も進むのだが……こんなのは酒のおまけみたいなもので料理が主役なわけではない。
「サラダのドレッシング豊富すぎだろ。何がいいんだかわからねえじゃねえか」
肉を食らい、酒を飲み、飽きたらサラダでサッパリし、気の向くままにブレイドは食事をする。
「しかしな」
どうにも気が乗らない。
マーフィー・シスル、ロイヤー・ハーメルン、ガード・デリー。
そしてカレジ・ローレル。
シスルに関しては実力がわからないが、弱くはないだろう。
これだけの強者がいて、闘える。
そうだというのに、なぜ胸が踊らないのだろう。
何が足りないのか。
恐らく、ローレルだ。確かにウェイブを手に入れてローレルは強くなった。しかしまだ、ブレイドには物足りなさを感じさせるものがある。
肉を、食らう。
ここで全てたいらげてしまうのはもったいないかもしれない。
「ま、今は楽しんどくか」
思考の棚にこっそり仕舞って、ブレイドはパーティーを楽しむことにした。
パーティーの途中で、ハンズの対戦相手が発表された。パーティー参加者への先行発表だ。
最初はブレイドとシスル、次にローレルとデリーだった。その後勝ち残った者同士が闘い、勝利を得た者がキング、ロイヤー・ハーメルンとの対戦権を得るというわけだ。
ハーメルンと闘ってみたい気はするが、ブレイドは特段、その対戦権を得られるということに感情を抱くことは無かった。ローレルはきっと、喉から手が出るほどほしいはずだ。
その後も食事を続け、次第に空腹が満たされ、渇きを潤され、パーティーでやることがなくなってくると、リベリアが戻ってきた。
「ただいま戻りました」
表情に若干の影がさしている。何かあったのだろうか。
「おかえり。飯食ったか」
「はい。シスル様とご一緒させていただいて」
なら、良いか。
そろそろパーティー会場にいるのもあきてきたころだ。
「なあ、リベリア」
グラス、ビンをひとつずつ手に持つ。
「ベランダで夜景でも見ねえか」
「私と、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
誰かいないか、周りを見回すリベリア。ローレルはハーメルンと飲んでいるし、デリーとジェーンはパーティーに来ていない。やがて、いないとわかったらしく、ブレイドに向き直る。
「私で良ければ、お付き合いします」
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