やっと
――ローレルがパーティーのチケットを受付嬢に渡すなり、こう言われた。
「その前にドレスをご着用なさってください」
「へ?」
「パーティーへの参加はチケットと、ドレス着用が義務です。男性の方はもちろんスーツを」
初耳だった。決まりがあるなど聞いていない。
そも、ローレルはドレスなど持っていなかった。
しかし考えてみればこういった場が整えられているのだからドレスは必要だと考えるべきだった。クライムという法のない場所だからドレスなんて考えていなかった。
「ど、ドレスを持っていないんだが」
「無料の貸し出しがありますので」
「は、はぁ」
ローレルはドレスを着たことがない。クライムに入る前までは1着だけ持っていたのだが、今はないし、当然着たことがないので着方がわからない。いつも動きやすい服を選択して着用していたのでなおさら、あの手の服は着方がわからないのだ。メイド服はジェーンに着せてもらったので、覚えていない。
まぁ、なんとかなるか。
そう思い、ローレルはドレスを借りられる場所を聞こうとする。
と。
「ローレル様?」
「ん?」
後ろから声をかけられ、振り返る。
リベリアがいた。
薄いライトグリーンのドレスで着飾っている。ストッキングに、濃いグリーンのハイヒールを履いている。派手さのない落ち着いた格好でリベリアにぴったりだった。
「お久しぶりですローレル様」
丁重に一礼してくる。
「久しぶりだなリベリア。そのドレス、似合ってるな。綺麗だ」
「ありがとうございます。ドレスは家にあるものではなく、ここのものですけれど。ローレル様はこれから着替えを?」
「あ、あぁ。実はちゃんと着れるかどうか不安、なんだが」
「なら、私がお手伝いします」
こちらです、とリベリアに案内され、長い廊下を歩いていき、いくつもある部屋の中のひとつにふたりで入る。
左側にドレスが、右側にコインロッカーの並べられたシンプルな部屋だった。
「脱いだ服はコインロッカーに入れておけば大丈夫ですので」
リベリアと一緒にドレスを選び……というか選んでもらい、自分にあったサイズのものを取って、リベリアに手伝ってもらいながら着替えた。
脱いだ服はもちろんコインロッカーに入れた。
「こ、これ……大丈夫かな」
「よくお似合いで。素敵です、ローレル様」
「そうかな、似合ってるのか」
「えぇ、とっても」
「何だかこれで人前に出るの、恥ずかしくなってきた」
「後で慣れますから、さぁ行きましょう」
背中を押されて部屋から出る。もちろんコインロッカーは鍵を閉めてあるし、部屋でやり残したことなどない。
ただ、ドレスを着た姿を人に見られると思うと顔から火が出るような想いだった。
廊下を通り、さっきの場所まで戻る。受付嬢にチケットを見せると
「どうぞ」
と、なんともあっさり通してくれた。
白い壁に赤い絨毯、シャンデリアといったいかにも豪華そうな広い部屋でパーティーは行われていた。白いテーブルクロスが引かれた長いテーブルがいくつも並べられていて、その上にはワインのボトルや豪華な食事が並べられている。
スーツ姿の男性たちやドレスを着た女性たちは笑みを浮かべあいながら、楽しそうに話をしたり、食事をしている。
全く縁のない世界に足を踏み入れたことで、ローレルは唖然とし、固まってしまった。
「大丈夫ですか、緊張してます?」
リベリアは慣れているのかいつもと全く変わらない声色で話しかけてくる。
「凄いな……凄いとしか、言えない」
「だからってぼーっとしてるなよ」
「うあっ」
横から話しかけられ、ローレルはびくりとした。恐る恐る顔を向けてみると、スーツ姿のブレイドがそこにいた。
「あ……」
「どうした、間抜けな顔しやがって」
目を細めてブレイドが問う。ローレルが何も言えずにただ唖然としていると、リベリアがブレイドに言った。
「ご主人様、ネクタイ曲がってますよ」
「うお、マジか」
意外にもダークスーツをきっちり着こなしたブレイドは、普段の姿を忘れてしまうぐらい違和感がなかった。
ブレイドは自分で赤いネクタイの位置を直し、不満そうな顔をする。
「しっかし暑苦しいわ動き辛いわでスーツは着心地が悪くていけねえ。せめて動きやすくならねえもんか」
「ですけど、お似合いですよ」
「リベリアのドレス姿もな。わりとそういう色の服も合うんだな、綺麗だぜ」
「あ、ありがとうございます」
リベリアの声が少し小さくなった。照れたのだろうか。
しかし、リベリアはローレルの後ろにいて、ローレルは体が固まってしまっているので確認はできない。
「ローレル様はどうですか」
「え、私っ」
リベリアがローレルの背中を押して、ブレイドのほうに体を向けさせる。
ローレルの着ているのはワンピースタイプの黄色いドレスだった。装飾の類はなく、胸元辺りから上がむき出しになっているタイプのドレスなので、白いボレロを着て露出を少なくしていた。
無い左腕が、どうにも目立つ。
ブレイドは顎に手を当て、こちらを凝視する。
「いいぜ、最高」
「い、言いすぎじゃないか?」
「なんだ、素直に受け取れよ。似合ってるぜ」
「そ、そっそうか。ありがとう」
「へへっ、バカみてえに顔赤くなってやんの」
「……お前なぁ」
こういうやりとりは久しぶりな気がした。
「ま、俺は適当に飯でも食ってるからリベリアは好きにしてろ。ローレルは……」
ブレイドはわざとらしく一端言葉を切り、
「会いたいやつがいるんじゃねえのか」
少し低くした声で、そういった。さりげなくあるところを指差す。
恐らく指差した先に、いるのだろう。
「あぁ」
「じゃあ、また後で」
ブレイドは軽く手を振ってローレルたちから離れ、
「あぁ! ブレイドさんですね、ハハッ! どうもどうも久しぶりで……」
「うおっアグニじゃねえか。もう酔ってやがるな」
赤ら顔の男につかまった。ブレイドは露骨にいやそうな顔をしていた。
「リベリアはどうするんだ」
苦笑いを浮かべつつ、リベリアに聞く。
「私は、ご主人様と一緒にいます。その、会いたい人とふたりで話したほうが良いですよね」
「別に構わないが……いや、やっぱりふたりで話させてくれ」
「はい、ではまた」
「また後で」
リベリアと別れ、ローレルはあるところに向かって歩いていく。
人と何度かぶつかりそうになりながら、浮ついた喧騒の中を歩き、そして立ち止まる。
視線の先に、彼はいた。
白髪が目立つ、初老をすぎた男だった。瞳はぎらぎらと輝いていて、周りにいる人たちに向かって優しげにほほえんでいる。優しげな雰囲気がする男なのだが、肩幅が広く腕が若干長い印象のする、がっちりした体格をしていた。
「あ、あのっ」
声が上擦り、緊張しているのを自覚しながら、ローレルは彼に話しかけた。
「ロイヤー……ハーメルンさん、ですよね」
ロイヤー・ハーメルンは眉を上げて、目を大きくする。
「あぁ、そうだ。君は?」
「えっと、その、カレジです。カレジ、ローレル」
「あぁ、ドヴァーホールの。話は聞いている、片腕しかないが、素晴らしいファイターだと。君のような美人なお嬢さんだとは思ってもみなかったよ」
目を細めて、優しげに話をしてくるハーメルン。どうやら、カレジと聞いても、ピンと来ないらしい。父親であるレパードがハーメルンと闘ったときも、父のファミリーネームはカレジだったはずだ。
手紙を渡したのはこの人ではないのか。
しかし、家にあったハーメルンらしき人物の写真の顔とそっくりだ。
直接、聞けばいいのだろうか。
「ハーメルンさんは、父をご存知ですか」
「父?」
「カレジ・レパードです」
声が震えそうになるのをこらえながらローレルは告げた。
途端、ハーメルンの表情が固まり、それから徐々に笑みが消えていった。
「レパード、か。懐かしい名前だな。最後にその名前を聞いたのはいつだったかな」
ハーメルンの表情に影がさす。
「君は、レパードの」
「娘です」
「……レパードはどうした」
「死にました、病気で」
驚きに目を見開き、ハーメルンは両手をローレルの肩においた。信じられない、といった様子だった。
「死んだ? あいつが」
「はい」
「それで君は」
「手紙を、偶然見つけてしまって……父さんの代わりに、その、闘えたらと思いまして」
ハーメルンは黙り込んでしまった。真剣な顔つきで、ローレルの右腕を見つめ続ける。
肩においていた手で、ローレルの拳を握ってくる。逞しく優しい手だった。ゆっくり拳を持ち上げられ、ローレルの眼前まで拳とハーメルンの手が持ち上げられる。
「たった、たった一つしかない拳で、君は、ここまで来たのか。私と、闘うために?」
手が震えていた。
「私には、祖国でボクシングはできませんから」
笑顔で答えてみせると、ハーメルンはローレルを抱きしめた。
まるで父親のように。
「よく、来てくれた……がんばったな。ローレル」
泣きそうになった。やっとここまで来れたという実感と、ハーメルンの優しい言葉で、ローレルは胸がいっぱいになりそうだった。
「あと少しです。意地でも貴方にたどり着きます」
体が離れる。ローレルは自由になった拳を固く握り、突き出す。
「首を洗って、待っていてください。今度は私が勝ちます」
「カウンターを食らっても知らんぞ」
ハーメルンに優しげな笑みが戻り、拳を突き合わせる。
「しかし、今はパーティーを楽しんでくれ、ローレル。私は君が勝ち残ると信じて待つさ」
ハーメルンの言葉に、ローレルは頷く。
「ええ、必ず」
「乾杯をしないか、お酒は飲める歳かね」
「いえ」
「ならオレンジジュースを」
手馴れた動きで、ハーメルンはテーブルから綺麗なグラスにオレンジジュースを注ぎ、自身が使っていたグラスに酒を注いだ。
「今日の出会いほど、クライムに来て嬉しいことはないよ」
「ありがとう、ございます」
差し出されたグラスを受け取る。
「では、乾杯といこうか」
「乾杯」
チンッ、と。
グラス同士が軽く当たり、小気味良い音を立てた。
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