あの日の決着
「他人の技なんて簡単に真似できる。動きを見て、その通り自分で動きゃいいのさ。けどよ、それじゃあ話にならねえんだよ」
構える。
自分の習得した技、構え。ローレルの技、構え。
経験を、記憶をかき集めて、自己流のボクシングの構えを取る。
「他人の技なんざ使えても何の自慢にもなりゃしねえ。どこまでいっても他人の技じゃねえか。どこまでいっても、劣化版にしかなりゃしねえ」
両手を天井へ突き上げて真っ直ぐ下ろす。
肘は拳よりも下。脇を締めて、拳の高さは同じに。足の感覚は肩幅とほぼ同じにし、右足右拳前へ、左は後ろへ。
軽く足でリズムを刻む。
「アンタのはどこまで行っても偽者だ」
リラックスして、呼吸を小まめに。深く早く迅速にする。
「なら、ホンモノってやつを見せてみろよ、腰抜け」
サイファーが勢いよく拳を突き出した瞬間、ブレイドはその場から消えていた。
「は?」
困惑するサイファーの肩を叩く。
「おい、ノロマ。力みすぎだぜ、リラックスリラックス」
当然、ブレイドだ。
「うるせえ」
振り返りつつ、拳を振るうが、またも空を切る。
ブレイドは上体を倒してサイファーの懐に潜り込んでいた。
腕を引き絞って放つ。
鋭いアッパーカットはサイファーの顎へ飛んでいき、しかし直前で止まった。
拳を離して、サイファーの目前に人指し指を立てる。
「チッ、チッ……甘い甘い」
後ろへ飛んで距離を取る。
そして、サイファーを軸にして円を描くようにフットワークを始める。
姿勢は真っ直ぐ保ったまま、呼吸を深く早くしてリズムを刻み、軽いステップを。
「その程度のスピードで、ごまかされると思うなよ」
サイファーの目がブレイドの動きを追い始める。胸の前で両腕を立て、前傾姿勢で待ち構える。
「そこだ、腰抜けっ!」
ブレイドの動き、リズムを捉えて、サイファーが先回りしてきた。ブレイドの進行方向に、サイファーが飛び込んでくる。
拳を握り、フックを打ってくる。
「イェアッ」
ブレイドは上体を仰け反ってフックをかわし、腕を振り上げる。
無茶な体勢からのパンチは、サイファーの頬を斜め下から叩いた。
「うごっ」
怯んでいるうちに、上体を戻し、ステップ。
サイファーの真横に回りこみ、再度拳を叩き付けた。
腰の捻りのない、背中と肩を使ったフックだ。追い討ちをまともに食らったサイファーは派手に倒れる。
「おいおい、こんなもんか? アンタのボクシング。コピー元のローレルはシビれるやつだったぜ」
両手を広げて小バカにする。
足で軽くリズムを刻むのは忘れない。
「ふざけんなっ」
サイファーが足払いをしてくるが、ブレイドは後方へのステップで軽々避けてみせる。
「来いよ」
立ち上がってきた相手を挑発。
しかしサイファーは挑発には乗らず、構えて睨みつけてくる。
「来ない? じゃあ、こっちから行くぜ」
左ジャブ、右ジャブ、左フック、右アッパー。
軽くアクションしてみせてから、ブレイドは間合いへ飛び込んだ。
出足を止めるべく、ジャブが飛んでくる。
右腕でジャブを受け、ブレイドは怯んで止まる。
「しゃあっ」
ここぞとばかりにサイファーが右拳を突き出してきた。真っ直ぐな、お手本通りと言っても良いストレートだ。
「にぃ」
ブレイドは口の端を吊り上げる。
狙い通り。
ブレイドは腰をひねって左ストレートを打ち出した。互いの腕が交差し、相手の顔面目掛けて飛んでいく。
クロスカウンター。
相手のストレートに合わせて、自分のストレートを当てる。相手が一撃に注ぐ力と自分の一撃に注ぐ力がそのまま拳の威力になる。
サイファーの方が腕の
自分がやられるか、それとも相手をぶちのめすか、ギリギリの技だ。
「ギッ」
サイファーは歯を食いしばり、交差している腕の肘を跳ね上げた。外側にあったブレイドの腕が弾き飛ばされる。
そうだ。クロスカウンターは使いどころが難しい上に対策が簡単に出来てしまう。腕が弾かれてしまえば、こっちのパンチは当てられない。普通はカウンターに対応しようとする前に終わってしまうものなのだが、サイファーはそうではなかった。
クロスカウンターを見たことがあるのだろうか、それとも直感か。
サイファーはすでに引き戻していた左の拳を突き出してくる。右ストレートは腕を弾いたせいで打てなくなった。だから左ストレートで叩きに来たのだ。
ボクシングなら、恐らくなす術がない状況なのだろう。今のブレイドでは右でのクロスカウンターはできない。
しかし、問題ない。
ブレイドがしているのはハンズで、するべきはクロスカウンターではないからだ。ボクシングは、ローレルのだ。
相手の右手首を掴む。引き戻しをしようとした右腕を右手で掴んで止めた。さらに、弾かれた左腕で相手の右腕にからみつく。
グキリ、と。
両手で固定したサイファーの右腕を、肘を支点に折った。関節部を壊したのだ。
左ストレートはブレイドには届かなかった。届く前にサイファーの体勢が崩れたからだ。
ブレイドはゆっくり手を離す。
「……ア?」
ぶらりと下がった右腕。
まるで他人事のように不思議そうな表情をしてサイファーが視線を動かす。
そしてぶらりと下がった腕を確認して、サイファーは叫びだした。
「アアァァ! オレの、オレの、う、腕ええぇ!」
叫ぶサイファーを、ブレイドは冷ややかな目で見る。
「女どもは腕切断なんて当たり前だっただろ? 折るだけなんて、親切じゃないか」
サイファーが売り物にしていた映像のために死んでいった女たち。
彼女らは拷問されたあげく死んだのだ。腕が折れた程度など安いものだ。
「テメェ、よくも、よくも」
左手で右腕をおさえるサイファーの姿が実に滑稽だった。
「人生の待ち時間ってのがあってな」
拳を構える。
「俺が今からアンタの
それは、まぎれもない死刑宣告だ。
サイファーのテンプルを裏拳で強打。
相手の膝を踏んで跳躍、そこから肘打ちを頭頂部へ叩きつける。
何の抵抗もなく、サイファーは床に倒れた。
それを、ブレイドは見下して笑う。
その笑みはまさに悪魔だった。
サイファーの服を掴んで無理やり起こす。
「う、げ……」
戦意喪失しているサイファーの顔面に拳を打ち込む。
一撃、二撃、三……
「オラオラオラオラァ!」
変形していく顔。血に染まる拳。
ブレイドは笑っていた。
「オラァッ!」
服を掴んでいた手を離し、より一層力を込めて顔面を殴り倒した。
情けなく床に仰向けになったサイファー。
その額に踵落としが叩きつけられる。
文字通り、頭が割れた。
床を、赤い塗料が拡がっていく。
踵を離した。ブレイドはクールに踵を返す。動きに合わせてコートがはためいた。
「アスタラビスタ、ベイビィ?」
ブレイドはそう吐き捨て、拳を振り上げて勝利を告げる。
『勝者。パーガトリ・ブレイド』
観客席から興奮の抑えきれない叫びのような、幾重もの歓声が響き渡った。
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