エピソード7

手詰まり

 あれから数日後。


 ローレルは夜道を走りこみしていた。ちなみにちゃんと宿はとってある。走りこみはシャワーを浴びる前の運動だ。


「ふっ、しゅっ」


 走りながら、適度に拳を振るう。ジャブニ発、ストレート一発だ。

 人気のない道を、ただひたすら走り、拳を振るう。


 どうにかしなければならない、ローレルは焦燥に駆られていた。

 なにをどうにかしなければならないのか、それはローレルの攻撃方法だ。


 今まで基本に準じてきた。ジャブは両手がある相手を牽制しなければならないのだから、多少トリッキーなものを使ってきた。

 だが、ストレート、フック、アッパーの類は基本に忠実で、確かに基本を極限まで磨き上げたからこそ今のローレルがあるわけだが、その基本に忠実なままではいけないとローレルは感じられずにはいられなかった。


 威力が足りないのだ。


 基本は重要だ。それさえできない者は先に進めないからである。しかし、基本は極限まで磨き上げてしまうとどうしても物足りなくなってしまう。基本だけでは規格外の威力は出ない。決定打を生み出せない。


 実感したのは、ブレイドと闘い、デリーの戦闘を見たからだ。


 今のローレルには、二人に大きなダメージを与えることができない。得意のストレートはブレイドの頭突きで相殺されてしまうような威力であるし、デリーの鋼のような肉体にダメージを与えるのは骨が折れるだろう。


 イルネスウォーで行われる三つの大会、そしてトーナメント。それを勝ち抜くには、いまいち攻撃力に欠ける。


 ここに来て、課題が出てきてしまった。ウェイブの次は、自分の技の強化だ。本当なら誰かにアドバイスを求めたい。しかし、ボクシングをやっている人間をローレルは知らない。ボクシングでなければ意味がない。

 脚のバネの強化。柔軟な筋肉の鍛え方。スタミナの強化。

 基本をより強めるためのトレーニングはもちろん、攻撃手段を増やさなければ。


 パンチをもっと強く打てるやり方を考えなければならない。


「どうすれば、打てる?」


 ストレートを放ってから、袖で汗を拭う。喉が渇いてきたが、まだ走っていたかった。

 深く息を吐いてから、走り込みを再開する。


「なにを、すればいいんだ」


 思考を巡らせながらローレルは走る。

 デリーは言っていた、パンチは殺意を持って打つものだと。しかし、ローレルに人を殺すなんて気持ちは毛ほども出てこなかった。むしろ、自分が人を殺してしまうかもしれない恐怖が湧いてきそうだ。

 何年も、何年も積み重ねてきた練習。それによって完成された型だけではこの先はダメだ。一歩前に踏み出さなければならない。


 なのに。


 やらねばならぬことばかり浮かんできて、やるためにどうしたらいいのかが全くわからなかった。

 何日も考え込んだ。しかし、何も進展はなかった。


「ちっ」


 もどかしさに、舌打ちせずにはいられない。


「どうすればっ、どうすれば!」


 ジャブ、ストレート。ジャブ、ストレート、ストレート。


「……だめだ、これじゃあっ」


 ついに耐え切れず、ローレルは叫んだ。

 わからない。自分が形成した型を破り、一歩先に進む方法が。

 わからないわからないわからない。とにかくわからない。

 ローレルは気付かず走るのをやめ、拳を暴れさせていた。ひたすら、ジャブやフック、ストレートをでたらめに振るう。半ばヤケになっていた。


「クソ、クソッ……」


 力任せに、しかし基本から逸脱することなく、ローレルは拳で虚空を殴る。

 と。


「おう、ローレルじゃねえか」


 背後から、聞き覚えのある声。

 振り返る。


「ブレイド」


 振り返った先にいたのはブレイドだった。誘拐されそうになったローレルを助け、ウェイブを教えた男。

 いつもの黒い薄手のコートを着て、右手にはビニール袋を持っている。


「そうしかめっ面になんなって。せっかくの美人が台無しだぜ」

「び……いや、すまない。ちょっと、な」


 頭を振って、深呼吸をする。気持ちを少しだけ落ち着けた。


「ところでその右手持ってるものは」

「レアなワインだ。飲みたいか」

「いや、まだ酒を飲める年齢じゃない」

「けっ、ガキがジントニック飲むような場所だぜ。歳なんざ関係ねえよ」

「どうにも祖国で規制されていたから飲む気にはなれない」

「規制なんざ縁もねえな。ちなみにいくつで飲めるようになんだ」

「二十一だ」

「お前は十七だから、四年後か。飲めるようになったら奢ってやるよ、生きてたらな」


 四年後、ローレルはいったいどうなっているのだろうか。ハンズを続けているのか、それとも……


「まぁ、コイツは飲ましてやれねえな。リベリアの酒だから」

「リベリアの?」


 リベリアは確か十六歳だ。未成年なのに、酒を飲んでいるなんて……と思ってしまうのはローレルがクライムで生まれた人間でないからであろう。


「あいつ、酒弱いくせにこの酒だけは好きでよ。一度味見をしたことがあったらしくて、一口で惚れたっぽいな。レアモンで酒のくせに値段がたけえから、本人は見つけたとしても買わねえ」

「だから、買ってきたのか」

「たまたま、見つけたからよ。金の心配なんざする必要ねえし」


 優しげにほほえむブレイド。ブレイドは普段、悪魔のような笑みを浮かべるくせに、たまに優しげな表情になる。


「帰ったら冷やして、リベリアにじっくり楽しんでもらうさ……ところでよ、イライラしてたみてえだが、悩み事でもあんのか」

「お前にとっては大したことではないよ」

「んなことはどうでもいいんだ。悩んでいるなら聞かせろ」

「聞いてどうするんだ」

「ちょいといじるネタに」

「……最低だな」

「最低で結構。面白ければそれでいいのさ」


 さっきまでの優しさがかけらもなかった。

 しかしブレイドも本気で言っているわけではないだろう。ブレイドはローレルが話し出すのを待つつもりらしく、黙った。恐らく「言いたくない」とはっきり言えば追及してこないだろう。

 ブレイドは闘いの素人ではない。むしろローレルより強いほどだ。

 もしかしたら、自分の攻撃力不足を補う工夫を教えてくれるかもしれない。


「その、パンチの威力が物足りなくて」

「は? 十分威力あるじゃねえか」

「不安なんだ、自分の拳が通じるのか……ほら、デリーがいるだろ」

「あー、あいつな。お前と闘わせたときは加減してくれって頼んだから、お前の拳があいつに効くかどうかは知らねえな」

「思ってみれば、私は基本に忠実なぶん、決定打というものがない気がするんだ」

「決定打、ねえ……蹴りは?」

「却下。ボクシングで使えそうなもので頼む」

「なら右スイング」

「悪いがそれは苦手なんだ。打つタイミングが掴めないし……」

「苦手?」


 ブレイドが怪訝そうな顔をする。


「まだフックならできるんだが、大振りのスイングとなると……な。使用時のリスクも高いから、打ちにくいんだ。フックでもただでさえ必要とされる状況が少ないものだし」

「いやお前……」


 何か言いかけて、ブレイドはやめたらしい。腰に手を当てて、胸を張った。


「ったく我儘なやつだな。ボクシングなんて詳しく知らねえよ」

「すまん」


 やはり無理だったか。

 ブレイドはまいったとばかりに肩をすくめて、道の端に酒が入っている袋を置いた。ローレルがどうするのか疑問に思っていると


「なら俺の技、二つ見せてやる」


 そう言って構えた。

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