雨の終わり

 メイド服のまま、なぜか酒場で働かされた。ローレルが眠りについたのが午前中で、起きたのが夜だとジェーンに聞いたので、太陽が寝ているうちは働かされた。

 夜が遅かろうと、客は構わずやってくる。むしろ、夜だからやってくるのだろう。常連客らしき人たちはローレルを見て驚き、そして笑みを浮かべた。公開処刑だった。

 途中、休憩で夜食をもらい、空腹を満たした。入浴もさせてもらい、久しぶりに湯船というものに浸かった。

 その後は、またメイド服で働かされたわけだが。

 閉店する頃には夜明けの少し前になっていた。そこから賄いをもらい、睡眠をとり、気が付けば昼になっていた。

 やっと慣れないメイド服から解放され、荷物を持ったローレルはため息を吐く。


 現在時刻、十四時三十分である。


「いやぁ、いつになったら慣れるかなと思ってたけど……まさかずっと顔赤くして恥ずかしがってるなんてねぇ、目の保養だよ全く」


 カウンターで食器などを布巾でふいているジェーンが楽しげに話す。


「もう、勘弁してくれ」


 二度と、メイド服は着たくない。

 ローレルは酒場の出入り口まで歩く。

 久しぶりにたっぷり眠ったおかげか、全く眠くはなかった。この分なら、一日中そこらを歩いて宿を探せるであろう。


「ありがとう、世話になった」

「気にしないでまたおいで。またメイド服着てもらうから」

「絶対に、もう着ないからな」


 笑顔のジェーンに見送られ、ローレルは外に出た。出来ればデリーにもお礼をしたかったのだが、姿が途中で見当たらなくなっていた。


 外は雨が降っていた。にわか雨で、空はそれほど曇っていない。


 ローレルは素早く合羽を着て、荷物を合羽の背中部分にある袋にいれる。リュックサックのように荷物を背負う形になった。袋はチャックを開けて下から入れるものなので、雨が袋の中に侵入してくる心配はない。荷物が多ければ合羽の袋に入りきらないが、あいにくというかバッグひとつにおさまるレベルである。


 ローレルは酒場付近のことはわからない。なにせジェーンがバイクで連れてきたからだ。だが、道を適当に歩いていてばどこかには着くだろう。

 駐車場を抜けて、車がまばらに通る車道に出ようとした矢先、ローレルは出会いたくないものに出会った。


 雨の中に、ぼんやりと佇む赤い光をまとった黒い影。

 髑髏の仮面をつけた者が、ローレルの眼前にいた。酒場を出てすぐに、だ。


 何かを疑問に思う暇はない。


 濃厚な殺気と共にソレが襲い掛かってきたからだ。

 ソレは姿勢を低くし、地面を蹴る。バリスタで放った矢のごとく、鋭く真っ直ぐ、ソレは突撃してくる。

 ローレルは素早く構え、迎え撃つべく動こうとして……


 突然目の前に現れた壁に思わず足を止めた。


 壁に突撃したであろうソレは攻撃を壁に阻まれる。壁が少しだけ膨らんだ。


「ずいぶん厄介そうなやつに目をつけられたな」


 いや、壁ではない巨人だ。

 壁と思っていたのは巨人の背中だ。


「なぁ、カレジ・ローレル」


 低い声。

 巨人は体の筋肉をふくらませ、ソレを投げ飛ばす。青い光が、巨人を包んでいた。

 ソレは両手両足を地に着け、踏みとどまった。飛ばされた距離は5メートルほどだ。


「事情もなにもわからないが、これはいい機会だ」


 巨人……デリーは腕を回しながら、ソレに歩み寄る。


「デリー、そいつは」

「オレに任せろ。あいつが敵だということに間違いはあるまい」


 拳をあわせて、デリーが言い放つ。

 ローレルは黙って見ることにした。闘う気がないわけではない。しかし、デリーの闘いを見てみたかった。ブレイドの知人が、果たしてどんな闘いをするのだろうか。

 ソレが足に力をこめ、駆ける。スピードは異常なものだった。デリーを避け、ローレルに攻撃をするべく迫る。


 だが。


「オマエの相手はこっちだ」


 まるで鉄球が滑空をしてみせたような、重苦しく、しかし速いステップでデリーは先回りした。目前に立ちふさがった巨人に、ソレは足を止めずに拳を振るう。地面に触れるか触れないかギリギリで振り上げられる、低空からのパンチだ。

 デリーは動けず、ソレのパンチをわき腹に受ける。


「ふっ」


 しかし、よろめきもしなければ、顔をしかめもしない。全く攻撃が効いていないらしいデリーから、ソレが距離を取ろうとした瞬間、ソレの頭を、岩のような拳が挟み撃ちするようにして叩き込まれた。

 ソレから力が一瞬で抜け、倒れた。

 凄まじい一撃だった。誰が食らっても、無事では済まされないものだろう。


「悪いな。レッドウェイブでも、もっとパンチの効いたやつがいるんだ」


 それは恐らくブレイドのことだろう。

 闘いは早くも終わったかに思えたが、しかし、ソレは立ち上がり、バックステップを踏んでデリーから距離をとった。


「タフだな、オマエ」


 ソレは答えない。ただ、片足で立ち、トンッ、トンッ、とリズミカルに飛び跳ねていた。

 そして、姿勢を一気に低くしてバリスタのように跳び、低空を滑った。体を縦に回し、足を振り上げる。踵落としだ。常人ではありえなような位置からの蹴りだった。


 デリーは動じない。左拳を握り締め、後ろで構える。


 踵落としがデリーに届く前に、デリーの拳が振るわれ、ソレを横へ殴り飛ばした。ソレは地面を転がっていき、倒れる。身を丸め、震えていた。

 デリーの拳が届いたのはリーチの差だろう。デリーの巨人のような腕は、ソレの脚より長い。

 しかし、それだけではない。凄まじいスピードで迫ってくるものを、ジャストタイミングで殴り飛ばすようなデリーのセンスも、並ではなかった。


「どうした? 終わりか?」


 強い。

 デリーは強い。強すぎて、どんな攻撃が効くのかわからないほどだ。高い防御力と攻撃力を兼ね備え、なおかつあの巨人のような肉体だ。いや、あの巨人のような肉体あってこそ攻撃力と防御力だ。


「来いよ、少しは楽しませろ」


 ソレの放つ、異常なほど濃密な殺気にも、全く動じている気配がない。むしろ楽しげだ。

 震えていたソレはやがて、フラフラと立ち上がる。仮面がはずれ、地面に落ちた。

 カラン、と。乾いた音が響く。


「ユルサ、ナイ」

「……ひっ」


 ローレルは目をそらしたくなった。

 仮面をはずしたその顔は、少女のものだった。

 ただ、顔左半分は焼け爛れているらしく、ハリを失い、原型を留めていない。左目は、カッと見開いているが瞳がない。白い目玉がそこにあるだけだ。右半分は形を残しているが、目は充血し赤く、怒りと憎しみを表情に刻んでいた。


「女だったか」


 デリーはただそれだけ、呟いた。


「ユルサナイィ」


 亡霊のように、体を揺らしながら少女は呪いを吐く。


「ユルサナイ、ユルサナイユルサナイユルサナイイィッ!」


 冷たい刃のような高い声で。


「コロシテヤルコロシテ、コロシテコロシテ」


 生きている者とは思えない声で、叫んでいた。


「……なら、来いよ。ぶっ潰してやる」


 デリーは迷いもなく、少女に返事をした。

 少女が地面を蹴り、デリーに突進する。叫び声を上げながら、跳躍して拳を放つ。デリーの喉を潰すべく槍は迫り、そして直前でデリーの手に掴まれた。


「素人のパンチだ。力が分散されているから、いまいち鋭さに欠ける。まぁ、そこらへんにいるやつのよりかはマシだが」


 右手で少女の手を掴んだまま、左拳を引く。腕の筋肉が盛り上がり、一回り大きくなった。


「パンチは……こうだ」


 拳を振り抜く。

 宙ぶらりんの少女の鳩尾に、拳が入る。


「……っ」


 もう、声は出せないようだった。


「チェックメイトだ」


 デリーは右手を離し、少女の顎を膝で蹴った。少女の体が、数メートル上空に浮かび、そして落ちていく。

 構えは終わっていた。

 デリーは左拳を縦にして、腕を引き、あらんかぎりの力をこめて、落ちてくる少女を待っていた。


「……楽になりな」


 拳が縦から横に向きを変えながら、放たれる。

 デリーの拳は少女を粉砕した。顔面に打撃をぶつけ、飛ばす。少女は地面を転がり、滑っていき……倒れた。


 頭からは血が流れ、地面に広がっていく。赤いウェイブはなくなっていた。


 生きてるはずがない。顔も、おそらくは潰れている。

 何も、できなかった。何も、言えなかった。ただ、ぼうっと見ているしかなかった。自分が今ここにいるのさえ、忘れてしまいそうだった。

 デリーは数メートル先に転がっている少女に近付き、少し観察をしてからローレルの方に戻ってきた。少女が死んでいるかどうか、確認したのだろう。

 デリーはウェイブを解いた。


「オマエはもうアレに襲われる心配はない」

「そう、か」

「浮かない顔をしてるな。どうした」

「いや、なんでもない」

「ここを出て行くんだろ。次は無茶もほどほどにしとけ」

「あぁ」

「また来いよ。メイド服貸してやるから」

「メイド服はもう着ないからなっ」


 デリーはローレルの横を通り過ぎ、酒場に入っていく。合羽を脱いでしまい、ローレルは黙って、少女の方へ歩いていった。あれほど濃厚だった殺気は消えうせ、少女に対する恐怖も消えていた。雨もいつの間にか止んでいる。少女と共に、去ってしまったようだ。

 少女の白い左目だけがはっきり見え、その他は血塗れて顔を確認できない。少女のことをローレルは知らない。なぜローレルを狙ってきたのか、なぜこんな姿になってしまったのか、知る術もない。

 ローレルは少女のために祈りを捧げてから、酒場を後にした。


 目前の死に、悲しみはわいてこなかった。


「……私も、かな」


 死に関して不感症になってきている自分に、ローレルは嫌気がさした。

 雨が止む。

 晴れた空は、少女がひとり死んだことなどおかまいなしだ。

 空は現れた少女に涙を流しても、死んだ少女には流さないらしい。

 時も死を知らず動き続けていた。

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