アームレスリング
ローレルはここを出ることにした。いつまでも他人の家にいるわけにもいかない。近くにおいてあった荷物を取り、ローレルは階段を下りた。
「あら、来たのかい」
降りると、そこは酒場だった。この前行ったバーという感じがする酒場ではない。広くて、気軽に利用できそうな酒場だ。窓際、入り口付近、中央、あらゆる場所に不規則にテーブルとイスが置かれ、そこを客が埋めて酒を飲んで騒いでいる。やや、過激な格好をする者が多かった。ローレルのいる方にはカウンターがある。ローレルはカウンターの内側、店員が入れる場所にいた。ジェーンはカウンター席にいる客の相手をしていた。
だが、ジェーンは客の相手をやめ、ローレルに振り向く。
「どうしたんだい?」
「いや、出ようと思って」
「出るって、泊まる場所もないのにまた外に出るのかい」
「宿はちゃんと探す」
「ふぅん」
ジェーンは腰に手をあて、ローレルに歩み寄る。顔を間近にまで持ってきて、ローレルを凝視してきた。
「じー。じぃー」
「な、なんだ?」
「荷物、そこ置いて、ついてきな」
指差された場所に荷物を置き、ジェーンに手を引かれてついていく。ジェーンの行動の意図がわからず、ローレルは首をかしげた。
「アンタ、ハンズ強いんだよね」
「負けは少ないが」
「力もあるかい?」
「そりゃ、普通の男に負けないぐらいは」
「ならよし」
ジェーンが連れてきたのは、中央付近にある空いているテーブル席だった。そこを手で叩き、バンッと音を立てる。
「ここでアームレスリング大会やるよー! この嬢ちゃんが相手してくれるって。しかも負けたら罰ゲーム付きでっ」
ジェーンはそういって、ローレルを指差す。
「は?」
視線が、一斉に向けられた。
慌ててローレルは首を振る。
「待った待ったっ! 私はやるなんて言ってないぞ」
「なにぃ? 負けるのが怖いのかなぁ、勝つ自信なぁい?」
意地の悪い笑みを浮かべながら、ジェーンはローレルを挑発した。
――負けるのが怖い?
冗談はやめてくれ。
「……やってやる」
「ふふん、そうこなくっちゃ」
ジェーンはそれから、小さな声で「ちょろい」と呟いたのを、ローレルは知らない。
「罰ゲームでメイド服着てもらうから」
「え」
「もちろん、みんなの前で」
「き、聞いてないぞ」
「うん、今言ったから」
拒否権もうないよー、とジェーンは言い放ってから、客を呼び寄せる。
「賭けごとしても構わないよ。この子に挑戦するやついるぅ?」
ジェーンが手を挙げて、挑戦者にもそうするように促すと、男のほぼ全員の手があがった。
「よし、決まり。はい、並んで並んでー。あ、ウェイブ使っちゃダメよ、もちろん殴る蹴るもなしねー」
てきぱきとジェーンが挑戦者を並ばせる。ローレルはただ、唖然とするしかなかった。
負けたらメイド服。普段おしゃれなどをしないローレルが、あんなものを着られるわけがない。しかも人前でその姿をさらすとなれば、恥ずかしさのあまり死んでしまうかもしれない。
ひとり目の男が出てくる。テーブルに肘をつき、挑戦者が構える。
「はいはい、ローレルちゃんも」
ジェーンに急かされ、ローレルはテーブルに肘をつき、挑戦者の手を握る。暑くもないのに頬を汗が流れた。
――死んでも、負けてたまるか。
ジェーンがローレルと挑戦者の握られた手に触れる。
「用意」
負けたら死ぬ。精神的に。
絶対、勝つ。
「始めっ!」
ジェーンの手が離れた瞬間、ローレルは思い切り挑戦者の手をテーブルに叩き付けた。一瞬である。その様子を見ていた客たちが感嘆の声をあげた。
挑戦者から手を離す。挑戦者は手を振って顔をしかめながらいなくなった。
「まずひとり目」
ふたり目がくる。頬に古傷がある中年男性だった。目つきが悪い。
「用意」
手を握る。
「始めっ!」
秒でねじ伏せる。ローレルへの賞賛があれば挑戦者を嗤う声もあった。
「ふたり目っ」
連戦連勝。
三人、四人、五人……と、ローレルはアームレスリングで男たちを瞬殺していく。
負けたらメイド服。それが、ローレルに必要以上の力を出させていた。
あんな恥ずかしいもの、誰が着るか。
「次はオレだな」
「……は?」
十三人目。
相手はデリーだった。いい加減疲れてきた辺りで、一番大きい壁にぶつかった。
「なんで、お前が?」
「面白そうだからな」
心底憎たらしいと思ってしまう笑みが、そこにはあった。
「さあ、やろうか……」
丸太のような逞しい腕をテーブルに置く。ローレルが手を出すと、デリーの手がまるごとローレルの手を掴んだ。
大きさ的にも差がありすぎる。巨人の手か、これは。
「用意っ」
合図をするジェーンの声が、弾んでいるように思えた。
「始めっ!」
「ふんっ!」
いきなり、ローレルの手が、デリーに叩きつけられそうになった。テーブルにギリギリ触れずに、ローレルの腕は止まる。
「負け、る……かっ」
腕にあらん限りの力をこめて挽回しようとするが、デリーの腕はビクともしない。
「ねばるじゃないか」
デリーがローレルを潰しにかかる。
「こ、のぉ」
死んでも負けるか。
腕がちぎれそうな感覚に襲われながら、意地だけでローレルは闘う。
負けるか、負けてたまるか。
「なっ?」
デリーの目の色が変わる。ローレルが不利な状態から、始めの位置まで押し返したのだ。
ローレルの顔に笑みが浮かぶ。余裕など全くない。苦しまぎれの笑みだった。
「勝って、やるっ」
「させるかよ」
両者、互いに押し倒すべく全力を出す。ローレルにいたっては、腕どころか全身が震えるほど力を入れていた。
緊迫した状況が続く中、唐突にデリーが余所見をした。
「あっ」
まるで視線の先に何かがあるように振舞ったので、ローレルは思わずそちらを見てしまう。もちろん、そこには何もない。ジェーンが意地の悪い笑みを浮かべているだけだ。
「もらった」
デリーがローレルの腕を押し倒した。
負けた。
「イェイッ」
ローレルから手を離し、デリーはガッツポーズをする。ローレルは玉のような汗をかきながら、ただ呆然と、自分の敗北した腕を眺めていた。
「メイド服、メイド服っ」
ジェーンの歌が、トドメだった。
その後はジェーンに更衣室まで連れて行かれ、そして着替えをさせられたのだった。
ローレルは着替えさせられた格好で酒場まで戻った。男たちの目線はローレルのあちこちに向けられる。みんなの前で、と言っていた通りだ。
「くっ、殺せ! いっそ殺せっ」
涙目になりながら、ローレルは言わずにはいられなかった。
「似合ってるじゃない、可愛いよ。ねえ、デリー」
「まぁな」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら二人がやりとりをする。
ローレルはメイド服姿になっていた。通称メイド服であるだけで、実際は酒場で働く女性用の制服らしいのだが、それでもローレルは恥ずかしかった。
青を基調としたワンピースの上に白いエプロンといった風の格好だ。スカートはロングスカートなのだが、そもそもローレルはスカート自体が慣れていない。円形のトレイを右手に持ち、ローレルは真っ赤になって俯いていた。
「もう終わりでいいか?」
「ダメ」
「……死にたい」
アームレスリングを観戦していた男たちもメイド服姿のローレルを見て楽しんでいる。動物園で騒がれる珍獣の気分はこんなものなのだろうか、とローレルは現実逃避する。
「いい女だぜ、ありゃ」
「体つきも……なかなか」
「デリーさえいなけりゃ、な」
「あん? オレがいなけりゃ、なんだって」
「な、なんでもねえよ」
ローレルはもう床しか見ていなかった。この目で男たちに見られているということを確認してしまえば、恥ずかしさのあまり叫びながら逃げてしまいそうだ。
「そんなにイヤだったのなら逃げりゃ良かったのに」
「負けは、負けだ」
「そうか。罰ゲームの感想は?」
「感想って……凄く恥ずかしいんだが」
「はいじゃあ、そのままあたしのお手伝い頼むね」
「悪魔かお前はっ!」
罰ゲームの内容を追加するジェーンに、ローレルはそう思わずにはいられなかった。
「台布巾でテーブル拭いてねー、よろしく」
「えっあっ、ちょっと!」
ジェーンがどこからか台布巾を投げてきて、反射的にトレイで受け取る。片手しかないのに、台布巾はキャッチできない。
「いつから罰ゲームがひとつだと錯覚していた! さあ、働けメイドローレルちゃん」
「め、メイドって言うなぁ!」
……負けは、負けだ。
自分に言い聞かせながら、ローレルはしぶしぶジェーンの言葉に従った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます