混沌
「いいのか?」
技を、手の内を見せるのは隠し持っている武器を差し出すようなものではないだろうか。
「構わねえさ。正直、お前の求めてるものが俺にあるとも思えねえが、参考にはなんだろ」
にべもなくブレイドは返してきた。
「まずひとつ。ローレル、ブロックしろ」
ローレルはブレイドの言葉に従い、腕を立てて頭を庇うようにする。
「力抜くなよ。ストレート防ぐつもりでいろ」
ブレイドは右拳を突き出し、ローレルの腕に触れるか触れないかの場所まで伸ばす。
「右拳で打つからな、行くぞ」
「え」
こんな密着しかけた拳で何を……
そう、思った瞬間。
ローレルの右腕に凄まじい衝撃が走った。耐えられず、後ろに下がりながら衝撃を殺す。
「い、今のは」
「ちょっと特殊なパンチだ。近距離から超至近距離で打てる。背中の筋肉、肩のわずかなスイング、足の踏ん張り方……打ちようはいくらでもあるから自分で考えろ」
「あぁ」
「じゃ、ふたつだ」
ブレイドは構えを変える。
両足を肩幅ほどに広げ、右足は前に、左足は後ろに。踵までぴったりと地に着ける。左手は開いた状態で前に、右拳を引いてわき腹付近まで持っていき、手の甲が下に向くようにする。右拳の置き方は、ボクシングで言う、アッパーと同じ場所だ。
「ローレル、ジャブ打って来い」
「わかった」
ローレルは自分の拳が届く距離までブレイドに近付き、構えた。
自分の鼻の前に、拳を置き、軽く握る。そこから一気に突き出した。拳を固く握るのは当てる直前だ。
「ふっ」
というブレイドの呼気音が耳に届く前に、ローレルのジャブは左腕の払いで弾かれた。軽い呼気音が耳に届いたのはその後だ。隙だらけのローレルにブレイドは右拳を放つ。手首をひねりながら拳の位置がわき腹辺りから肩まで上がっていき、それと同時に突き出されている。手の甲は下から上に向きが変わる。
拳は大きくなりつつローレルの眼前に迫り、そして止まった。
「これが俺の、パンチの基本形だ」
拳が下ろされる。
ブレイドは構えを解いていた。
「私のものとは随分形が違うのだな」
「そりゃそうだ。けどよ、同じパンチだ。全部が違うってわけでもねえぜ。役に立たなかろうが知ってて損はないさ」
道端置いていた袋を持ち上げる。
受けたパンチの感触を確かめながら、ローレルの中に謎が浮かんでくる。
「そういえば、お前の使う格闘技ってなんなんだ」
ローレルはそれまで疑問にしていなかった疑問を、ブレイドにぶつけた。
世の中には無数の格闘技が存在する。ローレルのボクシングだって一口に言ってもいろいろだ。スタイルを変えれば技も変わってくるし闘い方も変わる。
ブレイドの格闘技はなんと言うのだろうか。いつもふざけているように見えて、その実とてつもない強さを持つ、ブレイドの技は……
「名前なんているのか?」
ブレイドは首をかしげた。
「いるだろう。名前がないと呼べないじゃないか。名前がなかったら、お前をブレイドと呼べなくなる」
「説明もできなくなるな。世の中名前で溢れてる」
困ったように頭をかく。
「あえて名前をつけるなら、混沌っつてたな」
「混沌?」
無秩序な世界。それは格闘技としての想像がしがたい名称だった。
「分裂は、区別と名称がつくから生まれる。混沌は区別が無い、何の秩序も無い」
「つまりどういう格闘技だ」
「何でもしていいってことだよ。名前のない亡霊みたいな格闘技なんだ、俺のやつは」
説明が曖昧で、ローレルにはいまいち話をつかめない。
ただ。
ただなんとなく、理解しようとしても理解しきれないものに手を出しているのはわかった。
「人ってモンは自分勝手にできててな、本来あるべき姿を提示しても自分なりの解釈で捻じ曲げちまう」
「まぁ、そうだな」
ボクシングからすれば、ローレルは異端の存在だろう。両手のある状態が前提としてあるのだから。
本来あるべきボクシングというものを、ローレルは捻じ曲げてしまっているのかもしれない。
「ところが俺の使うやつは解釈のしようがない。あらゆる格闘技の技を内包し、その技を進化させようが昇華させようが許容範囲だし、内包してない技をもつ格闘技があれば取り込んじまえば良い。これも許容範囲だ。技の用途だって人に当てようがモノに当てようが空振りしようが自由だ」
「なんだそのめちゃくちゃな考え方は」
「あらゆる技、思想、差別なく内包して混沌と成す……それが俺の格闘技。名前なんざないのさ」
「成立するのか、その格闘技」
「俺が体現者だ」
ブレイドは強い。しかし、その混沌の全てを引き出せているかと言えば微妙だった。
話が壮大すぎてローレルには想像さえできない。ブレイドが全て引き出せているのか、一端しか使っていないのか、全くわからない。
ボクシング、というひとつの格闘技さえ十何年やり続けて極められるかどうかだ。
混沌の内包しているものを極めるのにどれほどの期間がいるのか……考えるまでも無い、人の及ばない無限の時間を必要とするだろう。
「使いこなせるのか」
「神でも無理かもしれないな、いたらの話だが」
最初から極められないとわかっている格闘技。
名前のない、格闘技。
それを使っているブレイドが遠くに感じられてきた。
というか、頭がクラクラしてきた。
「ま、人知れず生まれて人知れず廃れたモンさ。当たり前だ、人じゃもてあますに決まってる」
キリがないと考えたのか、ブレイドはそこで話を切り替えた。
「ところで、酒の美禄って話知ってるか」
「知らないな」
「じゃあ、教えてやる」
ブレイドはやや得意げな顔になって話し始めた。
「映画の脚本家がな、ある場面で使うセリフをどうするべきか悩んだんだ。どうにかしなきゃならねえんだが、根詰めて考えてもひとつもいいセリフを思いつかねえ」
「脚本家はどうしたんだ」
「セリフの課題をほったらかし。遊んだり、他の場面を書き上げたりしたらしい」
「いいのか、それ」
「同じこと考えまくってると視野が狭くなってどうにも上手くいかなかったっぽいな」
「今の私か」
「今のお前だ」
「続きは?」
「まあ急ぐな……んで、脚本家は酒が好きでな、自分の家でワイン飲んでたんだよ。そしたら、今まで思いつかなかったのが嘘みてえに、考えてもいなかったセリフを思いついたんだ」
「酒を飲んだだけ、なのか?」
「あぁ、そうだ。酒を飲んだだけ。考え付かなかったセリフのある場面は、酒との関係性なんざねえ」
「果報は寝て待て、ということか」
「そういうことだ。全く関係なさそうなもんで答えを得ちまうこともある。だからよ」
ブレイドは優しくローレルの肩に手を叩いた。
「肩の力抜け」
「わかっているんだが……ふひっ!」
いきなりわき腹を指でつつかれ、ローレルはおかしな声を出してしまう。真っ赤になるローレルを、ブレイドは笑った。
「やれるときとやれねえときがある。やれねえもん見つけたら、とにかくやれるもんを全部やっちまえ。悩むとしたらそれからだ」
「やれること、か」
真っ先に思い浮かぶのは近々開催される大会だろうか。
……博打、してみるか。
「じゃ、俺は帰る」
ブレイドはローレルを避けて、帰り道を歩き始めた。振り返り、ローレルは口を開く。
「ありがとう、またな」
「おう」
こちらを振り向かず、ブレイドは手を振った。
「……私も部屋に戻るか。筋トレしてからシャワー浴びよう」
もどかしさはまだ残るものの、ブレイドとの会話で気が楽になったローレルは走りこみを再開した。
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