まずい

 次の日。


 ローレルはもう、限界をむかえていた。

 体力的にも精神的にも磨耗し、これ以上は無理だった。極力、金の消費は避けてきたが、もう我慢ならない。

 ローレルは荷物が全て入ったバッグを持ち、合羽を着て住居を後にする。ぼやけた視界のせいでふらつきながら道を歩いていく。


 どこかの宿に素泊まりしてしまおう。そしてゆっくり休んでからまたお金を稼ぐのだ。


 ヒビ割れたマンションの前にある道を通り過ぎ、スラム街を出て、都市に入る。数多くのビルや店が林立し、数多くの車道が交差している都市を、ローレルはひたすら歩く。どこが宿泊施設なのかわからなかったし、知らなかった。

 足を動かしながらぼんやり周りを見渡す。左には車道があり、車やバイクが通り過ぎたりしている。右側には建物。見るのなら右側だ。どこかに宿泊施設があるはずだ。


「……うん?」


 バランスを崩し、倒れそうになる。何とか踏ん張り、転倒は避けられた。ローレルは焦燥に駆られながら歩みを進める。

 ハンズだけならば、これほど疲弊することはなかっただろう。しかし、酒場での騒ぎや髑髏の仮面をつけた者との闘いで残っていた体力を絞りとられたようだった。視界はいつまで経っても上手く定まらず、足はふらついてばかりである。腕も情けなくだらんと垂らしているしかできなかった。


 と。


 ぼんやり歩いていれば、何者かにぶつかってしまった。


「やぁ、昨日のお嬢ちゃんじゃないかい。どうしたんだい」


 耳に曖昧な声が聞こえる。

 かろうじて昨日会ったことのある人物だとわかった。チョコバナナパフェをおいしそうに食べていた女性だろう。


「昨日に比べてだいぶ弱ってるねぇ。雨でびしょ濡れにでもなったのかい? 顔色が悪いよ」


 女性はローレルの両頬に手を添え、声をはっきり出す。ローレルが上手く音を聞き取れないことを知っていればこその配慮だ。知らなければこんなことはできない。


「濡れたといえば、濡れた」


 合羽は着ていたが、髑髏の仮面をつけた者と闘ったときはどう気をつけても雨や汗で服が濡れてしまうような状況だった。


「しっかりしなよ。あんた、どこに泊まってるんだい?」

「泊まってない」

「はぁ? 何考えてるんだい。野宿でもしてたのかい」

「スラム街の、家を勝手に」

「人が出てった廃墟使ったのかい。あんな危険な場所で暮らすもんじゃないよ。ただでさえクライムは油断ならないっていうのにねぇ」


 軽く頬を叩かれる。


「まともに寝てないだろう。全く」


 あまり話したこともないというのに、女性は友人に接するような気軽さでローレルをしかる。弱りきっていたローレルは、言い返す気力もなく、申し訳ないと思ってしまった。


「どこか、宿屋か何かはないか。素泊まりをしたいのだが」

「宿屋? 知らないよ。宿屋なんて利用しないからね。ブレイド辺りなら詳しそうなもんだけど」


 ……ブレイド?

 聞き覚えのある名前に、ローレルはつい反応してしまう。


「パーガトリ・ブレイド、か? あの」

「あぁ、そうだよ。そのブレイドさ」


 何でもないことのように女性は答えた。


「ブレイドと知り合いなのか?」

「やけに親しげな呼び方するね。声音でわかるよ、その呼び方は名前を知っているだけじゃできないね。いくらかあいつと関わりを持っていないと、ね」


 それで、知り合いかどうかだったね……と女性は話を続ける。


「知り合いさ。このガード・ジェーンが経営する『レイジ・フェロウ』の大事なお客の一人さ」

「レイジ……フェロウ」


 面倒くさがり屋。そんなやる気のない名前を掲げる店はいったいどんなものなのだろうか。


「あいつとの付き合いはそこそこあるけど、あんたみたいな可愛い子が知り合いだなんて知らなかったよ。リベリアも可愛いけど、ブレイドの知り合いじゃなくてブレイドのものだしねぇ」


 リベリアまで、ジェーンは知っていた。ジェーンの口ぶりからして、ローレルよりもブレイドとの付き合いは長いのであろう。


「ブレイドの知り合いじゃ、無碍にはできないね。しょうがないから特別に、あんたを助けてあげよう」

「え、ちょっと」


 ジェーンは急にローレルの腕を引っ張り、肩を組んだ。そのまま、ローレルをどこかに連れて行く。


「あ、あの」

「バイクの二人乗りはできるかい」

「い、いや、したことない」

「運転手にしがみつくだけの簡単なお仕事さ。まぁ、今のあんたには無理そうだね」

「そう、だな」


 しがみつくだけならまだしも、バイクが走るときに体が後ろに引っ張られるであろうから、耐え切れずに落ちてしまうだろう。


「仕方ないねえ、痛いだろうけど我慢しておくれよ」

「何が」

「あとでわかるさ」


 ジェーンに連れられ、たどり着いたのはどこかの駐車場らしかった。バイクが止められている場所にジェーンは向かい、ローレルの体がついていく。

 あるバイクの前でジェーンは立ち止まる。


「ちょいと離れてくれるかい」

「あぁ」


 ジェーンが組んでいた肩を離し、なにやら作業をし始める。バイクは赤いバイクだった。それ以外、ローレルにはよくわからない。


「よし」


 ジェーンはバイクに跨り、すぐ後ろの部分を叩いた。


「ここに乗りな」

「でも」

「安心しなって、取って食うなんてことはしないからさ」


 そういうことを心配しているわけではないのだが、それを言ったとしてもどうにもならなそうなので、ローレルはおとなしくジェーンのすぐ後ろに座った。ジェーンはヒモらしきものを持ち、ローレルの体とジェーンの体を縛る。


「髪は邪魔だからねえ、痛くない程度に髪も縛っちまうよ」


 ジェーンはローレルの長い髪ごとコードできつく念入りに縛った。ジェーンの背中とローレルの胸部が密着する。それから、ヒモの両端についたフックのようなものをバイクのどこかに引っ掛けたらしかった。


「荷物を縛るコードなんだけどね。まぁ、丈夫だから人の体もバイクから落ちずに済むだろうさ。あたしが転倒しないかぎりね」


 ジェーンはヘルメットをかぶり、バイクを発進させた。駐車場から、車道に出る。バイクのスピードで体が後ろに引っ張られ、コードが背中に食い込んできた。確かに、痛い。ローレルは痛みを和らげるためにジェーンの方へ手を回し、ライダースーツをしがみつく。


「目ぇ、瞑っていいよ! コードが痛くて眠れるような状況じゃあないかもしれないけど、目は休めるだろうぉ!」


 ジェーンが大声でローレルに言う。ジェーンの言葉に甘え、ローレルは目蓋を閉じた。風がひどく冷たいが耐えられないほどではない。とはいえ、長くこの風に当たっていれば寒さに震えてしまいそうだ。

 ブレイドの、知り合い。

 まさか、こんなところで出会えるなどと思っていなかった。人の縁はなんと不思議なものだろうか。

 バイクの向かう先は果たしてどこなのか。ローレルは気にするようもなく、ジェーンにしがみついて、目的地にたどり着くときを待つことにした。


 どれほどの時間が経ったのか、ローレルにはわからない。


 ただ気が付いたとき、耳に車のクラクションのような音が響き、それに驚いてびくりと体が跳ねた。いつの間にか、バイクは止まっている。

 あまりに眠いので、閉じた瞳が開けられない。


「あぁ、ごめんごめん。いきなりホーン鳴らしちゃって……おーいデリー! ちょいと来てくれないかい!」


 ジェーンが誰かを呼ぶ。それから、コードをはずし始めた。体を縛りつけていたコードが離れ、痛みから解放される。思わず安堵の息を漏らした。体にどうしても力が入らず、ジェーンの背中に寄りかかる形になってしまう。バイクに乗る、というのは慣れていないのもあるがなかなかに体力を削るものだった。おかげで残り少なかった体力が底を尽きてしまった。


 どこかに横になって眠りたい。ベッドで、などと贅沢なことは言わない。けれど床でも何でも、安心できるような場所で眠りたい。


「どうしたジェーン」


 低い男の声がした。ジェーンと知り合いの男らしい。


「この子。うちに泊めることにしたから。とりあえずソファーまで運んで寝かせてあげて。相当疲れてるし、顔色も悪いから」

「わかった。うん? そいつは」

「知ってるのかい」

「まぁな」


 会話を聞きながら、ぼんやりと男の気配が近付くのがわかった。脚と背中に大きな手が触ってきて、ローレルの体を軽々と持ち上げる。


「セクハラしちゃだめよん」

「心配するな。オレはオマエ一筋だ」

「いやん。そのセリフ、痺れちゃう」


 何だか、甘い会話が展開されていた。

 ローレルは男に運ばれ、何かの建物に連れて行かれる。降ろされた場所がどこだかはわからなかったが、会話と背中を包み込む気持ちよい感触から、フカフカしたソファーの上にローレルが寝かせられたのはわかった。


「カレジ・ローレル。いろいろと疑問があるが、まずは体を休めてくれ。話はそれからだ」

「なぜ、私の名前を」

「だいぶ眠そうだな。質問には後で答えよう。今は眠ってくれ。ここは、安全な場所だ」


 男の言葉で、ローレルは安堵し、眠ることにした。数分かけて徐々に意識を手放し、最後には眠りの世界へ沈んだ。

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