死の雨

「お待たせしました。それでどのような情報をお求めで」


 にこやかに、マスターがローレルに問いかける。


「少し、気になることがあってな。ここらへんを黒いローブを着て、髑髏の仮面をつけた人物が歩き回っている……という風な噂とかはないのか」


 言うまでもなく、昨日出会った髑髏の仮面をつけた者だ。あれほどの殺気を放つ者なのだ、格好は目立つであろうし、ローレル以外にも出会っている可能性はないとは言い切れないだろう。昨日だけ現れた存在でなければ、少なくとも一人や二人、あの髑髏の仮面をつけた者に出会っているかもしれない。そして、その体験談が噂になっているかもしれないのだ。


「パフェにぃ、お酒をかけてー」


 女性は、楽しそうだった。

 マスターは数秒考える素振りをみせてから、口を開いた。


「お客様はこの辺りに住まわれていないのでしょうか」

「定住していなくてな、あちこち転々としている」

「なら知らないのも無理はないでしょうね。それは『死の雨』などと呼ばれている都市伝説ですよ」

「都市伝説?」


 マスターは頷く。


「えぇ。呼び方は様々ですが、『死の雨』が一般的です。雨の日に現れる、奇抜なファッションの方ですよ」


 マスターの説明は、あの濃密な殺気を連想し辛い、軽やかなものだった。


「先程、お客様がおっしゃられたとおり、黒いローブに髑髏の仮面という姿をしています。現れるのは決まって雨の日。そして、髑髏の赤い瞳に魅入られた者は必ず殺されるのだそうです」


 必ず、殺される。

 濃密な殺気に、押しつぶされるのだろうか。それとも、髑髏の仮面をつけた者に直接手を下されるのだろうか。


「もしかして、出会ったのですか」

「……まぁ、な」


 拳を握り締める。アレと闘ったとして、自分は勝てるのだろうか。


「大丈夫ですよ、迷信ですから。模倣犯か何かでしょう。それよりも、何か飲みませんか」

「そうだな。申し訳ないが、酒は飲めなくてな。お金にもあまり余裕がないんだ、何かおすすめがあればそれを頼むんだが」

「でしたら、ノンアルコールカクテルを。果物は何がお好きでしょうか」

「特には……強いていうならオレンジかな」

「では、少し甘めのシンデレラというノンアルコールカクテルを。ご安心ください、カクテルといってもジュースしか使わないので」


 マスターは一礼すると、カウンターにグラスや何かの入れ物をいくつか取り出す。

 どこからか氷を取って、グラスの中に三個入れる。マスターは持ち手の長いスプーンのような、マドラーで、グラスの中の氷を軽くかき混ぜる。

 その後、マドラーを仕舞い、鉄製の筒状をした入れ物にジュースを注ぎ、そのジュースを鉄製の大きな入れ物に移し変えていく。三回、ジュースを移し変えると、グラスに入れていた氷は捨て、新しい氷を大きな入れ物に詰めこむ。大きな入れ物にふたのようなものをしてから、マスターは両手を使ってそれを振り始めた。


「グラスに氷を入れた意味はあったのか」

「グラスを冷やすためですよ」


 あっさりと答えて、マスターは入れ物を振るのをやめた。ふたを開けて、グラスに出来たカクテルを注ぐ。


「お待たせしました、どうぞ」


 ローレルの前に人生で初めて飲むカクテルが置かれた。


「パフェにかけなかったぁ、お酒を最後にぃーぐいっと」


 女性は、とても楽しそうだった。


「ごゆっくりどうぞ」


 マスターはまた一礼すると、ローレルから離れて、仕事に使う道具の手入れのようなことを始めた。

 グラスを持ち、唇まで運んでいく。ふちに口をつけ、グラスを傾けて少しだけノンアルコールカクテルを味わった。


 ジュースとほぼ変わらなかった。ただ、普段口にするものとは違う不思議な甘みがあり、グラスも冷やされているおかげで冷たくておいしかった。体に、シンデレラの甘みがしみていくような感覚がする。溜まった疲労を溶かしてくれているようだった。

 たまには、ゆっくりこういう飲み物を堪能するのも悪くないのかもしれない。ジュースを飲むだけならば、自動販売機のもので十分なのだが。


 飲食が娯楽に入らないローレルでも、おいしいものに出会えば味を楽しみたくはなる。


 ふと気がつくと、ローレルは背後を囲まれていた。グラスが鏡の代わりになって、ローレルを囲む男たちを映し出してくれる。

 先程からこそこそ話をしていたのはわかっていたが、まさか囲まれると思っていなかった。浅い眠りを繰り返していたばかりに思考が鈍っているのかもしれない。

 まさかと思い、酒を楽しんでいた女性へ目を向けてみる。女性も、男に囲まれていた。何かの集団らしい。ローレルと女性を囲んでいる男の数を合計すれば、十人はいそうであった。正確な数は、わからない。数える気力がなかった。

 男たちは酒場のテーブル席を全て陣取っていたし、テーブル席は4人が座れるようなものが3つ、2人用が一つであったので14人まで座れる。となれば最大で14人、誰かが一人でイスを複数使っていれば12人や10人ぐらいであろう。


 ローレルにとっては男の集団であることに変わりはないので、何人であろうがどうでもいい話だ。


「ねえ、お姉ちゃんたちぃ、俺たちとイイことしなーい」


 代表であるらしき、ニット帽をかぶった男が話しかけてくる。


「良いことってなんだい? にいちゃん」


 女性は酒を飲みながら、にこやかに問う。


「たくさんお酒飲んで、遊んじゃおうぜ。パーティーだよパーティー。金は俺らが払うからさぁ」

「そりゃ楽しそうだね」

「だろ! そっちのポニテのねえちゃんもそう思うだろ」


 突然話を振られ、ローレルは思わずこめかみをおさえてため息を吐きたくなった。大人数で騒ぐのはあまり好きではないし、面倒はごめんだ。


「私は酒を飲んだことがないんだ。アルコール入りを飲む気にはなれない。これもノンアルコールだし、遠慮しておく」


 一応断ってみるが、おそらく無駄であろう。


「いいねぇウブで! 酒の良さたっぷり教えてやるから、遊ぼうぜ」


 予想通りだった。

 遊ぶつもりなど毛頭ない。殴り合いになってでも、男の誘いにのりたくなかった。


「お断りだ」

「あたしも勘弁だね」


 ローレルに便乗し、女性も誘いを断る。さっきまでのる気に見えたのだが、どうやら違うらしかった。


「はあ? なんだよつれねえな」


 ニット帽をかぶった男が、不満げな顔をし、女性の肩に手を置く。女性はあっさり、男の手を自分の手で払いのけた。


「悪いね、あたしが一緒に飲もうと思える男はあんまりいないんだ。あきらめな」


 どこかニヒルな笑みを浮かべて、女性はまた酒を口にする。唇から赤い舌を覗かせるのが、同性であるローレルから見ても色っぽいしぐさだった。

 ニット帽をかぶった男はあからさまな舌打ちをし、意図的に明るくしていたであろう声を低くしていった。


「たかが女が、この人数から逃げられるとでも思ってんのか、なぁ」


 言葉で女性を威圧し、ローレルを睥睨する。


「ウブなねえちゃんも、すんなり帰らせてくれるなんて思わないでくれよ。抵抗なんてのも考えるな、一本しかない腕が使い物にならなくなるぜ」


 ニット帽をかぶった男のセリフに、ローレルはもちろん、女性も全く動じない。


「男が、女を囲んで脅しかい? ちゃんと女を口説けない男が、大きな口を叩くんじゃないよ、全く」


 それどころか、女性は暴言を吐き始めた。


「あんたみたいな男がよくオメオメ生きてるねぇ。おどろいちゃうなぁ。あたしが男で、こんな大人数で女囲むしかできないんだったらね、恥ずかしくて情けなくて死ぬね。銃弾に頭をキスしてもらっちゃうねえ」


 グラスを持っていない左手を、銃に見立て、女性は頭に人差し指を突きつける。


「バァン」


 女性の挑発に、男たちが眉をひそめたり、拳を握りしめたり、歯軋りをしだす。


「あ、怒った? にひひひ……やーねー、みっともない。さっきまで優越感にひたって笑っていたじゃないかい。快楽に溺れられると期待して、下品で見ていられないような醜い顔をしていたじゃないかい。どうしたんだい、バカども」


 遠慮のない罵倒に、男たちが怒りに身を震わせる。


「いやがる女を無理やり捕まえて遊ぶようなことしかできないのならさっさと死んじまいな」


 女性はグラスから手を放し、男たちに振り返る。両手を広げて、笑顔を作った。


「調子に乗るんじゃねえぞこのアマァ!」


 集団の中に居た男の一人が憤然として叫び、女性に襲い掛かろうとした。

 仕方が無い。

 ローレルは浅く息を吐き、ウェイブを引き出した。席を立ち、拳を構える。

 身にまとうは黄金のウェイブ。


 ローレルは男に接近し、拳を放つ。

 放つは右のストレート。


 男とローレルの間にはイスが2脚ほどあったので、近付くのに少々手間取ったが、女性を助けるのに問題はない。男の手が女性に触れる前に、ローレルの拳が男の頬を抉った。男はたまらず倒れる。倒れた方向には仲間がいたが、仲間はさっさと避けてしまった。


「顎が外れていたら、すまないな」


 ローレルの拳を見た女性は、手を叩いた。


「ヒュー! やるねぇお嬢ちゃん」

「ウェイブ使えるぐらいでいい気になるなよ!」


 ニット帽をかぶった男が怒鳴り、ローレルに掴みかかるべく両手を広げる。

 上腕を掴まれそうになったところにブローを放つ……軽くシミュレートし、ローレルは構えた。


 が。


 ニット帽をかぶった男はローレルに掴みかかる前に動きをぴたりとやめてしまった。


 当然だ。


 口に銃を突っ込まれては、動こうにも動けないだろう。

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